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18・殺しに行ったら身分地位の差、風格、渦巻く野望の凄まじさに狸娘は森に山に帰る。愚鈍な狸をあしらう雌狐は修行中の彼氏が倒すべき妖魔を……嬲り殺す。

 絹の計算だと、辿り着く頃に断末魔の最後を見れるはず。

 逝ってなくても、けしかける! 

 ――そう、私は、恋愛戦争の為に魔物となるべくやってきたのだ。


 そんな事を考えてた絹は、旅立ちから五日で蓬莱へ到着した。

 見慣れた森を幾つか抜ければ、すでに懐かしさまで感じさせる長閑《のどか》な田園風景が広がっていく。紘翔の町と村の境を望み、絹は腰に手をあて竹筒から一気に水を音立て煽り飲む。

「ぶふぅっあ~……ふぃ~。こんな姿、絶対に禄様にだけは見せられないやね」

 乱れた髪を撫で上げ、襟をはだいて外気を入れると衣を正して深呼吸。奉公人の頭巾を目深に被り、何食わぬ顔で紘翔の神社の参堂へ足を踏み入れた。

「――で、茜様は何処でございましょうか」

 枝擦れで落ちた小枝を踏みしめ参堂を抜け、開け放たれた社務所に顔を突っ込み覗いて探すが気配は無い。

「茜様、入りますよー」

 玄関から掛け声一つ。何度か訪れた事のある社務所から和室を通り抜け、茜の部屋で足を止める。

「くそ、まだお線香の臭いがしてないか……」

 小奇麗に片付いた部屋の真ん中には、はだけた布団が敷かれ、無造作に投げ出された斬首の御布令が置いてある。

 ――間違いない。茜様は斬首の件を知っている。

 咄嗟に布団へ手を挿せば、まだ、温かい。何とはなく開け放たれた障子から覗ける裏庭に視線を飛ばしたら、台の上に立ち、静々と松の枝に縄を掛けて輪を結ぶ白装束の少女を見掛け――絶句。そして、

「な……な、なにしとんじゃ――――ッ!?」 

 一足で和室を飛び越えて縁側蹴って飛び上がる。

 捻りを咥えた飛び蹴りは、涙を溜めて鼻を啜る茜の背後から右脇腹を直撃。

「痛いの!?」

 悲鳴を上げた少女が、ツツジに頭から突っ込んだ。

「何してるんですか茜様! って――あ!? やだ、私ったら止めちゃった!? 生来の気立ての良さと、決して悪になれない心の優しさが憎い!?」

 怒気荒く捲し立てる闖入者《ちんにゅうしゃ》に生涯で二度ないだろう行いを飛び蹴り一閃、背中から食らわされ、何か喚かれたのだ。茜は怒りも悲しみも通り越して呆気にとられる。

 ――が、それだけでは済まされない。その闖入者は、今の今まで悲しんでいた男と現世の旅路と死出の旅路を共にしたと知り得た奉公人なのだ。

「き……絹姉……さま? うそ、だって、幽霊!? あッ――」

 仁王立つ絹の姿に、青冷めた茜の瞳が回転。頭から倒れて気絶した。

「あっ――じゃない、何で失神!? お、起きて下さい茜様」

 古来より、気絶の者を覚ますのは当て身か張り手と相場は決まってる。

 振り上げる手の平。少し痛いですよ、と心で謝罪。薄桃色の柔らかくも綺麗な頬に張り手を入れる刹那――心に覗くのは『くそ、禄様が惚れるだけあって可愛いなぁ』と、小さな嫉妬心。切ない乙女心が心底妬ましいと思わせ、気づけば手の平は……拳に変わる――

「凄く痛い!?」

「よかった……目覚められましたね茜様。気を断たれた時は……絹めはどうしようかと……」

「……なんか、頬が痛いの……」

「大変失礼を。目覚めに|掌で当て身を少々……大変申し訳御座いません!」

「そ、そうなんだ……一瞬、岩で殴られた夢が見えて――って、どうして絹姉様が生きてッ!?」 再び青冷め、眼球が白眼を剥こうとした瞬間、音立て握りこまれる絹の右拳。痙攣にも似た脊髄反射で体を震わせた茜は遠退く意識を踏み止めた。

「起きてる! 起きてるから、でも、何で……」

「生きてます! 茜様、とりあえず中へ。お伝えしたい事があります」

 さっさと寝所へ入る絹。狼に睨まれた羊のように、脅えた眼差しを湛えた茜は自室だというのに深々と一礼して入室する。

「まず茜様。首に縄結って冥土《あっち》へ遁《とん》ずらこき掛けた原因は、この御布令《おふれ》の件で御座いますね」

「は、はい……」

 紘翔の社は幕府より庇護のある古来より由緒正しき神社である。

 そこの娘、事実上の正統な後継者である茜はそこらの下級武士《禄の一族》とは比べるべくも無く地位的には高い。無論、下級武士《禄一家》の奉公人といえば立場は下の下、事実上の塵芥に等しい。間違っても巫女装束に正装した本人を布団に正座させ、奉公人風情が座布団五枚の上に胡坐をかいて座るなど出来るはずもないのだが。

