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フラフラとした足取りで団長室の扉を開け、リベリオはドサリとソファに倒れ込んだ。謁見の間からここまでどうやって戻ってきたのか記憶に無い。記憶にあるのは、王族が自分の婚姻の儀に参列するという想像を絶する話だけだった。
----どうしてこうなった…。
リベリオが倒れたと同時に、ルミオがシュンッと駆けつける。抜け殻になった上司の顔をしばらく眺めた後、ルミオはスッと立ち上がり、自分の机に戻った。
「おい、なぜ何も聞かない。」
「あ、起きましたか。しばらくそっとしておいた方が、たまには良いかと思いまして。」
ムクッと起き上がったリベリオに、ルミオはニコリと微笑んだ。ルミオが聞いてくるだろう、と謎の期待をしてしまった自分に心の中で舌打ちをし、ノロノロと机に向かう。椅子に手をかけ、座ろうと身体を返した瞬間、机の前で直立するルミオを見て仰け反った。
「うわぁっ!何なんだよお前は!!」
「お仕事をされる元気がおありでしたら、先にお話を伺いたいなと思いまして。」
「お前、言ってる事滅茶苦茶だぞ…。仕事が優先だろうが。」
「あっ!」と言って口元に手を当てる。いい加減見飽きた光景に、リベリオはいちいち相手をするのも面倒になっていた。
「それで、いかがでしたか?無事に終わりました?」
「まぁ、何とかな。お前はグラナード侯爵からすでに聞いているだろうから細かい事は言わないが…最後の最後で大変な事が起こった。」
「何です!?」
ルミオの瞳が一気に輝き出す。ニスカの一件が終わり、リベリオとナリアの仲が戻った今、ルミオの好奇心は次なる事件を求めて宙を彷徨っている状態だった。
リベリオは椅子に座り、溜息交じりに口を開いた。
「国王陛下が、俺とナリーの婚姻の儀に第三王子殿下を参列させると仰られたんだ…。」
二人の間に沈黙が落ちる。リベリオがチラと見上げると、口元に手を当てて笑いを堪える部下の姿が目に飛び込んだ。
「お前、何笑ってんだよ。」
「フ…フフ…。だって、自分の婚姻の儀に王族が参列するなんて…。そんな畏れ多い事、考えたくもありませんからね。それをまさか…副団長が…フハ!アハハハハ!流石は副団長です!」
「やかましい!それもこれも、全部お前らの…」
「まぁまぁ、良いじゃないですか。そんなことより…」
「そんなこととは何だ。」
リベリオの抗議を軽く受け流し、ルミオは話を進めた。
「先ほど伯父上から私宛に連絡を受け取ったのですが、副団長にお伝えしておく事がありまして。」
「俺に?何だ。」
「明日、定刻で仕事を終わらせたらグラナード邸に来るようにとの事です。副団長に話があるとの事でした。」
「…そうか。分かった。」
「では、確かにお伝えしましたので。」
----来たか。
一礼して自分の机へと向かう部下の背中から視線を外し、リベリオは小さく息を吐いた。
*
グラナード侯爵邸の玄関の前に一台の馬車が停まり、中から長身の美丈夫が降り立った。出迎えの侍女に連れられ、執務室へと向かう。部屋の中に足を踏み入れたと同時に、机に向かって座っているルミゴンと目が合った。この光景だけはなかなか慣れそうにない。
「来たか。」
「えぇ、来ましたよ。…ん?」
リベリオは部屋の一角に目を向けて首を傾げた。壁の端から端まで一面に布が張られ、立ち入り禁止の注意書きが貼られている。
「何ですか、あれは。」
「うん?あぁ、今壁を修理中なんだ。気にするな。さて…」
「その前に、一つよろしいでしょうか。」
「何だ。」
片眉を上げて返事をするルミゴンに向かって、リベリオは無遠慮に射抜くような視線を投げつけた。今更取り繕う必要も感じない程には、腹に据えかねている。
「今回の件で、私を担ぎ上げたのはなぜです。私はルミオから相談を受け、ルミオと侯爵様に協力したに過ぎないはずです。国王陛下と謁見までさせるなんて、どういうおつもりですか?」
「何だそんな事か。私が表に出なかったのは、軍事の事に口出ししたとあっては後々面倒だからだ。リスターから聞かなかったか?」
表情一つ変えずに言い放つルミゴンの態度に、疲れがドッと押し寄せる。多くの面倒事が一気に押し寄せた苛立ちと身体中の疼く痛みに、リベリオは少し声を荒げた。
「それは聞きましたよ!だからといって、なぜ私なのかと聞いているのです。奴隷売買に気が付いたのも、ニスカがマルフィーロ王国と繋がっている事を突き止めたのも、ルミオと侯爵様でしょう!侯爵様が表に出られないと仰るのであれば、ルミオを出せば良いだけの話ではないのですか!?」
