↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
49/50

第49話 もう一度、私が選ぶ

ギデオンの「試用期間」は、一か月では終わらなかった。


私が延長したからだ。


最初の一か月が終わるころ、彼は妙に緊張した顔で尋ねた。


「審査結果を聞いてもいいか」


「継続です」


「合格ではない?」


「まだ一か月ですよ」


「不合格ではない?」


「それなら今日ここにいません」


そう言うと、彼はかなり露骨に安心した。


それから四か月。


私たちは週に一度か、二週に一度くらいの頻度で会った。


食事をした。


市場を歩いた。


本屋へ行った。


一度だけ観劇にも行った。


ギデオンが昔の私の好みを知っていることは、完全には避けようがなかった。


「この劇、以前の君は好きだった」


そう言ってから、彼は必ず付け足す。


「今の君が好きかは知らない」


最初は少し面倒だと思った。


でも、それでよかった。


実際、昔好きだったらしい劇を見て、今の私は途中で眠くなった。


終演後。


「どうだった?」


「長かったです」


ギデオンが黙る。


「もっと言うと?」


「二幕目が特に長かった」


「昔は二幕目が一番好きだった」


「残念でしたね」


「かなり」


私は笑った。


彼も笑った。


過去の私と違うことが、気まずくなくなっていった。


もちろん、何もかも順調だったわけではない。


ある日、郊外へ出かけようとしたとき。


ギデオンが先に護衛を手配していた。


「二人?」


私は馬車の横に立つ男たちを見た。


彼の顔が固まる。


「郊外だから念のために」


「私に聞きました?」


沈黙。


「……聞いていない」


昔ほど腹は立たなかった。


でも、見逃しもしなかった。


「どうします?」


私が尋ねると、ギデオンは一度護衛たちを見た。


「私が勝手に決めた。断ってくれていい」


「私は護衛が嫌なんじゃないです」


「分かっている」


「本当に?」


「危険かどうかを私だけで判断して、その結論を君に渡したことが問題だ」


正解。


私は少し考えた。


「今日は一人だけお願いします」


「一人?」


「人通りの少ない場所も通るので、いたほうが安心です。でも二人はいらない」


「分かった」


彼はその場で一人を帰した。


言い訳しなかった。


「成長しましたね」


「失敗した直後に言われると複雑だ」


「失敗しなくなることが成長じゃないと思います」


私は馬車へ乗り込む。


「失敗したあと、また勝手に決めないことじゃないですか」


その日から、護衛が必要だと思うときは先に聞かれるようになった。


私も、毎回断るわけではなかった。


それがたぶん。


私たちなりの新しい形だった。


*


夏が過ぎ、夕方の風に少しだけ冷たさが混じるようになったころ。


ギデオンから手紙が届いた。


《次の休日、時間をいただけますか》


場所も書いてある。


王都の外れ。


古い鐘楼のある丘。


私は地図を見なくても、どこなのか分かった。


第28話で外部閲覧した記憶。


七年前。


ギデオンが求婚しようとして指輪を馬車に忘れ、結局、過去の私のほうから「結婚しましょう」と言った場所。


一瞬。


断ろうかと思った。


過去を使わないと言ったのに。


よりによって、そこ。


でも。


手紙の続きがあった。


《過去の求婚を再現するつもりはありません。あの場所を避け続けることも、過去に決めさせているように思えました》


悔しいけれど。


少し分かる。


私は返事を書いた。


《行きます。ただし指輪を馬車に忘れないでください》


翌日。


《努力します》


とだけ返ってきた。


*


休日。


丘へ着くと、ギデオンは十分前にいた。


「改善しましたね」


「二十分前は禁止されたので」


「禁止はしてないです」


「実質的には」


秋の草が風に揺れている。


古い鐘楼は、記憶の中で見たものと同じだった。


でも季節が違う。


あのときは春。


今日は秋。


そして。


私は七年前の私ではない。


それだけで、思ったより楽だった。


「ここに来るの、嫌じゃなかった?」


ギデオンが尋ねる。


「少し迷いました」


「断ってもよかった」


