80
ルミゴンの声に合わせて、執務室に張られた大きな布がバサリと落ちた。布の向こう側が透けて見えないよう厚めの生地が張られていたせいか、布が落ちる音にしてはなかなかに大きい。その布で隠されていた光景に、リベリオは口をパクパクさせて目を見開いた。
「え…、えぇ?ナリー?父上、母上に兄上…。グラナード家…アマティスタ家に…ラントン家…レアンさん、トゥルマさん…メントスさんまで…え?皆、ここで何して…。」
ハッとして、ルミゴンに振り返る。腕を組んで「間に合った…」とボソリと呟く男に、リベリオはみるみる顔を真っ赤にして詰め寄った。衝撃のあまり、口調を直す余裕など無い。
「ちょっ、どういう事だ!何だあれは!?何で皆がここにいるんだよ!」
「やかましい。誰のせいでこんな馬鹿馬鹿しい真似をする事になったと思っているんだ。おい、お前たち、さっきのリベリオの言葉をちゃんと聞いていたな?リベリオはアンバルシアの領主になると明言した。お前たち全員が証人だ。異論は無いな。」
全員が首を縦に振る中、ナリアだけがバツの悪い表情で俯いていた。自分は領主になるつもりは無いと言った時点でこうなる事も視野には入っていた上に、周りから「何も言うな」と先に釘を刺されていた。
「待て待て待て!これじゃあ騙し討ちじゃないか!いいのか、こんな事で決めて!」
「往生際が悪いぞ。いかなる場合においても己で決めた事が僅かでもあるのなら、そこに責任が生じるものだと話したばかりだろうが。忘れたとは言わせんぞ。」
リベリオはグッと言葉を詰まらせた。ほぼ言わされたようなものだと主張したところで、通じる相手ではない。何よりもナリアの前で悪あがきのような醜態を曝すわけにはいかなかった。
ガックリと肩を落とし、リベリオは項垂れた。またしても完敗である。
「リブ、大丈夫ですか?」
「ナリー、何か…大変な事になってしまった。」
ナリアがリベリオの元に歩み寄り、その後ろからレアンとトゥルマ、メントスが続いた。トゥルマは呆れた顔で落ちた布を見ながらルミゴンに声をかけた。
「いやぁ、お前さんは本当に無茶苦茶だな。急にわしらを呼び付けるから何かと思えばこんな事を考えておったとはな。」
「全くだ。おいルミゴン、長いんだよ!どんだけ待たされたと思ってんだ。俺が『上』って教えてやらなかったら危なかったんだぞ!?」
「本当に。リベリオの返事がもう少し遅かったら布が先に落ちて全員間抜けになってたところだよ。」
布が先に落ちたところを想像する。それでも鉄壁の表情で我を通しそうだな、と考えていると、横からルミオとミカロが割り込んできた。
「副団長!おめでと…ブフゥッ!お、おめでとうございま…アハハハハ!!」
「ルミオォォ!!お前って奴は毎度毎度!!」
「だって、まさか副団長が領主様だなんて。こんな面白…嬉しい事はありませんよ!」
「お前今面白いって言いかけただろ!ふざけんなこの野郎!」
「兄上、からかったりしてはいけませんよ。リベリオさん、こんばんは。」
「お、ミカロ。あれ以来だな。あの時は世話になったよ。ありがとうな。」
「いえ…そんな…。」
ミカロが顔を真っ赤にして俯くのを、ルミオは半目で見下ろした。並んで見れば、やはりよく似ている。ルミオの方がやや整った顔立ちをしていた。
「ミカロは美しいものが大好きですからね。それを求めて各国を旅するぐらいですから。副団長のだだ漏れる色気にやられたようですね。」
「えぇ。美しいものは正義です。リベリオさんが月光を浴びて馬に跨る姿は眼福でした…。」
「へぇ、ルミ坊が懐いてるっていうのは本当だったんだな。お前すごいな、リベリオ。」
「レアンさん、ルミ坊はやめて下さい。…副団長、またですか?」
「ククク…すまん。」
*
フゥ、と息を吐くルミゴンの元に、リスターとバロットが歩み寄った。ルミゴンは立ち上がり、二人に視線を送ってレアンたちから少し離れた場所へと移動した。
「義兄さん、お疲れ様でした。まさかこんな強行手段に出るとは思いも寄りませんでしたよ。」
