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ロモンの前職を知り、未だに呆然とするリベリオに向かって、ルミオは笑顔のままサラリと言った。
「私もアンバルシアへ向かう事になりました。ですので、今後ともよろしくお願い致します。」
「…は?」
「新境地も楽しめそうですね!」
ウキウキしながら頬を緩ませて言う部下を見て、リベリオはポカンと口を開けた。次から次へと押し寄せる情報の量に、なかなか理解が追いかない。後ろで同じような顔をしているナリアとアンバルシア三人組に気が付き、ハッと我に返った。
「いや、お前何を言ってるんだ?」
今まで散々いろんな事を言われては驚いてきたが、今回ばかりはまともに受け止めるわけにはいかない。いや、これまでまともに受け止めた事など一度も無いのだが。
「ですから、副団長と共にアンバルシアへ赴きますと申し上げているのです。」
「あぁ。何だ、そういう事か。別にわざわざ見送らなくてもいいぞ。」
笑顔のまま心の中で舌打ちをする。昔のリベリオが自分寄りの人間だったとは思えない程の鈍感さに、ルミオは軽い苛立ちを感じた。
「おい、舌打ちするな。俺はまだお前の上司だぞ。」
「あ、実際に出てましたか。副団長がすっとぼけた事を仰るからですよ。」
「あのな…いずれ会わなくなるからって、悪口言っても良いってもんじゃ無いんだぞ。」
「ですから…」
「騎士団を辞めて、俺と一緒にアンバルシアに行くと言ってるんだろ?」
リベリオは表情を引き締めて核心を突いた。
「でも、お前はそれで良いのか。お前が大人しく侯爵様の手足になって働いていたのには、何か理由があったからじゃないのか?」
「…はい、そうです。」
ルミオはリベリオが時折自分に向けて見せる鋭い眼差しに弱かった。不覚にも高鳴る胸に、やはりミカロとは兄弟だな、と小さく息を吐いて頷いた。
「これまで伯父上の下で数々の任務をこなし、最後の任務として副団長とナリア嬢を結び付けた暁には私の望むものを受け取る事になっていました。」
「だったら、それを受け取ればお前はもう自由なんじゃないか。違うのか?」
「そうです。…ですが、それはもう必要無くなってしまいました。」
「なぜだ?俺が何かしてしまったのか?」
首を横に振る。ずっと監視されていた事を知ってなお自分を心配する上司のお人好し振りに、ルミオは苦笑交じりに口を開いた。
「違います。そうではなくて…任務を全て終えたら、伯父上からある領地を受け取る事になっていました。そこは決して広くは無いのですが、土地の大半が海に囲まれ、山々が連なり、小規模ではありますが交易の拠点として栄える素晴らしい領地なのです。」
リベリオはチラとルミゴンに視線を移した。この男がどれだけの領地を所有しているのか、もはや想像もつかない。ルミゴンにジロリと視線を返され、半目になってルミオに視線を戻した。
「私はその地を拠点に各地を飛び回り、自由に交易を交わし、私の理想とする地にしたいと常々考えておりました。そして美しい女性を妻に迎え、沢山子を成し、余生を謳歌する予定だったのです。そう、あの『ルミオ』という鳥のように!」
「なんだ、それなら約束通りそれを受け取れば良いじゃないか。今の言い方だと、元々そこに移り住むつもりだったんだろ?」
両腕を広げ高らかに声を上げるルミオに、リベリオは淡々とした声で返した。頼もしい部下が時折見せるおどけた態度は好ましくもあるが、今は正直面倒臭い。腕を組み、真顔で佇むリベリオを恨めしそうに横目で見ながら、ルミオは不貞腐れたように口を尖らせた。
「だって…そこに副団長はいらっしゃらないじゃないですか…。」
シンと静まり返る空気の中、リベリオは口を尖らせたまま頬を染めて俯く部下から一歩下がって眉をひそめた。
「何気持ち悪い事言ってんだ、お前。」
「失礼な。そういう意味じゃありませんよ。私はこの二年間、副団長のお側にいて本当に楽しかったのです。私がどんなに悪ふざけをしようと、上司を小馬鹿にするような事を言おうと、副団長はいつも『部下の愛嬌』として受け止めて下さった。」
「受け止めてない。俺いつも怒ってただろ。」
「私はいつの間にか、そうやって素直に甘えられる関係に居心地の良さを感じていました。彼の地でずっと追い求めてきた人生を謳歌するだったはずなのに、そこに貴方様がいないというだけで瞬く間に霞んでしまったのです。」