「うっ」とリベリオは身体を押さえ、ルミゴンを見据えた。リベリオの噛み付くような眼差しを受けても、ルミゴンはなおも表情を崩そうとはしない。椅子にもたれ、凍てつくような眼差しでリベリオを睨み返して低い声を出した。
「確かにお前の言う通り、ニスカについて調べたのは私とルミオだ。そして、お前に協力するように言ったのも我々だ。」
「でしたら…」
「しかし、そこにお前の意志は一切無かったのか?」
「は?」
言葉を詰まらせ目を点にするリベリオに、ルミゴンは睨み据えたまま続けた。
「お前はあの夜、この場で何と言った?自分は副団長として、部下を守る立場にあると言ったのではなかったのか。」
「言いました。ですが、それとこれとは…」
「関係が無いと申すか。では、お前は自分の言葉に責任も取れぬ程ガキだという事か?違うだろう。」
嫌な予感がする。最近、嫌な予感しかしていない気さえする。
前回この執務室に来た時も、上手く誤魔化されて自分の調査報告書を返してもらえなかった。その時と状況は違えども、ルミゴンのこの畳みかけるような物言いから、自分を言いくるめようとしているのがひしひしと伝わってきた。
「今回の件で、お前に一筋でも意志を持った行動を取ったという自覚があるのなら、お前自身にも責任がある事ぐらい分かるだろう。」
「分かっております。そうではなく、私が申し上げていますのは…」
「この世は相手を蹴落としてでも己の身を立てようと目を光らせている者で溢れかえっているんだ。少しの隙が、己自身も、己の愛する者たちも破滅に追い込む。お前が今回国王陛下の前に簡単に出されたのが良い例だろう?」
「いえ、ですから…」
「お前は先ほど、担ぎ上げられた事を我々のせいにした。そうだ、我々がそうなるように仕組んだ。だが、それを回避できなかったのはお前の油断と甘さだろう。」
「そうではなくてですね…」
「お前の、そのすぐに相手のなすがままに動かされ、言われた事を疑いもなく信じる愚かさが招いた結果ではないのか?」
「いい加減、人の話を聞けよオッサン!!」
リベリオは大声を張り上げ、ハッとして口を押さえた。いつもは一人の時や心の中だけで叫ぶに留めていたものが、怒涛の言葉責めを止める為に無意識に口から飛び出していた。普段の行いがいざという時に出てしまうというのはこの事か、とリベリオは目玉を泳がせ口を真一文字に結んだ。
押し黙ったルミゴンの表情に冷や汗を流しつつ、リベリオは怒られるのを覚悟して小さく息を吐いた。
「とにかく聞いて下さい。侯爵様の仰る通り、これは私の甘さが招いた結果です。そして、今回の事に関してはそれでもいいと思いました。」
「なぜそう思う。今回はたまたま褒美の謁見だったが…」
「私が聞いているのはそこです。どうして私なのですか?今回のような栄誉ある謁見の場を、どうして甥であるルミオではなく私に受けさせたのですか?」
リベリオの眼が光る。探るようにルミゴンの目を真っ直ぐに見つめていると、ルミゴンの視線がフイと逸れた。
「フン、それもリスターから聞いているだろう。ルミオや私がこの件に関わっている証拠など…」
「あるでしょう。捕らえた者をアンバルシアに連れて入ったところは多くの者が見ているはずだ。というより、ここまでの事を一切の証拠を残さずできるはずが無いではありませんか。普通に裏で誰かとそういう取引をしたと考えた方が余程自然ですよ。」
リベリオの言葉に、ピクリと反応する。『誰か』が誰を指しているのかをあえて口にしないのは、その相手が王族である事に他ならなかった。たとえこの場に誰もおらずとも、軽々しく口にして良い事では無い事ぐらいは心得ている。
「…あえて身を引いて私に華を持たせようとして下さったのではないですか?」
「何の話だ?なぜ私がそこまでお前にせねばならん。思い上がるな。」
「思い上がりもしますよ。そもそも侯爵様もルミオも、興味の無い人間にここまで関わらないでしょう。国王陛下との謁見にしてもそうです。『面倒だ』とか仰っていましたが、第五騎士団の為にここまでの事をする方が余程面倒ではないですか。」
「…随分私を信用しているようだが、その甘さが己を滅ぼす事になると言ったのを忘れたのか?」
すでにルミゴンへの虚勢を解き、リラックスし始めているリベリオの態度にルミゴンが言葉の矢を放つ。長身の男をジロリと睨み上げ、消えかけた緊張感を呼び戻した。