「分かってます」


私は鐘楼を見る。


「でも、過去の場所だからって全部立入禁止にする必要もないかなって」


「そう思ってくれてよかった」


「ただし」


「何だ?」


「同じ台詞で求婚したら帰ります」


ギデオンが真顔になる。


「覚えていないと思う」


「あなたは覚えてるでしょう」


「だから使わない」


その答えに満足した。


私たちは丘をゆっくり歩いた。


事件の話はほとんどしなかった。


白鐘広場の再審はまだ続いている。


縁切り売却制度も変わりつつある。


でも。


今日ここで。


それを全部背負う必要はない。


「最近、仕事どうです?」


私が尋ねる。


「領地の学校を三つ回った」


「楽しかった?」


「子どもは苦手だと思っていた」


「実際は?」


「今も得意ではない」


私は笑う。


「でも、一人に『おじさん、顔怖い』と言われた」


「正しいですね」


「君まで」


「その子、見る目あります」


「もう一人には『馬は格好いい』と言われた」


「ギデオン本人は?」


「触れられなかった」


笑いながら歩く。


こんな話をする人だと。


昔の私は知っていたのだろうか。


分からない。


知らなくてもいいと思える。


私は。


今、聞いたから。


*


鐘楼の裏へ回ったところで、ギデオンが立ち止まった。


さっきまでと違う。


少しだけ。


呼吸が硬い。


私は察した。


「指輪」


「持っている」


「確認したんですか?」


「三回」


「そこまで」


彼が笑う。


でも緊張は消えない。


しばらく風の音だけがした。


「エステル」


「はい」


「求婚してもいいか」


その前に。


許可を聞くんだ。


少しだけ胸が熱くなる。


私は頷いた。


「聞きます」


ギデオンは上着の内側から、小さな箱を出した。


まだ開かない。


跪きもしなかった。


私の顔を見たまま、話し始める。


「私は、君と七年間結婚していた」


知っている。


「その七年間を、なかったことにはしたくない。幸せだったことも、私が君を傷つけたことも、どちらも」


私は黙って聞く。


「だが、それを理由に結婚してほしいとは言わない」


風が髪を揺らす。


「今の君と会い直して、私はもう一度、君を好きになった」


その言葉で。


胸が鳴った。


昔から愛している。


ではなく。


もう一度。


「昔の君が好きだったからではない?」


私は聞いた。


「それも消えない」


ギデオンは正直に答える。


「私は七年間を覚えているから、完全に切り離すことはできない。でも、今求婚している理由はそれだけじゃない」


「じゃあ?」


「今の君と話したい。君に嫌われたくない。次に会う約束があると嬉しい。自分の知らないことを君が選んでも、それを聞ける人間でいたい」


一度。


彼は息を整えた。


「完璧にできるとは言わない」


それが。


よかった。


「また間違えると思う」


「困りますね」


「そのときは言ってほしい」


「言わなかったら?」


彼は少し考える。


「言わない自由もある」


私は笑った。


「合格」


「まだ求婚の途中だ」


「どうぞ」


ようやく。


ギデオンが箱を開いた。


指輪。


昔の婚姻指輪とは違う。


青い石ではない。


透明に近い、小さな石。


装飾も簡素だった。


「エステル・ローヴェン」


彼が私の名前を呼ぶ。


「今の君に、私を選んでほしい」


胸が。


痛いくらい鳴っている。


「私と、もう一度結婚してくれますか」


私は。


すぐには答えなかった。


嬉しい。


たぶん。


かなり。


でも。


その感情だけで決めたくはない。


今日ここへ来るまで。


何度も考えてきた。


もしまた結婚するなら。


何が必要なのか。


「条件があります」


「聞く」


「三つ」


ギデオンが頷く。


私は一つ目から言った。


「仕事の秘密は、全部話さなくていいです」


彼の目が少し動いた。


「私、前にも言ってますけど、国家機密まで全部教えてほしいわけじゃない」


「分かっている」


「でも、秘密を理由に私の判断まで代わりにしないでください」


私は続ける。


「話せないなら、『話せないことがある』って言って。危険があるなら、分かる範囲で危険度を教えて。選べる方法があるなら出して」


