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「来たか。」
ニスカ・ルッソの屋敷から少し離れた公園の広場で、ルミゴンは到着したばかりのバロットに声をかけた。かろうじて馬に跨るも、ゆらゆらと身体が斜めに倒れ真っ白になっている。今朝デガート邸を出てから今この時まで傘下にいる商業旅団と私兵を総動員して采配を振るっていた為に、すでに屍のような相貌になっていた。
「新しい遊びか?」
「誰が屍ごっこなどしますか!今まで大変だったのですよ。こんなに動いたのは私がルミオぐらい若い頃以来です。」
「アイツはまだ26だろう。お前もっと頑張れなかったのか?」
「私の事は良いのです。ところで義兄さん、あちらの様子はどうですか?つい先ほど、彼らが屋敷の門を通ったと連絡を受けましたが。」
バロットが腰から水筒を取り外し、言いながら口を付ける。口当たりの良いエールが疲れた身体に染み入った。
「そうだ。これから我々も奴の屋敷に向かう。後はリスターが許可証を持ってくれば屋敷の周りに配置した兵を出せるのだが、奴がまだ来ない。」
ルミゴンは眉間の皺を一層深く刻み、声を低くした。ナリアが捕らえられたと連絡を受けてからというもの、頭の中では何度ニスカを切り刻んだかわからない。シオンがルミゴンの元を駆けつけたとほぼ同時刻に、諜報員から知らせが入った。
----リスターが許可証を持ってこられるかどうかは正直賭けだ。このまま持ってこられずとも、俺の娘を連れ去った時点で奴を捕まえるには十分だが…それでは温い。
確実に潰すには許可証が要る。今屋敷にいる三人が逆に不法侵入だと訴えられれば、ニスカの罪がどんどん相殺されていく可能性があった。それでも。
ルミゴンはギラリと眼光を光らせ、馬首を返してバロットに声をかけた。
「これ以上は待ってられん。俺たちだけで先に行くぞ。」
「はいはい。それじゃあ参りましょう。」
周りにいる護衛の者たちに指示を出し、列をなしてルッソ伯爵邸を目指した。閑静な居住区に、蹄の音が鳴り響く。門の前に着いたところで、バロットの従者が門番に声をかけた。
主の名を名乗り、ニスカ・ルッソに会わせるように掛け合う。門番は来客の物々しい様子にすっかり怖気づいた。
「申し訳ございません。伯爵様からは誰も中に通すなと命を受けておりますので、お通しする事はできません。」
「なぜです?先ほど男が二人入っていきましたよね。なぜ我々は入れないのですか?」
従者の言葉に、門番はみるみる眉尻を下げた。本当に事情を知らないという表情でチラとルミゴンを見上げる。
「ニックス・ドラルナー様とリベリオ・デガート様のことですよね。確かに彼らをお通しするよう申し付けられました。ですが、今は誰も通すなと…。」
「だから、なぜですか!?」
「申し訳ございません。我々は何も聞いておりませんので、お答えできません。ただ、もし無理矢理通る者があれば不法侵入者と見なすと仰られました。」
門番がもう一度チラとルミゴンを見た。ルミゴンは一つ息を吐くと、前に出て馬上からギロリと見下ろした。門番の顔が一気に青ざめ、周りにいた他の門番に助けを求めたが誰一人目を合わせなかった。
「私の娘がここにいるはずだ。返してもらいに来た。」
「はい!?侯爵様のご令嬢がですか!?」
「そうだ。もしこのままここで足止めされ、私の娘に危害を加えられるような事があれば、そなたにも責任を取ってもらうぞ。…良いのだな?」
「そ、そ、そんな…。私はただ、主の命に従っているだけで…。」
「戦に出れば、皆がそう言うだろう。だからといって敵に助けてもらえるわけではあるまい?」
ルミゴンの瞳に苛立ちが帯び始める。誰も近付けるなという事は、すでに三人の身に危険が迫っているという事に他ならなかった。
ルミゴンが門番からの返事を待たずに門へ向かい、声を張り上げる為に大きく息を吸ったところで、後ろから近づいてくる音に気が付いた。ルミゴンが片眉を上げて振り返った視線の先で、馬に乗って駆けてくるルミオの姿が目に入った。
「伯父上!お待たせ致しました!」
「ルミオか。許可証は手に入ったか?」
「あ、そのー…それがですね…。」