「…先ほど侯爵様は、疑いもなく相手を信じるのは愚かだと仰いました。それは私も理解しています。…いえ、私自身、かつてはその渦の真っ只中で生きてきました。あの調査報告書をご覧になったのならご存知でしょう、私の過去を。」
ルミゴンがピクリと肩眉を上げる。リベリオは苦笑し、小さく頷いた。
「私はこれまで、多くの者を欺き、蹴り落とし、陥れてきました。誰も信じず、常に相手を疑い、自分を信じ込ませて利用してきた。そして私の手で多くの者を破滅に追い込み、不幸にしてきました。」
「ならば、なぜそんなお前が我々の意のままに動いた。お前のその言い方だと、『本当は回避できたがあえてしなかった』というように聞こえるが?」
「なぜ…そうですね。最後まで信じようと思った、というだけの事です。私は人を疑う事には長けていますが、人を信じる事には未熟なんですよ。」
「…私にそう思わせてくれたのが、団長とナリーの存在です。彼らが私を愛してくれたからじゃありません。私が彼らを愛しているからです。彼らがいてくれたからこそ、私は人を信じようと思えるようになったのです。」
「危険だな。そうやって信じる事に未熟だと分かっていながら、手当たり次第に信じようとするなど、それこそ愚か者のする事ではないか。」
「手当たり次第?まさか!私はそこまでお人好しじゃありませんよ。」
リベリオは肩を竦めて両手を上げた。若い頃より少しは人間的に丸くなったとはいえ、落ち着いたのはせいぜいこの二年程である。これまでの人生の殆どを懐疑心のみで生きてきたリベリオにとっては、今の自分の方が信じられないぐらいだった。
「ルミオにしても、侯爵様にしても、私には十分信じようと思える人物だからこそ、信じたのですよ。」
「ほぅ…、大した自信ではないか。理由は?」
「お二人は、ナリーの幸せを心から願ってくれたでしょう。」
「!!」
「ルミオは、ナリーの傷付いた心を私に分からせてくれた。そして、いつも私たちを支えてくれた。侯爵様は、ナリーを慈しみ、彼女の将来をずっと考えて下さった。ナリーを大切に思ってくれる人たちを、どうして私が疑うのですか。」
リベリオはフ、と微笑み、ルミゴンを見つめた。先ほどまで深く刻まれていた眉間の皺が、いつの間にか無くなっている。今のうちにチクリと一針刺す事に決めた。
「私が人を信じようと思えるのは団長とナリーがいてくれたからだと申し上げたのは、そういう意味です。もし侯爵様とナリーがただ仲が良い程度の関係であれば、一切信じてなどおりませんよ。」
リベリオはニッと笑い、ルミゴンを見下ろした。二人の間に沈黙が落ちる。外したか、とリベリオが背中に冷や汗を流して固まっていると、噴き出す声が耳を貫いた。
「ククククク…ハハハ!なかなか言うではないか。流石はナリアが惚れた男だ。いいだろう、認めてやる。今回の謁見はお前に華を持たせる為だ。だが、これはお情けでやったわけではない。お前にはそれだけの価値があると判断したからだ。そこは勘違いするなよ。」
「ありがとうございます。私とて侯爵様のご厚意を頑なに拒むなど、礼節を欠く真似はしませんよ。ですから、有難く受け取らせて頂きます。」
リベリオが胸に手を当てて一礼する。ルミゴンは俯いて口元を擦り、互いにクククと肩を震わせた。
*
ひとしきり笑い合った後、ルミゴンは椅子に座り直して息を吐いた。本題を横に置いたまま違う方向に逸れてしまった話の道を、元に戻さねばならない。
ふと、リベリオの身体の傷がまだ癒えていない事を思い出し、ソファへと移動した。
「さて、本題に入るか。今日お前を呼んだのは他でもない。アンバルシアについてだ。」
「はい。その件について、私もそろそろハッキリさせておいた方が良いと思っておりました。」
「ふむ。では、単刀直入に言う。領主にはお前を置く。」
「えぇ、ナリーではなく私が…はい?今、何と仰いましたか?」
「領主にはナリアではなくリベリオを置くと言ったのだ。ちゃんと聞いておけ。」
相変わらずの面倒臭そうな表情でジロリと見返すルミゴンに、リベリオは頭の中が真っ白になった。以前、このグラナード邸で騎士団長兼領主補佐をしろと言われた時も卒倒しそうだったのに、今回は領主そのものになれと言う。
ナリアが受けた衝撃を追体験するかのような感覚に、リベリオは眩暈がしそうになった。
「いや…急に何を仰ってるのですか!私に領主になれ!?私にそんな器はありませんよ!冗談はやめて下さい!」
