第20話 守るために、私を消した
「今日は、全部話してください」
保護館の面談室。
私はギデオンと向かい合って座っていた。
隣にはリオラ。
扉のそばには記録官。
机の上には、これまで集めた資料。
白鐘広場。
B区分。
マルセル判事。
三年前の夫婦の記憶。
非公開抽出。
そして、私の記憶譲渡契約書。
ギデオンは黙っていた。
私は続ける。
「どうして私の記憶を消せば守れると思ったのか」
彼の指が、机の上でゆっくり組まれる。
「そこを、もう曖昧にしないで」
「分かった」
「国家機密だから話せない部分があるなら、それは分けてください」
「ああ」
「でも、あなた自身がした判断は隠さないで」
ギデオンが私を見る。
「分かった」
短い返事だった。
私は息を整える。
ここまで長かった。
ようやく。
聞ける。
「最初に」
私は言った。
「いつ、私が危険だと知ったんです?」
「離縁を切り出す二十二日前」
日付まで即答だった。
「何があった?」
「監察局へ匿名の報告が入った」
「内容は?」
「王立記憶院の内部で、外部の人間による不正照会が続いていると」
「外部?」
「記憶院職員ではない人物が、過去の封緘記録を繰り返し照会している」
「それが私だった?」
「最初は分からなかった」
ギデオンは一枚の紙を出した。
正式に開示許可を取った資料らしい。
リオラが確認してから、私へ渡す。
照会記録。
複数の日付。
旧姓。
略称。
代理人。
直接私の名前はない。
「何で私だと?」
「照会内容」
彼が指す。
白鐘広場。
B区分。
再封緘。
マルセル判事。
そして。
《縁切り売却後の本人記憶権》
「これ」
私は顔を上げた。
「私が調べてた?」
「ああ」
「誰から知ったの?」
「リオラではない」
彼女を見た。
リオラも首を振る。
「監察局が、記憶院側の異常照会を逆に追った」
なるほど。
「それで、私に行き着いた」
「そうだ」
「その時点で話してくれればよかった」
ギデオンの顔が硬くなる。
「その通りだ」
「でも話さなかった」
「ああ」
「なぜ?」
彼は少し黙った。
「君の照会記録と同時期に、別の記録が見つかった」
「何?」
「監察局の保護対象者一覧に、君の旧姓が入っていた」
胸が冷えた。
「保護対象?」
「名目上は」
「実際は?」
「監視対象に近い」
リオラが眉を寄せる。
「誰の一覧?」
「記憶院内部の警備記録」
「理由は?」
ギデオンが言う。
「白鐘広場関連の記憶へ接触する可能性がある人物」
私は言葉を失った。
「私が」
「ああ」
「監視されてた」
「少なくとも記録上は」
「いつから?」
「三年前」
三年前。
慈善会。
青いドレス。
九一七番。
全部。
そのころから。
「あなたはそれを、離縁の二十二日前に知った」
「ああ」
「それで?」
「君の周囲を調べた」
「勝手に?」
「勝手に」
もう言い訳しない。
「何が分かった?」
「公爵邸の外で、同じ男が三度確認された」
「誰?」
「身元不明」
「今も?」
「一度は行方を失った」
「襲撃者?」
「可能性はあるが、確認できていない」
「ほかには?」
「君が利用していた貸金庫の周辺でも、不審者が確認されていた」
九一七。
私は指を握る。
「私、もう狙われてた」
「そう判断した」
「なら、どうして私に言わなかったの?」
ギデオンの喉が動く。
「君が調査をやめないと思った」
来た。
分かっていた答え。
それでも聞く。
「どうしてそう思った?」
「君を知っていたから」
静かな声。
「危険だからやめろと言えば、理由を聞く」
「普通では?」
「ああ」
「説明できなければ?」
「自分で調べる」
「私なら」
「ああ」
「それで」
私は目を逸らさず聞く。
「あなたは私に知らせないことにした」
「そうだ」
胸の中に。
怒りが広がる。
派手ではない。
冷たい怒り。
「そのあと、何をした?」
「調査を止めようとした」
「どうやって?」
「君が照会していた記録の一部を、職務上の機密へ戻した」
リオラの顔が変わる。
「権限を使った?」
「ああ」
「適法?」
「形式上は」
また。
その言葉。
「実質は?」
ギデオンが言う。
「君を遠ざけるためだった」
私は笑いそうになった。
