第44話 王冠より重い記録
王宮から呼び出しが届いたのは、R-04-118の鑑定が始まって二日後だった。
宛名は私ではなく、リオラ・ハート弁護人。
《白鐘広場関連記録の取扱いに関する王室審議への出席要請》
私の名前は、その下に参考人として記されていた。
「王様に会うことになる?」
保護館の食堂で通知を読むと、リオラはコーヒーを飲みながら頷いた。
「たぶんね。白鐘広場の公式記録そのものが王家の名で出されている以上、避けられない」
「断れる?」
「参考人だから形式上は。ただ、行きたくない?」
私は少し考えた。
行きたいかと聞かれれば、別に行きたくはない。
王に会う趣味はないし、礼儀作法の記憶まで失ったわけではないにしても、王宮という場所そのものが気楽ではなかった。
それでも、十二年前の原資料を見た。
兵士が先に動いた。
その後、事実とは違う公式記録が作られた。
そして、その記録には前王の治世を守る意味があった。
今の国王アルベルトは、当時十七歳だった。
何を知っていたのか。
何を知らなかったのか。
そこは確かめたい。
「行く」
私は通知書を畳んだ。
「今度は、王様が何を選ぶのか見たい」
*
王宮へ入るのは、記憶を失ってから初めてだった。
身体のほうは勝手を覚えているらしく、長い回廊を歩いても妙な懐かしさがある。どこで立ち止まり、どの扉の前で速度を落とすかまで、理由も分からないのに自然にできた。
「嫌な感じ?」
リオラが小声で聞いた。
「ちょっと。知らない家なのに、足だけ知ってるみたい」
「戻りたい?」
「今のところ全然」
即答すると、彼女が笑った。
案内されたのは謁見の間ではなく、小さな審議室だった。
中央に長い机があり、法院の代表、王室法務官、記録官、ベルク検事、王立記憶院の代理管理官が席についている。
オルレナの姿はない。
そして最奥に、アルベルト王がいた。
肖像画で見るより若く見える。
二十九歳。
十二年前なら、本当に十七歳だったのだ。
私たちが礼をすると、彼は形式どおりに着席を許した。
「本日は裁判ではない」
最初にそう言った。
「王室が保有する白鐘広場関連記録の公開範囲と、再調査の必要性を決定するための審議だ。ローヴェン氏にも、証人としてではなく原資料発見に関わった当事者として意見を求めたい」
声は落ち着いている。
少なくとも、王らしく見せる方法は知っている人だった。
*
最初に法院鑑定官から報告があった。
R-04-102から117。
十六件すべてについて、十二年前の初回抽出時に作られた晶石である可能性が極めて高い。
現在公式保管されている白鐘広場証言記憶とは内容が異なる。
原資料では、王軍の組織的前進以前に、反王派による組織的攻撃は確認されない。
そしてR-04-118。
記憶保持者は、当時王立記憶院に所属していた上級術者ヘルマン・ロート。
本人は九年前に死亡。
勤務記録と照合した結果、映像内に映る若いオルレナ・ヴェイスは本人と認めてよい可能性が高い。
記憶晶への後年の編集痕も、現在の鑑定では確認されていない。
「つまり」
アルベルト王が資料から目を上げた。
「オルレナ・ヴェイスが白鐘広場の証言記憶を変更するよう命じた場面は、真正な記憶である可能性が非常に高い」
「はい」
鑑定官が答える。
「ただし刑事責任の確定は別途審理が必要です」
「分かっている」
王はそう答え、それから別の書類を開いた。
王室側の記録だった。
十二年前。
前王。
白鐘広場。
治安命令。
公開されていたものではない。
「これは?」
リオラが尋ねる。
王室法務官が説明した。
「王室秘匿庫に保管されていた、当時の治安会議議事録です」
私はアルベルト王を見る。
「今まで出ていなかった?」
「国家安全保障上の最高機密として封印されていた」
王自身が答えた。
「私も全文を読んだのは昨日が初めてだ」
室内の空気が変わった。
