第34話 迎えに来た
第34話です。
王都の空に、わずかな青が戻っていた。
黒霧の中心は砕け、街路を覆っていた濃霧は薄くなっている。
だが完全に消えたわけではない。遠く、まだ揺らいでいる。
フィアナは石畳に座り込み、肩の傷を布で縛っていた。
「じっとしていろ」
リュシアンが膝をつく。
「自分でできるって」
「できていない」
手つきは慣れていない。
だが、丁寧だ。
白い祈りの光が、傷口をやわらかく包む。
痛みが、すっと引いていく。
「……ありがと」
「当然だ」
短い返答。
少しの沈黙。
遠くで兵が残った黒霧を追い払っている。
倒れていた青年と婚約者は、医師に運ばれた。命に別状はない。
静かな余韻の中で、フィアナがぽつりと呟く。
「なんで来たの」
視線は合わせない。
縛り終えた布を確かめながら、リュシアンは答える。
「決めたからだ」
「何を」
「逃げないと」
その言葉に、彼女の手が止まる。
ゆっくりと顔を上げる。
「……誰が逃げたって?」
「私だ」
迷いなく言う。
「君の選択から。自分の恐れから」
視線が、まっすぐに向けられる。
「君を守ると言いながら、君を遠ざけた」
「危ないからでしょ」
「それもある」
否定しない。
「だが本当は」
一度、息を吸う。
「選ばれて、失うのが怖かった」
静かな告白。
王子としてではない。
一人の男としての、弱さ。
フィアナの瞳が揺れる。
「……ばか」
「否定はしない」
苦笑する。
「だから」
立ち上がる。
彼女の前に立ち、手を差し出す。
「迎えに来た」
風が、二人の間を抜ける。
「今度は逃げない」
手は、震えていない。
「君が選ぶなら、私は隣に立つ」
王族としてではなく。
聖女としてでもなく。
「リュシアンとして」
フィアナはその手を見つめる。
さっき、自分から離された手。
その記憶がまだ残っている。
「また離したら?」
試すような問い。
「離さない」
即答。
「黒霧が来ても?」
「斬る」
「悪意が増えても?」
「選ぶ」
言葉に、迷いはない。
フィアナは、ふっと笑う。
「ずるいなあ」
「なにがだ」
「そんな顔、初めて見る」
覚悟を決めた顔。
聖女の仮面ではない。
王子の威厳でもない。
ただ、決めた者の顔。
「……行くよ」
彼女が、差し出された手を握る。
今度は、自分から。
強く。
温かい。
リュシアンの胸が静かに満たされる。
「王都はまだ終わっていない」
「うん」
「共に戦うか」
「当たり前」
立ち上がる。
距離は、自然と近い。
遠く、残った黒霧が揺れる。
だが恐れは、さっきより小さい。
「リュシアン」
「なんだ」
「さっきの言葉」
にやりと笑う。
「もう一回言って」
彼は少しだけ目を細める。
そして、はっきりと。
「迎えに来た。今度は逃げない」
フィアナが満足そうに頷く。
「よろしい」
そのまま、肩が軽く触れ合う。
離れない距離。
王都の空に、さらに光が差し込む。
悪意は消えない。
それでも。
選ぶことはできる。
二人は並んで歩き出す。
残った黒霧の方へ。
手は、まだ繋がれたままだった。
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