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間幕 どうして僕はいつも貧乏くじなんだ。

王太子ヨルンディハイド・ゼノア・トリミットリューシの最側近であるデオロラント伯爵令息、ムーラクム・イラ・トラピストは今日も王太子の執務室で補佐をしながら溜め息をついていた。

それというのも、自身の主人が結婚を2週間後に控え、ますますポンコツっぷりが増していたからである。

いや、仕事は滞りなく出来ている。

出来すぎるくらいにできている。

なんだったら期限が1ヶ月は先の書類でも前倒しで取り組んでしまえるくらいには、仕事面では絶好調だった。お陰でムーラクムまでとばっちりを食らい、忙しくてたまらない。

帰ってゆっくり休みたいのに、主人がまともに休んでくれないものだから必然的に付き合わざるをえないのだ。

しかしこの主人はいつも無表情で淡々と、速度を落とすことなく書類を捌いていく。

報告書や意見書、嘆願書、国家事業の企画起案、他国からの使節団の訪問伺い、様々な案件に特に悩むことなく指示書や回答、改正案、返信を書きながら次の書類に取り掛かり、疲れを見せないのだ。

正直、化け物としか言いようがない。

顔色も肌艶も至って良好。半年前に半死人のような顔色と、死んだ魚のような目をしていたのが嘘のようである。

これでもう少し表情が柔らかければ。せめて要所要所で僅かでも微笑んでくれたなら。

職場環境の改善や円滑な人間関係等、ムーラクムの悩みの種であり胃痛の原因が解消されるはずなのに。

ギリリと奥歯を鳴らしながら彼は立ち上がり、ヨルンディハイドに休憩を提言した。


「殿下、そろそろ休憩しましょう」


「必要ない」


「僕に必要なんです」


「必要ない」


だから、あんたの部下が休憩を欲していると申告してるんだよ、聞けよ。せめて考慮するふりくらいしろよ!とは、口が裂ければ言えるかもしれない。

しかし言えば物理的にそうされる未来が見えるので、賢いムーラクムは口にしないことを選択した。

ただし、一瞥もくれずに淡々と熱のない声で返されることには青筋をたてながら、最終手段に出る。


「ルルリエール様のことで、お話が」


主人の新しい想い人の名前は覿面(てきめん)で、やっとヨルンディハイドは書類から視線をあげた。


「お前が彼女の名前を気安く呼ぶな」


主人の表情は無なのに、どうして声色から不快感を拾えてしまうのか。

これが勤続10年の結果身に付いた技術だったら嫌過ぎるので、是非とも誰でも気付けるものであれ、とムーラクムは内心で毒づく。


「ご本人から許可は得ています。なんだったら直接お話できて、有用と認められた方相手になら、誰にでもルルリエール様は許可を出されています」


「だとしても、呼ぶな」


「気持ち悪い執着と独占欲を出さないで下さいよ、殿下。ご本人に認められてないんですよ、貴方の好意は」


「拒否はされてない。それにもうすぐ婚姻が成立する。俺は側妃なんか娶る気はないし、時間の問題だろう」


ペンを置くと椅子の上でふんぞり返り、暫定王太子は腕を組む。

拒否をされないのは当然だ。

何故ならヨルンディハイドは直接好意を伝えていない。あくまで本人には臭わせているだけ。

そして外堀ばかりを埋め始めた。

仕事で繋がりのある相手、夜会で交流する貴族、自分の部下。

伝えられる相手には全て、2人の仲は良好であり今後トリミットナーレンは安泰、ますます国力が上がるだろう、と期待させるような見事な演説を聞かせていた。

それはそれは詐偽のような、実情の伴っていない口八丁でしかない内容だとムーラクムは呆れた。

内容としては事実の脚色と誇張、相手の勘違いを誘発させるいやらしい言い回しのオンパレードだった。

それでも実情を知らない人間は騙されるものだ。

ヨルンディハイドを信じて後押しする者や、ヨルンディハイドの言い分を信じてルルリエールとの付き合いを遠慮する者が出始めたのだ。

