第31話 細剣
第31話です。
王城の最奥、祈りの間。
白い石で組まれた円形の広間の中央に、リュシアン・アストリアは立っていた。
窓の外、王都の空は重い灰色に沈んでいる。
黒霧は貴族街を中心に拡大中。
報告は、次々と届いていた。
――剣聖、負傷。
その一文が、胸を締めつける。
「……馬を」
部屋を出ようとした瞬間、背後から声が飛ぶ。
「今さら歩いて行く気か?」
振り返る。
長兄バルド・アストリアが、壁にもたれている。
腕の包帯は、まだ外れていない。
その隣に、ルシウス。
少し離れて、ガレス。
「行くんだろ」
ルシウスが笑う。
否定しない。
出来ない
「私は」
拳を握る。
「彼女を遠ざけた」
「知ってる」
あっさりと返される。
「それでも行くのか?」
バルドの問い。
胸の奥に、熱が灯る。
「行きます」
迷いはない。
恐れはある。
嫉妬も、弱さも、消えていない。
だが。
「今度は、手を離しません」
ガレスが、小さく頷く。
「……なら」
視線が、広間の奥へ向く。
祈りの間の壁際。
そこに、一本の剣が掛けられている。
細身の、銀の剣。
王族の象徴として与えられたもの。
だが。
リュシアンは一度も抜いたことがなかった。
「祈りだけで戦うつもりか?」
バルドが問う。
沈黙。
祈りは浄化する。
だがそれは、守りの力だ。
彼女は斬る。
自分は祈る。
それでいいと、どこかで思っていた。
だが。
彼女は傷ついた。
一人で。
自分が離したせいで。
ゆっくりと、剣の前に立つ。
指先が、鞘に触れる。
冷たい。
ーー私は、聖女ではない
祈りだけの存在ではない。
王子だ。
守られるだけの象徴ではない。
選び、踏み出す者だ。
「……リュシアン」
ルシウスの声が柔らかい。
「怒りで振るうなよ」
怒り。
確かに胸の奥で燃えている。
彼女を傷つけた黒霧へ。
自分自身へ。
だが。
深く、息を吸う。
吐く。
震えが、静まる。
「怒りではありません」
鞘を握る手に、力を込める。
「決めただけです」
抜く。
銀の刃が、初めて空気に触れる。
澄んだ音が広間に響く。
細い。軽い。
だが、確かな重みが掌にある。
自分の剣だ。
逃げるためではなく。
選ぶための。
バルドが、にやりと笑う。
「やっと王子らしくなったな」
「聖女様卒業かな?」
ルシウスが肩をすくめる。
ガレスが短く言う。
「遅い」
それが、兄たちなりの祝福だと分かる。
リュシアンは剣を構える。
ぎこちない。
訓練はしてきた。
だが実戦で振るったことはない。
「……怖いな」
正直な言葉が零れる。
バルドが豪快に笑う。
「当たり前だ。だから握る」
ルシウスが続ける。
「選ぶってのは、怖いことさ」
ガレスが頷く。
「だが、逃げるな」
胸の奥が、強くなる。
遠くで、爆ぜるような音。
黒霧がさらに暴れている。
フィアナがいる場所だ。
細剣を握り直す。
足が自然と動く。
「兄上方」
振り返らないまま言う。
「後で、報告します」
「成功のな」
バルド。
「失敗談でもいいよ?」
ルシウス。
「……泣かせるな」
ガレス。
扉が開く。
廊下を駆ける。
祈りの王子は、もう祈るだけではない。
細剣が、腰で揺れる。
黒霧は、消えない。
悪意は、消えない。
それでも。
選ぶ。
隣に立つことを。
手を離さないことを。
王城の階段を駆け下りながら、リュシアンは初めて、戦場へ向かう者の顔をしていた。
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