05 シド/勇者殺害。
由衣さんを泣かせた勇者をシドがお仕置き。
残酷な描写がありますので苦手な方は飛ばしてください。
「くは……ッ」
俺の目の前で、身体をくの字に折り曲げているのは黒髪黒眼の少年だ。
名を、丸川英雄という。「ルカ」と呼ぶのは、この世界に来てからだ。
「シ、シド……」
なんで、とルカがつぶやく。彼の口からは、大量の血があふれ出ていた。そして、それよりもさらに大量の血が腹部から床に流れ落ちている。
血の海、という言葉がこれほど当てはまる状況もないだろう。
ルカが自分の血に足を滑らせて、ひっくり返った。その衝撃でルカはうめき、腹部を押さえる手が外れて鮮血と内臓が噴き出した。
――今から三分前。
ルカが泊まる部屋に入れば、そこには全裸の男女がベッドの上で絡み合う寸前だった。
鍵をかけたはずなのに、と慌てるルカを無視して、俺は女――ダークエルフのシャリンにルカの服を投げ、さらに敷布を頭から掛けて腕を掴んだ。
文句を言う彼女を無視して、俺は部屋の外へと彼女を放り出してドアを閉めた。
すぐに室内へ結界を張り、外部と遮断する。
ルカは慌てて服を着ているが、その間、俺は『勇者』がカサギの森を焼き尽くした熱量を右手に再現した。
自分が焼け死にそうだが、術の発動者には影響しないものなのか、赤や黄色を通り越して白い光がまぶしいだけで、重みも熱さも感じなかった。ただ、手の平の上に空気の塊のような物を感じるだけ。
「シド、おま……! 何やってんの!」
「何をやったのか、その身で思い知れよ」
驚くルカが防御しようと呪文を展開するが、それよりも早く、一点に集中して、右手をルカの腹部に押し当てた。
「うぁあ゛ああああああああ!!!!!!」
ルカの悲鳴が結界内に響きわたった。
一瞬にしてルカの腹部が丸く焼けて蒸発した。
生命力が強いだけに、身体の一部を破損しても意識が残り続けるというのは一種の地獄だろう。
ルカの身体を焼き尽くそうとする熱と、再生する熱が同時に展開し、大量の魔力が消費されているのがわかる。そのため、まぶしい光を放っているルカの身体は直視できない。
遮光グラスがほしいな、と切実に思った。
絶叫から嗚咽、呻きに変わり、やがて息も咳も呼吸も途絶える。
光が薄れてやがて消えると、そこには息絶えて横たわる男がひとり。
だが、足元に流れ出たルカの血は、波が引くようにゆっくりと身体に戻りはじめていた。失われた肉体が、機能が、復元されていくのだ。
それはまるで映像を逆再生するかのようだった。
大量の血による不快な臭いで部屋が充満している。麻痺した鼻でも臭うのだから、健康な状態だったら確実に吐き気を催していたはずだ。
消臭効果を発動させる魔法もあるのだろうかと思ったが、とりあえず鼻呼吸ではなく口呼吸で済ませて、早く部屋を出ることにする。
ルカが完全にもとの状態へ戻るまで半日もかからない。だが、防御のために大量の魔力を消費したため、回復にはさらに半日かかる。そして、体力もまた落ちているため多くの睡眠が必要だ。
おそらく、ルカが目覚めるのは翌日の夜。
「本当にバケ物だな」
俺の呟きをルカが聞いていたなら、お前の方がバケ物だろうが、とツッコミがあったにちがいない。
いまだ、ピクリとも動かぬ指。心臓もまだ動いていない。だが、脳に障害が残る心配もない。
生き返る、とわかっていなければ到底出来ない行動だった。いや、わかっていても出来ない者のほうが多いだろう。
「がんばれよ、勇者」
――どうせ、目を覚ましたときには、俺がしたことを忘れている。
記憶に残らないのであれば、少しでも身体が痛みを知るべきなのだ。
魔王に勝つまでは殺されたとしても復活するようになっている『勇者』は、肉体が再生されるとき、殺されたときの恐怖を忘れて復活する。
おそらく、死ぬときの恐怖を覚えたままでは魔王に挑む気力が失われるからだろう。ある意味、シナリオ達成のために生死すら操られた勇者は、同情に値する。
だが、魔王にとっては、自分を倒すまでは繰り返し生き返って挑んでくる勇者こそが悪夢に違いない。
魔王を倒すために召喚された勇者。
倒せばもとの世界に帰れるのだろうか。
相打ちだった場合は?
