第30話 庇うと言う選択
第30話です。
ひびの入った黒霧の核が、低く唸った。
フィアナ・カルディアの刃は、確かに中心を捉えた。だが砕けきらない。
王都に渦巻く悪意は、森のそれよりも粘り強く、複雑だった。
庭門が内側から開く。
「下がれ!」
駆け込んできたのは、数名の兵と――見覚えのある顔。
「……あ」
元恋人だった青年が、剣を抜いて立っていた。
その背後には、一人の女性。
淡い色のドレス。震える手。
彼の婚約者だ。
「ここは危険だ、屋敷へ戻れ!」
青年が叫ぶ。
だが黒霧はそれを嘲笑うように、二人の間へ滑り込む。
囁きが、空気を震わせる。
――選ばれなかった。
――裏切られた。
――羨ましい。
フィアナの胸がちくりと痛む。
自分へ向けられたものではない。
だが、似た感情を知っている。
「右!」
叫びながら飛び込む。
黒霧の槍が、婚約者へ向かう。
青年が迷わず身体を滑り込ませる。
鈍い音。
「……っ!」
槍が彼の脇腹を貫いた。
「やめて!」
婚約者が叫ぶ。
黒霧がさらに膨らむ。
守りたいという想い。
失いたくないという恐怖。
善意であっても、強すぎれば歪む。
「離れて!」
フィアナが斬り払う。
だが核は、逆に二人を取り込もうとする。
渦の中心で、囁きが増幅する。
――奪われる。
――選ばれるのは誰だ。
胸の奥がざわつく。
リュシアンーー!
一瞬、彼の顔が浮かぶ。
手を離した回廊。
無理に強がった声。
黒霧が、婚約者へと牙を向ける。
青年は血を流しながらも、立ち塞がる。
「下がれ……!」
震える声。
それでも退かない。
フィアナは地を蹴った。
迷わない。
剣が閃く。
だが一歩、間に合わない。
黒霧の刃が、婚約者の胸元へ落ちる。
その瞬間。
青年がさらに踏み込み、彼女を抱き込む。
鈍い衝撃。
彼の背に、黒い刃が突き刺さる。
「っ……!」
婚約者の悲鳴。
血が石畳に落ちる。
フィアナの視界が熱くなる。
庇った
選んだのだ。
迷いなく。
彼女を。
その姿が、胸を強く打つ。
「退いて!」
全力で踏み込む。
黒霧の腕がこちらへ向く。
避けるより、速く。
婚約者と青年を庇うように、割り込む。
衝撃。
鋭い痛みが肩を裂く。
「……っ!」
温かい液体が流れる。
だが構わない。
歯を食いしばり、刃を振り抜く。
「あなた達は、下がって!」
核に、再び斬撃を叩き込む。
ひびが広がる。
黒霧が咆哮する。
囁きが狂気に変わる。
――選ばれたい。
――奪われたくない。
「知ってる!」
叫ぶ。
「でもそれで傷つけちゃ意味ないでしょ!」
肩から血が滴る。
膝が揺れる。
それでも、剣は止まらない。
私も、選ばれたかった。
リュシアンに。
隣に。
それは、綺麗な感情だけじゃない。
嫉妬も、怖さもある。
でも。
「だからって、誰かを壊す理由にはならない!」
最後の力で、核へ突き立てる。
轟音。
黒霧が弾ける。
完全ではない。
だが大きく削れた。
霧が薄まり、囁きが弱まる。
フィアナは膝をつく。
肩が焼けるように痛い。
「……はあ……」
青年が、血を流しながらも婚約者を抱きしめている。
彼女は泣きながら、彼の名を呼ぶ。
その光景に、フィアナは小さく笑う。
「ちゃんと……選んでるじゃん」
黒霧は消えない。
でも。
誰を庇うかは、選べる。
遠くで、王城の鐘が鳴る。
重く、響く音。
核はまだ残っている。
そして、自分の力だけでは――足りない。
血で滑る剣を握り直す。
「……リュシアン」
小さく呟く。
肩の痛みが脈打つ。
それでも立ち上がる。
彼が背負う前に、もう少し削る。
少しでも。
彼が傷つかないように。
再び、黒霧がうねる。
剣聖は、傷だらけのまま、刃を構えた。
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