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内気令嬢に花束を  作者: みのり
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 ナリアは馬車から降りて、侍女のサフィと共に広場にある宿屋へと向かった。ここへ来る途中に考え事をしていたせいか、無意識に足取りが重くなる。もやもやとした胸のつかえを持て余しているうちに、あっという間に宿屋に辿り着いた。

 扉を開けて中へと入った途端、ルマリナの声が店内に響き渡った。


 「ナリー!!」

 「ルマリナさん!」

 「あぁ、良かった…!本当に無事で…ナリー…。」


 ルマリナは大きなお腹を揺らせて歩み寄り、ナリアを強く抱き締めた。ルマリナの声を聞きつけ、奥の部屋からターニオが駆けつける。今にも泣き出しそうな笑顔を向けて手を差し出し、握手を交わした。


 「ナリア様、ご無事だったのですね!本当に良かった。私たちのせいで…申し訳ありませんでした。」

 「そんな、頭を上げて下さい。私は今日は、お二人を巻き込んでしまった事を謝りにきたのです。あの日、私がここへ来なければ…」

 「ナリー、ちょっと待って。とりあえずオーナー室へ行きましょうか。」


 ルマリナはナリアの言葉を遮り、チラと周りを見渡した。よく見れば、オーナー夫妻が揃って足を運ぶ貴族令嬢に皆の視線が集まっている。ナリアは小さく頷き、ルマリナの後に続いた。


 使用人の娘がお茶の用意をして出て行くのを見届けてから、ナリアは先に口を開いた。


 「ターニオさん、ルマリナさん。あの日、私がここへ来たばかりにお二人を危険な目に遭わせてしまいました。本当に申し訳ございませんでした。」


 ナリアは目を伏せて頭を下げた。今の自分にはこうして謝る事しかできない。本当はここへ来ても良いものかと躊躇う気持ちもあった。

 ターニオはチラとルマリナを見て、ルマリナに任せることにした。


 「ねぇ、ナリー。頭を上げて頂戴。貴女は私とターニオ、それにあの場にいた人たち皆を守るために自分から身を差し出したでしょう?か弱い貴族の令嬢が、ただのしがない平民夫婦や、本来貴女を守る側の人たちを守ったのよ。貴女のお陰で私たちは今こうして生きていられるの。」

 「ルマリナさん。私が人を助ける事に、身分や世の認識など関係ありません。そしてまた、私一人の為に多くの人が傷付くなど、あってはならない事です。私は貴族の娘として生まれましたが、だからと言ってそれが他者の命より尊い理由にはなりません。」


 ルマリナの瞳を真っ直ぐに見つめる。ナリアにそう教えてくれたのは、ミネラやリドット、孤児院の子供たちだった。ナリア自身、最初から身分によって人の優劣を決めてはいけないと思っていたわけでは無い。むしろ、それがあるのが当たり前だという世界で生きてきた。


 きっかけはミネラとの出会いだった。子供の頃、旅芸人の一座の踊りを見に行った時に知り合い、仲良くなった。身なりから平民だとすぐに分かったが、そこは子供同士、気が合えば細かいことなど気にも留めなかった。

 屋敷の者の中にはナリアが孤児院に入り浸っている事を良く思わない者も少なからずいた。それでも母であるエドラ自身が若い頃、救護院の手伝いをしていた事もあり、表立って止められる事はなかった。


 孤児院で過ごすうちに、ふと、彼らと自分の何が違うのかと思うようになった。ナリアにしてみれば、お茶会やパーティーにやってくる子息令嬢たちの、相手を値踏みするような態度の方が余程苦手だし息が詰まった。それに比べて、孤児院では幼い子供が更に幼い子供の面倒を見て、少し大きな子供は大人の手伝いをしている。自分の事だけではなく、互いに支え合って生きている彼らの姿に尊敬の目を向けるようになった。


 ここでは皆が平等で、皆が協力し合っている。そこに個人の優劣など存在しない。幼いナリアは自然とその考え方を享受していた。


 「それなのに…ターニオさんにもルマリナさんにも怪我を負わせてしまって…。お腹の赤ちゃんにもしもの事があったらと…考えただけで恐ろしくなりました。」


 ナリアの眉尻がみるみる下がり、俯いたまま肩を縮こまらせた。先ほどの毅然とした態度から一変した萎れた様子に、ルマリナは思わず目を細めた。


 「そう…。そんな事言ってもらえるなんてね。ありがとう、ナリー。」

 「いいえ、お礼なんて!」

 「ところで、あの後気になったのだけれど、あの時ナリーを狙っていたわよね。そして貴女を殺さずに連れ去った。賊の目的は何?リブ?それとも侯爵様?それとも他の誰か?」

 「…リブです。ですがリブだけではなく、義父を始め沢山の方が駆けつけて下さいました。彼らの間に何があったのかはわかりません。私はただ、リブをおびき寄せる為に捕らえられたようでした。」


