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02 逃がしません



「見ぃつけた……」


 制服の裾を掴んでニンマリ笑ってやると、相手は酷く青褪めた顔でムンクの代名詞ともいえる叫びを体現していた。




 夕焼け色に染まったグラウンド。野球部員たちが泥まみれになりながら練習している姿はまさしく青春さながら、同じ高校生の身であることを忘れて「頑張ってるなぁ」などと近所のおばあさんよろしくしみじみ思ってしまう。


 前世、高校一年の秋に私は所属していた部活を辞めた。何故退部したのだったかと理由を考えると途端に記憶に靄が掛かるのだが、その所為もあってか汗水垂らしながらボールを追いかける彼らを少しだけ眩しく感じた。

 金持ち校の坊っちゃんと言えど、こういうところは普通の男の子とさして変わらない。ナイスキャッチ―――なんて掛け声が響いてくる度に、ついつい彼らに視線が向かってしまう。


「見つけたぞ、坪田。さあ観念しろ」


 だが、そんなことより今は目の前の男を優先せねばなるまい。

 ようやく捕獲に成功した、鍵を握る男・坪田健吾。校庭の片隅でぼんやりとしているところを偶然発見し、そろりそろりと背後から近づいてお縄を頂戴した。やつは全力で抵抗したものの、逃がす気はないのだと言外に訴えるとようやく諦めたのか静かになった。


 フハハ、とうとう観念したな。気分はさながら刑事のよう。観念しろだなんて日常生活で口にする日が来るとは夢にも思わなかったけど。ああ、相変わらず日々が殺伐としてるなあ私。

 とは言え、あの手この手を尽くしても捕まえられなかった坪田をようやく拘束できたと思うと胸が躍る。


 さあて。余すとこなく、知ってることはすべて吐いてもらわなくては。


「……大概しつこいっスよね、あんたも」


「お褒めに預かり光栄だな」


 お前が逃げなきゃしつこくだってならなかったよ、こちとら!


 怒りを隠して普段より輝かしい笑顔を見せてやれば、坪田の顔は途端に引き攣った。


「で? 坪田健吾。お前はあか……じゃないな、ごほん。藤並祐輔の秘密について何を知っているんだ?」


「だから、俺は何も……っ」


「この期に及んでまだしらを切るつもりか」


 一顧だにもせず容赦なく切り込む私は、どうやら先程の養護教諭との会話で相当ストレスが鬱積しているらしい。取り付く島すら与えられなかった坪田は苦虫を噛み潰したような表情をして、そのまま俯いてしまった。

 傍から見れば、いかにも下級生を虐めてる構図じゃないか……。

 しかし、そんなことで追撃の手を緩める私ではない。話す気がないのなら無理矢理に口を開かせてしまえばいいだけだ。何故なら私には、切り札と名付けても過言ではない“カード”があるのだから。


「なあ、坪田。お前の父親は確か、華道の家元だったな」


 見る見るうちに坪田の顔色が悪くなったのを見て、あーやばい私悪役っぽいなと思いつつも、どうしよう。どす黒い笑顔をやめられない。


「お、脅すんですか! ほら! やっぱり! あんたはそういう人間だって、初めから分かってましたからね、俺!」


「おやおや、心外だなー。別にそんなことは言ってないだろ。ただ、お前のお母さんも色々と苦労してきたんだなぁと」


 おかしいとは思っていた。金持ちたちの通う学園に、どうして学用品店を営む一介の女主人の息子が在籍できているのかと。おまけに坪田は成績もあまり芳しくない。外部から受験して見事試験を突破できるだけの頭脳は生憎ながら持ち合わせていないのだ。故に、坪田は内部生ということになる。


 学園内では割と有名な話だったらしい。坪田健吾の父親は華道の家元に生まれ、そして今の母親と駆け落ちしたが坪田を授かると同時に不慮の事故によってこの世を去る。残された母親は実家に戻って坪田を産んだものの、一年もしない内に絶縁状態であったはずの父方の祖父母がまだ右も左も分からぬ坪田を強引に引き取ろうとした。

 まさか息子が死ぬとは思わなかった、卑しい身でありながら息子を誑かしたお前は我らの敷地に足を踏み入れることすら許されないが、産み落とした赤子が男であったことだけは褒めてやろう。子供は私たちの後継者にさせる。……と、昼ドラにありがちな、ものすごい台詞を言われたらしい。

