第41話 証拠のために、私を昔へ戻さないで
十七件の原資料は、その日のうちに王立記憶法院の特別保全庫へ移された。
翌朝、私はリオラと一緒に鑑定室へ呼ばれた。
殺害命令記憶の偽造が認められたとはいえ、まだ分かっていないことは多い。R-04-102から117までが本当に白鐘広場十六件の編集前記憶なのか。R-04-118が何なのか。そして、私の七年間から切り出されたという記憶断片が、どのように殺害命令記憶へ使われたのか。
中央の長机には十七個の晶石が並び、それぞれが法院の新しい封印で保護されていた。
サイラスのほか、二人の記憶術者と記録官がいる。
そして、少し離れた席にはオルレナも座っていた。
身柄を拘束されてはいない。ただし記憶院総裁としての権限は一時停止され、法院の許可なく晶石へ触れることもできない。
彼女の前にあるのは紙とペンだけだった。
「まず確認します」
サイラスが私たちを見渡した。
「本日は内容閲覧を行いません。晶石の状態と相互関係を調べ、どの方法で証拠化するかを決めます」
私は少し安心した。
昨日見つけたからといって、すぐ中身へ飛び込むつもりはなかった。
「外部閲覧では駄目なんですか?」
私が尋ねると、サイラスは慎重に答えた。
「出来事の確認だけなら可能です。しかし今回、問題になるのは記憶の連続性です」
「連続性?」
「ある断片が、どの記憶から切り取られたものか。それを確実に結びつける必要があります」
机上に、私の殺害命令記憶の鑑定図が置かれた。
雨音が途切れた十一秒。
指輪の向きが変わった地点。
時間の不整合。
そこに赤い線が引かれている。
「仮に、この十一秒が別の記憶から移植されたものだとします」
サイラスが説明する。
「外部閲覧では、移植された断片の内容は確認できます。ただし、その断片が本当にエステルさん自身の元記憶から切り出されたものなのか、似た映像を別人の記憶から構成したものなのかについては、判定が難しくなる場合があります」
「声も姿も私なのに?」
「姿は記憶内で再構成できます。声も同様です。重要なのは、記憶保持者特有の感覚的な結びつきです」
私は眉を寄せた。
「感覚的?」
「例えば、同じ部屋を見ても、記憶保持者によって注意する場所が違います。特定の人物を見たときに身体が緊張する、匂いをきっかけに別の出来事を思い出す、ある言葉だけ妙に鮮明に残る。そうした関連です」
記憶は映像ではない。
オルレナが昨日言ったことと同じだった。
サイラスは続ける。
「もっとも確実なのは、元の記憶を本人へ戻し、保持者としての連続性を確認する方法です」
私は黙った。
リオラがすぐに尋ねた。
「それは証拠化の必須条件?」
「いいえ」
その答えに、私は顔を上げた。
「必須ではない?」
「ありません。技術的に最も強い方法というだけです」
「代替手段は?」
「外部閲覧。複数の原資料との照合。抽出記録。身体情報。保管履歴。第三者証言。それらを組み合わせます」
リオラは頷いた。
「なら、まずそちらを検討してください」
「もちろんです」
会話はそこで終わるはずだった。
しかし、オルレナが口を開いた。
「時間が掛かりますよ」
リオラの表情が冷える。
「だから何です?」
「マルセル判事殺害事件では、エステル本人の関与がまだ完全には否定されていない。白鐘広場の原資料についても、十二年前の記憶です。外部から一つずつ検証すれば、解釈を巡って争いが続くでしょう」
「だから戻せと?」
「技術者として言っています」
オルレナは私を見た。
「七年間をすべて戻せば、あなたは自分が何を調べ、誰と会い、何を言ったのかを再び保持できる」
私は指先を組んだ。
「第27話のときとは、言い方が違いますね」
言ってから、違和感に気づいた。
私はすぐ言い直した。
「以前は、幸せだった結婚の記憶から戻せば気持ちまで戻るかもしれない、と言いました」
オルレナは否定しなかった。
「ええ」
「今度は証拠のため?」
「状況が変わったからです」
「都合よく?」
「必要なことを話しているだけです」
私は彼女の顔を見た。
以前の提案は、事件から離れろという条件付きだった。
今回は逆だ。
事件を解くなら、過去の自分に戻れと言っている。
目的は違っても、引っかかる場所は同じだった。
私の現在を、目的のための手段にする。
「全部じゃないと駄目なんですか?」
私はサイラスへ聞いた。
彼が答える前に、オルレナが言った。
「部分的な復元では危険です」
「総裁ではなく、法院術者に聞いています」
私がそう返すと、オルレナは口を閉じた。
サイラスは少し困った顔をしたものの、正面から答えてくれた。
「部分復元にも危険があります。むしろ今回のように関係網が広く切り出されている場合、特定断片だけを戻すと前後関係が欠けたまま強い感情だけが復帰する可能性があります」
「全部なら安全?」
「いいえ。七年分を戻すこと自体が大きな負荷です」
「じゃあ、どっちも危険なんですね」
「はい」
そこが大事だった。
オルレナは、全部戻すのが一番確実だと言う。
でも、それは一番安全という意味ではない。
まして、一番正しいという意味でもない。
「もし全部戻したら」
私は尋ねた。
「今の私はどうなるんですか」
サイラスは少し間を置いた。