「冗談でこのような事を言うわけが無いだろう。リベリオ、お前にとって領主になる器の有る者とは何だ。血か、名声か、地位か。それとも、長男である事か。」
「それは…。」
リベリオは口を噤んだ。世の常識として多くの場合父親の跡を継ぐのは長男であり、リベリオもまた兄のアレニスが跡を継ぐものだと信じて疑ったことなど無かった。しかし、それがルミゴンの求める答えになるかと考えれば、首を横に振るしかない。
リベリオが黙り込むのを見据えながら、ルミゴンは続けた。
「お前がもし長男であれば、同じことを言うのか。」
「え…?」
「お前がもし長男であれば、いずれ父親の跡を継ぐ為に良き当主、良き領主となれるよう己を戒め日々努力するのではないのか。」
「それは…そうかもしれませんが…。」
「長男であるお前ができる事を、次男であるお前にできないわけがないだろう。どちらも同じお前ではないか。」
リベリオはハッとして顔を上げた。かつてナリアとの婚約が白紙に戻った時に、リスターに向けて言い放った言葉を思い出す。
----『アマティスタだろうがグラナードだろうが、中身はおなじ女だろうが!』
バクバクと鳴り響く心臓に息を詰まらせ、リベリオはルミゴンを見返した。
「ならば、良きにしろ悪しきにしろ、己の理想とする者になろうと努力することに、生まれの順など何の関係もないだろう。それともお前は、お前の兄が何の迷いも躊躇いも無く全てを受け入れているとでも思っているのか?」
----『俺だってなぁ、どうしたらいいかわからなくなる時もあるんだぞ!』
初めて二人で飲みに行った日に見た、アレニスの乱れた姿を思い出す。長男だというだけで両親からの期待と責任を一身に背負い、弟には背を向けられ一人で全てを耐えてきた。
リベリオは眉間に皺を寄せ、拳をきつく握り締めた。
「最初から上に立つ者として相応しい者などいない。お前はどうだ。剣の腕は多少あるようだが、見目が他者より優れているというだけで上に立つ要素など無いに等しいだろう。せいぜい、一騎士団の副団長までだ。」
「そんなハッキリ…。」
「それでも、だ。お前は他の多くの『上に立つ者』が羨むものを持っている。何か分かるか?」
分からない。全く、分からない。
ナリアに全てを話し、劣等感にどっぷり浸かった人生からようやく抜け出してせいぜい二月程しか経っていない。ニックスの存在によって心身を改めようとした時点から考えても二年程しか経っていない。家族と和解したのもほんの数日前だ。
事前にダメ出しをされ、唯一自信のある容姿の部分まで取り上げられてしまっては、自分のどこに羨ましがられる要素があるというのか。リベリオは正直に首を傾げた。
「それは、有能な者を惹きつける魅力だ。お前には私やナリアを含め、多くの有能な人間がお前の力になりたいと集まってくるんだ。そして、それぞれの分野で自らお前の為に能力を発揮しようと力を奮う。これが領主にとってどれ程恵まれていることかわかるか?お前にはその才があるんだ。」
「それは…偶然ではないですか?確かに、私の周りには才能に溢れた人ばかりいます。でもそれは、彼ら自身の才であり、私のものではありません。」
「誰がお前のものだと言った。彼らは彼ら自身が勝手にお前の為にその能力を使おうとしているに過ぎないんだ。それは言い方を変えれば、お前にいちいち言われずとも、お前の為になるよう力を尽くすという事だ。フン、羨ましい限りではないか。何が不満だ。」
押し黙り、困惑と迷いを見せるリベリオの顔を斜めに見下ろしながら、チラと部屋に張られた布を見た。そのまま上に視線を動かせば、布の重みで支えの紐が外れかけている。ルミゴンは目を見開き、早口で捲し立てた。
「それでもまだ、己に器が無いとか申すのならば、お前はそれまでだ!そんな脆弱な男に大事な娘はやれん!」
「な、なぜそうなるのです!それとこれとは関係が無いでしょう!ナリーと離れるなど…」
「ならばさっさと首を縦に振らんか!ナリアはアンバルシアにとって、なくてはならない存在なんだ!お前が領主にならんというのなら他の男を置くぞ!?その男の元に嫁がせても良いというのだな!?」
「は!?ちょっ…」
「どうするんだ!受けるのか、受けないのか、ハッキリしろ!!」
「ちょっと待っ…あぁもう!分かりましたよ!謹んでお受け致します!」
「よし!いいぞ!」
「え!?」と声を上げ、リベリオが振り向く。
部屋に張られた布が落ち、リベリオの呼吸が止まった。