ルミオが視線を泳がせ、言葉を濁す。その顔を訝し気に見ていると、ルミオがそっと後ろに指をさした。よく耳を澄ませば、静寂な闇夜を引き裂くようなけたたましい蹄の音が聞こえてくる。ルミゴンは俯くルミオの指さす方向に視線を向けると、駆けてくるリスターの前を走る人物を見て、驚愕に目を見開かせた。
*
門を通り、全速力で屋敷へと向かう。ルミゴンはリスターの馬に速度を合わせ、二人は列から少し外に逸れた。
「…おい。」
「…何だ。」
「俺は確か、『許可証を貰ってこい』と言わなかったか?」
「それがどうした。」
「確かにそう言ったな。で、これはどういう事だ?」
「…。」
「誰が『王族を連れてこい』と言った!?」
ルミゴンがリスターを横目に睨み据える。リスターはバツの悪い顔で、フンッと顔を背けた。
「私を誰だと思っている。いちいち許可証など用意せずとも、奴を堂々と捕らえられるようにしたのだ。お前に文句を言われる筋合いはない。」
二人の間に沈黙が落ちる。無言のまま静まり返った庭園の中を真っ直ぐ走り続け、ルミゴンは盛大に噴き出した。
「ハハハ!確かに、流石はお前だよリスター。こんな事をやってのけるのは、この国ではお前ぐらいだ!」
「フンッ、当たり前だ。お前などには到底できん事だからな。」
「ククク、いや、なかなか良いものを見させてもらった。とにかく、これで心置きなく奴を潰せる。」
「フフ、そうだな。後はナリア嬢と私の息子たちが無事でいてくれれば良いのだが…。」
----息子たち、か。
二人は速度を上げ、先頭を走る人物のすぐ後ろに馬をつける。先に玄関の前で待機させた兵士に扉を開けさせ、そのまま屋敷の中へと飛び込んだ。
*
血と臓物と汚物の匂いが立ち込める。床に散った血の上で、二人の騎士が互いの背中を庇い合いながら息を切らせて辺りを睨みつけていた。突き出された剣を弾き返し、手首を返して脇腹を切り裂く。二人で大勢を相手にするには、立ち上がる機会ごと奪いにかからねばならなかった。
長年の訓練で互いの身体の動きの癖は知り尽くしている。先の戦でも敵味方が入り乱れる狂気の中、何度も命拾いをしていた。
男が低く構えて踏み込み、剣を振り下ろす。正面から受け止め弾き返そうと踏み込んだ途端、足元のぬるついた血に滑り膝が崩れた。
----マズイ!!
体重をかけ押し込んだ男の剣がリベリオの首筋に迫る。両手をついて倒れ込み、心の中でナリアの名を叫んだ。
----ナリーッ!!
「ぐうぅぅ…!」
ドシャッという音が耳元をかすめ、リベリオは頭を上げた。直前まで自分を見下ろし剣を向けていた男が目を剥いて倒れている。すぐに身体を起こすと、男のすぐ側でニックスがうつ伏せに倒れていた。
「団長!!」
ニックスの元へ行き、目を見開く。背中から脇腹に向かって切り裂かれ、大量の血を流していた。反射的に後ろへ振り返り状況を見る。目の前に立つ男が持つ剣に血が滴るのを認めたと同時に、リベリオは即座に踏み込んで男の喉を切り裂いた。
男が血飛沫を噴き上げ、痙攣しながら倒れた。倒れたニックスを背に、剣を構える男たちを睨み据える。ニックスはリベリオの広い背中を見上げながら、フ、と笑って唇を震わせた。
「う…リベリオ…無事か…。」
「団長!団長…申し訳ありません、私のせいで…!」
「何言ってる…俺はお前に…何度も救わ…ているんだ…。これくら…」
「団長!喋らないで下さい!!」
リベリオは目の前の男たちを威嚇しながら、ニックスに背を向けたまま声を上げた。二階から高らかな歓声が聞こえてくる。手すりに手をかけ身を乗り出すニスカの声がエントランスホールに響き渡った。
「いいぞいいぞ!賊を一人仕留めた!いいか、まだ殺すなよ!!その男の身を拘束した者にこの娘の純潔をくれてやる!!」
----リブ!!
男たちがリベリオを囲んで殺気立つ。一斉に剣を振り上げリベリオに向けて振り下ろした。一振り目を横に払ったと同時に後ろから呻き声が聞こえて振り返ると、両腕を上げる男の鳩尾に剣が突き刺さっていた。
「グ…!」
「団長!なんて無茶を!」
「いいから…来るぞ…!!」
身体を起こし、震える手で剣を突き刺すニックスの背からはドクドクと血が流れている。荒い息を背中に感じ、リベリオは奥歯を噛み締め剣を握った。
----早く決着をつけねぇと、団長が…!!