「フン、こうでもしないと先に進まんからな。後にも先にもリベリオに考える時間など与えたら余計に動かなくなるだろう。本当はもう少しマシな方法を考えてはいたが、やめた。奴は渦中に放り込んだ方が手っ取り早い。」
クスクスと笑うバロットに、ルミゴンはうんざりしたような表情で応えた。リベリオを短時間で確実に堕とす為とはいえ、自分でも情けなく感じる程下らない仕掛けを作ってしまった事が心底悔やまれる。できる事ならば全員の記憶から消してしまいたいとすら思った。
眉間に皺を寄せて深い溜息を吐くルミゴンに、リスターの笑い声が追い打ちをかけた。
「ククク…お前、最後は相当焦っていただろう。慌てっぷりが声に出ていたぞ。布が落ちた時に心の底から安堵しているお前の顔を見た時は吹き出しそうになった。」
「やかましい。お前の息子がさっさと『うん』と言わないからだろうが。やるならやると、さっさと言えというんだ。」
「フン、何を言うか。リベリオは根が真面目なのだから、簡単に引き受けてはならんと思うのは当然だろう。あれぐらい慎重に物事を考えるのでちょうど良いんだ。」
「そういう所が過保護だというんだ。まぁいい。その辺りの事はこれから俺がみっちり鍛えておいてやる。」
「まぁまぁ、お二人とも。これからは親戚同士になるのですから、仲良くしていきましょうよ。リスター殿、あの事業の件、本格的に始めますからね。」
「む?おぉ、あれか。よろしくお願いします、バロット殿。」
*
リベリオはソファから立ち上がり、ナリアを連れてクレトンの元へと向かった。側に立つエドラに一礼してからクレトンに向き直り、頭を下げた。
「お父上様、お母上様、お久しぶりです。大切なお嬢様に辛い思いをさせてしまい、本当に申し訳ございませんでした。」
「リベリオ殿、頭を上げて下さい。全てナリアから聞きました。誰しも過去を抱えているものだ。それでも、貴殿が娘を心から愛してくれているのであれば、私たちにとってこれほど嬉しい事はないのです。なぁ、エドラ?」
「えぇ、そうですわ。私たちは娘の…ナリーの幸せを一番に願っているのです。ナリーが一途に愛し続けた殿方と結ばれるなんて、私たちにとっても幸せな事ですもの。レディー修業を施した甲斐があったというものですわ。」
「レディー修業?」
ウフフ、と笑うエドラを見て、リベリオは首を傾げてナリアに視線を移した。そして隣で顔を真っ赤にして震えるナリアに、リベリオは片眉を上げた。
「お、お母様ったら!その話はしなくて良いのです!!」
「ふーん…。ナリー、また詳しく教えてくれるよな?俺たちの間に秘密は無いもんな?」
「う…あ!そうでした!兄と妹を紹介しますね。兄のロンドと妹のメラティスです。」
ナリアはリベリオの視界からスルリと抜け出し、ロンドとメラティスの後ろに身を隠した。クスクスと笑うリベリオに、ロンドが手を差し出し口を開いた。
「初めまして、ナリアの兄のロンドです。リベリオさんとお呼びしても?」
「リベリオ・デガートです。えぇ、構いませんよ。私もロンドさんとお呼びします。」
「初めまして、妹のメラティスと申します。」
「初めまして…フフ、君は初めましてな感じがしないな。君のお陰でいろいろと悩まされたからね。」
「あら、大切なお姉様の事ですもの。お相手が社交界の華であれば、尚更心配するのは当然ですわ。」
「確かにその通りだ。でもこれからはお手柔らかにお願いするよ、メラティス嬢。」
「おや、ラティはリベリオさんともう仲良くなったのか。いいなぁ…では、僕には敬語は使わないで下さい。呼ぶ時もロンドで結構です。僕の方が年下ですから。ラティも、愛称でいいよね?」
「グ…そこ、結構刺さるところなんだが…。分かった、ではそうさせてもらうよ。ロンド、ラティ。」
ナリアがロンドの後ろで真っ赤にした顔をパタパタと仰いでいると、後ろから声をかけられ振り向いた。
「やぁ、ナリア嬢。」
「兄上様。義姉上様も、本日はお忙しい中ありがとうございました。」
