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第一話:星が消えた夜

星が、ひとつ消える。

老人は足を止めた。

夜風が、擦り切れた外套を揺らす。

平原の先には、灯り一つない。


老人――レヴァンは、杖代わりにした剣へ静かに体重を預け、空を見上げた。

煌々と輝く月。

砕いた硝子みたいな星々。

星々に向かって光の粒が自分も入れてと言わんばかりに上がっていく。


「……星送りか」


そう呟いて、レヴァンは目を細める。

昔は、あれが見える夜が嫌いだった。

今はもう、嫌う理由すら曖昧になっている。


遠くで鐘の音が鳴った。

どこかの村で、誰かが死んだのかもしれない。

レヴァンはゆっくり歩き出す。


引きずる足が、砂混じりの地面を擦った。

かつて世界を救った英雄だと言っても、今の彼を見て信じる者はいないだろう。

それでいい、と老人は思っている。

自分は英雄などと呼ばれる人間じゃない。

本当に守りたかったものを守れなかったのだから……。


レヴァンは先程の鐘の音がなった村に入った。

入り口の立て看板にはシルト村と書いてあった。


食事と体を休めるためにレヴァンは酒場に向かった。

酒場の扉を開けた瞬間、ぬるい熱気と笑い声が流れ込んできた。

レヴァンは周囲を一瞥する。

若い冒険者たち。

壁に立てかけられた新品と思われる剣。

 

酒臭さ。

喧騒。 

酒場という所は昔と変わらない。

違うとすれば、そこに自分の居場所がもう無いことだけだった。


「なんだあのジジイ」


誰かが笑った。


「その剣、まだ使えんのかよ」


レヴァンは答えない。

空いていた隅の席へ向かう。

その無視が気に障ったのか、一人の若い冒険者が立ち上がった。


「おい、聞いてんのか」


肩を掴もうとした瞬間、レヴァンは半歩だけ身を引いた。

男の手は空を掴んだ。

勢いを殺しきれず、若者はよろめく。

酒場に小さな笑いが起きた。


「っ……!」


顔を赤くした若者が剣に手をかける。

だがその時、レヴァンが初めて口を開いた。


「やめておけ」


静かな声だった。

怒気もない。

見下しもない。

ただ、本当に面倒そうな声だった。


「お前さんのその剣は、こんな下らない事に使うものなのか?」


レヴァンのさっきの動きに店主は感心した。

たくさんの冒険者を見てきた店主は、さっきの動きだけでレヴァンがただの老人ではないと察した。


「……舐めやがって!!」


若者が剣を抜いた。

店主の顔色が変わった。


「やめろ!!」


だが遅い。

怒声と共に、剣が振り下ろされた。

その瞬間。

レヴァンの身体はほとんど反射的に動いていた。


半歩。

踏み込む。

若者の手首を払う。

崩れた体勢へ肩を打ち込み、剣を奪う。


一瞬だった。

次の瞬間には、若者は床へ倒れ伏し――喉元へ、剣が突きつけられていた。

酒場が静まり返る。

誰も、レヴァンが動いた瞬間を見切れなかった。

若者の喉がごくりと鳴る。

冷たい鋒が、皮膚へ触れていた。


あと少し動けば、死ぬ。

その距離だった。

レヴァンの目には、何の感情もなかった。

まるで昔、何百回もそうしてきたみたいに。


殺せる。

いや、もう身体は殺すつもりで動いていた。


「お前さんが始めた喧嘩だ……。覚悟は出来てるんだろ?」 


レヴァン剣を思いっきり振り上げた。

そこでふと、声が蘇る。


『……レヴァン』


星空の下。

泣きそうに笑っていた少女。

その少女の顔が一瞬だけ脳裏を過ぎった。

レヴァンの剣先が止まる。


若者の鼻先、紙一枚の場所で。

長い沈黙のあと、レヴァンは静かに剣を床に置いた。


「……悪かったな」


誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。

酒場は水を打ったように静かだった。

全員の視線がレヴァンに集まる。

その視線にレヴァンは大きな深いため息をついて、水を一杯だけ飲み、銅貨を1枚カウンターに置いて酒場を後にした。


レヴァンが完全に出て行ったのを確認した後、若者の仲間が若者に近づいた。


「おーい、ちょっと飲みすぎたか?あんなヨボヨボの爺さんにやられてよお」


仲間は冗談まじりに座り込んでいた若者に声をかけると、若者の体はガクガクと激しく震えていた。


「おいおい、どうしちまったんだよ……」


若者の異常な震えに仲間もただ事じゃないと、察した。


「あの……ジジイ……お、おれ……を、ほん、き、で……」


涙目になりながら若者は先程のレヴァンの殺気がこもった目を思い出し、頭を抱えさらに震えていた。


「相手の力量も分からないで、喧嘩ふっかけたお前が悪い」


若者に店主はタオルを投げた。


「力量って……。あの爺さん、そんなに強いのか?」


若者の仲間が店主に尋ねた。


「少なくとも、今ここにいる全員が束になっても敵わんだろうな」


酒場にいる全員が店主の言葉に口を閉ざしていた。

普通なら誰か一人くらいは、冗談キツいぜなどの軽口を叩く奴がいてもおかしくない。

だが、先程のレヴァンの動き、若者の怯えようを見たら誰もそんな軽口は叩けなかった。


「ありゃあ、何百何千と死線を潜り抜けてきてる目だった」


店主はカウンターの内側に戻る。


(あの爺さん、一体何者だ……)


店主はレヴァンが出て行った扉を見ていた。

酒場を出ると、夜の空気はひどく冷えていた。

レヴァンは浅く息を吐く。

まだ少し、手が震えていた。

あのまま振り下ろしていても、おかしくはなかった。

昔なら、きっと迷わなかった。


「……」


レヴァンは空を見上げる。


星はよく見えていた。

雲一つない夜だった。

だから気づいた。

街外れの石段に、一人の少女が座っていることに。


薄い外套を羽織り、膝を抱えたまま、ずっと空を見上げている。

レヴァンは足を止めた。

少女は気づかない。

いや、気づいていて気にしていないのかもしれない。


レヴァンはこんな夜に一人でいる少女にたまらず声をかけた。


「村の子か?こんな夜更けに女性が一人で出歩いていたら危ない。親御さんが心配するぞ」


少女からの返答はない。

ただずっと星空を眺める。

しばらくして、少女がぽつりと言った。


「今日の星、綺麗ですね」


独り言みたいな声だった。

レヴァンは答えない。

少女は空を見たまま続ける。


「冬の前って、星が少し近く見えるんです」


「……詳しいんだな」


少女はそこでようやく振り返った。

柔らかく笑う。


「好きなんです、星」


その笑顔に、レヴァンの呼吸が一瞬止まる。


違う。

違うはずなのに。

夜空を見る時のその目が、昔よく知っていた少女に、ほんの少しだけ似ていた。


「おじいさんも、”こんな夜更け”に星を見に来たんですか?」


少女はレヴァンがさっき自分に言った事を返した。

レヴァンは少し黙る。

それから、夜空へ視線を戻した。


「……探し物をな」


「星?」


「あぁ」


 少女は嬉しそうに目を細める。


「一緒ですね」


その言葉に、レヴァンは何も返せなかった。

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