「陛下も?」
思わず聞いてしまった。
失礼だったかもしれない。
でもアルベルト王は怒らなかった。
「父は私に見せなかった。王位を継いだあとも、白鐘広場関係の一部文書は『先王個人封印』として管理され、解除には王室法務院と枢密審査の同意が必要だった」
「昨日、解除した?」
「そうだ」
彼は議事録へ視線を落とした。
「原資料が出た以上、封印を維持する理由がなくなった」
その言葉のあと、記録官が一部を読み上げた。
白鐘広場集会への対応。
反王派の拡大を防ぐ。
王権への挑戦を抑える。
必要なら実力排除。
さらに。
《鎮圧後の社会不安を防ぐため、証言および公的記録の統一を行うこと》
私は顔を上げた。
「統一」
嫌な言葉だった。
記憶院の再封緘理由。
《記録統合上の整理》
似ている。
王室法務官が続ける。
「この文言だけでは記憶改変を直接命じたとは断定できません。しかし、白鐘広場事件後の情報統制を王室側が意図していたことは明白です」
「署名は?」
リオラが聞く。
「先王」
それから、もう二名。
当時の内務卿。
王室治安顧問。
アルベルト王の名前はない。
「私は」
王が口を開いた。
「当時、白鐘広場で死者が出たことは知っていた。反王派が先に武器を取り、軍が応戦したと説明された」
「信じた?」
私が聞く。
「十七歳だった」
彼は一度言葉を止めた。
「だから仕方がなかった、と言うつもりはない。だが、疑わなかった」
その答えは、少し意外だった。
知らなかったから無関係だ、と逃げることもできた。
「王位を継いでからは?」
「白鐘広場を再調査する理由がないと思っていた。公式記録も、保存記憶も一致していたからだ」
保存記憶。
十六人。
同じ記憶。
それが、王にとっても証拠だった。
「全部」
私は言った。
「同じ嘘なら、すごく強いですね」
室内が静かになった。
アルベルト王は私を見た。
「そうだな」
怒らなかった。
「私も騙された、と言えば簡単だ」
彼は続ける。
「だが、王家にとって都合のよい記録だったから疑わなかった、という部分は残る」
私は少しだけ、この人を見る目を変えた。
*
問題は、その次だった。
「原資料を公開すれば」
王室法務官が言う。
「先王の統治正当性、白鐘広場事件で処罰された者への判決、遺族補償、軍関係者の名誉、王室の責任が一斉に再検討されます」
「王位継承にも?」
ベルク検事が尋ねる。
「法的には直ちに影響しません。ただし政治的影響は予測不能です」
アルベルト王は黙って聞いている。
「限定公開という選択肢もあります」
別の王室顧問が言った。
「法院と調査委員会にのみ原資料を開示し、一般公表は再調査終了後に――」
私は、その言葉に覚えがあった。
危険だから。
まだ早いから。
混乱するから。
今は知らないほうがいい。
リオラが私を見る。
発言するなら今。
そういう顔だった。
「陛下」
私は口を開いた。
「聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「限定公開にしたら、誰を守れますか」
顧問が答えようとしたが、王が手で止めた。
「王家だろうな」
自分で答えた。
「それだけ?」
「短期的には社会秩序も、という説明はできる」
「オルレナ総裁と同じですね」
部屋の空気が固まった。
さすがに言いすぎたかと思った。
でも王は、しばらく黙ったあとで聞いた。
「どこが?」
「混乱するから、今は知らないほうがいい」
私は答えた。
「理由は違っても、決める人が同じです。知る側じゃなくて、管理する側」
アルベルト王は何も言わない。
私は続けた。
「私は、今すぐ全部公開すれば正しいとは言いません。生存者の名前とか、個人の記憶とか、勝手に出していいものじゃない」
十六人には。
十六人の人生がある。
王家を追及するために。
今度は私たちが彼らの記憶を使ってはいけない。