「上司と部下ではなくなっても…互いに別の道を歩む事になったとしても良き友人同士でいられるのでは、とも思ったのですよ。ですが偶然どこかでお会いした時、副団長の側に控えているのが私ではないと想像した途端、まだ見ぬ相手に猛烈に嫉妬してしまいました。今のこの立ち位置に他の者が立っているなんて考えられなかった。」
「それに気が付いた時に、もう観念しました。私は副団長から離れられないのだと。一生貴方様のお世話をしていきたいのだと。ですから私は、副団長をずっと小馬鹿にし続けながらお支えしていくことに決め、」
「おい。」
「彼の地を頂くのを辞退する代わりに、アンバルシアに行く許可を頂いたのです。」
リベリオがもう一度ルミゴンに視線を移す。先ほどとは違うリベリオの真剣な眼差しを見て取ると、ルミゴンはメントスに声をかけた。
「メントス、そういう事だ。ルミオには執事兼城内管理を任せようと思っている。城内管理に関してはナリアもいる事だから、ロモンと話し合って上手く分担できるようにしておけ。それからトゥルマ、お前の下にはアセロを置く。アイツは領内管理について大抵の事は分かっているだろうから、仕事を覚えるのにそれ程時間はかからぬはずだ。」
「アセロもついてくるのですか?」
リベリオはピクリと片眉を上げてルミゴンを見た。アセロの性癖を知り、ある程度は許せるようになったとは言え、やはりナリアの側には置きたくない。
ナリアは険しい顔をするリベリオの表情から何を気にしているのかを察し、横から小声で囁いた。
「リブ、大丈夫ですよ。その、アセロ様には…。」
「何だ?何かあったのか?」
「それが…リリーナがアセロ様に一目惚れしてしまって。それでその、アセロ様も…」
ナリアが頬を染めて目を伏せる。リベリオはあまりの衝撃に、目を見開いて固まった。昨年の九の月に、ルミオからアセロは26歳だと聞いている。生まれ月によっては27歳になっているかもしれない。リリーナの幼い顔立ちを思い浮かべ、リベリオは恐る恐るナリアに聞いてみた。
「…リリーナって、確かまだ子供だよな。…いくつだった?」
「15歳です…。」
「じゅ、11歳差…。いくら何でも…」
リベリオはハッとしてナリアを見た。ナリアも自分と同じようなバツの悪い顔をしている。アセロの好みのタイプを知っているだけに、『無い』とは判断できなかった。
----そうだ。確かアイツのタイプって、幸薄そうな妹系の女だった。童顔の娼婦に『○▽◆』とか『◇●□』とか呼ばせて散々甘やかしてから…
ブツブツと呟くリベリオに、ナリアが真っ赤な顔を向けていた。どうやら同じことを思い出してしまったらしい。リベリオはコホンと軽く咳払いをすると、ナリアに向き直った。
「で、二人は互いに惚れてしまったと。」
「はい。ですが流石にまだ子供ですので、リリーナが成人するまで待つと仰られているそうです。」
「ふーん。ま、でもアイツならちょうど良いんじゃないか?あのピラデル男爵を黙らせるには適役じゃないか。」
冷たい表情でピラデル男爵のこめかみに踵をねじ込むアセロの姿が思い浮かぶ。リベリオはフッ、と鼻で笑い、ルミゴンに満面の笑みを向けた。背後にキラキラと星を散りばめ、胸に手を当てて高らかに声を上げた。
「侯爵様、アセロが来てくれるなら安心です。ナリーにとっても領内管理について相談しやすいでしょうから!」
「副団長、真似しないで下さい。」
「む?うむ、そうか。後はレアン、お前の下にはリベリオとシオンを置く。一年後にリベリオを領主に置くから、それまでにコイツを使えるようにしておけ。それからシオンには護衛兵としての教育を徹底しろ。今回の事で傭兵生活の垢を落とさねばならん事がハッキリしたからな。お前の跡を継ぐ者は騎士団長であるお前の采配に任せる。」
三人組が揃って首を縦に振る。ルミゴンはニヤリと笑って大きく息を吸い、胸を張って声を上げた。
「いいか!さっさと引退して自由になりたければ、コイツ等を早く使えるようにするんだ!分かったな!!」
「「「よっしゃー!!」」」
アンバルシア三人組の歓喜の声がこだまする。互いに肩を叩き合い、早速誰が一番早く引退できるかを賭け始めていた。
ルミゴンはその様子を呆れた顔で眺めた後、「さて」とリベリオとナリアに向き直った。