でも出たのは息だけだった。
「すごいですね」
「分かっている」
「まだです」
私は止めた。
「全部聞く」
ギデオンが頷く。
「それでも君は調査を続けた」
「どうやって?」
「違法市場」
ネラ。
「あなた、そこまで知ってた?」
「後から」
「いつ?」
「離縁を決める十一日前」
「そのとき何が?」
ギデオンの手が少し震えた。
初めてだった。
「君が、死体を見つけた」
私は動きを止める。
「誰の?」
「記憶院の下級術者」
部屋が静まる。
「私は覚えてない」
「抽出範囲に含まれた」
「その人は?」
「ユージン・レイル」
知らない名前。
「どうして私が?」
「匿名の手紙で呼び出された」
「誰から?」
「ユージン本人」
「何を話すために?」
「白鐘広場の再封緘記録について」
私は息を止めた。
「会えた?」
「死んでいた」
「殺された?」
「公式には転落事故」
「あなたは?」
「そうは思わなかった」
「根拠は?」
「現場に争った痕跡があった」
「それ、捜査した?」
「した」
「結果は?」
「決定的証拠なし」
「記憶院と関係が?」
「確認できなかった」
「でも」
「君はその直後から、尾行される回数が増えた」
喉が乾く。
「私、怖がってた?」
ギデオンは少し目を伏せた。
「かなり」
「それでも調べてた?」
「ああ」
「あなたに相談した?」
「しなかった」
痛い。
でも。
それも事実。
「あなたは私に聞いた?」
「聞いた」
「何て?」
「何か隠していることがあるか、と」
「私は?」
「ない、と言った」
私も隠した。
私はそれを記録する。
自分だけを正しい側に置かない。
でも。
「そのあと?」
ギデオンが続ける。
「離縁を決める六日前」
私は身を乗り出す。
「何が?」
「君宛てに、小包が届いた」
「中身は?」
「砕かれた記憶晶」
身体が冷える。
「誰の?」
「分からない」
「意味は?」
「封筒の中に紙が一枚」
彼は別の証拠写しを出した。
そこには。
《次はあなたの番》
その一文。
私はしばらく何も言えなかった。
「それで」
ギデオンの声が掠れる。
「私は判断した」
「何を?」
「君の調査内容そのものが、君を標的にしている」
「だから記憶を消す?」
「ああ」
「なぜ離縁まで?」
「私の職務に関係する記憶を合法的に大規模抽出する手段が、縁切り売却しかなかった」
その言葉。
胸の奥に。
嫌な理解が落ちた。
「私を守るために、制度を使った」
「そうだ」
「あなたが知っていた、不完全な同意の問題がある制度を」
「そうだ」
「しかも」
私は彼を見る。
「危険の情報を隠したまま」
「ああ」
「私なら拒否すると思ったから」
「ああ」
リオラが静かに聞く。
「公爵。ほかの選択肢は?」
ギデオンが答える。
「監察局保護」
「なぜ使わなかった?」
「君は理由を求める。強制保護をすれば、法院へ異議申立てをする可能性が高かった」
「それは権利でしょう」
「ああ」
「国外避難?」
「同じ」
「護衛増員」
「相手が記憶院内部にいる可能性を疑っていた。公爵邸に置くだけでは足りないと思った」
私は眉を寄せる。
「でも、記憶の保管先は」
「王立記憶院」
「一番危ない場所だった」
「ああ」
ギデオンの声が落ちる。
「私は、そこで間違えた」
「そこだけ?」
彼が顔を上げる。
私は抑えきれなかった。
「一番危ない場所を選んだことだけが間違い?」
「違う」
「私から判断を奪ったことは?」
「間違いだ」
「情報を隠したこと」
「間違いだ」
「私の記憶を消せば、私が安全になると勝手に決めたこと」
「間違いだ」
「私がどんな人間になるかを、どうでもいいみたいに扱ったこと」
「……間違いだ」
声が震えた。
私はさらに聞く。
「それでも、当時に戻ったら同じことをする?」
リオラが少し驚いて私を見る。
ギデオンは答えなかった。
「ここ」
私は言った。
「大事です」
長い沈黙。
「当時のままの私なら」
彼は苦しそうに言う。
「同じことをすると思う」
胸が痛んだ。
でも。
それが本当なら。
今、きれいな答えを言われるよりいい。
「今のあなたなら?」
「しない」
「なぜ?」
「君が死ぬ可能性があっても」
その言葉で。
私は身を固くした。
