一時間の授業
「ど、どうして僕の名前を…?」
淡い夕日に照らされて、彼女の髪の毛がキラキラと光り風に靡いている。見惚れる暇もなく彼女は動き出す。
「授業を勝手に聞いてしまっていて…授業料いくらでしたか?」
さっと財布を出す手際の良さに違和感を覚える。慌てて起き上がり彼女を止めた。
「い、いや!!授業料なんて、僕は何も教えていませんし…それより!そ、その翼!!エルジェン族…!!」
僕は彼女の後ろに隠された翼を横から見て、何度も彼女の背中から生えていることを確認した。
「…翼を今も持っている人は少ないですからね。そんなに珍しいですか?一人ぐらいは…」
「い、いませんよ!!ほ、本物初めて見ました…」
黒色と黄色に分かれたその大きな翼は、伸ばせば3メートルにもなるだろう。地面に引きずるほどのそれは、噂で聞くエルジェン族だけが持つ巨大な翼。ここ数十年、いや…もっと前か。エルジェン族では翼を切った後の何もない背中が美として扱われ始めた。今では翼を切る前の小さな子供しか生やしてはいない。
そんな翼が今、十八ぐらいだろうか。そんな女性の背に生えている。
「え、えーと!!ここの生徒さんなんですか…?」
「いえ…生徒じゃないんです。私はアサーって言います」
そう丁寧に答える彼女にほっとして、なるべくゆっくりと先生らしい振る舞いを心掛けようとした。
「アサーさんですか…。ど、どうしてここに…?」
「私はこの学校に入れず独学で勉強をしているんですが、実技があまり自信がないんです。教えていただきたくて…もちろん授業料は払います。」
「ちょ、ちょっと待ってください!!兵士試験を独学でですか!!?」
彼女が言っているこの学校というのは兵士学校のことだ。十八から入ることができ、ニ年間みっちり勉強したのち、厳しい試験を合格できれば晴れて兵士なれる。確かに筆記の過去問は一般用に書店にも置いてはある。しかし一人で全てをやろうというのは相当大変なことだ。だから僕に助けを求めて来たのだろう。
彼女はとても大人しい人だ。僕が動揺し慌てた様子を見せても眉すら動かさない。
「…僕の名前はエムリス・フォックです。見ての通りビミット族で…。その…エルジェン族で…しかも!翼が生えている方を指導するのは初めてなんですけど…僕で良ければ…」
その言葉を聞きパッと顔を上げ、無表情は変わらないが先ほどよりは確実に明るい顔でこちらを見てきた。
「ありがとうございます。良かった…早速ですが明日の夕方に来てもいいですか?」
「大丈夫ですよ。また明日、ここで会いましょう。タオルを持ってきてくださいね!」
彼女は嬉しそうに頷けば颯爽とフェンスを越えて帰っていった。飛ばずに、登ったようだ。その後ろ姿をみて僕の耳は自ずと立つ。
たった数秒前の出来事なのに僕はまた目を瞑り考えてしまう。彼女は髪が長く、金髪で毛先にかけて黒がグラデーションのようにかかっていた。彼女の目はとても悲しそうで…ここに来て一週間。何かが動き出したように感じた。
次の日の夕方。
たった一時間程度の授業を終える。週に3日。ビミット族の体術を教えれば僕は用済みだ。一日に同じような授業を三、四回するだけ。みんなに勧められてなんとなく来てしまったが、意外と充実している。
今日もまた生徒たちに手を振った。今回も振られ返してくれる手はない。
充実している…はず。ズレたメガネを直した。するとどこからともなく匂いがした。昨日と同じ、濡れたビミット族の毛の匂いーー
「エムリス先生」
「は、はいっ!!!」
突然のことで驚きのあまり声が上擦ってしまった。振り返れば昨日の彼女が立っていた。巨大な翼を背に彼女は時間通りにやってきた。
「アサーさん!では…始めましょうか」
そう言ってアサーはすぐに上着を脱ぎ授業に備える。ビミット族は筋肉質な人が多いが、それに負けないほどの筋肉が彼女にはついていた。翼はどれほど重いのだろう。彼女の背筋は皮膚からくっきりわかるように線を描いている。
「…き、鍛えてるんですね」
いつものように腕まくりをしようとするが、今日は自ずと控えめになってしまう。
「…はい、趣味なんです」