 母親は頑として首を縦に振らず、いや、これはイエスと言わなくて正解だと思うのだが、なかなかどうして現実というのは厳しくて。結果、母親には祖父母たちから今の学用品店の経営を任され、自分たちが指定した高校を卒業するまで坪田は母親のもとで暮らせることになった。つまり卒業後、坪田は祖父母に引き取られ母親とは一切面会できなくなるらしい。


 なんつードロドロ……。私の家も随分とごたついているけど、坪田のところはそれ以上だ。なんでこう、金持ちの家というのは事情がややこしいのか。


 まあ、要するに。


「お前の卒業後、お前の母親は後ろ盾を奪われるわけだ。生業としているあの店も祖父母からの贈り物らしいしな。住む家と職を同時に失うのは、女の身としてはつらいだろうな」


「……そんなのっ、俺がどうにかしてみせますよ!」


「祖父母を頼るのか?」


「誰があんな化けタヌキなんか!」


 キッとこちらを睨んでくる坪田だけど、目の端には薄っすら涙が溜まっている。

 私は追い打ちをかけるように続けた。


「自立したこともないガキンチョに出来ることなんて、たかが知れているだろう」


「な、何なんすか! あんただって、自分で稼いだことなんてないクセに……」


 確かにないな。覚えているのは前世だけだが、お嬢様である今世は尚の事バイトなんてしたことがないだろう。だっておんぶに抱っこの状態だし。むしろ一生親の脛齧りでいたいくらいだし。


「坪田。私たちは金持ちの家に生まれついたという利点がある。メリットだ。これを活かさずしてどうするというんだ? お前は」


「は……?」


 私の言葉が予想外だったのか、何とも間抜けな顔で瞠然とする坪田。


「私がお前の母親を救ってやると言っているんだ。―――もちろん、親の力でな」


 台詞は格好良くない。でも自信満々に言い切ってやった。ついでに顔もキメておく。


「親の力って……」


「天下の安曇を知らないわけじゃないだろう」


 手広くやってんだよ、うちは。なーんて言っても、実際に凄いのは父様であって私じゃないけど。とにかく“安曇”の影響力は大きいのだ。

 坪田の父親の生家にも、ちょっとした脅しをかけるくらい訳ないだろう。前世の記憶が蘇ってから親の権力を振りかざすなんて初めてのことだけど、メー子も言っていた通り安曇の力は「切り札」だ。ここぞと言う時の、伝家の宝刀。


「信用すると思ってるんスか? そんな言葉……」


「何なら誓約書でも書いてやろうか。私は、藪から棒に嘘はつかないぞ」


「……」


 視線が合わさって数十秒。根負けしたように手を上げたのは、坪田だ。


「……本当は、分かってるんスよ。あんたが俺の身を案じてくれていること。口や態度こそ高慢ちきで嫌になりますけど、あの時俺の嘘を見抜いたのはあんただけでしたから」


 “あの時”?


 思わずそう呟いたのが聞こえたようで、坪田はぽつぽつと話し始めた。


「ほら、あの……文化祭があった日」


「あ、あぁ」


「他校の生徒が束になって倒れてて、明らかに暴行された後があって。何があったんだとあんたは近くにいた俺に詰め寄ってきましたよね」


 そんなことがあったのか。

 当然の如く覚えているはずもない私は曖昧に頷いた。


「俺もボロボロだったし、俺がやったと言えば他の生徒たちはすぐに鵜呑みにした。俺が喧嘩を売るような性格じゃないことを知ってるやつらもいたから、それなら倒れているやつらに襲われて返り討ちにしたんだなって話になって、俺もそれを肯定したけど……あんただけは、信じてくれなかった」


「……」


「疑い深い目をしていて、『本当にお前がやったのか?』とか聞いてきた時なんか、冷や汗掻きました。俺はあんたが怖くて仕方がなかったスよ。


 どうして知っているんだろう、って」


 坪田は私と目を合わせない。

 それどころか俯いたまま、まるで悪いことをした子供が母親に言い訳するかのように、言葉を探しているみたいだった。


「是が非でも口を割らない俺に業を煮やして、あんたは『ならば』と言った」


 “お前の言っていることが真実であるならば、それを証明するために、気を失うまで校庭を走り続けてみろ――…”


 坪田がそう言うのと同時に、ふと脳裏に浮かんだ台詞。


 そうだ。そういえば、そんなことを言った覚えがある。馬鹿の一つ覚えみたいに自分がやったのだと言って聞かない男子生徒に苛立って、到底実行できるとは思えない無理難題を言い渡した。


 確か、その後男子生徒は……私の言葉に従い、負傷した体を引き摺って本当に気絶するまで走り続けたのだ。

 心底馬鹿だと思った。あんな男を庇う必要がどこにある? あいつはお前のことなんて眼中にないし、こうしてお前に守られていることすら知らないのに、と。


 ―――あんな男?


