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第14話 過去の私もここへ来た

違法記憶市場へ行った翌日。


リオラが一枚の紙を私の前へ置いた。


「昨日の男から伝言」


保護館の面談室。


窓の外は、昨日とは打って変わって晴れていた。


私は紙を見る。


名前はない。


住所だけ。


《西鐘区・灰栗通り十八番》


「誰?」


「記憶仲介人」


「昨日の人とは別?」


「ええ」


「信用できる?」


「全然」


「堂々と言うのね」


「違法市場の人間を紹介されて、信用から入るほうがおかしいでしょう」


それはそうだ。


「何を知ってるって?」


「あなたのこと」


私は顔を上げた。


「今の?」


「過去の」


胸の奥がわずかにざわつく。


「どういうこと?」


「昨日の男が、あなたの顔に見覚えがある奴がいるって」


「私が違法記憶市場へ行ったことがある?」


「そういう意味らしい」


私は椅子へ深く座り直した。


過去の自分が白鐘広場の記憶を調べていたことは、もう分かっている。


けれど、その具体的な行動はほとんど知らない。


秘密の保管庫。


記憶晶番号。


リオラへの限定的な依頼。


そこまでは、過去の私が残したものだ。


今日会う相手が本当に私を知っているなら。


初めて第三者の口から、過去の私の行動を聞ける。


「行く」


「でしょうね」


「止めないの?」


「止めても行くでしょう」


「それは決めつけ」


「昨日の今日で?」


私は少し黙った。


「……否定しにくい」


リオラが笑う。


「ただし、今日は条件を増やす」


「何?」


「私の質問を遮らない」


「弁護士らしい」


「それから、相手があなたを知っていると言っても、すぐ信じない」


「分かってる」


「過去のあなたの秘密を知っているふりをすれば、今のあなたを誘導できる」


その言葉で、背筋が伸びた。


「そうね」


それはギデオンだけではない。


私の記憶がないことを知っている人間なら、誰でもできる。


「昨日の青瓶亭の男から紹介された。それ以上の保証はない」


「了解」


「あと」


「まだある?」


「帽子」


「帽子?」


リオラが私の頭を見る。


「昨日、いかにも元公爵夫人って顔で歩いてた」


「顔は変えられないわよ」


「隠しなさい」



灰栗通り十八番は、古道具屋だった。


看板には《時計と金物》とだけ書いてある。


「記憶仲介人が時計屋?」


「表向きは」


「この街、表向きが多いわね」


「王都はだいたいそうよ」


扉を開ける。


小さな鈴。


店内には壁いっぱいの時計。


振り子時計。


懐中時計。


置時計。


全部が違う時を示している。


「嫌な店」


私が呟く。


「何が?」


「時間が一つも合ってない」


奥から声がした。


「わざとだよ」


現れたのは、小柄な女だった。


年齢は分かりにくい。


四十代にも六十代にも見える。


髪は白と黒が半々。


片目に丸い拡大鏡。


「時間なんて、見る人間によって違う」


「時計屋が言う台詞じゃないですね」


女が私を見る。


止まる。


「……ああ」


その反応は演技には見えなかった。


でも、それだけで信じない。


「知っています?」


「前にも来た」


「いつ?」


「三年前」


「何月?」


女は考える。


「寒くなる前。祭灯がまだ出てなかったから、十月の終わりか十一月頭」


私はリオラを見る。


王立記憶院の慈善晩餐会は十一月二十三日。


その前かもしれない。


「何をしに?」


女はカウンターへ肘をついた。


「こっちから聞きたい。どこまで覚えてる?」


「それには答えません」


女の口元が歪む。


「前より用心深い」


「前の私を知っているなら、比べないでください」


「へえ」


女が面白そうに私を見る。


「記憶、抜いたのか」


私は答えない。


リオラが前へ出る。


「質問はこちらから」


「弁護士?」


「そう」


「嫌いだねえ」


「お互い様でしょう」


女が笑う。


「名前は?」


私が聞く。


「ネラ」


「本名?」


「違う」


「ではネラさん。三年前の私は、何を探していた?」


「白鐘広場」


即答だった。


私は顔を動かさないようにした。


予想していた答え。


でも、第三者から初めて出た。


「具体的には?」


「生存者の記憶」


リオラの目がわずかに動く。


「なぜ違法市場で?」


「正規じゃ見せてもらえなかったからだろ」


「私がそう言った?」


「言った」


「どんな言い方で?」


ネラが片目を細めた。


「面倒な女だね」


「確認です」


「『記憶院へ正式照会を出したが、全部機密指定で拒否された』って」


九一七番にあった照会却下書と一致する。


一つ。


裏が取れた。


「そのあと?」


「市場に同じ記憶が流れてないか探してた」


「白鐘広場の証言記憶を?」


「ああ」


「見つかった?」


「一本だけ」


空気が変わった。


私は無意識に身を乗り出す。


「誰の?」


