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さわさわと草花を撫でる風の音が聞こえてくる。それが、静まり返った中庭には寄り添う二人以外誰もいない事を告げていた。
リベリオはナリアが用意した一枚の毛布で二人の身体を包みこんだ。互いの体温が混ざり合い、心地良い温かさに身を委ね合う。ナリアの柔らかい重みを肩に感じながら、染みついた悪い癖でうっかり自分の腕にナリアの腕を絡めさせたことを猛烈に後悔していた。
----しまったぁぁ!ナリー、胸!胸が当たってる!!
胸を突き破りそうな程暴れ狂う心臓が、バクバクと大きな音を立てている。耳の奥を連打する音が焦りと後悔を助長し、毛布に包まれた身体はすでに汗だくになっていた。
「リブ?額の汗が凄いですよ、暑いのですか?」
ナリアがそっと額に触れる。リベリオは跳ねるように毛布から飛び出し、ナリアにグルグルと巻き付けた。
「そう!そうなんだ!俺はもう良いから、お前だけでも温かくしておけ!」
「え?あ、はい。分かりました。」
冷たい空気を胸いっぱいに吸い込み、急いで身体の熱を解き放った。少し理性が落ち着き始めると、もう少しあのままいても良かったのでは、と思ってしまう自分に苦笑した。
チラとナリアの横顔を見る。ベンチにもたれ、月を見上げるナリアの顔に目を細めた。
「ナリー、俺たちが初めて逢ったのもこんな月の夜だったな。あの夜は確か満月だった。今夜は違うが、澄んだ星空にクッキリと浮かんでいたのを覚えている。」
「そのような細かい所まで、よく覚えてらっしゃいますね!」
「言っただろう、お前との思い出は忘れないって。」
リベリオがフ、と微笑む。毛布ごとナリアの肩に腕を回し、ベンチにもたれて月を見上げた。
「今でも時々考えるんだ。あの時、もしあの木の影を覗かなかったら、俺はお前と逢う事はなかったんだなって。」
「そうですね。私もあれ以来夜会には参加しなかったでしょうし、お互い知らないままだったかもしれませんね。」
「そうだ。俺はそこに行き着くと、いつも恐ろしくなるんだ。お前に逢えないなんて…お前に逢ってなかったら、俺は今頃どうしていたんだろうって。そう思う度に、怖くて眠れなくなった。」
肩を掴むリベリオの手に力がこもる。毛布越しに伝わる手の震えに、ナリアは胸が熱くなった。
「さっき…執務室で思ったんだ。ここにいる人たちは皆、ナリーが連れてきてくれたんだ、って。ずっと一人だった俺には、自分を大切にしてくれる人に囲まれるなんて想像もつかない事だったんだ。」
「リブ…。」
「お前が俺を想い続けてくれたから…お前のその真っ直ぐな心が、俺を『一人』から救ってくれた。自分の家族とも、一生あのままだっただろう。あんなに俺の事を想ってくれている家族と溝ができたまま、彼らを恨んだまま…どこかで野垂れ死んでいたかもしれないんだ…。」
頭の上から鼻を啜る音が聞こえてくる。震える息を隠そうともせず、切ない声で囁いた。
「誰かを愛することも…誰かに愛される事も知らないまま、俺は一人死を待つように剣を振っていたかもしれない。そう考えた時…怖くて、恐ろしくて、寂しくて…同時に今こうしていられる事が何て幸せなんだと震えるんだ。」
「俺はずっと寂しかったんだ。俺の上っ面だけで寄ってくる奴等にすら、慰めを求めてしまうぐらいに。でも、お前だけは違った。お前、俺に言ったよな。『沢山の女性の中から私を選んでくれた』って。」
「はい、言いました。フフ、怒られましたけど。」
「当たり前だ。俺がお前に選んでもらったんだからな。お前みたいな超ド級の内気女に一度会っただけで選ばれるなんて、どんな幸運の持ち主だよって話だ。」
「あら?先ほどまでグズグズしてらしたのに…。」
濡れた顔をサッと袖で拭き、リベリオはナリアに向き直った。ナリアの手を取り、ナリアを見つめながら唇に押し当てる。瞳は潤み、涙で濡れた頬も唇も柔らかく湿っていた。
