ツタンカーメンの本当の王墓はどこにある? ⑳
ツタンカーメン王墓で発見された見栄えのしない品「1k」。
この遺物に刻まれていた文字を思い出してもらいたい。
王アクエンアテン、王ネフェルネフェルウアテン、王妃メリトアテン。
そう。
再びここに戻ってきたわけである。
それほどこの遺物には見る価値があるわけなのだから、エジプトに行く機会があれば是非自身の目で確認してきてもらいたいものだ。
残念ながら、パッケージツアーのガイドは素通りしてしまうのだが。
さて、ここに記された名前であるが、当然ながらメリトアテンが誰の妃かといえばネフェルネフェルウアテンとなる。
では、やはりとなるわけなのだが、その男にふさわしいものは見つからない。
つまり、これはひとつひとつだけ取り上げると正しいのだが、すべてを並べると筋が通らなくなる。
本当に難解な推理小説そのものなのである。
だから、今後の発見によって新しい証拠が出ないかぎり確定と判を押せる真実はわからない。
ただし、ここは最初に妄想に近い推理する場と断っている。
ということで、ある条件を加えてもう一度その遺物を眺めてみよう。
まず、アクエンアテンの治世最晩年までネフェルティティが生存していた。
それから、娘を王妃とする王はいたが、形式的なものであり、必ずしも父娘が婚姻関係にあったとは限らない。
そうなったときに見えてくるもの。
それはこうなる。
生存しているはずのネフェルティティがアクエンアテンの妃として記されていない。
ネフェルネフェルウアテンに該当する男性の王族が見つからない。
多くの遺物にネフェルネフェルウアテンとネフェルティティが記されているが、ふたりの名前が同時に記されることはない。
そうなれば、ネフェルティティがネフェルネフェルウアテンと名乗った以外に考えられない。
実際にはそこまで断言はできないが、少なくてもそう主張することはできるだろう。
そして、その形式的な妃として長女メリトアテンを据え、アクエンアテンとまだ幼子であるツタンカーメンが成長するまでの橋渡し的役割を演じることにした。
では、アクエンアテンとの共同統治期間とされるネフェルネフェルウアテンの治世年数3年をどう考えるのか?
答え。
そもそもこの3年が本当に共同統治期間なのかは非常に怪しい。
3年はネフェルネフェルウアテンの単独統治期間と考え直すべきもの。
荒唐無稽に思えるだろうがこれについての根拠を示す。
第18王朝時代にハトシェプスト女王とトトメス3世の共同統治期間があった。
というより、即位したトトメス3世が幼かったため、彼の治世途中でハトシェプスト女王が即位し実権を握っていた。
だが、治世期間はあくまでトトメス3世のものを使用し、ハトシェプスト女王の治世〇年と記されることはなかった。
この例を考えれば、ネフェルネフェルウアテンの治世3年間がアクエンアテンとの共同統治としなければならない理由などない。




