第6話 F級冒険者
フィアと一緒に街道を歩き始めてから、二時間ほどが経った頃だった。
森が途切れ、その先に石造りの壁が見えてきた。王都の城壁と比べればずいぶん低く、ところどころ補修の跡もある。それでも門の前には武装した兵士が立ち、荷馬車や旅人が列を作っていた。
「あれが開拓町?」
「うん。灰境に入る人間は、だいたい一度ここに寄るよ。食料も武器も買えるし、冒険者ギルドもあるから」
「冒険者ギルドか」
「登録してないの?」
「してない」
「じゃあ最初に行った方がいいね。灰境で何かするなら、登録しておいて損はないよ」
門を抜けると、想像していたより町は賑わっていた。大通りには武器屋や道具屋が並び、荷物を抱えた商人や鎧姿の冒険者たちが行き交っている。ただ、建物の多くは古く、王都のような華やかさはない。ここが安全な土地と危険な土地の境目なのだと、歩いているだけで分かった。
「まず治療じゃない?」
「忘れてた」
「忘れるなって言ったばかりなんだけど」
「痛くないから仕方ないだろ」
「だから痛みを消すの危ないって言ったの」
フィアに呆れられながら診療所へ向かい、左腕の傷を診てもらった。毒が完全に抜けていることに治療師は首を傾げていたが、俺は詳しいことを話さず、傷を洗って薬を塗ってもらうだけにした。
治療を終えると、そのままフィアに連れられて冒険者ギルドへ向かった。二階建ての大きな建物に入ると、酒と革、それから土の匂いが混ざった空気が鼻につく。壁には何枚もの依頼書が貼られ、受付の前には武器を持った男女が並んでいた。
「思ってたより普通だな」
「何を想像してたの?」
「もっと荒っぽい場所かと」
「夜になったらだいたい合ってるよ」
「帰るか」
「まだ何もしてないでしょ」
受付の列に並び、順番が来ると茶色い髪の女性が顔を上げた。
「冒険者登録ですか?」
「ああ」
「では身分を確認できるものをお願いします」
一瞬だけ迷った。ヴァルディス家の名前はもう使えない。父からも、今後家名を名乗ることは認めないとはっきり言われている。
俺は荷物から祝福の儀でもらったスキル証明書を取り出した。
「これでも大丈夫ですか?」
「はい。教会発行の証明書ですね」
受付の女性が紙へ目を落とし、《廃棄》の文字で視線を止めた。
「《廃棄》……初めて見るスキルですね」
「俺も昨日までは、役に立つスキルだと思ってなかった」
「そうなんですか?」
少しだけ不思議そうな顔をされたが、それ以上追及されることはなかった。
「登録名は?」
「レオンで」
「家名は記載しなくてよろしいですか?」
「ああ。それでお願いします」
受付の女性は頷き、必要事項を書き込んでいく。
「スキル評価と冒険者としての等級は別です。新規登録者は全員F級からの開始になります。依頼達成数や実績に応じて、E、Dと昇格していきます」
「じゃあ、スキルがFだからF級ってわけじゃない?」
「はい。仮にSランクスキルを持っていても、最初はF級です」
少し安心した。ここでは少なくとも、祝福の儀で与えられた評価だけですべてが決まるわけではないらしい。
簡単な説明を受けて登録料を支払うと、名前と等級が刻まれた小さな金属板を渡された。
【レオン】
【冒険者等級:F】
「……本当にFだな」
「おめでとう、F級冒険者」
「なんか嬉しくない言い方だな」
「私はちゃんと祝ってるよ」
フィアはそう言いながら、自分の金属板を取り出した。そこには【E】の文字が刻まれている。
「一個上じゃないか」
「先輩と呼んでもいいよ」
「絶対呼ばない」
「えー」
登録を済ませた俺は、壁に並んだ依頼書を眺めた。薬草採取、街道周辺の魔物討伐、荷運び、護衛。F級で受けられるものは危険の少ない仕事が中心らしい。
銀貨十枚を持って家を出たとはいえ、宿代も食費もかかる。この先ずっと旅を続けるなら、稼ぐ手段は必要だ。
「どれがいいと思う?」
「初めてなら採取かな。でもレオン、灰境に行きたいんだよね?」
「ああ。とりあえず、そのつもりだ」
「なら、こっちの方がいいかも」
フィアが一枚の依頼書を指差した。
【灰境外縁部・旧集落調査】
灰境の外縁部にある放棄集落について、建物および水場の状態を確認すること。
魔物との交戦は不要。危険を感じた場合は即時撤退。
対象――旧フェルン村。
「廃村?」
「十年以上前に捨てられた村みたい。街道から少し外れるけど、灰境へ向かう方向とほとんど同じだよ」
「報酬は?」
「銀貨一枚。二人で受ければ半分ずつ」
「悪くないな」
依頼書に描かれた簡単な地図を見る。開拓町から北西へ二時間ほどの場所にある、フェルン村。聞いたこともない名前だった。
「これにする」
「即決?」
「どうせ灰境へ行くなら、途中で金を稼げる方がいいだろ」
「まあ、それはそうだけど」
依頼書を受付へ持っていくと、女性は少しだけ表情を曇らせた。
「フェルン村ですね。受注は可能ですが、日が落ちる前には村を離れるようにしてください」
「何かあるんですか?」
「特別な報告はありません。ただ、あの辺りは長く人が住んでいません。建物も崩れていますし、魔物が棲みついている可能性もあります」
「分かりました」
受付印を押してもらい、依頼書を受け取った。
俺たちは必要な食料と水だけを買い足し、そのまま開拓町を出る。フェルンまでは北西へ二時間ほど。道中、フィアから何度か「今日はもう噛まれないでよ」と念を押されたが、さすがに二度も噛まれるつもりはない。
森沿いの道を進み、陽が少し傾き始めた頃だった。木々の向こうに、崩れかけた屋根が見えてくる。近づくにつれて、苔に覆われた石垣や、背の高い雑草に埋もれた畑も見えてきた。
「あれがフェルン?」
「地図が合ってればね」
人の声はしない。煙も上がっていない。壊れた柵が風に揺れ、軋んだ音を立てている。十年以上前に捨てられた村――その言葉通り、そこだけ時間から取り残されたように見えた。
俺は依頼書と目の前の村を見比べる。
「とりあえず、水場から見てみるか」
「うん。暗くなる前に終わらせよう」
俺たちは、誰もいないフェルン村へ足を踏み入れた。




