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リベリオが仕事に復帰した同日の昼前、ナリアはルミゴンの執務室にいた。お話ししたいことがあります、とルミゴンに告げたのは昨夜の夕食時での事だ。ルミゴンは軽く頷くだけでそれ以上は何も聞かず、この時間に執務室に来るようにとだけナリアに言った。
テーブルを挟んでソファに座り、ナリアは静かに口を開いた。
「お義父様。私を領主にするというお話、考え直しては頂けませんでしょうか。」
ナリアの声が真っ直ぐにルミゴンに向けられる。背を伸ばし、瞬き一つせずに向き合うナリアの瞳をルミゴンは鋭い眼差しで見返した。
「ふむ。以前、私はあの土地をナリアに譲渡する理由を話したはずだ。エスタリカ侯爵家とお前たち母娘への恩返しだ、と。受け取れぬ理由は何だ?領主になる事は、やはり女の身には荷が重いか。」
「いえ、その様な理由ではございません。これは、私の心に従った答えです。」
「…そうか、ならば聞こう。」
ルミゴンはソファにもたれて足を組み、ナリアに向けて「さぁ」という視線を投げた。ナリアは深呼吸をして、静かに話し始めた。
「お義父様が私と母への恩返しだと仰って下さった事も、何も持たない私とリベリオ様の将来を案じて下さった事も、本当に心から感謝しております。ですが、私はこのお話をお受けするわけにはいきません。」
声が震える。
ナリアは喉の奥でグッと堪え、少し視線を落として苦笑交じりに続けた。
「私は幼い頃から引っ込み思案で、いつも物陰に隠れていました。人からどう思われているのかばかり気になり、人と関わるのが怖くて、まともに会話をすることもできなかったのです。」
「そんな私が唯一自分の気持ちを表現できるのがダンスでした。嬉しい事も、悲しい事もすべてダンスを踊る事で心の安定を得てきたのです。その頃の私にとっては、ダンスが全てでした。ダンスさえ踊れたら、他には何も要らない。そう思っていました。」
「ですが、父とお仕事をするようになって、多くの方と関わりを持つようになって、私はやっと気が付きました。本当は、沢山の人と触れ合いたかったのだと。沢山の人からお話を聞きたかったのだと。もっと自分の気持ちを誰かに伝えたかったのだと。私を…認めてほしかったのだと。」
「ずっと心の中にあった欲求が、お仕事を通じて解放される事に喜びを感じるようになりました。もちろん、お仕事に私情を挟んではいけない事は分かっております。そして、良い事ばかりでは無い事も分かっております。」
「今の私ができる事など、ほんの些細な事かもしれません。それでも自分ができる事で、人々のお役に立てる事が嬉しいのです。感謝のお手紙から伝わる人々の笑顔が嬉しかった。私はやっと、自分にとって『なりたい自分』を見つける事ができたのです。」
「領主となれば、その権力を使ってもっと大きな事もできるかもしれません。己の信ずる方法で民を守る事もできるでしょう。ですが、私にそのような大きな力は必要無いのです。大きな力は、それを背負う覚悟のある者が持たなければなりません。私のような悪人を裁く覚悟も無い者が持てば、逆に民を苦しめる事になってしまう。それでは意味が無いのです。」
「私は、皆さんの立場に立って物事を見たい。目の前の同じ土に触れ、共に考え、共に悩み、共に喜びたい。そうやってその土地で暮らす皆さんの『心』に寄り添いたいのです。それをするのに、領主である必要はありません。」
「私の身一つ、心一つで十分なのです。」
膝の上に置いた両手が震えているのを感じ、ナリアはキュッと力を込めた。ルミゴンは表情一つ変えないままナリアをじっと見つめ、小さく息を吐いた。
「ふむ…そうか。ナリアの気持ちはよく分かった。」
ルミゴンがカップを持ち、お茶を啜る。そのあまりの平常さに、ナリアはポカンと口を開けた。
----あ、あれ?もっとこう…何か言われるかと思って覚悟してたのに。というか、結構悩んで言葉を選んだのに…。
手の震えがピタリと止まり、妙な空気に戸惑いながらルミゴンを見つめた。目の前の義父は、まだ静かにお茶を啜っている。ナリアが内心ガックリと肩を落としていると、ルミゴンは少し間を置いてナリアに視線を戻した。
「ならば、リベリオに任せると申すか?」
「それは私が決める事ではありません。もし彼が受けると仰るのであれば、それに従います。」
「では、断ればどうするのだ?以前も話したが、次男であるリベリオには殆ど財産は残らないだろう。奴自身爵位や領地を持っているわけでもない。貴族の息子とはいえ、せいぜい余裕のある平民…いや、それ以下の生活になる。騎士として身の回りの物を揃えるだけで精一杯になるはずだ。そのような男に大事な娘を添わせるわけにはいかない。」