ギデオンが続ける。
「それを理由に、君から選ぶ権利を奪うのは違うと分かったから」
「私が危険を選んだら?」
「止めたい」
「でも?」
「説明する」
「それでも行くと言ったら?」
ギデオンの指が強く組まれる。
「……行かせる」
「見送れる?」
彼は一度目を閉じた。
「今はまだ、自信がない」
私は少しだけ息を吐いた。
その答え。
完璧ではない。
でも。
本当だった。
「じゃあ、まだ途中ですね」
「ああ」
彼は即答した。
「ずっと途中だと思う」
私は机の上の資料を見る。
砕かれた記憶晶。
匿名の脅迫。
死んだ術者。
尾行。
確かに。
危険だった。
ギデオンが怖がった理由も。
私を失うと思った理由も。
理解できる。
理解。
できてしまう。
それが。
少し悔しかった。
「あなたがしたこと」
私はゆっくり言う。
「前より分かりました」
ギデオンが私を見る。
「怖かったんですね」
「ああ」
「私が死ぬのが」
「ああ」
「私が自分で危険を選ぶのも」
「ああ」
「だから」
私は息を整える。
「私は、あなたを許しません」
彼の顔が。
ほんの少し。
揺れた。
でも。
言い訳は来なかった。
「……分かった」
「理由が分かったからって、結果は変わらない」
「分かっている」
「あなたが愛してくれていたことも」
胸が少し痛む。
「たぶん、本当だった」
ギデオンの目が赤くなる。
「でも」
私は続ける。
「愛していたことと」
「……ああ」
「私の代わりに人生を決めていいことは」
彼が目を閉じる。
「同じじゃない」
「そうだ」
私はそれを聞いて。
ようやく。
少しだけ力が抜けた。
誰かに。
正解を認めてもらいたかったわけではない。
ただ。
ここまで話して。
彼自身が否定しない。
それが必要だったのかもしれない。
「あと」
私は紙を一枚取り出す。
「この件は、私的な謝罪だけで終わらせないでください」
ギデオンが顔を上げる。
「どういう意味だ」
「あなたは長官の権限を使って、私の調査を妨害した」
リオラが私を見る。
「機密指定を利用して」
「……ああ」
「それ、記録に残します」
「分かった」
「あなたに不利になります」
「分かっている」
「処分されるかも」
「受ける」
「公爵だから軽くなるかも」
ギデオンの顔が硬くなる。
「そうならないよう証言する」
その答え。
私は覚えておこうと思った。
恋愛ではなく。
責任として。
「リオラ」
私は隣を見る。
「正式に記録してください」
「もちろん」
彼女は淡々と書く。
ギデオンによる。
職務権限の私的利用。
情報非開示。
離縁記憶売却への誘導。
私自身に不利だったとしても。
残す。
これでいい。
*
面談が終わったあと。
リオラだけが部屋に残った。
私は窓辺へ立つ。
雪。
白い。
「大丈夫?」
「うん」
「嘘」
「少し」
彼女が隣へ来る。
「分かった?」
「何が?」
「ギデオンの理由」
私は頷く。
「かなり」
「それで?」
「許さない」
「そう」
リオラはそれ以上何も言わない。
「でも」
私は窓の外を見る。
「嫌いにはなれなかった」
口にしてから。
少し驚いた。
リオラも。
「そう」
「変?」
「全然」
私は自分の胸へ手を当てる。
「腹は立つ」
「うん」
「傲慢だと思う」
「うん」
「勝手」
「かなり」
「でも」
あの人が。
私を失うのが怖かった。
そこまで怖くて。
間違えた。
それも。
今なら分かる。
「だからって戻るわけじゃない」
「分かってる」
「昔の愛が本物だったとしても」
「うん」
「今の私の答えにはならない」
「その通り」
私は息を吐いた。
第二部の終わり。
そういう感覚があった。
一つの問いに。
ようやく答えが出た。
どうして。
ギデオンは私の記憶を消させたのか。
守るため。
でも。
それだけではない。
私を知っていたから。
私が危険でも真実を選ぶ人間だと。
分かっていたから。
だから。
その選択肢を奪った。
愛していたからこそ。
私の意思を恐れた。
私はその理由を。
理解した。
そして。
理解した上で。
許さないと決めた。
それは。
たぶん。
記憶を失ってから初めて。
誰にも借りずに。
今の私が出した答えだった。