「ナリアさん、本当に…アレニスから二人が別れたって聞いた時はどうなる事かと思ったわ。二人がまた寄り添うようになって、本当に嬉しく思っているのよ。」
「ナリア嬢、リベリオが随分迷惑をかけたみたいで本当に申し訳なかった。君には感謝しかない。」
「そんな、迷惑だなんて。それに私は感謝して頂くような事など何も…。」
微笑みながら俯くナリアに目を細め、アレニスはアマティスタ家の輪の中にいるリベリオに視線を向けた。時折エドラやメラティスから耳打ちをされ、笑い声を上げている。
「君がずっと弟を想い続けてくれたから、アイツは今とても幸せなんだ。アイツのあんな愛情に満ちた顔は見た事がないからね。」
「本当よね。貴方は長い間リベリオの事で随分と思い悩んでらしたものね。ナリアさん。アレニスったら、リベリオと二人で飲みに行くようになった事を泣いて喜んでいたのよ。それもこれも、全部貴女のお陰だって言ってね。貴女がリベリオの側にいてくれるから、リベリオが自分たちに目を向けてくれるようになったのだ、って。ね、アレニス?」
メラルダがニコリと微笑むと、アレニスも小さく頷き、微笑んだ。リベリオに似た優しい笑顔に、ナリアは思わず胸が高鳴った。
「あぁ、そうだ。全て君のお陰だ。ありがとう、ナリア嬢。」
「恥ずかしいですから、もうその辺でおやめ下さい、兄上。」
「リブったら、そんな風に仰らなくても…。」
「あのなぁ。この辺で止めないと、兄上は話し出したら止まらなくなるんだぞ。ずーっとお前に感謝の意を述べ続ける事になってもいいのか?」
「…。」
「ほらみろ、困るだろうが。」
「分かった分かった、これで最後にするよ。ナリア嬢、これからも弟の事をよろしく頼む。本当にありがとう。」
「はい。」
アレニスが手を差し出し、ナリアはその手を取った。アレニスはリベリオの肩を叩き、ナリアに一礼してメラルダと共にリスターの元へ向かった。
「兄上様は、本当にリブの事がお好きなのですね。」
「…みたいだな。それどころか、まさか全員が俺に対して過保護だったとは思わなかった。俺の28年間は何だったんだ。」
「フフ、そうですね。ですが、我が家でもラティの事はいつまで経っても子供のように扱ってしまいますから、皆様のお気持ちが分かるような気がします。」
「それは、俺はずっとこのままだという事か?」
「そうかもしれませんね。あ、ですが、お義父様はリブに対してそのような事はなさらないでしょうから、その点に関しては安心ですね!」
「…さっきのあれを聞いて安心だと言えるお前が凄いよ…。」
ニコニコと笑うナリアを半目で見下ろしていると、キュリオとリーシャが並んで声をかけてきた。見ればすぐに分かるぐらい、リーシャのお腹が膨らんでいる。挨拶を交わす前に、リベリオの目線がお腹に釘付けになっていた。
「やぁ、ナリア嬢。リベリオさん、お久しぶりです。」
「久しぶりだな、キュリオ。リーシャ嬢。子ができたんだな!おめでとう!」
「ありがとうございます。医師の話では産まれるのはまだ先だそうですが、順調に育っているようです。」
「私も最近キュリオ様から伺ったばかりなのです。おめでとうございます、リーシャさん。」
「フフ、ありがとうございます。」
「そうか!で、何人目なんだ?」
「実はまだ二人目なんです。あの事があって、息子が産まれて以来子ができなかったのですが、お二人の仲睦まじい姿を見て安心したのか、その後すぐに授かる事ができました。もしかしたら、私の心の問題もあったのかもしれません。」
「そうか…。でも、良かったじゃないか。こうして授かる事ができたんだ。後は、無事に産まれてきてくれる事を願うだけだな。」
「えぇ。そうだ、私にアルゾンという弟がいるのですが、今遠方に行っておりますのでまた次の機会に紹介しますね。」
「分かった。リーシャ嬢、身体を大事にな。元気な子が産まれますように。」
