人影
芝生のような雑草が生い茂る訓練所の端で、フェンス越しに人影をみた。視線が合った瞬間、古びたフェンスが突然鳥籠のように見えたのは彼女の背にある巨大な翼のせいか。
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四限の終わりの鐘が鳴った。カランカランという乾いた音。木で建てられた古い校舎の廊下を歩く。柱や窓枠にまで掘り込まれた装飾が、光に照らされくっきりと模様が浮かび上がらせる。生徒たちのいない廊下は、木の匂い、汗の匂い、埃の匂い、様々な匂いが漂っていた。そんな中、サッ、サッと箒の音が聞こえる。
「あら、確か…もぉ、私ったらごめんなさいね!新しい先生の方よね?もうこっちには慣れたの?」
「は、はい!だいぶ慣れてきました!」
咄嗟に出た言葉だが、まだここにきて1週間。見るもの全てが新しくまだ慣れると言う言葉には程遠い感覚だった。
優しそうな清掃のおばあちゃんは、シワをくしゃっとした微笑みを浮かべる。僕も緊張が和らぎ、張っていた耳の力がふっと抜けた。
そして、塵取りに溜まったあるものに目が流れた。
「それは…羽、ですか…?」
おばあちゃんは嗚呼と言いながらも困ったように眉を下げた。
「まだ切りたての子もいてねぇ…結構落ちてるのよ」
産毛のような小さな羽が、灰のように塵取りに溜まっている。その時、ふわふわした羽の中に黒色が見えた気がして、思わず手を伸ばして拾い上げた。
黒い、巨大な羽。顔ほどある。
「これは…エルジェン族の…?」
「やぁねぇ!エルジェン族はそんなになるまで翼を残さないわ。汚いわよ!ほら、早く戻して。五限目始まる時間でしょ?」
そうだったと、急いでその羽を塵取りに戻した。廊下を走りながら、僕の姿が窓に映るのが見えた。
丸メガネ、くるくるした髪、茶色の体毛、大きな耳…。
「皆さん!今日はビミット族の防衛術に関しての授業をします!」
声を張り上げた。目の前には黄緑色の芝生が広がる訓練所と、気だるげに手足をぶらつかせる生徒たち。訓練所を囲うようにフェンスがあり、さらにその向こうに、巨大な橋が見えた。空と同化しそうなほど高く建てられたその橋に、まだ一度も登ったことはない。その先には、天を突くほど巨大な城が建っている。
あの巨大な橋が必ず目の端に映るほど、この国ではお決まりの景色だった。
授業のための準備運動は、数字を数えなければならない。その声に紛れて、生徒たちの雑談が聞こえてきた。
「ね、この後十字橋でご飯食べに行こ」
「いいね。ついでに背中のケアもしていかない?」
ヒソヒソ話が僕にはとても大きく聞こえた。注意しなければならないのだろうが、僕にはそんな勇気もなく、ただ聞こえないフリをして授業を進めるのが精一杯だった。
「あのさ、ずっと思ってたんだけど…」
「なに?」
「今回のビミット族の先生、体毛、毛深すぎない?」
「え!?待って!私も同じこと思ってた!」
「えっ、だよね!?」
笑い声と共に聞こえてくる。どんな音でも拾おうとしてしまう自分の耳を呪った。襟元を少し上げながら、首に広がる体毛を隠す。
「名前なんだったっけ」
「んー覚えてないっ」
「だよね〜。ま、ビミット族ってだけ覚えてたらいいでしょ」
耳をピタッと頭部の側面につけ、音を遮断した。
長い授業が終わる。生徒たちは手を振る僕に見向きもせず去っていった。日の落ちる訓練所の芝生を見ながら、呆然と立ちつくす。短い溜息を吐いた。
ガシャン
金属音。風に乗せられ漂ってきたのは、ビミット族の匂い。…いや、濡れたビミット族の匂い。体毛にブワッと風が打ち付けられ、背後に何かいると知らせてくれる。恐る恐る振り返った。
…何もいない。
そこには古びたフェンスと…フェンスに引っかかった黒い羽…?
「エムリス先生…でしたよね」
フェンスを越えてきたのか、それとも飛んできたのか。
昨日のフェンス越しに見えた人影は彼女だ。
目の前の彼女には、巨大な翼が、生えている。それに…僕の名前を呼んでいる。
鳥籠の向こうにいたのは、翼を背負った一人の少女だった。




