↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
46/50

第46話 責任を取るということ

私の保護拘束が解除されてから、一週間後。


今度は私が、傍聴席に座っていた。


被申立人席にいるのはギデオン・ヴァルデン。


私が正式に申し立てた、職務権限の不適切な行使と縁切り記憶売却への関与について、記憶法院が判断を示す日だった。


彼とは、あの日から一度も私的に会っていない。


連絡もない。


必要な資料は代理人とリオラを通じて届き、私の殺人容疑が晴れたときにも、祝いの手紙ひとつ送ってこなかった。


以前の私なら、それを寂しいと思ったかもしれない。


今は、約束を守っているのだと分かる。


だからといって、今日の判断が軽くなるわけではなかった。


「緊張してる?」


隣のリオラが小声で聞いた。


「してる」


「自分の裁判より?」


「種類が違う」


自分の無罪を待つときは、怖かった。


今日は少し違う。


私はギデオンが処罰されるところを望んでここへ来たわけではない。でも、処罰されないでほしいとも思っていない。


その両方を同時に思えるようになるまで、ずいぶん時間がかかった。


*


審理官はクラウディアではなかった。


私の殺人容疑を扱った審理部とは分けられ、職務権限と記憶契約に詳しい三名が担当している。


最初に読み上げられたのは、争いのない事実だった。


ギデオンは三年前、私が白鐘広場について独自に調査していることを知ったあと、機密監察局長官として記録の機密指定を強化した。


私が記憶院の非公式流通経路へ接触し、脅迫を受けていることも把握した。


そのうえで、私へ危険の具体的内容を知らせず、離婚と縁切り売却を提示した。


さらに、売却された記憶の所有権が国家へ移ること、本人の希望だけでは返還されないことを事前に知っていたにもかかわらず、契約説明の不足を是正しなかった。


ここまでは、ギデオン本人も認めている。


問題は、それがどこまで違法だったか。


王国側の代理人が立った。


「被申立人による機密指定そのものには、当時の権限上の根拠があります。エステル・ローヴェン氏が国家機密へ接触し、第三者から危害を受ける可能性も実際に存在していました」


私は黙って聞く。


ここは大事だった。


ギデオンが全部間違っていたことにしてはいけない。


私には、本当に危険があった。


ユージン・レイルは死んだ。


私にも脅迫が届いた。


白鐘広場を追っていた人間が狙われていたのは事実だ。


「したがって」


代理人は続ける。


「機密指定の強化および一定の接触制限について、直ちに目的外使用と認定することは困難です」


リオラが私を見る。


私は頷いた。


それでいい。


違法でないものまで違法にする必要はない。


一方で、審理官は次の論点へ移った。


「では、危険を認識した被申立人が、配偶者本人へ判断に必要な情報を意図的に与えなかった点はどうか」


ギデオンの代理人が立つ。


「国家機密上、すべてを開示できなかったこと自体は避けられません」


「すべてを開示せよ、と申立人は主張している?」


「いいえ」


「では何が争点だと理解している?」


代理人は一度ギデオンを見た。


「開示できない情報がある場合でも、危険の程度、選択可能な代替措置、記憶売却の具体的影響については、本人が判断できる程度に説明すべきだった。その義務を被申立人が果たしたか、です」