正直、良くない傾向だ。とムーラクムは感じていた。

これはルルリエールの逆鱗に触れる行為であると。


ムーラクムは知っているのだ。

なんだったら、ヨルンディハイド本人も知っているはずのことなのだが。

ルルリエールは直接の好意を伝えられない限りは、いつも決まって受け流している。

歴代求愛者達に対しても軒並みそうだった。

ニコニコ笑いながら気付いていない態度でその場をやり過ごし、素知らぬ顔で別の縁談を巧みに押し付ける。

そうして彼女は、どんなに条件の良い貴公子からの求婚も躱し続け、意図的に嫁き遅れの立場を手に入れた。

つまり自分の意思は曲げないし、彼女の障害にならない限りは笑って流されるのだ。

それは相手にする必要がない、とルルリエールが捉えているから目こぼしされているのだろう、とムーラクムは思っている。

世間一般には気の良い縁結び令嬢で通っているが、そんなわけはない。

伊達にヨルンディハイドの側近をしてはいないのだ、ルルリエールのヤバさはヒシヒシと感じていた。


「それですよ、それ。ちゃんと話し合った方が良いですよ、殿下。ルルリエール様的には、絶対怒ってますって。あれだけお相手候補を集めて下さり、お忙しい中何度も場を設けていただいたのに。全部無駄な労力を払わせたわけじゃないですか。まずは誠心誠意謝罪すべきです」


ルルリエールはお友達との面通しのお茶会という名目で、ヨルンディハイドの側妃候補を何人も挙げ選択の機会を与えてくれた。

それなのに、当の本人が全く乗り気ではない。始めは了承したらしいのに、協力態勢が出来ていないし、それどころか最近では彼女のその働きかけを無碍(むげ)にしている。


このまま主を放置していてはロクなことにならない。

嫌な予感しかしない。

ムーラクムの本能が警鐘を鳴らすため、割と真剣にヨルンディハイドを説得する。

こういった進言が出来るのは王太子の側近の中ではムーラクムくらいなので仕方ないのだが、何故自分ばかりがと不平等を嘆きたくなる。


「おい、名前を気安く呼ぶなと言っただろう。彼女はそんなことで怒らない。そんなことより俺は、遅れを取り戻さなければならないんだ。腑抜けていたのはこちらの落ち度だが、その間に彼女は情報操作し、白い結婚だと周りに思い込ませた。真実夫婦になるためには、早く払拭しなくては」


それだというのに主は、現実から目を背けているような返答をしてきた。


「それは存じ上げております。さすが見事な手腕でした」


思わず失望の溜め息が出る。

客観的に見てもそうでしかなかったのだ、ルルリエールの側も貴族達の心理誘導をするのは造作もなかったことだろう。

ヨルンディハイドは幼少期からフェアティエリに対する好意を隠しもせず、ずっと献身的に彼女を支えてきた。

そんな王女が周囲の期待を裏切り、まさかバッヘルベルン帝国の皇帝に嫁ぐことになるなんて誰も予想しえなかった。

そして取り残された王子が、果たして新たに恋を見つけられるものだろうか。下手したら生涯独身を貫くかもしれない。そんな噂さえ流れたのだ。

傍目から見ても、それだけひたむきな愛だったのだから。


「そもそも、王命による婚姻で愛はない、あんな女狐に生涯監視されるなんて、生きる意味がない、死にたい、とか嘆いてたのは殿下でしょう。何を何事もなかったように求愛して囲い始めてるんですか。それをやって、フェアティエリ様に気持ち悪がられたのをお忘れですか?」


嫌そうな顔をする主を執務机越しに見下ろし、ムーラクムはやれやれと、これ見よがしに溜め息を落とした。

ちょっと可哀想ではあるが、古傷も抉ってやり、苦い思い出を想起させるよう努める。


ヨルンディハイドも、最初はこうではなかったのだ。

お互い気心の知れた幼なじみで、ヨルンディハイドの好意と献身に気付かず我が道を往くフェアティエリは、周囲にじれじれもだもだという気持ちを引き起こさせていただけだったし。フェアティエリの鈍感さは良いように働いていて、ヨルンディハイドの執着をふんわりと肯定さえしていたのだ。

