聞いてどうしますの?
そんな情熱を覚えていた頃も、ルルリエールには確かにあったのだ。
しかしあれから早5ヶ月。
気付けば王太子との婚姻の儀が執り行われるまで残すところあと1ヶ月。
式の準備も滞りなく進み、何度か行われた進行の確認や予行演習も不備なく済み、あとは最終調整の段階となったのであった。
「俺を幸せにしてくれるんじゃなかったのか?」
「あら、自分の性癖を棚上げしてよく言えたものですわね。貴方に万が一監禁、洗脳されても、その環境が堪えないだろう精神力や適応力の有りそうな方々を選別し、なおかつ殿下のお好きそうな愛らしい令嬢ばかりをお目見えさせているというのに」
王太子の執務室の片隅にある応接テーブルの前のソファーに品よく座り、ルルリエールは澄まして紅茶を一口含んだ。
今はヨルンディハイドの休憩時間を兼ねた隙間時間であり、彼の側近達は方々に書類を届けに行ったり、通達や必要資料の受け取りに出かけたりと、全員席を外していた。
控えの間に侍従や侍女はおり、ドアの外では護衛が待機しているが、実質二人きりのような状態。
しかし婚姻を間近に控えているはずの二人の間には、一般的に乙女が夢見るような甘やかな空気感など、当然のように一切漂ってはいなかった。
「別に見た目に拘りはない」
「まぁ、そうでしたの?でしたら候補の幅がぐんと広がりますわ。良かったですわね、殿下。来週一席設けさせていただきますわ」
側妃候補との顔合わせの茶会を打診されヨルンディハイドは、ずっと目を落としていた書類から視線を外し、婚約者の顔を今日初めて視認した。
「もうすぐ婚姻だ。少し控えてはどうだ?」
「あら、一刻も早く殿下のお心をお慰めしたいと奮起しておりますのに。何か不都合でも?」
「そなたと俺の仲が良好ではないと思われるのは、まずいだろう」
「そんなことはありませんわ。皆解っておりますのよ、私達が白い結婚だろうということは」
何故なら、今まで社交場で顔を合わせてもお互いに素っ気ない態度しかとってこなかったのだ。
ヨルンディハイドはもともとフェアティエリにしか興味はなく、ルルリエールもまた、他者の縁繋ぎが趣味の気の良い令嬢としてしか振る舞ってはいなかった。
もとの二人の関係に色っぽさや恋愛要素など皆無であることは、トリミットナーレンの貴族なら誰でも知っていることだ。
しかも突然の王命で決められた、見るからに政略で決行された婚姻。
いきなり仲良くし始める方が不自然というものだろう。
だからこそ婚約期間中にルルリエールは“親交を深めるために”という名目のもと、ヨルンディハイドとの面会日には必ず茶会を開き、彼女の友人として側妃候補達を招いて、王太子との面繋ぎに勤しんだのだ。
ルルリエールに求められているのは、ヨルンディハイドに健康な御子を授けてくれるだろう、彼と年回りの近い令嬢との縁繋ぎなのだ。
ただでさえルルリエールは嫁き遅れであり、誰もがこの婚姻をそう認識していた。
書類上夫婦というだけで、二人が子を成す気は全くないだろう、と。
「初耳だ」
なにがですの?と興味薄く相槌を打って、ルルリエールも本日の面会理由である書類の文字を流し読みし始める。
パレードも婚姻式同様に形式だけのものなので、ルルリエールが確認することは王族の婚姻に相応しい規模のものであり、沿道の整備が整っているか、パレードの順路は適切か、かといった体面維持に関わることだけだ。
衣装や装飾に関する報告書類はあるが、別段自分の好みを反映させようという意思もない。王族として適正なものが用意されているようなので、特に製作に口出しすることもせず、当日は粛々とそれに袖を通し、馬車に乗り込んで分け隔てなく笑顔を振り撒く予定だ。
警備や招待客に関しては自分の管轄外のため、一応は軽く流し読むだけでも充分と判断する。
「白い結婚という話だ」
ルルリエールは僅かに首を傾げ相手の表情を伺った。
相変わらずの無表情ではあるが、少しだけ目元が険しいように感じられる。
ルルリエールの観察力だからこそ気付けた、一時だけのささやかな変化だった。