――もし、魔王が、俺だった場合は?
俺は机の上に広げてあった大量の輝石――水の精霊石に視線を移して左手をかざした。
一気に消滅させようと思ったが、小さく息を吐いてそのまま手を下ろした。
精霊石は命の石だ。それをなかったことにするのは、失われた命を無にする行為のような気がして。
由衣さんはどう思うだろう、と考えた時点で、やめる、を選択していた。
結局、何もしないまま、結界内にルカひとりを残して俺は部屋を出た。
「シド!」
部屋を出れば、重い衝撃と共に背中をドアに押し付けられた。
ダークエルフの少女が俺の胸倉を掴んでいた。
「ルカさまに何をした!」
身長は俺と変わらないが、身体つきは女性らしさにあふれている。
俺が軽く腕を回して彼女のひじの関節を逆にすると、彼女は短い悲鳴を上げて俺の足元に沈んだ。
くびれがはっきりわかる引き締まった腰、豊満な肉体、俺が渡したルカのシャツこそ着ているが、長い足が覗いている。シーツを巻けよ、と思ったが、そのシーツはなぜか彼女の足元でビリビリに破かれていた。
褐色の肌に黒い髪と瞳。外見年齢は18歳だが、ティナとは逆で大人っぽく、20台の半ばか後半に見える。彼女の髪もまた短く、首にはティナと同じ奴隷紋が描かれていた。
ダークエルフは、エルフと人外との間に生まれた者で、混血という意味ではハーフエルフとの違いはないが、ダークエルフのほうが体力と魔力が強い。ハーフエルフが儚げであるのに対し、ダークエルフは生命力がみなぎっている。
「何を……!」
怒りに毛を逆立てたシャリンが、再び腕を伸ばしてくる。
「触るな」
俺が言えば、シャリンは反射的にパッと手を離した。
とたんに、彼女は戸惑った表情を浮かべた。主ではない者の命令に従ってしまったことを不思議に思っている顔だ。
「シャリン」
静かな声に視線を向ければ、廊下の突き当たりにティナが立っていた。
ティナはゆっくりと歩いてくると、足元に落ちているシーツを拾い、シャリンの腕に触れた。
「シドさんに触れてはだめ」
「なんでさ」
「なんでもよ」
ティナの声は落ち着いていて、浮かべる笑みも「小学生」とは思えないほど大人じみていた。今なら、彼女が外見年齢15歳というのも納得できる。
ティナの方が身長も年齢も低いのに、シャリンよりも「大人」に見えた。
奴隷になった順なのか、エルフとしての格があるのか、それとも実年齢が高いのか、シャリンよりもティナのほうが指示を与えることが多い。そして、それに対して、シャリンは素直に従うのだ。
ティナは結界の張られた部屋を一瞥すると、悲しげに眉を落とした。
部屋の中で何が起こっているのかはわからなくても、何かが起きているのかはわかるのだろう。だが、彼女は何も口にしなかった。
俺を無視することに決めたシャリンが、ルカの名を叫びながら、ドアを力強く叩きはじめた。
ドンドンドン! とすごい音が宿中に響く。
そのうち宿屋の親父に追い出されるにちがいないと思っていたら、ティナが〈無音〉〈無振動〉と二つの呪文を唱えた。
たちまち「音」が消える。シャリンは自分の身に何が起きたのかわからずにきょとんとしたが、ティナと視線を合わせると、彼女の名を音なき声で叫んだ。まるで、今にも飛び掛ろうとする肉食獣を思わせる。
だが、ティナは視線と淡々とした言葉だけでシャリンを黙らせた。
「静かになさい。宿の方にご迷惑がかかるわ」
「……」
シャリンは唇を尖らせたが、やがてドアに身を寄せて腰を下ろした。お母さんにしかられて拗ねる子供みたいだ。
俺がきびすを返すと、背後から声をかけられた。
「ユイさまがお戻りになられました」
無視して歩き続けると、シドさん、と呼ばれた。
「臭気を……落としてくださいませ。よくないものを呼びます」
わかった、と了解したが、口にはしなかった。
宿屋の入り口で、女将に声をかけている背の高い少女が外套を脱ぐ。
その両肩には、小さな獣がくっついていた。
「志藤くん、登録してきたわよ」
俺に気づいて笑う少女が眩しかった。