 部屋の中に沈黙が落ちる。ルマリナは「ん?」という顔をしてナリアの顔を覗き込んだ。


 「で、リブはどうしているの?怪我とかしたんじゃない?」

 「はい。全身傷だらけではあるものの、命に別状はありませんでした。ただ、ここ十日ほど過酷な旅をされていたそうで、極度の疲労も重なり熱を出して臥せっておられます。あ、お父上様と仲直りされましたよ。リブも実家に戻られましたし、お二人ともとても穏やかな表情でお話しをされています。」


 ナリアがニッコリと微笑む。ナリアにとっては、リスターが抱えていたルミゴンやリベリオとの深い溝が解消した事が、今回何よりも嬉しい事だった。

 ルマリナも美しい顔を綻ばせ、ニコリと微笑んだ。


 「まぁ、そうだったの!それは良かったわ…って、そうじゃ無いでしょう。貴女、リブの側にいなくていいの?ここに来るのはリブが回復してからでも良いんだから、彼の側にいてやりなさいよ。」

 「今朝、デガート家へは行きましたよ。ですがお元気そうでしたので、早々に帰らせて頂いたのです。本当はお昼過ぎにこちらに来る予定だったのですが、その分少し早くなってしまいました。」


 再び沈黙が落ちる。ニコニコと笑うナリアを半目で眺めながら、ルマリナはチラとターニオに視線を移した。ターニオは慣れた様子でサッと立ち上がり、ナリアの隣に座るサフィに声をかけた。


 「おっと、しまった、今から用事があるんだった。サフィさん、申し訳ないが、ちょっと、手伝っていただけませんか。」


 ----下手か!!


 ルマリナが額に手をついて大きめの溜息を吐く。サフィもサッと立ち上がり、ターニオのフォローだと言わんばかりに良い声を響かせた。


 「ええ、いいですよ!ぜひ、お手伝いさせて頂きますね!」


 ----上手すぎて逆に不自然!!


 先を歩くターニオの後ろに続き、二人はオーナー室を後にした。ナリアがキョトンとした顔で扉の方を見る。羞恥で頬を染めているルマリナに気付かないままポツリと呟いた。


 「ターニオさん、お忙しい時にお邪魔でしたでしょうか。」

 「き、気付いてないの!?」

 「え?」


 何でもないわ、とルマリナは手を振り、コホンと小さく咳払いをしてナリアに向き直った。


 「で、何があったの?今朝リブのところに行ったんでしょう?」

 「はい…それが…。」


 ナリアは今朝あった事をルマリナに話した。リベリオがした事は結果としては賛同するが、やはりやり方は納得できない。モヤモヤとした感情を、少しずつ言葉に変えていった。


 「なるほどねぇ。あのバカがやりそうなことだわ。どうしてもう少し上手くできないのかしら。そんなやり方じゃあ、その侍女だって余計に想いを募らせかねないじゃない。」

 「ね、そうですよね!?でも、あの時何もできなかった私が、それを非難してはいけないような気がして…。それどころか、怒って帰るなんて子供みたいな真似をしてしまいました…。」

 「もう!だから、どうしてナリーが引き下がるのよ!ナリーはまだ正式に婚約を結んでないし、結んでいたとしても口出しできない立場でしょう?」


 肩を落として小さくなるナリアに、ルマリナは小さく溜息を吐いた。自分の意思を告げる時には凛とした空気を放つ女だとは到底思えない。


 「それにしても、また女絡みなんて。確か三日前にここに来た時は、リブの近所の女問題を聞いたのよね。そして間髪入れずにこれでしょう?…うん、もうやめちゃえ!あのバカに貴女はもったいないわ。」

 「リブの周りには女性が付き纏うと分かってはいましたが、ここまでとは思いも寄りませんでした…。」


 改めて美丈夫の妻になる覚悟を思い知らされる。どんなに本人にその気が無かろうとも、女の方から寄ってくるのだ。今朝の状況が良い例だった。もし本人にその気があったらと思うと、背筋に寒気が走る。

