第二話:リュネ
「一緒ですね」
少女は、そう言って笑った。
レヴァンは答えない。
ただ夜空を見上げる。
風が吹き抜け、石段の脇に咲いていた白い花が揺れた。
「おじいさんは、どんな星を探してるんですか?」
静かな声だった。
興味本位というより、純粋に知りたそうな声。
レヴァンは少し考えてから、短く答える。
「……古い星だ」
「古い星?」
「ああ。もう、誰も覚えていないような星だ」
少女は目を丸くしたあと、くすりと笑った。
「なんだか素敵ですね」
レヴァンは眉を寄せる。
「どこがだ」
「だって、誰も探さなくなった星を、ずっと探してるんでしょう?素敵ですよ」
当然みたいに言う。
レヴァンには、それが少し不思議だった。
普通なら、馬鹿げていると笑う。
誰も覚えてない星?そんな星あるわけないだろと言う。
あるいは、自分の姿を見て諦めろと言う。
だがこの少女は、それを変だと思っていない。
「お前さんは?」
「私ですか?」
少女は空を見上げた。
「私は、“星が一番綺麗に見える場所”を探して旅してます」
てっきり村の子だと思っていたレヴァンは少し驚いた。
歳は十四くらい……か、と少女を見て推察する。
そんな歳のしかも女の子が旅をしてるとは関心より先に心配が勝った。
だが旅をする事に年齢は関係ない。
この少女も何か事情があるのだろうとそれ以上詮索しなかった。
レヴァンは話を戻した。
「星が一番綺麗に見える場所……そんな場所があるのか」
「あるらしいです」
楽しそうに頷く。
レヴァンもこの歳まで世界を隅々まで見てきたつもりだが、出会った事がない。
いや、あるいは行った事はあるが、自分が気づかなかっただけの可能性もある。
「昔、お母さんが言ってたんです。世界のどこかに、星が手に届きそうなくらい綺麗な場所があるって」
レヴァンは黙って聞いていた。
「だから見てみたいんですよね。本当にあるのか」
夜風が少女の髪を揺らす。
その横顔は、どこか眩しかった。
レヴァンにはもう、そんな風に何かを信じられていた頃を、思い出せなかった。
「おじいさんは?」
「……何だ」
「その星、見つかりそうですか?」
レヴァンは空を見る。
無数の星々。
だが、探している星だけは、今夜も見つからない。
「さあな」
掠れた声で答える。
「長いこと探してるが、隠れるのが上手いらしい。五十年前に一度見てからそれっきりだ」
すると少女は、少しだけ考える顔をしてから言った。
「じゃあ、私も探すの手伝います」
レヴァンはゆっくり視線を向けた。
「……は?」
「一人より二人の方が、見つかりやすいでしょう?」
あまりにも自然に言うので、レヴァンは言葉を失う。
まるで、明日の天気の話でもするみたいに。
「別にお金とか取りません?私も星が見える場所探してますし」
少女は笑う。
「それに――」
少女は夜空を見上げた。
「おじいさんが探してる星って、私が探してる場所に行けば見れるかもしれないじゃないですか?」
「なんせ星が一番綺麗に見える場所ですよ?多分ここから見る星とは比べ物にならないくらい、それはもうものすっっっごくたくさんの星が見えると思います」
その言葉に、レヴァンの胸がわずかに痛んだ。
遠い昔。
焚き火の向こうで、似たようなことを言った少女がいた気がした。
だが、その記憶を掴む前に、少女が立ち上がる。
「あ、そうだ。私リュネって言います」
くるりと振り返り、笑った。
「おじいさんは?」
少しの沈黙。それからレヴァンは、静かに答える。
「……レヴァンだ」
その名を聞いても、リュネは特に驚かなかった。
こんな老ぼれが世界を救った英雄だなんてつゆにも思ってないのだろう。
ただのいち旅人として見る目で、少女は笑う。
「よろしくお願いします、レヴァンさん」
その呼び方に、老人は少しだけ目を細めた。
「……やめておけ」
レヴァンは静かに言った。
「私みたいな老人と旅しても、面白いことは何もない」
リュネは少しきょとんとする。
「そんなこと――」
「それに」
言葉を遮る。
「お前さんは、もっと明るい場所へ行くべきだ」
夜風が吹く。
レヴァンは空から目を逸らした。
「私の旅は、あまりに長すぎる」
リュネは少しだけ黙ってから、空を見上げた。
「……じゃあ」
小さく笑う。
「またどこかで会えたら、その時は一緒に探してください」
レヴァンは答えない。
リュネは石段を降りながら、ひらりと手を振る。
「おやすみなさい、レヴァンさん」
もう少し粘られるかと覚悟していたが、思いの外あっさり引いてくれ、内心助かったとレヴァンは思っていた。
リュネが宿の方向に向かって歩いて行く背をレヴァンはいつまでも見守っていた。