だから時間がたてば上手くいくと、お互いが大人になり男女であることを意識しあうようになれば収まる所に収まるようになるものだと、周囲の人間は誰もが楽観視していた。

しかし昨年、帝国からの使節団が来てからというもの事態は思わぬ方に動いた。

他国との関係をもっともっと良くしたいと兼ねてから公言していたフェアティエリは、積極的に使節団の対応に関わり、あっという間に彼らと仲良くなった。

そして他国の人間と話す機会が増えたことで価値観が広がり、自分とヨルンディハイドとの関係性に疑問を持つようになった。

自分の出来ないことを容易くしてみせるヨルンディハイドに嫉妬のような羨望のような気持ちを覚えるようになり、気付けば自分の周りの人間関係がフェアティエリの将来は王妃である、というように決めつけているように感じられた。

きっと身動き出来ないように思い、息苦しさを覚えたのだろう。

彼女は新しい友人達に相談した。

そしてその中にたまたま、バッヘルベルンの皇帝がお忍びで混ざっていたことと、その皇帝と彼女の交流がより親密になっていったことが、ヨルンディハイドにとっての悲劇を生んだのだ。

幼なじみじれじれすれ違い胸キュンラブから、スパダリ皇帝のサポートでヒロインが成長していく路線にジャンル変更され、ヨルンディハイドは当て馬に降格してしまったわけだ。

横で見ていたムーラクムとしても、思わぬ展開に手に汗を握り通しだったし、背中に冷や汗が浮かびっぱなしだった。


心なしかヨルンディハイドの表情が暗くなり、目からハイライトが消えている。

恋愛面で攻めるのは、この辺りが引き際かもしれない。


「そもそもルルリエール様が引き連れてきた側近が、よりにもよって『氷血(ひょうけつ)侍女』と『頂上戦争』のゴリゴリの武装派じゃないですか。1つも友好を感じないんですよ」


グルルドレーフには二つ名持ちが多い。

辺境伯とその嫡男も有名だが、彼らを支える臣下もまた、優秀な者で固められているのだ。

対人関係において圧倒的強みと、鉄壁の作法、要人警護の妙を備えることで有名な侍女。

要塞門の手前の渓谷で敵を1人で迎え撃ち、奇襲潰しのあげく一個中隊を壊滅させた騎士。

それらが当たり前に王都に来ているのを目にした時ムーラクムは、ルルリエールは王命が不服過ぎて戦争でも始める気なのかなと戦慄したものである。

因みに、ムーラクムの二つ名は不名誉なことに金魚のフンである。

ルルリエールの側近みたいにカッコいい呼ばれ方をされたいのだが、主の人望の差なのかその願いが叶う兆しがない。

しかもヨルンディハイドが半年前に独断でやらかしをしたため、側近は全員まとめて無能のレッテルを貼られていた。

ムーラクムは別件で忙しくしていたし、ヨルンディハイドのメンタルフォローまで手が回らなかった。他の側近達には散々、何かやらかしそうだから監視を怠るなと言い含めておいたのに。案の定その助言は功を奏さなかった。

あまりの自分の頑張りの報われなさに、ムーラクムこそ死にたくなった。

ムーラクムだって頑張ってきたのだ。

他の側近達みたいに、殿下は完璧だから間違えるはずはない、と盲信もしなかった。

もともとヨルンディハイドの生家である公爵家の寄り子である伯爵家の次男に生まれ、ムーラクムの兄がその公爵家長男に既に仕えていたため、時点でムーラクムが成り行きのようにヨルンディハイドに宛てがわれた。

その時点では、まさかヨルンディハイドが王太子として指名されるとは夢にも思わず、普通の公爵子息に仕える心積もりであったのだ。

それが突然の主の躍進に面食らい。ほどほどの人生で良かったのに、望んでもいなかった昇進を機に、胃痛と切っても切れない仲になり、とんだ貧乏くじだと嘆くことになった。

それでも側近として相応しくあれるように必死で勉強し、諫言し、主の不足を補うように働きかけてきた。

それなのにムーラクムの努力は、肝心の時にヨルンディハイドの助けにはならなかったのだ。


「グルルドレーフの女神を領地から引きずりだしたんだ、そうなるだろうな」


明後日の方を見ながら呟く主の危機感のなさに、ムーラクムは不安が募る一方だ。


「何を呑気な。殿下、本当に貴方後がないんですよ!顔が良くて、仕事ができて、背が高くて、ダンスが上手いだけで、他は割とポンコツなんですから。あと1つやらかしたら廃太子一直線なんですよ、本気で!」