「後はお前たちの婚姻についてだ。リベリオが領主に就くのは一年後だが、先に二人の婚姻を進めようと思っている。もう今更婚約の手続きなど必要無いからな。騎士団を退団する事やアンバルシアに移り住む事も考えて今年の十の月頃にでもと思っているのだが、どうだ?」
「その前に、侯爵様にお話があります。」
ナリアの見上げる視線を頬に受け、リベリオは静かに口を開いた。
「私を婿養子にするというお話ですが、考え直しては頂けないでしょうか。」
「ほぅ。とりあえず、座って話そうではないか。」
リベリオは頷き、一歩下がってルミゴンに道を開けた。ルミゴンがソファに座るのを見届けてから、ナリアと共に腰を下ろした。
「で、考え直してほしいというのは、お前が婿養子になる事についてだったな。私は何度もそうしなければナリアとの婚姻は認められないと言わなかったか?」
「はい、重々承知しております。それに私自身、グラナード家の名に変わる事に何の躊躇いもありませんでした。」
「今は躊躇うというのか?なるほど…父親と仲直りした途端デガートの名が捨てられなくなったか。しかしそれはまた随分勝手な言い分ではないか。グラナードの名を侮辱するつもりか?」
「そうではありません!」
ルミゴンの目が座り、声に怒気が帯び始める。咄嗟に声を荒げたリベリオに、ナリアの肩がピクッと震えた。
「侯爵様を侮辱する気など全くございません。確かに、そう受け取られても仕方が無いと承知の上で申し上げました。それでも、私はデガートの名を捨てる事はできないのです。」
「話にならんな。そもそもこの縁談はお前ではなくナリアの気持ちを優先させたものだ。お前がデガートの名を捨てられぬと言うのなら、それでも構わん。この話は無かった事にするだけだ。」
ナリアが咄嗟に顔を上げて口を開こうとしたところで、ハッとした。二人の背後に立つルミオがナリアの肩に手を乗せ、ニコリと笑って口に指を当てている。ナリアは小さく頷くと、背を伸ばして座り直した。
「申し訳ありません…それだけは受け入れるわけにはいきません。」
「お前の都合など知った事では無い。婿に来れぬと言うのなら、お前がここにいる意味はない。さっさと立ち去れ!」
「侯爵様!」
リベリオは立ち上がり、床に両膝をついて手を膝の上に乗せた。背を伸ばし、真っ直ぐにルミゴンを見上げてゆっくりと頭を下げた。
「ご無礼を申し上げました事、心からお詫びいたします。ですが、私の話を聞いて頂けないでしょうか。」
「…いいだろう。申してみよ。」
「私は幼き頃より、デガート家の落ちこぼれとして育って参りました。成長するにつれてデガートの名の重圧に耐えきれなくなり、終にはデガートを捨てて家を飛び出しました。」
「それで自由になれると思っていました。デガートの名に縛られず、一から身を立て、ナリア嬢を迎えに行こうと思っていました。その気持ちに嘘偽りはありません。ですが…」
「あの時…謁見の間で、国王陛下から『お前はデガート家の誇りだ』と言われた時、私は歓喜に打ち震えました。ずっとデガート家の恥さらしだと思っていた自分が初めてその名で栄誉を得た時、気が付いたのです。」
「私はデガートの名に縛られていたのではなく、その名に蓋をして逃げていたのだと。『デガート』から自由になりたかったのではなく、『デガート』を背負いたかったのだと。名の重圧に耐えられないのなら、耐えうる男になれば良いのだと。デガートの名を誇りに思いたかったのだ、と。」
リベリオは顔を上げ、拳をグッと握り締めて声を張り上げた。
「ですから私がデガートの名に恥じない男になるまで、ナリア嬢との婚姻を待って頂きたいのです!」
「な、何だと!?」
「ナリア嬢がアンバルシアにとってなくてはならない存在だと仰るのならば、彼の地で必ずデガートの名を皆に認めさせると誓います。そして、認められたその時に、改めてナリア嬢に求婚させて頂きたいと…」
「リベリオ、待て。いいからちょっと待て。」
「はい?」
唐突に言葉を遮られ、リベリオはポカンとした顔でルミゴンを見上げた。なぜか片手で顔を覆ってげんなりとしている。リベリオの後ろでは、ルミオが口を押さえて必死に笑いを堪えていた。
「デガート、デガートとうるさい…」
「侯爵様?一体どうされ…」
口を押さえる手の隙間から「ブフーッ」と盛大に音が漏れ、リベリオは反射的に振り向いた。額をペチペチと叩いて「ダハーッ!」と身を捩るルミオの姿が目に飛び込む。訳が分からないが、無性に腹が立った。
----コイツ…こんな時まで腹立つ笑い方しやがって!!