 ナリアが溜息交じりにお茶を啜っていると、扉をノックする音と共にターニオがやってきた。


 「あら、ターニオ。どうし…」

 「ナリー!」


 扉を開けたターニオを押しのけるようにして、件の美丈夫が姿を現した。余程急いで駆けつけてきたのか、髪も服も乱れたままになっている。


 「リブ!?どうしてここに?」

 「あら、久しぶりじゃない。ちょうど貴方の話をしていたところよ。ね、ナリー?」


 ルマリナがすかさず先手を打つ。グッと喉を詰まらせるリベリオを見て、流石だな、とナリアは目を丸くした。


 「偶然俺のとこの御者が、ナリーのとこの御者から『今日は広場に行く予定だ』って聞いてたんだよ。だから、もしかしたら宿屋(ここ)じゃないかと思ったんだ。」

 「…。」


 チラと見下ろすリベリオの視線を避けるように、ナリアはスッと顔を背けた。リベリオがナリアの隣に腰を下ろす。その様子を、ルマリナは半目で眺めていた。


 「それで、ナリーに弁解でもしに来たの?随分必死じゃない。目の前で他の女を庇っておいて。」

 「あぁ、そうだよ!いいからちょっと黙っててくれ!」


 リベリオが声を荒げてルマリナを睨みつける。それを涼しい顔で受け流し、ツンと顔を背けた。


 「ナリー、聞いてくれ。あれには訳があったんだよ。」

 「…訳、ですか?」

 「あぁ。お前、あの時あの娘を見て何か気が付かなかったか?」

 「何か?いいえ、何も。何かあったのですか?」


 ナリアは振り向き、リベリオの顔を見た。まだ調子が戻っていないのか、少し顔色が悪い。身体を支えるようにテーブルに肘をついていた。


 「そうだ。あの娘の身体に、殴られた痣のようなものが見えたんだ。それから、治ってはいるが引き攣ったような傷跡もな。寝起きの俺の前で跪いていた時、うなじと袖口ギリギリのところにあった。色は大分薄かったが、間違いない。」

 「な…誰がそのような事を!」

 「分からん。ただあの時…母上があの娘の家に法的措置を取ると言った時、ものすごく怯えていた。だから、咄嗟にそれだけはさせないようにしたんだ。そうしたら、途端に安堵した表情になっただろう?」

 「もしや…ご実家で誰かから暴力を振るわれている、と?」


 「多分な」と言って、リベリオが険しい顔で頷いた。ナリアは目を見開き、リベリオに詰め寄った。


 「では、もしこのような事でご実家に帰ったりしたら、また暴力を振るわれるのではないですか?」

 「そうかもしれない。だが、どうしようもないだろう。あの娘が無体を働いたのは事実なんだ。もし何もお咎めが無かったら他の者に示しがつかない。母上の立場もある。俺にはあれ以上、あの娘を助ける事はできないんだ。」

 「そんな…。」


 リベリオがナリアを見つめ返す。ナリアは視線を逸らせてその時の状況を思い返し、ハッとして顔を上げた。侍女への処罰を無くすには、これしかない。


 「リブ、あの侍女を助けられるかもしれません。」

 「ちょっと、ナリー!何を言い出すのよ!自分の男に手を出した女なのよ!?」

 「いいから聞こう。何か思い当たる事があるのか?」


 リベリオは視線だけをルマリナに向けて、ナリアに続きを促した。


 「私とお母上様が寝室に入った時、侍女はリブのベッドに乗って、貴方に覆いかぶさってました。」

 「それはさっき聞いた。」

 「ですが、そこしか見ていません。つまり、口付けをしているところを見たわけでは無いのです。した後だったのか、する前だったのかが分からないのなら、たまたまリブの顔の横にいた虫を追い払おうと、必死で息を吹きかけていただけかもしれませんよね?」


 空気がシンと静まり返る。自分の言葉の稚拙さに、ナリアはガックリと項垂れた。三人から向けられる無言の視線が痛い。自分でもこんな苦しい言い訳が通じるとは思わないが、助けるのなら一縷の望みに賭けるしかない。ルマリナが止めるのも一理あるが、自分が人を助けるのに世の認識など関係無いと言った言葉に嘘は無いのだ。