リュネとは別の宿に入ったレヴァンはベッドに座り、リュネの事を思い出していた。
「一人より二人か……」
レヴァンはフッと笑い、もう会う事もないだろと思い眠りについた。
翌朝
夜が明ける前に、レヴァンは村を出た。
空はまだ薄暗く、東の地平だけが僅かに白んでいる。
酒場も、宿屋も、まだ静まり返っていた。
石畳へ杖代わりの剣を突き、レヴァンはゆっくり歩く。
少女には会わなかった。
会わない方がいい。
ああいう眩しいものに、もう近づくべきではない。
それでいい。
老人の旅は、一人で終わるくらいがちょうどいい。
村の門を抜け、しばらく歩いた頃だった。
ふと、焦げ臭い風が吹く。
レヴァンは足を止めた。
振り返る。
遠く、村の方角から、黒煙が空へ昇っていた。
その瞬間。
炎。
悲鳴。
血の匂い。
焼け落ちる街。
星の見えない夜。
『レヴァン――!!』
脳裏に、遠い日の声が響く。
「……っ」
レヴァンは地を蹴った。
足が軋む。
古傷が悲鳴を上げる。
それでも一歩ずつ進む。
嫌になるほど、身体が覚えていた。
出遅れれば、誰かが死ぬ。
昔から、ずっとそうだった。
魔物の咆哮が、村中を揺らした。
家屋よりなお巨大な影。
黒い外殻は鈍く光り、その四肢が地を踏むたび、石畳が砕ける。
「避けろォ!!」
炎の魔術が炸裂する。
閃光。
爆炎。
だが、煙の中から現れた魔物は、ほとんど傷一つ負っていなかった。
「……嘘だろ」
若い冒険者の顔が引き攣る。
次の瞬間、巨大な爪が振るわれた。
鉄盾が粉々に砕け散る。
鎧ごと、一人の男が吹き飛んだ。
血飛沫が石畳を染め、男はぴくりとも動かない。
「っ……!」
誰かが悲鳴を上げる。
「なんだよこの化け物……!」
「こんな奴がいるなんて聞いてないぞ……!!」
恐慌が広がっていく。
冒険者達はそれなりに強かった。
少なくとも、この村周辺に普段からいる魔物程度なら村を守るには十分なはずだった。
だが相手は普通じゃない。
剣が通らない。
魔術も通らない。
歩くたびに地響きが起こる。
まるで、災害そのものだった。
その時。
「下がってください!」
そう言い駆け出そうとしたリュネの腕を、若い冒険者が咄嗟に掴む。
昨夜、酒場でレヴァンに突っかかった男だった。
「ガキが出しゃばるな!!」
「でも、このままじゃ――」
「いいから逃げろ!!」
男の声は震えていた。
恐怖で。
それでも、リュネを庇おうとしていた。
その間にも、また一人倒れる。
地面へ叩きつけられ、動かなくなる。
リュネの顔が青ざめた。
「っ……」
怖い。
身体が震える。
それでも、逃げたくなかった。
だが。
魔物がゆっくり振り向く。
濁った赤い眼が、リュネを捉えた。
巨大な影が近づく。
一歩。
また一歩。
地面が揺れる。
あまりの威圧感に、リュネの呼吸が止まる。
足に力が入らない。
逃げなければ。
そう分かっているのに、身体が動かなかった。
魔物はリュネを見下ろす。
そして巨大な爪が、リュネへ振り下ろされる。
もうダメだとリュネは目を閉じた。
その瞬間。
――ギィン!!
鈍い金属音が響いた。
魔物の爪が止まる。
黒い外殻へ、一本の剣が食い込んでいた。
錆びた剣だった。
まるで長年、雨に晒され続けたみたいに古い。
だが。
その剣を握る老人の腕は、微動だにしていなかった。
「……下がれ」
低い声。
リュネが目を見開く。
「レヴァンさん……!」
魔物が咆哮する。
凄まじい力。
普通の人間なら、剣ごと叩き潰されていた。
だがレヴァンは、爪の軌道を僅かに逸らす。
力で止めない。
流す。
それだけで、致命の一撃が石畳へ叩き込まれた。
轟音。
砕ける地面。
若い冒険者達が息を呑む。
「……なんだ、あの動き……」
レヴァンは答えない。
ただ静かに魔物を見る。
強い。
全盛期ならともかく、今の身体では長く持たない。
足が軋む。
古傷が痛む。
馬鹿正直に真正面から攻撃を受け止めてはこんな老体、簡単に弾かれる。
それでも、ここで退くわけにはいかなかった。
「おい」
レヴァンが倒れていた冒険者へ声を飛ばす。
「まだ動けるな」
若者が顔を上げる。
「は……?」
「死んでないなら立て。あいつは一人で相手する敵じゃない」
レヴァンは剣を構える。
「右の後ろ脚だ。そこだけ、外殻が薄い」
冒険者達が目を見開いた。
誰も気づかなかった傷。
たった一度見ただけで、老人は見抜いていた。
「魔術師はどうにかして視界を潰せ。前は私が引き受ける。その間に全員でかかれ!!」
「っ……」
若者達の顔から、少しずつ恐慌が消えていく。
代わりに宿り始める。
戦意が。