「ナリー、愛してる。言葉にしてもし足りない程、お前を愛してる。お前と出逢えた事が俺の人生で最も幸運な出来事だった。俺はお前無しじゃ生きていけない。絶対に離したくない。お前も俺を離さないでくれ。ずっと俺の傍にいてくれ…。」
「頼む…」と囁きながら目を閉じ、唇を離してナリアの手に額を寄せた。眉根を寄せ、手を握り締める。ナリアはそっと手を外し、リベリオの両頬を優しく包み込んだ。
「リブ、私も貴方を愛しています。私の心は、あの頃から私の人生が終わるまでずっと、貴方だけのものです。私も、貴方のいない人生なんて考えられません。離したくありません。離れたくありません。あのような想いは二度としたく…んっ…」
ナリアは言い終わらぬ声を吸い込まれ、柔らかい塊で蓋をされた。荒い息遣いが頬を撫で、固い腕に抱き寄せられる。身体に厚い胸板を感じながら、口の中では互いの熱と柔らかさを求める激しい口付けに、ナリアの頭の奥が痺れ始めた。
リベリオは唇を離し、ナリアを強く抱き締めた。
「ナリー、愛してる。早く結婚しよう。早くお前を俺だけのものにしたい。俺をお前のものにして欲しい。そうじゃないと安心できないんだ。こんなガキみたいな事言うなんて、って分かってる。でもダメなんだよ。お願いだから早く…」
「リブ、分かりました。分かりましたから…その…く、苦し…」
「わあぁ!大丈夫か!?」
リベリオが慌てて身体を離す。クラクラと揺れるナリアの頬を優しく擦り、背中をポンポンと叩いた。
「フ、フフフ…。もう、リブったら。私はどこにも行きません。ですから、早く私を妻にして下さい。」
「ナリー…。」
ナリアがニコリと微笑む。その屈託のない笑顔にかつての少女の面影を見て、リベリオは目を細めた。
*
翌日の朝、朝食を終えたナリアとリベリオはルミゴンの執務室へと向かった。部屋に入り、挨拶をする。昨夜の布は綺麗に片付けられ、全てが元に戻っていた。普段と違う事と言えば、ルミゴンが座るソファの後ろにレアンとトゥルマ、メントス、そしてルミオが控えている事だった。
「ルミオ、何でお前までここにいるんだ。仕事はどうした?」
「私は伯父上の命でここにいるのですよ。団長室は昼から開ける許可を頂いております。」
誰から、とはあえて言わないし、聞かない。その名が出れば、誰が後ろから指示を出したかが分かってしまう。ニッコリと笑顔を向ける部下にリベリオは小さく溜息を吐き、ルミゴンに視線を戻した。
「侯爵様、何かご用でしょうか。」
「うむ。とにかく二人ともそこに座りなさい。ナリア、お前に大事な話がある。」
「私にですか?何でしょうか。」
側に控えていたルミオに視線を送る。ルミオは小さく頷き、扉へと向かった。扉を開け、外で待機していた者を中へと通すと、入ってきた人物を見てナリアは思わず立ち上がった。
「シオンさん!」
「ナリアお嬢様!」
レアンの眉がピクリと動く。駆け寄るナリアに、シオンは片膝をついて頭を下げた。
「どうなさったのですか?それに、この怪我は…。」
「ナリア。そやつは、私がお前の護衛に付けていた者だ。そうだな?」
「はい、そうですが…」
ルミゴンの言葉にリベリオは途端に目を座らせ、ギロリとシオンを睨み据えた。ナリアはそれに気が付かないまま、ホッとした表情で続けた。
「シオンさんご無事だったのですね。良かっ…」
「ナリア。私はその者の処分をどうするか考えている。」
「処分!?どうしてそのような!彼が何をしたというのです!」
困惑するナリアを余所にリベリオは立ち上がり、ナリアの隣に立ってシオンを睨み下ろした。その冷酷な表情がピラデル男爵の時の比では無い事に、ナリアは思わず息を呑んだ。
「リブ、一体どうしたのですか?この方とお知り合いなのですか?」
「いいや、知らん。そうじゃない。この者は決して犯してはならない失態をしてしまったんだ。」
「失態?彼が何を…」
