ツタンカーメンの本当の王墓はどこにある? ㉑
ここでメリトアテンの夫候補に挙げねばならぬ人物がいたことを思い出した。
スメンクカラー。
ネフェルネフェルウアテンと同じ、アクエンアテンとツタンカーメンの間に王位に就いたとされる人物でエジプトマニアにとってはネフェルネフェルウアテンなどよりずっと有名である。
だが、この人物スメンクカラーはネフェルネフェルウアテン以上に謎があると言っていいだろう。
なにしろ痕跡が非常に少ない、
その活動痕跡が少ないとされるネフェルネフェルウアテンもアマルナだけではなくルクソールやシナイ半島でのその名を記したものが発見されているのだが、発見されたスメンクカラーの遺物はアマルナ限定でしかもその数は非常にすくない。
では、なぜそのスメンクカラーが王となり、メリトアテンを妃としていたとわかっているのかといえば、アマルナの貴族の墓に残されていたのである。
メリトアテンが妃である王として。
しかも、それはもともとアクエンアテンとネフェルティティを描いていたところに上書きするように。
自身の存在を後世に知らせるメッセージのようであるのだが、ここだけを聞けば、メリトアテンはネフェルネフェルウアテンとスメンクカラーというふたりの王の妃になったように思える。
だが、この話はそう簡単には終わらない。
スメンクカラーとはこの王の誕生名であり、即位名はどうなるかといえばアンクケペルウラー、つまりネフェルネフェルウアテンと同じなのである。
そこで多くの専門家はこう考えた。
このふたりは同一人物。
そして、ネフェルネフェルウアテンが改名してスメンクカラーとなった。
まあ、これについてはまずスメンクカラーと名乗り、短期間でネフェルネフェルウアテンに改名したとする者も多くいる。
これについてはどちらについても話は成り立つが進行上ここでは前者とする。
その理由を簡単に言えば、その改名はその王の最晩年とすれば遺物が発見されないうえ、ツタンカーメンの墓で見つかった遺物にネフェルネフェルウアテンの名が残っていた話とも整合性がとれるから。
つまり、スメンクカラーという名のあたらしい埋葬品をつくったのでネフェルネフェルウアテン名義の埋葬品は不要になった。
そこにツタンカーメンの死。
これ幸いとばかりにその余剰品の名を書き替え再利用したというストーリーが浮かぶ。
これであれば、ツタンカーメンがネフェルネフェルウアテン/スメンクカラーの埋葬品略奪の罪も免れる。
まあ、これはかなり突拍子もない推理ではあるのだが、これから先アイやホルエムヘブとともこの王のミイラが見つかればすべてがハッキリすることだろう。
いや。
もしかしたら、ネフェルネフェルウアテン/スメンクカラーの遺物が金製品だけではなく木製や石製の埋葬品すら見つかっていないところを見ると完全な形で発見されるかもしれない。
そうすれば、ネフェルネフェルウアテンとスメンクカラーが別人かどうかも、女性か男性かもハッキリする。
その前にルクソールに確実にあるとされるネフェルネフェルウアテンの葬祭神殿が見つかるかもしれないが。
スメンクカラーとメリトアテンの図像と名前があるのはアマルナ第2号墓。
被葬者はメリラーⅡ。
ほんの僅かしかないアマルナを訪れるパッケージツアーで見学する第4号墓の被葬者メリラーとは別人。
ついでに言っておけば、4号墓と2号墓はかなり離れているので、短時間で両方を見学するのは不可能である。
また、肝心のスメンクカラーとメリトアテンの名前はその大部分が剥ぎ取られているうえ、保存状態も非常に悪いため、それを確認することは困難になっている。
ただし、この墓にはアクエンアテンとネフェルティティの6人の娘全員が描かれている唯一のレリーフもあるので見る価値はある。