 奉公人は上座から事の顛末を粒さに聞かせ、程よく二人のいちゃつきぶりを混ぜて伝える。 二人の恋路の逃走という空想絵巻を、地元で燻《くすぶ》る土着民に格の違いを見せ付けるよう、とくとくと話して聴かせていた。

「――という経過で誰が聞いてるやも解りませぬ。名前は伏せ――彼は無事、強くなる為に修練を積んでいる。そしていつか貴女の元へ、とだけ伝えてお話を終了と致します」

 絹は胸を撫で下ろしていた。役目とはいえ危険な道中を行脚《あんぎゃ》し、ついに想い人の悲願を自ら達成したのだ。これは無事に戻れたら頭撫でられるだけではすまないだろう、親密になってしまえるかもしんない。と、欲の炎は燃え上がって再び拳を握らせる。

「そうだったんだ……ありがとう。ありがとう絹姉様。危険な道中を越えて、わざわざ伝える為に会いにきてくれるなんて」

「ううん、いいの。大切な妹にも等しい貴女の無事な姿を確認できて絹も嬉しいよ。本当に頑張って良かったって思えるもの」

「本当です……背後から無理やりにでも止めてくれなかったら、私、確実に冥土へ逝ってました。いつか、禄と再会して添い遂げるという私の野ぼ――いえ、夢。抱き続けて生きていれば、叶うかもしれないですものね。絹姉様、本当にありがとう。私、頑張ってみます」

 茜様は瞳に大粒の涙を溜めて絹の手を取り、優しくも気高い如来や菩薩のような微笑を浮かべたのです。対して絹めも本当によかったと思えました。遠路遥々、二人の恋の成就を願って一路走り、二人の密かな想いは無事交じり合い、これで禄様の想いの成就は――

 ――あれ?……なに、なんか……違くね?

 そこで絹は硬直した。が、

「――って、しまっ、しまったぁぁぁぁぁあああああぁァァァァァァ――――ッ!?」

 何この流れ!? 嘘八百並べて自害させる計画が!

 そもそも、一日、いやほんの一刻遅れていれば、絹めの未来は果てしなく桃色へと変わっていたはず。絶望と傷心に暮れる禄様を優しく慰め癒せる良き伴侶――ここまで未来の縮図が浮かんでるってのに何が悲しゅうて自ら好敵手を助けてんのさッ!?

「ッ!?」――やだ、迫り来る未来の縮図が、水桶に張った氷のように割れるの見えちゃった!

「どうしました突然大声を出して? 私、てっきり絹姉様は私と禄の恋路を応援してはいない、絶対殺してでも邪魔しに来るって心の何処かで勘繰っていました……本当に御免なちゃい」

 ――この女、妖怪悟りかッ!? いや、天然って奴なのか!? うかつ!? 冗談じゃないぞ、こんな事する為に来たんじゃない!

 絹の動悸が乱れていく。伝った汗が頬を伝って。

 ――待て、待てぇ、顔に出すな! 恐ろしい……何こいつ、神通力の噂があったが本当に心を読んでるのか。そう思ったら、あの笑顔も怖すぎる。なんと末恐ろしい娘だ。「ぬぅぅっ――」と。絹は肝を冷やす。

「全て解りました絹姉様。この件は彼の帰郷まで他言無用を貫きます。お急ぎでしょうから速攻返礼の文を認《したた》めます。暫しお待ちを……」

 そこで絹の肩が震えた。

「本当の姉妹のように仲を取り持ってくれてありがとうね」

 ――こいつッ――文を書きながら語りだしやがった!

「これで心置きなく私はあの方の帰りを待っていられます」

 ――うっわぁ。文に封して、差し出してきた。

 ――え、嘘嘘、本当にもう帰れって目が言ってるぅぅ。

「ちょっと待って! 確かに数日で着いたよ、着いたけどさ」それは目的と野望があったからで、あくまで演出。しかもこのまま帰ったら……。往復一月以上は掛かる道程に、『禄様ぁ、東山道の往復、十日掛からず行って参りましたぁ、てへ』等と、誰が報告出来ようか。

 妖怪かお前はッ!?――で一蹴されたらどうしよう。

「さ、訳解らない事言ってないで、あの方の元へ急いでね」

 絹の顔が青ざめていく。

 ――まて、落ち着け私! 冷静に、冷静に深呼吸ぅ。怒るな……今後の為に自制しろ……。

 男女の仲とは化かし合い。んな事は今時、河原で乳繰り合ってる洟垂《はなた》れ童子《どうじ》の男女ですら熟知済みだ――仮面だ、仮面が必要なのだ! 御淑やかで、おしゃまで、花も天女も恥らう無垢で純な少女としての鋼の仮面だ! でも、この御仁は大急ぎで帰れとおっしゃられる。