「消えるわけではありません」
「でも?」
「現在の約数か月の経験と、失われていた七年間が一度に接続されます。過去の感情が非常に強ければ、判断や自己認識に大きな変化が生じる可能性はあります」
「ギデオンへの気持ちも?」
「あり得ます」
「白鐘広場についての恐怖も?」
「あり得ます」
「マルセル判事が死んだときの感情も?」
「記憶に含まれていれば」
私は息を吐いた。
つまり、証拠を得るために。
私は、今の自分へ七年分の人生を一度に流し込むことになる。
それで何が起こるかは、誰にも分からない。
「それをやれば、事件は早く解決するかもしれない」
私は言った。
「可能性は高まります」
サイラス。
「でも、絶対ではない」
「はい」
オルレナが静かに口を挟んだ。
「それでも、あなた自身が最良の証人です」
私は彼女を見る。
「七年間を持っていた私が?」
「そうです」
「今の私は?」
「あなたです」
「同じ?」
オルレナは答えなかった。
私は椅子の背へ身体を預けた。
そこが、ずっと問題なのだと思う。
過去の私は私だ。
でも、過去の私が選んだことを、現在の私がそのまま引き継がなければならないわけではない。
昔ギデオンを愛したから、今も愛さなければならないわけではない。
昔調査を始めたから、今の私は命を懸けて続ける義務があるわけでもない。
同じなら。
なぜ私は、こんなに迷うのだろう。
「オルレナ総裁」
私は聞いた。
「もし私が戻さないと言ったら?」
「証拠としては不利になります」
「事件が解けないかもしれない?」
「可能性はあります」
「それでも?」
彼女は私を見つめた。
「あなたが決めることです」
その返事は正しい。
だからこそ、私は少し腹が立った。
「言葉だけなら、あなたもギデオンも最初から知っていたんですね」
オルレナの表情が初めてわずかに揺れた。
「何を?」
「本人が決める、って言葉」
私は机上の十七個の晶石を見る。
「問題は、自分が困る答えを出されたときにも、それを本人へ返せるかでしょう」
ギデオンは、それができなかった。
オルレナも。
そして今。
私が七年間を戻さないと決めれば、事件の立証が難しくなるかもしれない。
それでも。
選択は私のものなのか。
そこを確かめたい。
*
午後、法院は三つの鑑定方法を提示した。
第一案。
七年間の記憶を全面復元し、私自身の記憶連続性を使って元断片を特定する。
最も直接的だが、身体的・心理的負担が最大。
第二案。
必要部分だけを段階的に戻す。
負荷を減らせる可能性はあるものの、前後関係の欠落や感情の偏りが大きくなる危険がある。
第三案。
記憶は一切戻さず、外部閲覧と物証、記録、第三者証言を組み合わせて立証する。
本人への負荷は最小。
代わりに、時間と検証作業が最も多い。
私は三枚を並べた。
リオラが尋ねる。
「今日決める必要はないわ」
「期限は?」
「鑑定開始は三日後。そこまでに希望を出せばいい」
三日。
以前の私なら、たぶんすぐ第三案と言った。
今も、気持ちはそうだ。
でも。
殺人容疑。
白鐘広場。
マルセル判事。
十二年前に記憶を変えられた人々。
もし私が戻せば。
早く証明できるなら。
そんな考えが入ってくる。
「怖い?」
リオラが聞いた。
「うん」
「何が一番?」
私は考えた。
「戻した七年間が怖いんじゃない」
「じゃあ?」
「戻したあと、それを理由に自分の選択が変わったとき」
リオラは黙って聞いている。
「ギデオンをまた好きになるかもしれない。もっと嫌いになるかもしれない。オルレナを憎むかもしれない。自分が事件について今と全然違うことを考えるかもしれない」
「それもあなたじゃない?」
「そうかもしれない」
私は三枚の紙を見る。
「でも、事件を解くために人格まで揺らす必要が本当にあるのかは、別だと思う」
証拠のため。
国家のため。
安全のため。
愛する人を守るため。
立派な理由はいくらでもある。
そのたびに。
誰かが私へ言う。
こちらのほうが合理的だ。
こちらのほうが安全だ。
こちらのほうが早い。
だから。
あなたはこれを選ぶべきだ。
「私」
私は言った。
「ギデオンに意見を聞きたくない」
リオラが少し意外そうな顔をした。
「聞くつもりだった?」
「一瞬だけ」
自分でも驚いた。
七年間を一番知っている人。
私が戻したら何が起きるか。
たぶん。
誰より想像できる。
「でも、やめる」
「どうして?」
「聞いたら、あの人の答えを判断材料にしてしまうから」
今は会わない。
それだけではない。
この選択を。
元夫の希望からも。
離しておきたい。
「法院からは?」
「ギデオンにも鑑定方法について意見照会が行く可能性はある」
リオラが答えた。
「彼は関係証人だから」
「私には見せないで」
「正式記録なら?」
少し迷った。
「決めるまで」
私は答えた。
「私の選択を先にしたい」
リオラが頷く。
「分かった」
私は第三案の紙へ指を置いた。
まだ署名はしない。
でも。
自分がどちらへ傾いているかは分かっていた。
真実を知りたい。
とても。
けれど、そのために。
過去の私へ戻らなければならないとは思わない。
七年間を失った私だからこそ。
今の私は。
別の方法があるなら。
まず。
今の自分のままで。
真実へ辿り着きたかった。