 あれ。ちょっと待って。私は今、何を思い出した?


「蛇みたいな女だと思いました、先輩のこと。狙いを定めた獲物は絶対に逃さない。猛禽類より鋭い目で、狩りに絶対の自信を持っている。俺が意識を失ったせいで周囲の反感も強かったでしょうに、あれからあんたはいつも俺を見かける度に意味深長な視線を投げかけてきて、……俺に罪の意識を植え付ける」


 思い出せ。思い出すんだ私。

 私はあの日、他校生と坪田がいた体育館裏から出てくる男を見たはずだ。


 口笛を吹いて、颯爽と歩くその姿を。

 着崩した制服に、この学園では珍しい染色された髪。―――真っ赤な髪。


 あれは、そう。

 藤並祐輔その人だった。


「俺は、先輩があれから何も言ってこなかったことに安心してました。興味がなくなったからなのか面倒になったからなのか分からないスけど、あんたさえ騒がなきゃ藤並先輩に迷惑はかからないし。……なのに、最近になって蒸し返すようなことして、すっげー意味分かんないんですけど!! 俺のこと心配してくれてるなら嬉しいですよ、でも有難めーわくってやつなんスよ! あのことに関して藤並先輩は何も関与してない! あんたがどんな手を使って脅してこようが、絶っ対に俺は藤並先輩の不利になることは言わないですからね!」


 ああ、以前にも、同じ台詞を言われた覚えがあるなあ。


 あの時は混乱してて坪田の言っていることに合点がいかなかったけど、今なら何故こいつがこんなことを宣うのか理解できる。

 きっと、坪田にとって藤並は何物にも代え難い存在なのだろう。大切な人。でなければ、身を呈してまで庇う義理はない。


「藤並祐輔の何が良いんだ? 暴力を振るうしか能のないやつにしか思えないんだが」


 私が思ったことを質問してみると、反応は直ぐに返ってきた。


「藤並先輩は別に、誰構わず暴力を振るう人じゃないっスよ! 仮に先輩が藤並先輩にそういう扱いをされてるなら、先輩に非があるんじゃないスか」


「……言うなお前」


 まあ確かに嫌われてるからね! あっちからしたら妹を虐げる悪どい敵キャラだし、私。

 けど何だろう、坪田のこの盲目的な藤並信仰発言は……。何? 洗脳されちゃってんの? マインドコントロール? 精神科医を呼んだ方がいい感じ?


「それに藤並先輩のおかげで、俺は救われたわけだし……」


「救われた? あの男に?」


「あ、……はい。今でこそ近寄り難い人ですけど、昔はもっと気さくで話しやすい性格だったんスよ」


 気さくで、話しやすい。……駄目だ想像つかない。いつも私に向けてくるものが敵意や悪意ばかりであるせいか、赤髪男に対しては神経質な短気野郎というイメージしかない。あと、女に騙されやすい体質してるとしか。


「中学ん時、背ばかり大きくてノロマな俺はちょっとしたイジメを受けてたんです。イジメと言ってもからかいの延長みたいなものでしたけど……。藤並先輩はそんな俺を助けてくれて、地元の野球クラブに勧誘までしてくれた。こんな俺を救ってくれた。だから、今度は俺が恩返しする番なんです」


 赤髪男は中学半ばにグレたという話だから、つまりは坪田を救ってくれたのは不良行為に走る前の藤並なのだろう。奴も人の子だ。たまには善行をしてみたくなったりすることもあるのかもしれない。

 うん、性根は正義感溢れる優しい男なんだ☆的な展開はいらない。お呼びじゃない。私にとってあの男は人の顔見て唾を吐くような野郎だと思っているので、人情話は今更困るのである。

 授業妨害の件は、忘れたわけじゃないからな!


 私はさてどうしたものかと頭を抱えた。

 坪田の隠していた秘密は、藤並を陥れるには十分なものだと言えよう。しかし、証拠がない今の状況ではただただ宝の持ち腐れだ。脅しをかけても揺らがない坪田のことだから、これから何を言ってもその件について口を割ってはくれないのだろう。


 坪田さえ正直に話してくれれば、藤並を黙らせることができるのに。


 だって人に危害を加えることは、立派な犯罪でしょ?



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