「あなた方の立場は?」


短い沈黙のあと、代理人が答える。


「果たしていません」


法廷が静かになった。


争わない。


でも。


全部認めて終わるわけでもない。


その線が、今のギデオンらしいと思った。


*


本人尋問で、ギデオンが証言台へ立った。


私は彼を見る。


長官服ではなく、公爵としての礼装でもない。地味な黒い上着に、何の徽章も付けていなかった。


「あなたは、エステル・ローヴェン氏が十分な説明を受ければ、縁切り売却を拒否する可能性があると考えていた?」


「はい」


「それで説明を控えた?」


「はい」


「なぜ?」


ギデオンは、少しだけ息を置いた。


「彼女が拒否すれば、危険な調査を続けると考えたからです」


「つまり、本人があなたの望まない選択をする可能性を避けた?」


「はい」


その言葉を聞いても、以前ほど胸は痛まなかった。


もう知っている。


問題は、今それをどう扱うかだった。


「あなたには他の選択肢があった?」


「ありました」


「例を」


「監察局による保護。行動制限を伴う一時避難。法院を通じた証拠保全。公爵家としての護衛強化。いずれも欠点はありましたが、選択肢ではありました」


「なぜ提示しなかった?」


「彼女なら、理由を求めると思ったからです」


「理由を求められると困る?」


「秘密を守ること自体ではありません」


ギデオンは正面を見たまま答えた。


「私の判断に反対されることが、怖かった」


静かな声だった。


「私は、危険を管理する立場に長くいました。危険を知っている者が、知らない者に代わって決めることを当然だと思っていた。その考え方を、妻にも持ち込みました」


審理官が尋ねる。


「愛情は関係した?」


「しました」


「なら情状として考慮してほしい?」


「いいえ」


即答だった。


私の指が、膝の上で少し動いた。


「理由にはなります。しかし、権限行使の正当化にはならないと考えています」


それでよかった。


本当に。


それでいい。


*


次に審理されたのは、他の七件だった。


そのうち三件について、ギデオンは当時から説明不足を認識していた。


ただし法院は、七件すべてを同じには扱わなかった。


二件では、当時の法令と運用基準の範囲内で必要な機密保護措置だったと認定。


二件は、説明記録に問題があるものの、ギデオン本人が不足を認識していた証拠まではない。


残る三件。


ここでは、本人が説明の曖昧さを把握しながら、手続き停止権を使わなかった。


そのうち一件が、外国語能力を失い仕事を辞めた女性。


もう一件が、売却後に所有権移転を知って返還を求めた女性。


そして三件目。


私。


「制度が悪かったから、個人の責任はないという主張は?」


審理官が尋ねる。


ギデオンの代理人は首を振った。


「いたしません。ただし、制度設計上の欠陥が被申立人個人の責任範囲に影響することは主張します」


「妥当でしょう」


審理官が答えた。


この一言に、私は少し救われた。


全部をギデオンへ背負わせれば簡単だ。


でも、縁切り売却制度は彼が作ったものではない。


記憶院も。


王室も。


法院も。


機密職制度も。


長いあいだ、本人の署名さえあれば十分だと扱ってきた。


ギデオンはその制度を使った。


そして、止められる位置にいながら止めなかった。


責任はある。


でも、責任は一人だけのものではない。


*


午後。


最終判断が読み上げられた。


第一。


エステル・ローヴェンに対する機密指定強化については、当時存在した具体的危険と職務権限に照らし、違法とは認定しない。


第二。


ただし、その機密指定を利用し、本人が十分な判断を行うために必要な危険情報と代替選択肢を意図的に制限した行為については、職務上の権限と私的関係を混在させた不適切な行使と認定する。


第三。


縁切り売却契約における所有権移転その他の重大事項について説明不足を認識しながら是正を求めなかった三件について、監督義務違反を認定する。


第四。


長官職を自主的に辞任し、証拠提出に全面協力し、捜査上の特別保護を求めなかった事実は処分上考慮する。


私は息を整えた。


そして。


処分。


機密監察局長官職への復帰資格を失う。


王国機密行政に関わる公職への就任を五年間停止。


私に対する権限濫用について正式戒告。


説明義務違反が認定された三件について、対象者への補償審査に応じる義務。


公爵位については、今回の職務違反のみを理由とした剥奪は行わない。


私は、その一つ一つを聞いた。


軽いのか。


重いのか。


簡単には分からない。


長官職はもう辞めていた。


だから、表面だけ見れば失ったものは少ないようにも見える。


でも。


復帰できない。


少なくとも五年間、公的な機密行政から外される。


かつて彼の人生の大半を占めていたものから。


正式に。


「被申立人」


審理官がギデオンを見る。


「異議申立ての権利があります」


「承知しています」


「行使する?」


ギデオンは代理人を見た。


代理人が小さく頷く。


それから彼は答えた。


「処分のうち、事実認定について異議は申し立てません」


審理官が少し眉を上げる。


「処分量については?」


「代理人と検討します」


私は、そこで少し安心した。


何でも受け入れるとは言わなかった。


責任を取ることと、自分を罰することは違う。


必要なら争う。


それでいい。


*


審理が終わると、私はリオラと一緒に人の少ない廊下へ出た。


正面玄関には記者が集まっているらしい。


「どうだった?」


リオラが聞く。


「分からない」


「何が?」


「気持ち」


窓の外を見る。


冬の薄い空。


「もっとすっきりすると思ってた」


ギデオンが正式に責任を問われれば。


何かが終わると思っていた。


でも、終わらなかった。


「嬉しくもない?」


「うん」


「可哀想?」


私は考えた。


「それとも違う」


失ってほしくなかったわけではない。


でも、失ったことを喜べない。


「必要だったと思う」


私は言った。


「それだけ」


リオラが頷く。


たぶん。


本当にそれだけだった。


必要な処分。


必要な記録。


必要な境界。


それが今日できた。


*


廊下の反対側から、ギデオンが出てきた。


代理人と一緒だった。


私たちは、数か月ぶりに同じ場所で向き合った。


彼が立ち止まる。


私も止まった。


誰もすぐには話さない。


会わないという約束は、私が事件から距離を取るために決めたものだった。


今日は公的な審理。


偶然同じ廊下へ出ただけ。


それでも。


彼は近づいてこなかった。


二十歩ほど離れたまま、軽く頭を下げる。


私も同じだけ返した。


それで終わり。


「行かなくていいの?」


リオラが小さく聞く。


「うん」


話したいことがないわけではない。


無罪になった。


あなたも処分を受けた。


いろいろあった。


でも。


今それを話したら。


全部が事件の延長になってしまう。


私は、それが嫌だった。


もし次にギデオンと話すなら。


犯罪。


記憶院。


法院。


処分。


そういうものから離れた場所で話したい。


それができる日が来るかどうかは。


まだ分からない。


私は歩き出した。


後ろを振り返らなかった。


*


その夜。


自分の家へ戻ってから、私は一冊の箱を開けた。


法院から返還された私物。


その中に、七年間分の記憶晶に関する新しい通知が入っている。


事件捜査のために保全されていた私の記憶は、偽造証拠の鑑定が完了したことで、もう捜査機関が保持し続ける理由を失った。


所有権移転そのものの有効性についても、私の契約では重大な説明不足が認定された。


そして通知の最後。


《当該記憶群について、本人への所有権返還手続きを開始する》


私はしばらく、その一文を見ていた。


七年間。


戻さないと決めてきた。


でも。


これまでは。


私のものではなかった。


国が所有し。


記憶院が管理し。


私は、戻してくださいと言う側だった。


今度は違う。


あの七年間が。


ようやく。


私の手元へ帰ってくる。


身体へ戻すかどうかではなく。


まず。


誰のものなのか。


そこから。


やっと。


正しい場所へ戻り始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。