跪きながらギリギリとルミオを睨み上げていると、ルミゴンは心底面倒臭そうな顔で「ソファに戻れ」とリベリオに言った。リベリオが素直に従いナリアの隣に戻るのを見て、ルミゴンはとてつもなく長い溜息を吐いた。もう話すのも面倒臭い。
「お前の言いたい事はよく分かった。よく分かったが、これ以上ナリアを待たせるとはどういうつもりだ。ナリアがどれ程長い間、お前なんかに心を尽くしてきたか分かっているのか?」
『お前なんか』という言葉がグサリと胸に刺さる。己の過去を知る人物に言われただけに言葉は重く、ダメージも深くなる。よろけそうになるのをグッと堪えて頷いた。
「分かっております。ですが、ナリーと結婚する為にはグラナード家の名でなければならないのですよね。であれば、皆にデガートの名を認めてもらうしか…」
「それはもう良い。そんなものを待っていたら、最短でも五年はかかるぞ。お前はナリアをあと五年も放置するつもりか。」
リベリオは口を噤んでナリアを見下ろした。目を伏せ、俯くナリアの横顔に胸が痛む。リベリオがナリアの手を取り声をかけようとしたところで、横からルミゴンが口を挟んだ。これ以上余計な事を言われて話をややこしくされては、たまったものでは無い。
「リベリオ。結論を先に言うと、もうお前はグラナードの名でいる必要は無い。というよりは、ナリアさえいれば名など何でも良いのだ。グラナードでも、デガートでも、アマティスタでも、な。」
「それはどういう…。…まさか…そうか、そういう事ですか!」
リベリオはハッとして、目の前でキョトンとしているナリアの顔をまじまじと見た。ナリアにしてみれば、リベリオに手を握られて見つめられたは良いが、どう対応して良いのかわからない。
ナリアは視線だけをルミゴンに向け、おずおずと口を開いた。
「あ、あの、お義父様。なぜリブは婿養子にくる必要が無くなったのですか?確かアンバルシアは母の実家であるエスタリカ家とグラナード家が守ってきたものだと仰ってましたよね。」
「そうだ。確かにお前にその話をしたあの時点では、上に立つ者はグラナード家の者でなくてはならなかった。」
「では、どうして急に…。」
リベリオの手からスルリと抜け出し、ナリアはルミゴンに向き直った。アンバルシアから帰ってからまだ三月と経ってはいない。自分の元に来るアンバルシアからの報告書には、特に気になるような出来事は起こっていないはずだった。もし、ルミゴンが隠していなければの話だが。
「そもそも城内外全ての領民にとって、上に立つ者に求めるのは『家』だけではない。『誰が』統治するかなのだ。」
「誰が、ですか。」
「そうだ。彼らにとって最も重要な事は、自分たちの身の安全と生活の安定だ。極端な事を言えば、それさえ守ってくれる者であれば、誰でも良いのだ。」
「なるほど…。確かにそうですね。」
「しかし、それらを守るには当然それなりの力が必要になる。だから彼らは必然的に上に立つ者にはエスタリカやグラナードのような、力のある者を求めるんだ。後は、暗愚な者が立たないよう祈るのみ、といったところか。」
「では、なぜ今になってアマティスタでも良いなどと仰るのですか?」
ナリアはますます首を傾げた。ルミゴンはチラとリベリオを見て、続きを説明するよう視線を送った。リベリオは頷き、ナリアに身体を向けて肩に手を置いた。
「それはな、お前だ。」




