夢と現実
ベイモに知らせなければ。
翌日の夜。私はいつもより早く、ベイモよりも早くその場所に到着した。いつもはベイモが私を待っているのに。
やがてベイモがやってきた。ペンと、一束の紙を抱えている。
ピエール:「ベイモ、奴らが来るんだ……!」
ピエールの瞳は恐慌に揺れていた。
ベイモ:「知っていますよ。」
ピエール:「なら、どうしてここに来たんだ! 早く逃げろ!」
ベイモ:「……なぜだと思います?」
ベイモはペンと紙を置き、袋から別の紙の束を取り出した。そこには数式や図解がびっしりと書かれていた。
ピエール:「……何をするつもりだ?」
ベイモ:「現在、私の考えを認めてくれるのはあなただけです。私がいつ捕まるか分からない。だから……。」
ピエール:「……これを、俺に写せというのか?」
ベイモ:「ええ。これをあなたに託します。後でじっくり研究してください。言葉で分からなくなったら、図を見てください。」
ピエール:「……どういうことだ?」
ベイモ:「私は明日、別の村へ逃げます。そして、あなたのような志を持つ人にこの考えを伝えて回るつもりです。……もっとも、あなたのような人には滅多に出会えないでしょうが。」
ピエール:「……分かった。捕まらないように気をつけてくれよ。」
ベイモ:「ええ、行きます。……あ、そうだ。その紙は絶対に見つからないように隠してください。それと、もし誰かに私のことを聞かれたら、『仕事で村を離れた』と言ってください。」
ピエール:「……分かった! バイバイ!」
その後、ベイモの姿を見ることは二度となかった。ロアたちによる異端者狩りの計画も、結局うやむやのまま終わった。
数週間後。
ピエール:「捕まったのか?」
コーン:「いいや、手がかり一つ見つからん。もう諦めるしかなさそうだ。」
ピエール:「……残念ですね。」
コーン:「そういえば、一緒に観測していた友人はどうした? 最近、話を聞かないが。」
ピエール:「ベイモのことですか? 彼は……仕事の都合で村を離れました。」
(ベイモに言われた通りに答えた。)
コーン:「ベイモ、という名前だったのか。」
ピエール:「……言っていませんでしたっけ?」
コーン:「ああ、初めて聞いたよ。……彼は、もう戻ってこないのか?」
ピエール:「……おそらく、もう。」
コーン:「そうか。……逃げおおせたようだな。」
ピエール:「逃げた? ……どういう意味ですか?」
(なぜコーンが知っているんだ?)
コーン:「最近、捕らえた異端者の口から、逃げた男の容姿を聞き出した。奴らの言う特徴が、そのベイモという男にそっくりなのだよ。」
ピエール:「まさか! 彼は『地動説』なんて大嫌いだと言っていましたよ!」
(本当は、心から信じていたけれど。)
コーン:「お前を騙していたのかもしれんな。まあ、逃げたなら追いようがない。」
ピエール:「……残念です。」
(諦めてくれ……。もう探さないでくれ……!)
それ以来、異端者狩りの話は立ち消えになり、ロアも帰っていった。コーンもまた、俺とプリシュールの観測に付き合ってくれるようになった。
……それから三年後。
コーンは高齢のため観測ができなくなり、体は日に日に衰えていった。
私たちは、彼の時間が残り少ないことを悟っていた。俺とプリシュールは観測を控え、コーンのそばで過ごす時間を増やした。
だが、その日は突然やってきた。
ある日、彼はいつになく早起きし、一人で村を散歩しに出かけた。ここ数年で初めてのことだった。あまりに痩せ細り、風が吹けば飛んでしまいそうな後ろ姿だった。俺は深く考えず、プリシュールと仕事へ向かった。
夕方、家に戻ると、コーンは椅子に座って眠っていた。その口元には慈愛に満ちた微笑みが浮かんでいた。机の上には日記らしきノートがあった。プリシュールが夕食の準備をし、俺はコーンを揺り動かして起こそうとした。だが、いくら揺らしても彼は目覚めない。揺らす手は次第に強くなり、俺の心は激しく動揺した。
(嘘だろ……嘘だろ、コーンさん! こんな風に死ぬなんて……!)