 ……天然って、ほんっと怖いなぁ……。

「あの方に伝えて、アカネはいつまでも信じている――と」

「そ、そうですよね。わ、私大急ぎで、禄様にこの文を届けなきゃですね。大丈夫、大丈夫ですよぉ、絹めは強い子ですから」

 ――拙い……どこで時間潰そう。

 絹は心底悩んだ。それでも数刻後。絹はアカネから社を追い出されて、揺れる足元を踏みしめて、再び森の奥深くへと青褪めながら消えていくのだった……。



 去り逝く絹を見送りながら、茜は首を小さく鳴らした。

「よかった、絹姉様が獣のように逞しい御方で。古来より……乙女同士の友情とは格も美しき不変の物なりと歌集にも謡われています。もっとも……男が絡まなければ、ですが」

 ついっと視線を大空へ飛ばせば雀の雛鳥を、腹を空かせた数羽の醜い烏《カラス》が尾行していた。

「でも、どんなに手強い獣でも弱ってしまえば赤子と同じ。それでも文だけは無事に届けて下さいね絹姉様。茜は本当に、それだけが心配、ですッ!」

 溜息混じりに懐から呪詛の書かれた呪札を取り出し、投げクナイのように放てば巨大な怪鳥に変化し烏を纏めて喰らい尽くす。せめて手負いの獣が無事に禄の元へ戻れるように。と、心の底から願う茜は、舞い散る黒羽に一瞥もくれず踵を返して鳥居を潜った。

「禄を押し倒して赤子を儲けていれば……こんな事にはならなかったのかなぁ」

 過ぎ去りし往時に後悔を抱けば、漏れる言葉は溜息と共に出てしまう。

 正直、絹が来なければ今頃は間違いなく大樹からぶら下がる蓑虫のように裏庭で揺れていた事だろう。計画は狂ったが、降って沸いた僥倖に感謝しつつ楚々とした仕草で参堂を戻り境内へ入る。

 そんな折だった。何処からか森閑とした境内へ乳飲《ちの》み子の鳴き声が響いてくる。

 気配を手繰れば、境内から参堂に入る手前に森を抜ける小路がある。その向こうに十代後半だろうか乳飲み子を抱く女が一人立っていた。

「あら、こんにちは。疳《かん》の虫の祓いでも御入用ですか?」

 どこから来たのか大地を踏みしめるのは草鞋ではなく素足。しかも泥濘《ぬかるみ》に膝元まで浸かったのか、足を泥で染め着衣にも飛沫が飛び散っている。

 揺れて佇む女は言葉を発せず、ただただ静かに赤子をあやすだけ。

「疳の虫でなければ、そうですね……魔祓いによる成仏でしょうか?」

 女の肩が小さく震える。

 揺れる女の足元から漏れるように漂うモノがある。それは春の穏やかな情景とは不釣合いな黒の霧。それは周囲を侵食するよう広がり始め、微笑のまま茜の瞳が細められた。

『禄の……茜……お前を使えば……奴を引き寄せられる』

 およそ年頃の女に似つかわしくない重く摩り殺すように響く声。さらに女の濁る瞳が闇に飲まれ、感情や精気の欠片を感じさせない。

 その眼窩に闇を掬わす不気味な面貌に臆する事なく、茜は神樹に守られた聖域より出撃。異形へ打って出る如く闇の靄さえ踏み潰す。

 腰に差した白木作りの大幣《おおぬさ》を布擦れの音と共に引き抜き地を蹴った。呼応する女が茜へ間髪容れず赤子を投げつける。茜は反射的に――躱した。

 泣き叫ぶ赤子が茂みに突っ込み、それを無視して茜が駆けるまま懐から数枚の札を取り出し投げ放つ。着弾と共に爆破。

 面食らう女は飛蝗《ばった》のように飛び上がり、辛うじて神樹に四つ這いでしがみ付く。

 獲物狙う蜥蜴《トカゲ》か蜘蛛《クモ》のように、高みから逆さ状態で見下ろすが、対象の茜がいない。

 ひゅんッ、ひゅッ、と風を裂く異音に気づき咄嗟に背後、頂へ視線を向ければ同じく大樹に獅噛みつく茜が、布帛《ふはく》で作られた大麻《たいま》を鎖分銅のように頭上で回転させていた。

「私、幽霊類は駄目ですが、妖しの類は平気です。そして貴女からは思考を感じない……既に世のモノではない。となればあの赤子の父母を喰らったのも誰かは考えるまでもなし……弔いとして……徹底的にのめさせて頂きます」

 泡を食い再び跳ねる女だが、その四肢は行動を起こさない。女よりも早く放たれる茜の大麻が体を捕らえ、それは大蛇のように絡みつき四肢を瞬く間に拘束していく。

『こ、こんな布――』叫ぶ不知《シラヌ》モノが大麻を千切ろうと手を掛けた瞬間、皮が裂けて黒い液塊が大地へと降り注ぐ。 

『――!?』

 見開かれる虚空の眼差しが次に映すのは、頭上から飛び掛かかる清楚な巫女。いつの間に握っていたのだろう。白木の棒ごと握る札が拳に絡み、鮫の顎のように鋭利と変わる。

 共に大地へ落下。不知《シラヌ》モノの頭が大地に衝突する瞬間、凶悪な拳が顔面にめり込んでいた。


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