「あら、だって殿下、食指が動かないのではありませんか?」
「なぜだ?」
「わたくし、もう23歳ですのよ?」
「それが?」
「殿下より5つも歳上ですのに。今回の婚姻は政略でもあるわけですし、わたくしがいづれ側妃を見繕って差し上げるのですから、必要ないのではございませんの?」
特に感慨もなく淡々と述べるルルリエールに、乙女らしさや気後れといった感情はこれっぽっちもない。
ただ一般的に、そう認識されているだろう事実を述べる感覚でしかなく、悪意も善意もない。
いわば業務内容の確認みたいなものだ。
仕事や役目にいちいち私情や私見を挟まないのが、ルルリエールのとる一貫した姿勢だ。
「それはそなたの判断だろう」
「ええ、そうですわね」
「何故俺が、それに従わねばならない?」
「……欲求不満ですの?」
「慎め。そのように虫ケラを見るような目は、仮にも婚約者に向けるようなものではない」
思ってもみなかった可能性の示唆に、自然と沸き上がる冷ややかな感情をルルリエールは制御しきれず、思わず顔に出してしまっていたらしい。
まだまだ修行不足だと密かに恥じ入り、すぐに表情をいつもの外向きの微笑に切り替え、困ったように右手を頬にあて首を傾げてみせる。
「あら失礼。そうですわよね。今まで純愛を貫き、下世話な噂の1つも無かった殿下ですが、お年頃ですものね。何の感情も持たない婚約者相手でも、試しに手を出してみようという興味くらいは沸くということですのね」
「酷い言われようだな。嫌なのか?」
「ええ、勿論。わたくし言いましたわよね?わたくしにも好みがあり、殿下に身も心も捧げて差し上げる謂われはない、と」
「そなたの好みは何だ?」
「聞いてどうしますの?」
拒絶感を押し出すように笑顔の圧を強めてみるものの、ヨルンディハイドの無表情は不動のままだ。一体何を考えての発言なのか、全く読み取ることが出来ない。
「いや、考えてみれば俺はそなたのことはよく知らないと思ったのでな。1ヶ月後には書類上夫婦になるというのに、これでは良くない」
「お調べになったのではございませんの?」
「あれは王族としてのそなただ。個人的なことは一切読み取れなかった」
「否定しませんのね」
「交渉の第一歩は相手を知る事から始まる。俺はそなたに対する苦手意識が強かったばかりに、あまりにそなたに関する情報が不足していた。そしてそなたも、自身の情報を易々と誰にでも構わずくれてやる質ではない」
当然ですわ、とルルリエールは息をつくと、優雅な動作で書類をテーブルの上にそっと置き、紅茶で喉を潤した。
ヨルンディハイドがこのようにルルリエールに対して直接的に興味を示すことなど、今までは無かったことだ。
婚約してからというもの、表面的には良好な関係を築いてきた。
彼は細やかな気遣いで、華やかでありながら華美ではない花や洗練されたデザインの小物、有名菓子店のスイーツといった物にメッセージカードを欠かさず添えて、王都のタウンハウスに贈り届けてきた。
その贈り物のタイミングも茶会や夜会の前であり、遠慮なく菓子は茶会で側妃候補達にヨルンディハイドからであると伝えて振る舞い彼の好感度上げに活用させてもらい、花も同様に人目につくところに飾り彼のセンスの良さをアピールするのに一役買わせた。
宝石類は夜会直前に届いたものならば、そこで使わなければ礼儀に反すると思い必ず身に付けた。
毎度毎度、ルルリエールが用意していたドレスに誂えたように似合うものであり、品も良かった。
ヨルンディハイドが常に彼女に関する情報収集をしている証である。
ただ、始めは彼女の髪や目の色に合わせた宝石類だったのに、最近では宝石の色が澄んだ青水晶や黒翡翠、ブラックダイヤモンドに偏ってきていることに、あまり良い傾向ではないと危惧を始めている。
何度かドレスを贈ろうとしてくることもあり、あれこれと理由をつけてやんわりと断っていたりもするのだ。