「でも」
私は議事録を見る。
「王家に不利だから隠すなら、それは違うと思います」
長い沈黙があった。
アルベルト王は、机に置かれた二つの資料を見ていた。
一つは先王の署名。
もう一つは、白鐘広場原資料の鑑定報告。
父親の治世と。
今の王としての判断。
やがて彼は王室法務官へ尋ねた。
「個人識別情報を除いた原資料の公開は可能か」
「技術的には可能です。ただし記憶映像そのものでは、顔や声、位置関係から特定される危険があります」
「なら映像は法院と独立調査委員会に限定する。一般公開は鑑定結果、時系列、王室議事録、再封緘記録を中心に」
法務官の顔が変わった。
「陛下」
「先王個人封印を解除する」
はっきりした声だった。
「白鐘広場に関する王室保有記録を、個人の記憶権を害さない範囲で公開する」
誰もすぐには動かなかった。
「さらに」
アルベルト王は続けた。
「白鐘広場事件の処理、記憶改変、関連する死亡事件について独立再調査を命じる。王立記憶院、旧王室治安部門、軍、法院、王室秘匿庫を対象から除外しない」
ベルク検事が尋ねる。
「先王の行為も?」
「除外しない」
「王室の責任認定につながる可能性があります」
「分かっている」
「現王室への賠償請求も」
「それも法院が判断する」
顧問が止めようとする。
「陛下、少なくとも公表時期については――」
「十二年間待った」
王の声は大きくなかった。
それでも、全員が黙った。
「これ以上、王家に都合のよい時期を選ぶ理由がない」
私は。
その言葉を覚えておこうと思った。
*
審議が終わる直前、アルベルト王が私を呼び止めた。
他の者が少し離れたところで待つ。
「ローヴェン氏」
「はい」
「あなたに礼を言うべきか迷っている」
「言わなくていいと思います」
思ったまま答えた。
王が少し笑う。
「理由を聞いても?」
「私、自分の殺人容疑を晴らしたくて調べてただけなので」
「結果として王家の過去を掘り起こした」
「それも、別に王家を正したかったわけじゃないです」
本当に。
そんな大きな目的はなかった。
自分の記憶。
マルセル判事。
過去の私。
一つずつ追っていたら。
ここへ来ただけ。
「では、礼ではなく謝罪か」
アルベルト王が言う。
私は少し迷った。
「それも」
「不要?」
「私にだけ言われても困ります」
白鐘広場で死んだ人。
記憶を変えられた人。
罪を着せられた人。
その家族。
「謝る相手が多すぎると思う」
王は黙った。
「そうだな」
その答えだけだった。
でも。
それで十分だった。
*
王宮を出ると、外は夕方になっていた。
門の向こうには、すでに記者たちが集まり始めている。
王室記録公開。
白鐘広場再調査。
今夜中には王都全体へ広がるだろう。
「大変なことになるわね」
リオラが言う。
「うん」
「怖い?」
「少し」
王室法務官の言ったことも理解できる。
混乱は起きる。
怒る人もいる。
王家を守ろうとする人も。
過去を掘り返すなと言う人も。
それでも。
私は思う。
だから隠す。
その決定を十二年前にした結果が。
今だった。
「エステル」
リオラが手にしていた書類を一枚、私へ渡した。
「もう一つある」
「何?」
法院からの通知。
マルセル判事殺害事件。
偽造記憶に関する追加鑑定。
R-04-118に残された作業記憶と、私の殺害命令記憶の封緘処理記録。
二つの間に。
同じ術者識別符号が見つかった。
「誰?」
私は尋ねた。
リオラが答える。
「十二年前、白鐘広場の編集作業に参加していた記憶術者の一人」
そして。
その人物は。
三年前。
私の縁切り売却にも関与していた。
さらに。
マルセル判事が殺された夜。
記憶院を離れた時刻の記録が。
空白になっていた。
私は通知書を握った。
白鐘広場。
私の記憶。
マルセル判事の死。
ようやく。
三つが同じ人間のところへ集まり始めていた。