プリシュール:「……来るべき時が来たんだ。」
プリシュールが静かに俺の肩を叩いた。
ピエール:「寝てるだけだよ! すぐに起きるさ!」
プリシュール:「手を離すんだ。現実に向き合わなきゃいけない。逃げちゃダメだ。」
俺の瞳に涙が溜まり、今にも溢れそうになった。
プリシュール:「泣きたい時は泣けばいい。泣いても解決はしないけれど、少しは楽になれるから。」
その言葉で、俺はもう堪えられなくなった。プリシュールの隣で大声を上げて泣き、彼は何も言わず、優しく俺の背中を叩き続けてくれた。
コーンは、亡くなった。
数日後、葬儀を終えた俺とプリシュールは遺品を整理した。天文学の資料に混じって一冊の日記があった。気になってページをめくると、そこには彼の人生が刻まれていた。
「2月1日、学校でロアという友人ができた。緑の髪をした高貴な身分の男だ。彼も天文が好きらしい。今度観測に誘われた。楽しみだ。」
「2月6日、ロアは本当にすごい。何を聞いても答えてくれる。だが彼は来月、出張に出るらしい。」
「3月28日、ロアが戻った。先月は異端者狩りをしていたそうだ。その時初めて彼が教主だと知った。異端者は『地球が太陽の周りを回っている』と言っているらしい。神は我らを愛している。だから我らが世界の中心なのだ。神の愛を否定するなんて。」
ページをめくり、最近の記述に辿り着いた。
「5月20日、ロアから二人の若者の面倒を見てくれと頼まれた。あいつも人使いが荒いな。」
「5月21日、あのピエールという少年は驚くほど聡明だ。ロア、お前を疑って悪かったよ。」
「5月30日、ピエール、あまり無理はするなよ。勉強と仕事の両立は大変だろうに。」
「12月5日、プリシュールも随分と天文に詳しくなった。短期間でここまで学ぶとは、彼もまた非凡だ。」
「2月18日、ピエールに友達ができたようだ。星を愛する者が増えるのは嬉しいことだ。」
「5月20日、ロアが異端者を追ってこの村に来る。久しぶりにあいつに会える、楽しみだ。」
「8月5日、異端者は逃げたようだ。忌々しい異端者め! 神の罰が下るだろう。」
さらに二年後の記述。
「12月29日、体が弱ってきた。長くはもたないだろう。ピエール、しっかり休め。無理をするなよ。」
「6月9日、ペンを握るのも一苦労だ。あと何回書けるだろうか。」
そして、最後の日付——4月16日。
「4月16日、なぜか今朝は早く目が覚めた。村を少し歩き、今は休んでいる。これが最後の散歩になる気がする。全身の力を振り絞ってペンを執った。このペンは、なんて重いんだろう。」
「この人生、とても幸せだった。」
……それが、コーンの日記の結びだった。
その後、俺とプリシュールは故郷へ戻った。母も父も亡くなり、四人家族だった家には、もう二人しかいない。俺は天文の資料を部屋にしまい、畑仕事に戻った。金がなければ生きていけないし、少し疲れてしまったのだ。以前のような情熱はもう沸かなかった。
今、私が見つめるのは夜空の星ではなく、地上の農作物だ。握りしめるのは研究資料ではなく、鍬だ。
回り回って、結局は最初の仕事に戻ってきた。だが、少なくとも俺は挑戦したんだ。
そうして五年が経った。俺の体もかつてのようには動かない。死が近いことを悟った。一ヶ月後か、一週間後か、それとも今日か。
ピエール:「プリシュール……!」
俺は全身の力を振り絞って彼を呼んだ。自分の部屋を指差すと、彼はすべてを理解したように部屋へ走った。
プリシュール:「これですか?」
彼が持ってきたのは、かつてベイモから託されたあの数式の束だった。
ピエール:「……そうだ。俺のような志を持つ者に、伝えてくれ……。」
プリシュール:「……ええ。必ず、やり遂げます。」
その言葉を聞いて、俺は安心した。意識が遠のき、静かに瞼が閉じていく……。
この人生、とても幸せだった。
ピエール(完)
つづく。