 それに、とナリアは思う。リベリオがきちんと考えた上で最良だと思う判断を下したのだと分かった時点で、ナリアに迷いは無かった。

 ルマリナから呆れた顔を向けられつつ、ナリアは恐る恐るリベリオを見上げた。


 「…ナリーはそれでいいのか?」

 「どういう意味ですか?」

 「もし俺がお前の立場だったらそんな真似はしない。俺の手で相手の男を八つ裂きにしてやるぐらい怒り狂うはずだ。」

 「それは…。」

 「あの娘に関してもそうだ。俺はお前の誤解を解く為にここに来たのであって、あの娘を助ける為じゃない。お前に冷たくされるぐらいなら、あんな娘庇うんじゃ無かったと後悔したぐらいだ。」


 リベリオは真剣な顔でナリアを見つめ、冷たく言い放った。低い声音からは侍女への気持ちなど微塵も無い事が伝わってくる。ナリアは曇りの無い目でリベリオを見返した。


 「見たところ、あ(・)の(・)子(・)はまだ子供でした。そして彼女は十分反省したはずです。ならば、使用人の身の安全を守る雇用主の義務として、彼女を連れ戻しましょう。」


 リベリオはしばらくの間ナリアの瞳を見つめ、優しく微笑んだ。


*


 窓を締め切り、閉じられたカーテンが受ける光だけが頼りの薄暗い部屋の中。男の蔑んだ声と縄を打ち付ける音が交互に飛び交い、床には剥ぎ取られた服が散乱していた。かろうじて下履きの肌着一枚だけを身に付けている少女が、背を丸めて襲い掛かる苦痛に耐えていた。


 「リリーナ…。お前はなんて愚かなのだ。何の為にお前をデガート家に送り込んだと…思っているんだ!!」

 「うあぁぁっ!!」


 太い縄の結び目が、リリーナの薄い背中に容赦なく叩き込まれる。すでに身体中が蚯蚓腫れで覆われ、何度も打ち付けられたところからは血が滲んでいた。

 痛みで意識が朦朧とするリリーナの髪を鷲掴み、頬を張って無理矢理意識を呼び起こした。


 「私がどれ程苦労してあの家に繋がりをつけたと思ってるんだ?それもこれも、お前をあの家に送り込む為だろうが。それをたかが口付け一つで追い出されるとは、何をやっているんだ!!私はお前に何と言った!?言え!言ってみろ!!」

 「きゃあぁぁあっ!!お…お許しを…お許し下さ…」

 「やかましい!!私はお前に何と言ったかと聞いてるんだ!!」


 リリーナの頬を張り、再び縄で打ち付ける。リリーナはヒューヒューと喉を鳴らして涙と涎にまみれた唇を震わせた。


 「ご…ご次男の…リ…リ…リべ…リオ様に…取り入…為…です…。」

 「そうだ!!それを、こんな下らない事で…!!」


 振り上げた縄を背中に叩きつけようとしたところで、扉をノックする音がした。ピタリと手を止め、扉を睨みつけた。


 「誰だ!!ここには近付くなと言っておいただろう!!」

 「申し訳ございません!リリーナ様にお客様がお見えになっております。」

 「リリーナに客だと?」


 チラとリリーナに視線を移す。だらりと身体を捻じ曲げ床に倒れている姿に舌打ちをして、扉に向かって叫んだ。


 「リリーナは今取り込み中だ。誰か知らんが、さっさと帰らせろ!!」

 「は、しかし…あっ、お、お待ち下さい!勝手に入られては…あぁ!」


 背後からガチャンと取っ手の下がる音が聞こえ、開いた扉の隙間から差し込む光に目を細めた。


 「失礼致します、ピラデル男爵様。こちらにおいででしたか。」

 「なっ、何だ貴様は!!何を勝手に入ってきているんだ!!」


 立ちはだかる男の顔に目を凝らす。その男のすぐ隣には一人の女が控えていた。コツコツと歩み寄り、数歩離れたところで立ち止まった。


 「私はデガート伯爵家のリベリオ・デガートと申します。そしてこちらは、私の婚約者でグラナード侯爵家令嬢ナリア・グラナード嬢です。」

 「リベリオ・デガート…殿?なぜ貴殿がここに…。それに、貴殿には婚約者が?」


 リベリオは床に倒れている娘に視線を向けた。暗い床の上でかろうじて顔を上げているリリーナを見て、ナリアに視線を送った。


 「我が父リスター・デガート伯爵の代理で参りました。リリーナ嬢を返していただきます。」 

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