「ナリー。お前は公園に行った際、一人であの方について行ったな?まずはそれが一つ。そして、ニスカの手下の賊に連れ去られた。それで二つだ。ナリー、護衛兵の本分は何だ?」
リベリオがシオンを睨みつけたままナリアに問う。ナリアは俯いたまま動かないシオンをチラと見て、小さく呟いた。
「私を…守る事です…。」
「そうだ。それを、二度も危険な目に遭わせた。どちらも一歩間違えればお前の尊厳も命も失うところだったんだぞ!!分かっているのか貴様ぁ!!」
ナリアはビクリと肩を震わせ、リベリオを見上げた。歯を剥き、込み上げる怒りに顔を歪ませて憎悪の全てをぶつけている。初めて見るリベリオの本気の怒りに、ナリアは言葉を失った。
ルミゴンは立ち上がってナリアの元へ歩み寄り、リベリオの横に立った。
「ナリア、リベリオの言った通りだ。この者は護衛兵として取り返しのつかない罪を犯した。そこで、だ。こやつをどう処分するかはお前に任せようと思う。」
「処分なんてそんな…。あの時も、私が友人を助けるために勝手に馬車から飛び出したのです!彼は私を止めました!私が彼の言う事を聞かなかったのです!彼は何も悪くありません!」
「事情などどうでも良い。結果的にお前を守れなかったのなら同じ事だ。今後もこのような事を繰り返さないために、不穏な根は切り落とさねばならん。」
皆の視線がナリアに向けられる。長い沈黙の間ナリアはずっとシオンを見下ろし、深呼吸をして口を開いた。
「分かりました。では、私はこの者を直属の護衛として側に置くことを望みます。」
シオンが咄嗟に顔を上げる。顔中に殴打の跡が残っているのを認めた途端、ナリアの胸に痛みが走った。
「…ナリー、なぜそうする?」
チラとナリアを見るリベリオの瞳が不満に揺れている。ナリアはそれを真っ直ぐ見据え、静かに答えた。
「この者はお義父様の命で私の護衛をしておりました。であれば、本来私がこの者に罰を下すべきではありません。ですがお義父様は私を信じ、私にこの者への裁きを委ねると仰った…。もし、この者が私に忠誠を誓い、生涯その剣を私に捧げるというのであれば、私はこれまでの罪を不問とします。しかし、これより私を守るのは私からの命によるものとなります。次はありません。」
ナリアはシオンの前に立ち、再び深呼吸をして片手を出して見下ろした。
「シオン、貴方の答えを聞きましょう。私に忠誠を誓いますか?」
ナリアの透き通った声と哀しみを湛えた瞳に、シオンは声を詰まらせた。胸に手を当て、頭を下げる。歯を食いしばって声が震えるのを堪え、腹の底から声を振り絞った。
「今ここにある私の命は貴女様の慈悲のお心によって繋がれたもの。であれば、私はこの命を貴女様以外に捧げるつもりはございません。私シオン・ガタールは、我が剣と命を持って、生涯貴女様に忠誠を誓う事をここに宣言いたします。」
シオンはナリアの手を取り、誓いの口付けを落とした。
*
ナリアは側にいた侍女にシオンの手当てをするよう指示を出し、扉の前まで見送った。扉を閉め、リベリオの元へ戻ろうと足を踏み出したと同時に、レアンがニヤニヤしながら声を上げた。
「おい、ルミゴン。さっきのシオンって男、もしかしてあのガタール傭兵団の元団長じゃないのか?」
「ガタール傭兵団?」
レアンの言葉に、リベリオはすぐに食いついた。腕を組み、愉快だと言わんばかりにクツクツと笑っている。押し黙るルミゴンを横目に、リベリオは更に続けた。
「レアンさん、あの男をご存知なのですか?」
「あぁ、もちろん知ってるさ。ガタール傭兵団っていやあ、その世界じゃかなり有名な傭兵団でな。とにかく強いんだよ。武の腕はもちろん策にも優れていて、ガタール傭兵団を味方に付けりゃ戦に勝てるって言われたぐらいなんだ。」
レアンの口から出る意外な言葉に、リベリオだけでなくナリアも目を丸くした。ナリアにしてみれば短期間とはいえ行動を共にしていた相手なだけに、今一つピンとこない。それでも馬車の周りで待機していた時の威圧感を考えれば納得できる、と目を泳がせた。