ルミゴンが冷たく言い放つ。ナリアはキョトンとした顔でルミゴンの顔を見た後、クスクスと笑いだした。訝し気に見返すルミゴンに、ナリアは穏やかな声を出した。
「私は、リブが側にいて下さればそれで十分なのです。貴族である必要も、裕福である必要もありません。それに…」
「それに、何だ?」
「お義父様は以前、彼が戦地に向かうから、彼に身を委ねてこいと仰られたではありませんか。大事な娘を死に逝く者に嫁がせようとなさったお義父様が、反対されるはずがありません。」
「!!…フフ、流石はナリアだ。読まれていたか。」
ニコリと微笑むナリアにつられて、ルミゴンもククッと小さく笑った。しばらく互いに笑い合った後、ルミゴンは大きく息を吐いた。
「よし、それでは後はリベリオから話を聞くだけだな。」
「お義父様、それでは…。」
「あぁ。ナリアはこれまで通り、アンバルシアを支えていってくれれば良い。領主の件は私から皆に伝えておく。」
ルミゴンが頷き、微笑みを向ける。ナリアが安堵の息を吐いたところで、扉をノックする音が聞こえた。
「旦那様、お嬢様、ご昼食の用意が整いました。」
「分かった。ナリア、先に行っていてくれ。私もすぐに向かう。」
「はい。あの…お義父様、ありがとうございます。」
ルミゴンが頷くと、ナリアは一礼して部屋から出ていった。閉められた扉に視線を向ける。ルミゴンはソファに寄りかかり、口元を擦った。
「領主の件は、な。」
ルミゴンは立ち上がり、机に向かって紙を取り出し羽ペンを走らせた。
*
王宮の本殿にある謁見の間のど真ん中で、リベリオは胸に手を当て、頭を下げたまま大量の汗をかいていた。離れた先の壇上にはリヴィニス王国国王をはじめ、王妃、王太子、王太子妃、そして第二王子と第三王子ことラタまでがズラリと並んでリベリオを見下ろしている。
王族が一堂に顔を並べるだけあって、謁見の間のみならず、フロア全体が護衛兵によって封鎖された。王族一家のすぐ後ろに控える護衛兵の中には、リベリオの兄アレニスが控えている。この物々しい謁見の中心に一人立たされている哀れな弟に、アレニスは同情の視線を送っていた。
----本っ当に…!アイツら覚えてろよ!!
*
仕事に復帰した日の翌日の朝、団長室で書類に目を通し始めたリベリオの元にアレニスがやってきた。手には一通の手紙を持っている。リベリオは手紙を受け取り差出人を確認した瞬間、ゴクリと唾を飲み込んだ。
----とうとう来たか…。つーか、早くないか!?
封をする為の蝋を見れば、国王の印がデカデカと押されてある。リベリオが黙ったまま手紙を見下ろしていると、アレニスは苦笑交じりに小声で囁いた。もちろん、そのすぐ後ろにはルミオが耳を大きくして控えている。
「実は、お前が昨日から復帰した事がすでに陛下のお耳に入っていてな。今朝、王太子殿下からこれを手渡されたんだ。」
リベリオは視界の端に映るルミオのウキウキした顔に軽い苛立ちを覚えながら封を開けた。自分がこんな目に遭うのは、自分に面倒ごとを押し付けたルミオとルミゴンのせいである事を忘れてはいない。
文章に目を走らせ、リベリオは大きく溜息を吐いた。
「何て書いてあった?」
「今日の昼前に謁見の間に来るようにと書いてあります。もうあまり時間がありませんね。」
「そうか。やはり、殿下が今朝急に予定を変更されたのはこれの為だったんだな。」
「そうなのですか!?わざわざこの謁見の為に、予定を変えられたのですか!?」
リベリオは卒倒しそうになった。たとえ今回の事件を知る代表者に担がれたとしても、自分は一介の副団長である。王族の誰であれ、公務よりも自分と会う時間を優先させるなど普通に考えればあり得ない事であり、できれば聞きたくない情報だった。
ルミオは瞳を輝かせ、興奮した様子でアレニスの後ろから割り込んだ。
「凄いじゃないですか副団長!私も部下として鼻が高いですよ!」
「お前ぇぇ…シレッと逃げといて何言ってんだ!凄いと言うならお前が行けば良いだろう!俺よりも詳しい事情を知ってるんだから!」
「何を仰っておられるのか分かりません。私は何も存じておりませんよ。先日臥せっておられる間に夢でもご覧になったのではありませんか?」
「じゃあお前の伯父上殿に…。」
「ご自分で仰って下さいね。」
ルミオが涼しい顔で受け流す。言えるものならな、といった表情で見返す態度が心底憎々しい。報告書の一枚でも盗んでおくんだった、とリベリオは恨めしげに奥歯を噛み鳴らした。
「まぁ、落ち着け。俺もその謁見の間にいるから大丈夫だ。それに大体の事は第三王子殿下から聞いておられるそうだから、お前はそんなに話す事もないだろう。それだけでも肩の荷が下りるんじゃないか?」
*
----って言ってたのに…何だよこの状況!