リベリオは手を差し出し、祝福の言葉と共に乗せられた手に軽くキスをした。ニコリと微笑むリベリオにリーシャが頬を染めていると、キュリオは「コホン」と軽く咳払いをしてナリアに向かって歩み寄る人物に三人の注意を向けた。
「ナリア、少しいいか。リベリオもこちらへ。」
ナリアとリベリオが顔を見合わせる。キュリオとリーシャに一礼してからルミゴンの後を追い、二人はソファに並んで座った。テーブルの上に一枚の紙が伏せて置かれている。ルミゴンは紙を手に取り、ナリアに手渡した。
「お義父様、これは?」
「目を通してみなさい。」
ナリアはリベリオにも見えるようにして紙に視線を落とす。最初の一文を見た瞬間、ナリアは目を見開いた。
「これは…!お義父様、これって!」
「ナリー、とにかく最後まで読んでみよう。」
リベリオがナリアの肩に手を回す。最後まで読み終え、ナリアの震える肩を優しく抱き寄せた。
「侯爵様、これは…。もしかして、私を領主に置いたのはこれも理由の一つなのですか?」
「いや、そうではない。アンバルシアをどうするかはその時の状況に応じて決めるつもりだった。つまりこれが、私が本来ナリアに渡そうと思っていたものなのだ。」
「お義父様これは…あの時の、ですか?確かあれは、お義父様がなさってらした事でしたよね?」
「そうだ。すでに着手しているが、実際に開くことになるまでには一年以上かかるだろう。それまでにお前たちはアンバルシアに移り住み、彼の地を拠点にしろ。アンバルシアは豊かな土地だ。これの運営資金を調達するぐらい、今のナリアならできるだろう?」
ルミゴンはナリアの顔を覗き込むように見つめた。自分に向けられた穏やかな表情にナリアは胸に熱いものが込み上げ、同時にようやく理解した。
なぜ、アンバルシアの領地運営に関わる仕事を学ばせたのか。
なぜ、アンバルシアを渡そうとしたのか。
なぜ、領主に置こうとしたのか。
なぜ、領主になりたくないという自分の想いをすんなりと受け入れてくれたのか。
すべては、これの為だった。
「お義父様…ありがとうございます…。でも、私にできるでしょうか…。」
「大丈夫だ。ナリアには支えてくれる人が沢山いるだろう?もちろんこれが軌道に乗るまでは私も助力する。最初は規模を小さくして、徐々に大きくしていけばいい。お前が一番輝ける場所だ。精一杯、頑張りなさい。」
「はい…!本当に、ありがとうございます…。」
ナリアは頬を伝う涙を手で押さえ、ニコリと微笑んだ。そしてもう一度手元の紙に視線を落とすと、記載されている場所を見てハッとした。
----これ…この場所って、あの時見かけた場所じゃないかしら。
「ナリー、どうした?何か気になる事でもあったのか?」
「えぇ、ここに記載されている場所なのですが、先日孤児院へ向かう途中にこの辺りを通ったのです。確かあの時…」
「ふむ。ナリアが見たものが大通りに面していたのなら、それだ。」
「やはりそうなのですね!まぁ…どうしましょう、急に緊張してきました…。」
ナリアの声が段々小さくなっていく。リベリオが声をかけようとした時、扉をノックする音が聞こえてきた。ルミオが職業病ともいえる条件反射で応対に出ると、執事が食事の用意が整ったことを伝えに来た。
「ふむ、では話はこれくらいにして食堂へ移るか。リベリオ、明日は午後からの勤務にしてあるから今夜はここに泊まれ。明日の朝、お前たち二人に話がある。分かったな。」
「いつの間に…。」
「まぁ!リブがお泊まりになられるのでしたら、今夜は私の部屋で少しお話しできそうですね。」
「は!?いや、それはちょっと…。せめて外のベンチにしておこう!うん、涼しい風が気持ちいいだろう…きっと。」
「そうですか?では、そうしましょうか。毛布をお持ちしますね。風邪をお召しになるといけませんので。」
「あ、ああ、分かった。…侯爵様、その様な目で見ないで下さい。少し話したらきちんと部屋まで送り届けますから。」
ルミゴンの鋭い視線に半目で応える。ルミゴンはフ、と笑って立ち上がり、執事を連れて食堂へと向かった。