「いい趣味ですね。僕も鍛えてるんですよ!」
できるだけフレンドリーに接しようとするが、やはり無表情の彼女。もう嫌われてしまっているのかと焦ってしまう。
「え!えーと!!まずは予習をしましょう!!」
その様子に僕は慌てて教科書を見せ授業内容の予習を早口でいう。彼女は耳に髪をかけ熱心に聞いていた。こうやって生徒と二人だけで授業するのは初めてのことで、心臓の音がバクバクと耳に伝わる。やっとの思いで終えた予習のあとは実践だ。大勢の生徒に教えるつもりで、出来るだけ自分で実践し目で覚えさせた。彼女は軽く頷きながら僕の動きを真似する。
しかし、相手の脇腹を狙う蹴りのような動作に差し掛かると彼女は大きく円を描きながら制御を失ったように後ろ向きに倒れた。
「っ…」
「あ!アサーさん!!」
思わず駆け寄り手を差し伸べれば、警戒心の高い鳥のように翼をはためかせ立ち上がった。
「すみません…」
そう言いながら後ろについた汚れを叩く。
「大丈夫です!この蹴りは体幹が必要ですし、僕が支えるのでもう一度してみましょう!」
意気揚々と彼女にうまく教えられていると思って僕は彼女に手を伸ばした。
パシッ
手に痛みが走ったと思えば、僕の手は彼女に払われて空虚を仰いでいた。
「ぁ…す、すみません…触られるのが苦手なんです…。大丈夫ですか…?」
彼女は慌てた様子で僕の手を見てきた。痛みは一瞬で治っていたのに僕は大袈裟に手を擦りながらも彼女に微笑みかける。
「大丈夫です!アサーさんの方こそ大丈夫でしたか?」
彼女は頷き申し訳なさそうに翼を縮めた。その翼を見ていると、彼女が飛ばずにフェンスを越えてきたことを思い出す。こんなに大きな翼を持っていれば空を飛ぶことなんて容易だろう。何か抱えているのかもしれない。彼女の悲しそうな目が僕の何かを掻き立てる。
「…あの、良ければ僕が話聞きますよ!」
「いえ、大丈夫です」
一瞬で断られた。僕の何かがしょぼくれる。大きな耳が下がり、いつにも増して静寂が痛かった。
それからというもの、淡々と授業をして気づけば一時間経っていた。授業を終えた彼女から授業料を受け取ると、彼女は満足気に帰っていく。その背に手を振った。
返ってくるはずがない。虚しさを噛み締めようとした時、常に自分が背中に対して手を振っていたことに気づく。
僕は何をしているんだと、肩を落としながら職員室へと向かった。
湿気の多い職員室。皆が淡々と紙に何か書いている。長い授業を終え疲れているエルジェン族の先生達は颯爽と帰っていた。僕はというと今日した授業内容や報告書、明日の授業に向けての予習をのんびりとしていた。
すると何処からともなく同じビミット族の同僚が近づいてきた。彼は座学担当だ。こちらに来たことが珍しくすぐに顔を上げてみる。
「おっと、さすがビミット族。気配には敏感ですね。」
「あ、それ僕の…」
同僚は馴れ馴れしく隣に座ってきて僕が入れたコーヒーを迷わず飲んだ。満足げに空になったコップを置いて口を開く。
「それで、あなたのところにもあの子来てます?」
「…あの子?」
「あの子ですよ。え〜と…エルジェン族で翼のある」
「あ、アサーさんのことですか?」
そうそうと言っては彼はシワを濃くする。
「授業料払うんで授業受けさせてくださいって言うんです。困りますよねぇ。みなさんきちんと試験を受けて来てるって言うのに。エムリスも断りましたよね?」
「ぁ…」
ビクッと耳が震えわかりやすく動揺してしまった。そんな僕の反応に彼はより一層皺を寄せ、持っていたペンを僕の方に指す。
「断ってないんですか。駄目ですよ。そもそも、エルジェン族なのに翼を切っていないあの子が悪いんですから。僕達教師は正しい道に戻してあげるのも一つの使命ですよ。」
その言葉にハッとした。
僕はエルジェン族の教師になって一週間だ。彼はビミット族で僕と同じ外部指導の先生だが、二年の勤務をしていて、僕より遥かに慕われている。よく卒業した生徒と飲みに行っているらしい。そんな彼から出る言葉が僕にとっては妙に説得力があるような気がして、彼にお礼を言えばすぐに仕事を終わらせ職員室を出た。