「わたくしは傍系とはいえ王族の1人、皆が憧れ理想とする淑女でなければなりません。そのためなら、それに相応しい装い、言動、振る舞いをすることは当たり前のことなのです。好きでこのようにしているので、自分を圧し殺しているということもありませんわ」
「それが、野望達成のためでもあるのか」
「その通りですわ」
「……そろそろ教えてくれはしないのか」
「あら、何をですの?」
話題の流れからいって、訊かれている事など明らかだ。
しかしルルリエールは敢えて嘯き知らぬふりをする。
知りたければ自分で調べるべきだ。それすらも出来ないようであれば、期待外れの無能ということである。
現に、ナイトリードはこちらが具体的に何を目指しているのか明言したことは無いのにも関わらず、ルルリエールの野望を察していた。
察したからといって、手助けや支援もない。勿論妨害もないが。
知っているだけだ。
そして、ルルリエールが独力でどこまで出来るのか観察している。
すっかりナイトリードの娯楽扱いなのである。
「陛下はご存じなのだろう?」
「そうですわね」
「なるほど。わかった」
それだけ言うとヨルンディハイドは立ち上がり、執務机の引き出しから包装された薄い箱を取り出してくると、当たり前のようにルルリエールの隣に座った。
エスコートが必要なわけでもないのにいきなり前触れもなく物理的な距離を縮められ、内心唖然としたものの、彼女の穏やかな笑みは表面上は絶やされなかった。
「近々出掛ける予定があるらしいな。生憎俺はその日、会議の予定が入っている。エスコート出来ないのも忍びない。埋め合わせといってはなんだが、是非これを受け取ってほしい。近頃は陽射しも増しているし、虫も湧いてくる時期だからな」
「あら、デインメージ侯爵家のお茶会のことですの?さすが、よくご存じですわね」
じっと見つめてくる視線の圧に、これはすぐ中身を確認させたいのだなと察して青いリボンをほどく。
中から出てきたのは、透け感のある薄青の生地に見事な刺繍を施された手袋だった。
そして当然のごとく、当日ルルリエールが着る予定のデイドレスに調和するデザインである。
この男と情報戦を繰り広げる関係になるとしたら、お互いに随分と苦戦しそうだ。
やすやすと情報を掴ませないルルリエールの身辺に関わることに、こうまで踏み入ってくることに疑念を抱かずにはおれない。
自分達はとりあえずは協力関係にあるのではないのか。
なのになぜ、贈り物が毎度毎度的確過ぎるものなのか。
自分はお前の行動を監視しているぞ、というメッセージにしか思えない。
「まぁ、素敵な手袋」
お心遣い感謝致します、と笑顔で謝辞を述べながら、エスコートを頼んでもいない茶会の埋め合わせまでしてくる婚約者の真意をはかろうとするが。
「そなたには、一点のくすみも相応しくない」
その目の奥に仄暗い熱の燻りのようなものを感じとり、ルルリエールの背中がヒヤリとする。
良くない傾向だ。
ドレスを固辞している婚約者に、肌に直に触れる物を、いや、正確には肌を覆い隠す物を贈り、わざわざ陽射しや虫の心配をして見せ、自分が同行できない茶会での着用を促す行為。
鈍感ではないルルリエールは、しっかりとその可能性に思い至った。
「あら、当然のことですわ。わたくし、自分の価値を理解しておりますもの。自助努力も充分怠っておりませんのよ。余計な心配はなさらないで」
だが、察したからといってここで明け透けにそれを指摘などしない。
敢えて知らぬふり、再び。だ。
ただ、一体どうして、とは思う。
そしてこの5ヶ月の自分の頑張りと、払った労力のことを思うと怒りに似た感情も湧いてくる。
「それなら良いのだ」
そして相手は、ルルリエールが察したことに気付いていて、満足気に頷いて見せた。
彼女が自分の婚約者であることに変わりはなく、逃げ道はないと踏んでいるのかもしれない。
いつの間にか、傷心で無気力だった男の目には静かな熱が宿り、無表情で無感動なまま以前の様相を取り戻していた。
すなわち、目的のために王太子の役職を有効活用させる打算王子の復活であった。