六年目の喧嘩。


過去の私が。


もう言っていたこと。


今度は。


今の私の条件として。


もう一度言う。


「あなたが知っていて、私が知らないからって、私の決定権まであなたのものにはならない」


ギデオンは静かに頷いた。


「約束する」


「二つ目」


私は指を一本増やす。


「私の代わりに決めない」


「はい」


「良かれと思って、も駄目」


「はい」


「私が迷ってるときに意見を言うのはいいです。むしろ言ってほしい。でも、最後の答えを勝手に出さない」


「分かった」


「三つ目」


これが。


一番大事かもしれない。


「私があなたの望まない答えを出したとき、それを罰しないで」


ギデオンの表情が変わった。


「罰する?」


「無視するとか。冷たくするとか。情報を減らすとか。危険だからって自由を取り上げるとか」


昔。


彼は。


拒否を受け入れられなかった。


だから。


選べないようにした。


「もちろん、怒っていいです」


私は言う。


「傷ついてもいい。私もあなたの答えに腹が立つことはあると思う」


「それでも?」


「拒否したこと自体を、次に私の選択肢を減らす理由にしないで」


長い沈黙。


ギデオンは指輪の箱を持ったまま、私を見ていた。


「それは」


彼が言う。


「私が一番守らなければならない条件だと思う」


「私も」


「約束する」


「簡単じゃないですよ」


「分かっている」


「昔も約束したことがあるでしょう」


「ある」


私は、その記憶を戻していない。


でも。


見た。


過去の私が伝え。


彼が聞き。


それでも破った。


「だから今回は」


ギデオンが続ける。


「約束したから信じてほしいとは言わない」


私は彼を見る。


「では?」


「これから守るところを見ていてほしい」


その答えで。


最後の迷いが。


少しだけ静かになった。


約束は。


未来を保証しない。


でも。


守るかどうかを見ることはできる。


それなら。


私は。


もう一度選べる。


「ギデオン」


「はい」


「手を出して」


彼が右手を差し出す。


「触っていい?」


「はい」


私は自分から、その手を取った。


久しぶりだった。


暗い保管庫で。


怖くて。


私から借りた手。


あのときとは違う。


今日は。


怖いからではない。


「返事ですけど」


ギデオンの手が、わずかに強張る。


「はい」


「結婚します」


彼が動かなくなった。


「聞こえました?」


「聞こえた」


「なら何か言ってください」


「今」


珍しく。


本当に言葉に困っている。


「かなり嬉しい」


私は笑った。


「語彙が減ってますよ」


「仕方ない」


その顔を見ていたら。


私まで笑いが止まらなくなった。


しばらくして。


ギデオンが指輪を見た。


「つけても?」


「はい」


私は左手を差し出した。


彼はゆっくり。


指輪を通す。


昔の指輪がどんな感触だったのか。


私は知らない。


比べようもない。


だから。


これが。


私にとって最初の感触だった。


*


帰り道。


私たちは並んで丘を下った。


手は。


自然に離れていた。


少しして。


ギデオンが尋ねる。


「手をつないでもいい?」


私は彼を見る。


「さっきつないだでしょう」


「あれは返事のためだったから」


真面目。


本当に。


私は少し考えてから、手を差し出した。


「今日はいいです」


「今日は?」


「毎回自動的に許可されたわけじゃありません」


「分かっている」


彼の手が重なる。


強く握らない。


私も。


強くは握らない。


でも。


離さなかった。


丘の下には王都が見える。


七年前。


私はここで。


同じ人との結婚を選んだ。


その記憶は。


今も封印されたまま。


戻していない。


今日の答えに。


あの私の感情は必要なかった。


過去の私は。


ギデオンを選んだ。


そして今日。


今の私は。


もう一度。


自分の意思で。


同じ人を選んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。