「それは困る。あの女と結婚するには王太子でいなければ。ますます仕事にしっかり励む必要があるな」


「違うんだよなぁ、頑張るとこ!」


「でも大丈夫だろう。王位継承順位2位と3位はグルルドレーフから出て来ない。それ以下の連中は王位なんか継ぎたくないと逃げ回るだろうし、欲を出そうとするのは10位以下だが、あいつらは雑魚だ。俺の相手にはならない」


現在の王位継承順位2位といえば辺境伯であるロザリクバロード、そしてその息子であり次期辺境伯であるホルムステット・ルトア・トリミットリューシが、王位継承順位3位を有している。

グルルドレーフは特殊な土地だ。

国教で定められている唯一無二の神、トリミットナァヴとの盟約で、その土地は必ず皇族が治めることになっている。トリミットナァヴの抱く山の全てを守るため、山の入り口に陣取って敵を追い払う役割を担うのである。

つまりグルルドレーフに住むということは、王位継承権を有していたとしても、盟約を履行するために王位には就かないものなのだ。

それで、自分の地位を脅かす者はいないと、たかをくくっているのだろう。


「王命は覆えらない、そう信じてるんですね?」


「王命とは、そういうものだ」


話しは終わったと言わんばかりに、次の書類を手に取り始めるヨルンディハイドに待ったをかける。

今度こそ、彼に失敗させるわけにはいかないのだ。

ムーラクムは所詮、余り物だったから(つか)えさせられた主ではあるのだが。

それでも幼少期からずっと傍に居て、ヨルンディハイドの頑張りを(ささ)え続けたのだ。

頑張りの方向性を間違えて、フェアティエリに逃げられて、廃人になりかけ、自死すら選んだ主を、見てきたのだ。

あの時襲ってきた後悔と無力感を、ムーラクムは生涯忘れない。

自分がもっと助言できていたら。

自分がもっと親身になって、もっと真剣に諭していれば。

ヨルンディハイドは今も、何の瑕疵もない完璧な王太子としていられたかもしれないのに。

不器用ながらにした努力が報われる、真っ当な王族として心穏やかに過ごせたかもしれないのに。


「では具申いたしますが。他でもないヨルンディハイド様がお認めになり、欲しくてたまらなくなるようなお方が、果たして何の策もなくこの話しを受けるでしょうか?」


「……お前は、その策を彼女が決行すると考えるわけだな」


「そうですね。僕のような凡愚には、具体的な方法が思い付かないのですが。なにせ、あの(・・)ルルリエール様ですから」


目が醒めたようにヨルンディハイドははっとした顔をし、いつになく目を見開き、まずいなと呟くと表情を強張らせた。


「こうしてはいられん。陛下の所に行こう」


書類を机から片付け立ち上がると、ヨルンディハイドは足早に出口に向かい始める。

どうやら客観的な印象を語ったことで、現実を見始めたらしい。

そしてすぐに何か思い付いたらしく行動開始されたため、慌ててムーラクムも立ち上がった。


「謁見の申請を出してきましょう」


「それじゃあ間に合わない、今から直接いく」


「陛下にめちゃくちゃ嫌味言われますよ?」


「彼女と結婚できなくなるよりはいい」


「本気ですか?」


足の長きに差があるのか、既にヨルンディハイドの背中はドアの向こうだ。

追いかけながらもムーラクムはこの後の展開を予想し、関係各所への根回しや調整が必要になるであろうことにげんなりした。


「あー、どうして僕はいつも貧乏くじなんだ」


呟きとは裏腹に、やっと調子が出てきた幼なじみの姿に安堵しながら、執務室を施錠するのだった。


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