「名前は知らない」


「見た?」


「お前は見た」


胸が強く鳴る。


「私が?」


「買わなかった。閲覧だけ」


「内容は?」


「俺は一緒に見てない」


「では何が分かる?」


ネラが後ろの棚から椅子を引き、腰を下ろした。


「見終わったあと、お前が吐いた」


私は黙った。


リオラが聞く。


「体調不良?」


「違う。怯えてた」


「何に?」


「それを聞いても答えなかった」


過去の私は、ここでも全部は話していない。


「その記憶は今どこに?」


「知らない」


「売った人間は?」


「仲介が二つ入ってた」


「追える?」


「三年前なら。今は無理」


「記憶晶の番号は?」


ネラの表情が変わった。


「お前、それをもう知ってるのか」


「答えて」


「B区分だった」


やはり。


「番号全部は?」


「覚えてない」


「記録は?」


「ない」


「本当に?」


「違法商売で台帳残すほど馬鹿じゃない」


筋は通る。


腹は立つ。


「私がその記憶について何か言った?」


ネラは少し考えた。


「言った」


「何を?」


「『同じ言葉だ』」


私は息を止めた。


「それだけ?」


「最初はな」


「その後は?」


「鐘の話をした」


心臓が一度強く鳴る。


「鐘?」


「三回鳴ったって」


ネラが指を三本立てる。


「記憶の中の女がそう言ってたらしい」


私は紙へ書く。


《鐘が三度》


だが、すぐ横にもう一つ書いた。


《ネラの証言のみ》


まだ事実ではない。


「その女は何を見た?」


「だから俺は見てない」


「私が話した範囲で」


ネラが記憶を探る。


「兵士が来た。人が逃げた。誰かが叫んだ」


「誰が先に襲った?」


「それも聞いた気がする」


「何て?」


「……反乱者が先だった、とか」


公式記録と同じ。


「でも」


ネラが言う。


私は顔を上げる。


「お前、それを聞いて笑ったんだ」


「笑った?」


「変な笑い方だった」


「なぜ?」


「『また同じだ』って」


リオラが私を見る。


私はペンを止めた。


また同じ。


九一七番。


白鐘広場生存者。


過去の私の調査。


そしてこの第三者証言。


「他にも見た?」


私が聞く。


「お前は探した」


「何本?」


「少なくとも三本」


「三人分?」


「たぶんな」


「全部同じ?」


ネラが肩をすくめる。


「そこまでは知らん」


「私が何か言ってた?」


「三人とも同じ言い回しをするのがおかしいって」


胸の中に一つ、重い石が落ちた。


これはまだ証拠ではない。


でも。


第2話で過去の私が残した手紙には、具体的な調査内容はほとんど書かれていなかった。


九一七番には番号と名簿。


そして今。


第三者が、過去の私が生存者の記憶を実際に探していたと証言した。


「言い回しは?」


リオラが聞く。


ネラは眉間に皺を寄せる。


「細かくは覚えてない」


「一部でも」


「鐘が三度鳴ったあと……」


そこで止まる。


「続きは?」


「兵士を襲った。だったと思う」


私は何も言わなかった。


自分の頭にある公的知識。


《鐘が三度鳴ったあと、武装した反乱者が兵士へ襲いかかった》


ほぼ同じ。


だが。


公的記録の文章を、後から皆が覚えただけかもしれない。


そこは以前の私も考えたはずだ。


「記憶が公式記録に引っ張られた可能性は?」


私が聞く。


ネラが笑う。


「それを三年前のお前も聞いた」


「あなたは何て?」


「知らんって答えた」


まともだ。


「記憶が抽出された時期は?」


「事件直後らしい」


私は顔を上げた。


「十二年前?」


「ああ」


もし本当なら。


後世の公式記録を読んで言葉が揃った、という説明は弱くなる。


ただし。


「抽出日時を確認した?」


「俺はしてない」


「じゃあ『事件直後』も伝聞」


「そうだ」


私は紙へ書く。


《要裏取り》


リオラが横で少し笑った。


「何?」


「いや。ちゃんとしてるなって」


「褒められるほど?」


「以前なら――」


彼女が止まる。


「危ない」


「今、比べかけた」


「忘れて」


「善処します」


ネラが私たちを交互に見る。


「変な関係だね」


「友人です」


リオラが言う。


「弁護士でもある」


「面倒なの二倍」


「あなたに言われたくない」


私は話を戻す。


「三年前の私は、このあと何をした?」


「別の仲介を探した」


「誰?」


「マルセル判事の紹介先」


私は完全に止まった。


「何て?」


ネラも気づいた。


「ああ」


「もう一度」


「お前、マルセルって判事の名前を出した」


リオラの表情が硬くなる。


「本人に会った?」


「俺は知らん」


「何と言っていた?」


「『この番号を正式記録側から追える人間を紹介された』とか」


「誰に?」


「マルセルに」


頭の中で点が動く。


過去の私。


白鐘広場。


違法市場。


B区分。


マルセル判事。


これまで正式記録上では、私とマルセルの接点は確認されていなかった。