「だが、奴等は滅多な事では依頼を受けたりしないんだ。特にあのシオンって男が団長に就いてからは更に孤高を貫いていたんだが…ある時、忽然とその姿を消したんだよ。傭兵団丸ごとな。」
レアンが肩を竦めて両手を上げた。そしてルミゴンに視線を向けてニヤリと笑う。隣にいる他の二人はすでに吹き出す寸前だが、何とか顔を背けて堪えていた。
「なぜ、そんな男が侯爵様の元にいるのですか?」
「なぜも何も、そのガタール傭兵団を最初に作ったのが私だからだ。」
「はい!?」
リベリオの目が丸から点になる。一体どこまで触手を伸ばしているのかと、恐ろしいを通り越してすでに好奇心の域に達していた。
「…私がまだ10歳かそこらだった頃、悪ガキたちを集めて小さな傭兵団の真似事をし始めた時期があってな。剣の代わりに棒を振り回したり、二組に分かれて作戦を立てたりして、戦の真似事をしていた。成長し、私は家業の方へ進んだのだが、一部の者たちはそのままその傭兵団を残した。それが、後のガタール傭兵団なんだ。」
「えぇー…?」
「私もたまにその傭兵団に顔を出してはその者たちと交流を続け、情報交換をしていた。そしてその情報を駆使して実戦に赴くようになったのだ。そんな事を繰り返しているうちに、いつの間にかその傭兵団は有名になってしまってな。さっきのシオンという男はガタール傭兵団の初代団長の下の息子なんだ。シオンの前は奴の兄が団長を継いだのだが、病に倒れてな。」
「では、その初代団長はもう…?」
「いや、生きている。随分前に団長の座を息子に渡してからは、別の仕事をしているんだ。…アンバルシアで。」
ナリアは真剣な顔でルミゴンを見つめた。元団長であるシオンに忠誠を誓わせた以上、父親が誰なのか当然気になってくる。アンバルシアにいるというのなら、尚更聞いておかなければならない事だった。
「アンバルシアにいらっしゃるのですか?何のお仕事をされているのです?」
「…執事だ。」
「はい?」
「執事のロモンが、ガタール傭兵団の初代団長なのだ。ロモン・ガタール。それが奴の名だ。」
リベリオとナリアが驚愕に目を見開いたと同時に、アンバルシア三人組が盛大に吹き出した。リベリオから見ても、ナリアから見ても、ロモンは『穏やかな表情と物腰をした紳士』という印象しかなかった。言い方を変えれば、それしか記憶に無い。
----そうか…この面子の中で、それしか印象にないって事の方が不自然なんだよ。全然分からなかった!!
----そうだったのね…。そんな過去があったなんて全然分からなかったわ。人って見た目でいろんなものが隠せるのね…。
呆然とする二人に向かって、レアンが腹を抱えながら声をかけた。横にいる二人もようやく呼吸を整え始めていた。
「ルミゴンは昔、領地を視察する時の護衛に大きくなったガタール傭兵団を連れて回ってたんだ。そうじゃなきゃ各地を回るなんて事、危なくてできないからな。奴等のお陰もあって俺たちは安心して回れたんだよ。」
「あの時のロモンは輝いておったなぁ。初めて同行した時なんか『やっとルミゴンに認めてもらえた!』って泣いて喜んどったのを覚えとる。」
「そうそう、そうだった。10年かけて傭兵団をあそこまで大きくしたのだから、感慨深いものもあったのだろうね。本当に、大したもんだよ。」
「つーか、そんなシオンに忠誠を誓わせたんだから、やっぱ嬢ちゃんは只者じゃないよな。ルミゴンが娘にと望んだのも分かるぜ。」
「本当だよね。つまりはガタール傭兵団が丸ごとナリア嬢の下に付くって事だから、それが一番驚いたよ。」
うんうんと頷く三人組を横目にルミオはリベリオの元へ歩み寄り、「副団長」と声をかけた。折角この面子が揃っているのなら、今のうちに言っておきたい事がある。
ルミゴンの前を通り過ぎ様にチラと視線を向けると、ルミゴンは小さく頷いた。
「言うのを忘れておりました。」
「うん?何だ?」
ルミオは胸に手を当ててニコリと微笑んだ。




