第33話 選べる
第33話です。
黒霧の核は、蜘蛛の巣のようにひび割れていた。
フィアナの大振りな斬撃と、リュシアンの細剣に宿る白い光。
二つの軌跡が交差するたび、闇は悲鳴のような音を上げる。
だが、完全には崩れない。
王都に溜まった悪意は、あまりにも深い。
――奪われた。
――認められない。
――選ばれない。
囁きが、空気を震わせる。
フィアナが息を荒くする。
「……しつこい!」
「当然だ」
リュシアンは、静かに答える。
「悪意は、消えない」
その言葉に、彼女が一瞬だけこちらを見る。
否定ではない。
受け入れた声音。
核が、最後の膨張を始める。
倒れている青年と婚約者が、霧に呑まれかける。
「下がって!」
フィアナが叫ぶ。
だが動けない。
恐怖が、足を縫い止めている。
リュシアンは、細剣を握り直す。
胸の奥にあるのは、怒りではない。
嫉妬も、悔しさも、確かにある。
だがそれを燃料にしない。
「フィアナ」
「なに?」
「合わせてくれ」
短い言葉。
彼女は、にやりと笑う。
「最初からそのつもり」
二人は同時に踏み込む。
フィアナの刃が、核の外殻を斬り裂く。
その奥へ。
リュシアンの細剣が滑り込む。
白い光が、闇の中心に触れる。
囁きが絶叫へ変わる。
――選ばれない。
――憎い。
――壊せ。
リュシアンは目を閉じない。
「分かっている」
低く、静かに言う。
「選ばれたいと願うのは、間違いではない」
胸の奥が、微かに疼く。
彼自身も、そう願った。
聖女としてではなく、ただのリュシアンとして。
「だが」
剣を押し込む。
「それで誰かを傷つけるかどうかは、選べる」
光が広がる。
黒霧の中心に、亀裂が走る。
フィアナがさらに踏み込む。
「私だって!」
叫ぶ。
「選ばれたかった!」
核が震える。
「でも!」
刃が深く食い込む。
「それで奪うのは違う!」
二人の声が重なる。
白と銀の光が、闇を押し広げる。
核が砕ける音。
眩い閃光。
次の瞬間、黒霧は弾け飛んだ。
風が吹き抜ける。
灰色の空が、わずかに明るさを取り戻す。
石畳に、静寂が落ちる。
黒霧は完全に消えたわけではない。
遠く、王都の別の場所にまだ漂っている。
だが、この中心は――崩れた。
フィアナがその場に膝をつく。
「……終わった?」
「一つはな」
リュシアンも息を整える。
細剣の光は、静かに消えていく。
倒れていた青年が、ゆっくりと目を開ける。
婚約者が涙をこぼしながら彼の手を握る。
「ありがとう……」
かすれた声。
リュシアンは首を振る。
「礼は不要だ」
視線を、フィアナへ向ける。
彼女の肩から血が滲んでいる。
「傷を見せてくれ」
「たいしたことない」
「嘘だ」
そっと手を伸ばす。
今度は、離さない。
彼女も振り払わない。
その距離は、自然だった。
フィアナが空を見上げる。
「ねえ」
「なんだ」
「さっきの言葉」
リュシアンが微笑む。
「悪意は消えない」
それは現実だ。
嫉妬も、恐れも、なくならない。
「でも」
細剣を鞘に収める。
「選べる」
誰を守るか。
誰の隣に立つか。
どう在るか。
フィアナが、くしゃりと笑う。
「うん」
立ち上がる。
「じゃあ次も、選ぼうか」
王都の空に、かすかな光が差す。
黒霧はまだ残っている。
戦いも終わっていない。
それでも。
二人は並んで立つ。
悪意は消えない。
それでも、選べる。
確信が、そこにあった。
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