リベリオは見た目だけでも落ち着いて見えるよう、社交界で鍛えた鉄壁の外面を久々に発揮することにした。手首にはナリアから貰ったブレスレットも着けている。『私とお揃いなのです』と頬を染めて言ったナリアの姿を思い返すだけで、どんな事にも耐え切れそうな気がした。
物音一つしない静寂の中、国王の隣に立つ男の声が響き渡った。
「王宮第五騎士団副団長、リベリオ・デガート。国王陛下より拝謁を許されておる。面をあげよ。」
リベリオは瞳を開けて、ゆっくりと身体を起こして姿勢を正した。視線の先には兄アレニスの姿が見える。それだけで気の引き締まる思いがした。
国王が隣の男に耳打ちをする。男は小さく頷き、声を響かせた。
「此度のニスカ・ルッソの奴隷売買及び、マルフィーロ王国との密通についてだが、そなたの知っている事、また、オロヒリアで見たものを全て正直に話すがよい。」
再び静寂が訪れる。リベリオは片手を上げて、発言の許可を願い出た。
「許す。申せ。」
「ありがとうございます。お話しさせていただく前に、今回の件について私が見たものの中には、女性にとって少々ご気分を害される可能性のあるものも含まれますが、よろしいでしょうか。」
男が国王の指示を待つ。小さく頷き、リベリオに向き直った。
「構わん。全て話せ。」
「では…。」
リベリオはオロヒリアに着いてからの一連の出来事を話した。酒場での出来事に差し掛かり、店の奥の状況について触れると、王妃と王太子妃が揃って扇子で顔を隠して目を背けた。
店の奥にいた女たちがマルフィーロ王国の者であると確認した方法を説明し、トゥルマから聞いた奴隷商人を捕まえるに至った経緯について話す。ニスカ・ルッソの屋敷での騒動まで話し終えたところで、最後に付け加えた。
「…以上でございます。ルッソ邸での騒動の後、私は意識を失い自宅で療養しておりましたので、ニスカ・ルッソ及びオロヒリアで捕らえた者たちを尋問して得た情報につきましてはあまり把握しておりません。」
リベリオが一礼する。男が何かを言おうとしたところで、国王は手を上げてそれを制した。
「リベリオ、と申したな。」
「はい。」
リベリオは一瞬にして身体が硬直した。この場にいる事だけでもあり得ない事なのに、まさか国王から直々に声をかけられるとは。緊張で震える足と喉にグッと力を込めた。
「捕らえた者たちから得た事を知らぬのならば、私からそなたに教えよう。」
「それは…直々の拝聴、恐悦至極に存じます。」
「何、そう固くなる必要は無い。そなたの働きがあったからこそ、我が国は無用な戦を避ける事ができたのだ。そればかりか、我が国の同盟国であるプロモント王国との間に亀裂が生じる危険性をも回避させた。」
「私などには勿体ないお言葉でございます。」
「ふむ、なかなかに謙虚よの。しかし、流石はあのリスター・デガートの息子であり、アレニスの弟だ。デガート家の者は皆優秀だとは思っておったが、そなたを見ているとより確信する。あやつは良い息子を持った。そなたはデガート家の誇りだ!」
ハハハ、と笑う国王の声に、リベリオは頭の中が真っ白になった。これまでずっと一族の落ちこぼれとして生きてきた自分が、この国の最高権力者によって初めて公の場で認められ、『デガート』の名を背負っての栄誉を得た。
頬が無意識に震えだす。リベリオは涙が出るのを必死で堪え、拳を握り締めた。
「まず奴隷商人についてだが、ニスカはリヴィニス王国の各所から攫ってきた者たちの喉を潰し、その者たちを採掘場での労役に従事させていた。今回捕らえた奴隷商人がこれについては証言している。この辺りの事はそなたも知っておるな。」
「はい。」
「そして、もう一つ。ニスカはマルフィーロ王国の者と通じ、互いの国の情勢を報告し合っていた。我が国内でその情報交換の場となったのが、そなたが踏み込んだあの酒場だ。ニスカを尋問して分かった事は、マルフィーロ王国がプロモント王国に近付いた本当の理由は、我が国との休戦同盟を結ぶ為だった。」
「…。」
国王がリベリオを見る。アレニスから事前に少しだけ聞かされていた為、静かに頷くに留めた。
「もちろん『休戦』である為戦争状態が解消されるわけでは無いが、マルフィーロ王国の新国王は、休戦同盟を結んだ後は少しずつ我が国との国交を回復させていこうとしているそうだ。」
