第4話 怖くないのは勇気じゃない
毒蜘蛛を倒してから、俺は何度も左腕を確認しながら街道を歩いていた。噛まれた傷はまだ痛む。布の下では血も滲んでいる。それなのに、身体を蝕んでいた毒だけは綺麗になくなっていた。
《廃棄》
昨日まで何の役にも立たないと思っていたFランクスキルが、俺の命を救った。それだけでも十分すぎる話なのだが、頭から離れないことがもう一つある。
【廃棄処理完了】
【転送先:■■■■】
「転送先……か」
廃棄した毒が消えたのではなく、どこかへ送られたという意味なのか。考えても答えは出ない。それなら今は、《廃棄》そのものについて調べた方がいい。
俺は街道脇の倒木へ腰を下ろし、周囲に魔物の気配がないことを確認してから、噛まれた左腕へ意識を向けた。毒はもうない。残っているのは傷と痛みだけだ。
「……これも、いらないってことになるのか?」
そう考えた瞬間、淡い文字が浮かんだ。
【疼痛】
【廃棄可能】
「出た」
やはり毒だけじゃない。少し迷ったが、試さなければ何も分からない。
「《廃棄》」
左腕から痛みが消えた。傷そのものは変わらない。皮膚は裂けたままだし、血も止まっていない。それなのに、触れても何も感じなかった。
「……便利だけど、これ結構危ないな」
痛みが消えただけで治ったわけじゃない。むしろ傷を悪化させても気づけなくなる。俺は慌てて布を巻き直した。
しばらく待ってみたが、昨日のような【転送先】の表示は現れなかった。どうやら《廃棄》を使うたびに見えるものではないらしい。
「……あれは何だったんだ?」
気にはなるが、今は確かめようがない。
《廃棄》は治癒魔法ではない。対象そのものを治すのではなく、その中から「不要なもの」だけを取り除いている。
なら――他には?
試しに身体全体へ意識を向けてみる。歩き続けた脚の重さ。戦闘で力を使った腕。全身に溜まっている疲れ。
「これも……いらない」
【疲労】
【廃棄可能】
「やっぱりか」
《廃棄》を発動すると、鉛でも入っていたように重かった身体が一気に軽くなった。呼吸が整い、脚のだるさも消える。立ち上がって何度か軽く跳んでみたが、身体は驚くほどよく動いた。
「……すごいな」
これなら長距離を歩いても疲れない。毒を受けても捨てられる。疲労も捨てられる。痛みまで消せる。
本当にFランクなのか、ますます怪しくなってきた。
「これなら、さっきの蜘蛛だって……」
毒蜘蛛との戦いを思い出す。牙が迫ってきた瞬間、足が竦んだ。心臓が跳ね上がり、身体が思うように動かなかった。
実戦経験がないのだから当然だ。だが、あの恐怖さえなければ、もっと簡単に戦えたんじゃないか。
そう考えた瞬間――。
【恐怖】
【廃棄可能】
「……これまで?」
恐怖まで捨てられる。だったら魔物を前にしても怯まない。痛みも恐怖も疲労もなければ、今の俺でもずっと戦いやすくなるはずだ。
「《廃――」
「それ、捨てない方がいいよ」
突然、頭上から声が降ってきた。
「っ!?」
慌てて短剣へ手を伸ばして振り返るが、誰もいない。
「上」
言われて顔を上げると、街道脇の大きな木、その太い枝に一人の少女が座っていた。
銀色の髪が風に揺れている。年齢は俺より少し上だろうか。緑色の瞳に軽装の旅装束。背中には弓を背負い、髪の隙間から少し尖った耳が覗いていた。
少女は枝から軽々と飛び降りる。
「いつからいた?」
「蜘蛛を三回刺してた辺りから」
「最初からじゃないか」
「助けようかと思ったけど、自分で倒せそうだったから」
さらっと言われて少し腹が立つ。
「で、何を捨てない方がいいって?」
「怖いって気持ち」
少女は俺の前まで来ると、こちらの顔を覗き込んだ。
「さっきから変なことしてたでしょ。急に疲れてない顔になったり、怪我してる腕を触っても平気そうだったり」
「見てたのかよ……」
「見てた」
悪びれる様子もない。少女は腰へ手を当て、そのまま続ける。
「何のスキルか知らないけど、怖いって思う気持ちは消さない方がいいよ」
「どうして?」
「死にたいなら別だけど」
即答だった。
「怖いから逃げる。怖いから警戒する。怖いから、相手が自分より強いって気づける。全部なくしたら、いつか絶対に判断を間違えるよ」
言われて、目の前に浮かんだ【恐怖】の文字を見る。
確かにそうだ。蜘蛛との戦いでも怖かったからこそ、牙を警戒した。恐怖そのものがなくなれば、危険を危険だと感じる感覚まで鈍るかもしれない。
「でも、怖がってたら戦えないだろ」
「怖くても動くのが勇気でしょ」
少女は当たり前のように言った。
「怖くないのは、勇気じゃないよ。ただ危ないものを危ないって思えなくなるだけ」
俺は何も言えなかった。
不要なものを廃棄する。毒は不要だった。痛みも状況によっては不要かもしれない。疲労もそうだ。
だけど――自分がいらないと思ったからといって、本当に捨てていいとは限らない。
俺は目の前の文字から意識を外した。【恐怖】の表示が消える。
「……やめとく」
「うん。その方がいいと思う」
「ありがとな」
「別に。死体が街道に転がってると気分悪いし」
言い方はひどいが、たぶん悪い奴ではない。
「俺はレオン。君は?」
「名前まで教えるほど仲良くなった覚えないけど」
そう言って少女は俺の横を通り過ぎた。
「じゃあね、レオン。次に魔物と戦う時は、もうちょっと周り見た方がいいよ」
「俺だけ名乗り損じゃないか?」
「そうだね」
少女は振り返って少しだけ笑うと、そのまま街道を外れ、森の中へ入っていった。
「おい、そっちは街道じゃ――」
声を掛ける間もなく、銀色の髪は木々の向こうへ消えた。
しばらくその方向を眺めてから、俺も歩き出す。
毒。痛み。疲労。そして恐怖。《廃棄》で捨てられるものは、俺が思っていたよりずっと多い。
「捨てられるからって、捨てていいとは限らない……か」
昨日までなら考えもしなかったことだ。左腕に巻いた布を確認する。痛みを捨てたせいで傷の状態が分からない。開拓町へ着いたら、ちゃんと治療してもらった方がよさそうだ。
「……痛み、戻せないのかな」
どうやらこのスキル、便利だからと適当に使っていいものでもないらしい。
そのまま街道を進んで数分もしないうちに、森の奥から何かが地面を駆ける音が聞こえてきた。続いて――さっき聞いたばかりの少女の声。
「ちょっ……これは聞いてないって!」
「……何やってんだ、あいつ」