でも。


ここで初めて第三者が接点を証言した。


「日付は?」


「覚えてない」


「慈善晩餐会より前? 後?」


「知らん」


「手紙や物は?」


「残ってない」


証拠としては弱い。


でも、捜査線は変わる。


「リオラ」


「ええ」


「マルセルの面会記録、私の名前が別名義で残ってないか調べたい」


「法院側へ照会する」


「監察局にも」


「ギデオン経由ではなく正式に」


「もちろん」


ネラがため息をつく。


「まだ聞くのか」


「最後に一つ」


「さっきから最後が多い」


「三年前の私は、何を一番恐れていた?」


ネラが黙った。


これは事実ではない。


彼女の印象になる。


それでも聞きたかった。


「白鐘広場の真相?」


「違う」


即答だった。


「では?」


「自分が見たものを、誰かに知られること」


私は息を止めた。


「誰か?」


「特定の名前は出してない」


「ギデオン?」


リオラがすぐ私を見る。


私は自分で訂正した。


「今のは誘導だった」


ネラは鼻で笑う。


「そういう質問はしなかった」


「ありがとう」


危ない。


私はギデオンへ疑いを寄せすぎる癖がある。


理由はある。


彼は隠した。


私から判断材料を奪った。


でも、だからといって全部を彼へつなげてはいけない。


「ほかには?」


ネラが少し考え、


「一つだけ」


と言った。


「お前、帰る前にこう言った」


私は待つ。


「『記憶が嘘をつくんじゃない。人が、記憶に嘘を言わせるのね』」


店の中に無数の時計の音が響いていた。


かち。


かち。


かち。


私はその言葉を紙へ書かなかった。


まだ。


過去の自分の感想だ。


証拠ではない。


でも。


胸の奥には残った。



保護館へ戻る馬車の中。


リオラが記録を整理する。


「今日分かったこと」


「過去の私が違法市場に来ていた」


「白鐘広場生存者のB区分記憶を探していた」


「少なくとも一本は閲覧した可能性が高い」


「複数の生存者記憶で、同じ言い回しが使われていたと疑っていた」


「マルセル判事の名前を出していた」


「ただし全部、ネラの証言」


リオラが頷く。


「だから裏を取る」


「うん」


「それで」


彼女が私を見る。


「ギデオンにはどこまで話す?」


少し考える。


「全部」


リオラが意外そうな顔をした。


「へえ」


「何?」


「鍵を隠してた人が」


「反省したって言ったでしょう」


「その成長は認める」


私は窓の外を見る。


「それに、協力条件はギデオンだけに情報開示を求めるためのものじゃないと思う」


「どういう意味?」


「私も、危険な情報を一人で抱え込んで、勝手に判断しないほうがいい」


言葉にすると。


少しだけ痛かった。


過去の私は秘密調査をしていた。


ギデオンに言わなかった。


その理由は分からない。


当時の判断には、当時なりの理由があったのだろう。


でも今。


私は同じ道をそのままなぞる必要はない。


「ただし」


私は続けた。


「マルセルと私に接点があった、という話は危険」


「容疑が強まる可能性もある」


「だから隠す?」


「いいえ」


リオラが笑った。


「正解」


「先生みたい」


「先生よ」


「友人じゃなかった?」


「都合よく使い分けるの」


保護館が近づく。


門の前に一台の黒い馬車。


ヴァルデン公爵家のものではない。


監察局。


「ギデオン?」


「今日、捜査面会を申請してる」


私は少し息を吐く。


不思議だった。


昨日までなら。


会えば何か隠されるのではないかと考えていた。


今日は逆だ。


こちらから伝えるものがある。


馬車を降りる。


その前に私はリオラへ言った。


「一つだけ、怖いことがある」


「何?」


「もし本当に過去の私がマルセルとつながっていたなら」


あの殺害命令記憶。


『マルセル判事は、もう止まらない』


『殺して』


「偽造記憶を作る材料が、実際にあったことになる」


リオラは黙った。


私は続ける。


「私が彼を知っていたなら、彼の名前を口にした記憶もあったかもしれない」


「そうね」


「『殺して』って言った別の記憶も」


「あり得る」


「封筒を渡した記憶も」


全部、本物。


つないだ意味だけが嘘。


違法市場で聞いた方法。


私は自分の手を見る。


怖い。


でも。


今度は、自分の声に飲み込まれない。


「次にあの記憶を見るときは」


私は言った。


「私が何を言ってるかじゃなくて」


リオラが頷く。


「その言葉が、本当に同じ時間に存在したかを見る」


保護館の扉が開く。


中で。


ギデオンが待っていた。


私は帽子を取った。


過去の私も、ここまで来ていた。


でも。


ここから先をどう進むかまで、過去の私に従う必要はない。


今度は私が。


私の知らない私の足跡を、現在の証拠で追っていく。

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