「そうなのですか!?それはつまり今後も我々と戦をするつもりは無いという意思表示でしょうか。」
リベリオは目を見開いて聞き返した。休戦を願い出ているという事は聞いていたが、国交については聞いていない。国交を回復させるという事は、互いが互いの国に行き来するようになるという事だ。
「しかし、長年敵対していた我が国にそのような申し出をしたところで信じてもらえるはずが無い。そこで彼の国はプロモント王国に間に立ってもらおうとした。もし一歩間違えれば己の国を滅ぼす危険も顧みずにな。」
「プロモント王国から休戦同盟を結ぶよう要請があれば、我が国としても簡単にあしらうわけにはいかない。それを分かった上でプロモント王国に願い出たのだ。どのようにして近付いたのかは分からないが、プロモント王国も警戒しつつ様子を窺っている状態だった。」
「プロモント王国が我が国にその事を言わなかった理由なら察しがつく。マルフィーロ王国と我が国が秘密裏に同盟を結んでしまうのを恐れたからだ。だから、もし今回のような事がなければ我々はずっとマルフィーロ王国を疑い続けていた事になっただろう。」
「そして、そうとは知らずにこのままマルフィーロ王国に戦を仕掛けていたら、今度こそ彼の国との断絶は確固たるものとなり、プロモント王国からも目を付けられていたかもしれん。『戦をやめようとしている国に無慈悲の矢を放った国』としてな。同盟国とはいえ、こちらに付け入る口実を与えてしまっては、これまでの友好関係を壊す事にもなりかねない。」
「ニスカはその情報をマルフィーロ王国からの間者を通して手に入れ、それを悪用した。彼の国がプロモント王国に接近している事を大義名分として、戦を仕掛けようとしたのだ。奴隷を使って大量生産した武具を高値で売りつける為にな。」
「ニスカを問い詰めたところ、マルフィーロ王国にもニスカと同じ様にして利益を得ている者がいた。互いに戦が起こりそうになるタイミングを計り、それに合わせて戦道具を売りつけていたのだ。そして、戦によって傷を負った地域から奴隷を調達する。それを繰り返しておった。」
リベリオは聞きながら呆然と立ち尽くした。ルミオの『本当に両国の分断を図っているのか』という憶測が現実となり、『敵国と繋がっている』という疑いが疑いではなくなった。
そして、ニスカ・ルッソの黒い噂が、噂ではなくなった瞬間だった。
「今の時点ではそんなところだな。まぁ、これについては今後は我らの領分だ。そなたはここまでよく頑張ってくれた。褒美についてはいずれ沙汰があるだろう。」
国王はリベリオが一礼しているのを見て、ふと、ラタの方を見た。
「ところで…そなたの婚約者はラタイエの友人だと聞いたが、真か?」
「へ?はっ…はい。そのように伺っております。」
「陛下、私は嘘など吐いてはおりませんよ。この者の婚約者であるナリア・グラナードは私の大切な友人です。」
ラタが横から口を出す。ズラリと並ぶ国王一家と護衛兵の前でキッパリと言い切る友人宣言を受けて、今度は別の視線がリベリオに注がれた。完全に好奇の眼差しである。
----おいやめてくれ!謁見の間で王族がそんな事を言ったら、面倒な事になるだろうが!!
背中に冷や汗を流して笑顔を貼りつけるリベリオに、国王の笑顔が追い打ちをかける。
「ほぉ。他人と関わろうとしないお前がそのような事を言うとは真に興味深い。」
嫌な予感がする。
リベリオは後ろに控えているアレニスに「助けて下さい」と強めの視線を送った。が、片手を顔の前に出して「スマン」とあっさり逸らされた。
壇上にいる兄に恨めしげな視線を送っていると、国王が「そうだ」と声を上げた。
「そなたらの婚姻の儀に、ラタイエを出席させよう。友人ならば構わんだろう。」
「は、はい!?」
「よろしいのですか!?陛下!」
「いや、ちょっ…」
ラタがパッと顔を上げて身体を起こす。弾けるような満面の笑みで国王に礼を述べ、パクパクと口を開けるリベリオに振り向いた。
「そういう事だ!楽しみにしているからな!ナリアによろしく伝えておいてくれ!」
「カ…カシコマリマシタ…。アリガトウゴザイマス…。」
口から煙が出そうな顔で返事をする。
遠くでアレニスの愕然とした表情が霞んで見えた。