腰を落とし踏み込もうとした瞬間、エントランスホールの奥から足音が聞こえてきた。嫌な予感が脳裏をよぎる。対峙する男たちの嘲るような表情に、一気に背筋が凍った。
----まさか…援軍だと!?
サッと見渡せば、最初と同じ程の人数が二人の周りを取り囲んでいた。絶望に視界が霞むと同時にガツンという衝撃を背中に感じ、咄嗟に視線を向けた。
「団長…?」
ニックスが膝をつき、剣で身体を支えている。カタカタと剣を鳴らし、グラリと身体を横に傾けそのまま床に倒れ込んだ。
「団長ぉぉ!!」
「ハッハハアァァ!!いいぞ!このまままとめて…」
男たちが一斉に走り出し我先にと剣を振りかぶった瞬間、玄関の扉が大きく開かれ騎馬隊が雪崩れ込んできた。突然乱入してきた騎馬隊が左右に分かれて男たちを囲い込む。一瞬の出来事に、その場にいた全員が動きを止めて目を見開いた。
「な…何だ貴様ら!!何者…な…ま、まさか、あのお方は…!!」
ニスカは身を仰け反らせ、震える足で後ずさりした。階下を見下ろした先にはナリアの義父ルミゴン・グラナードがいる。そしてその隣には異なる瞳の色を持つ金髪の少年が馬に跨り状況を睨み据えていた。
「まさかそんな…なぜあのお方がここに…。」
震える奥歯をカチカチと鳴らし、目の前の光景に愕然とする。少年が二階からの視線に気が付き顔を上げると、ニスカはヒュッと喉を鳴らした。
「ラタ!?あなたもしかして、ラタでしょう!?」
ニスカが勢いよく首を捻って振り返る。声の主がナリアだと認めると、みるみる顔を青ざめさせた。そのままチラとエントランスホールに視線を戻せば、同じように目を見開きあんぐりと口を開けるルミゴンの姿があった。
リベリオは剣を持つ手を下げ、信じられないといった顔でナリアを見上げた。
----『ラタ』だと?まさかこのお方と知り合いなのか!?
誰もが言葉を失う中、ルミオは急いで馬から飛び降り、馬の合間を縫うようにしてリベリオの元へと駆け寄った。
「副団長、ご無事ですか!?団長は…クソッ、何てことだ…!」
足元に横たわるニックスの背中を見て顔を顰める。急いで服を切り裂き背中を露わにした。骨には達していないが、肉が深く裂けている。
「ルミオ、お前も来てくれたのか!てゆうか、これは一体…」
「よう、ナリア!!ついこの前振りだな!お前また懲りずについて行ったんだって?二、三日前に怒られたばかりだろ!ハハハ、どん臭ぇ奴!!」
全員が一斉にラタを見る。
「しょうがないじゃない!そうしないと皆が危険な目に遭うところだったのだもの!それより、どうしてラタがここにいるの!?」
全員が一斉にナリアを見る。
「お前が連れ去られたって聞いたから迎えに来たんだよ!本当にお前って…って、何でお前肌着姿なんだ?」
ラタが半目で見上げると、ナリアはハタと己の姿に気が付いて顔を真っ赤に染め上げた。
「だ、だって、さっきこの人たちに無理矢理脱がされてしまったのだもの!どうしようもなかったのよ!!」
ナリアの言葉に、エントランスホールが静まり返る。ニスカは絶望に震え、ルミゴンの眼光が殺気立った。皆が固唾を飲んで立ち尽くす中、リベリオはハッと我に返り身を屈めてニックスの肩に触れた。
「団長!団長!!」
「…。」
「団長!!お願いです!目を開けて下さい!」
肩をゆすり、耳元で何度も叫ぶ。血の気のない青白い顔がみるみる涙で滲んだ。何度も呼びかけながら身体を揺らしていると、ふと影ができて顔を上げた。
「父上…。」
「揺らすんじゃない。」
リスターはリベリオの肩にそっと手をかけ後ろに下がらせると、ニックスの頭から身体にかけて順番に触れた。ふと、首元の鎖を見る。その先に繋がっているものに思い至り、リベリオの肩に手を置いて目を細めた。
「大丈夫だ、ニックスは生きている。おい!すぐにこの者の手当てをしろ!」
----父上が笑った!?俺に向かって!?
リスターの声に、数人の兵士が駆け寄りニックスを取り囲んだ。リベリオは生まれて初めて見た父親の表情に頭の中が真っ白になり、立ち上がるリスターを呆然と見上げた。
「リベリオ、いつまでボーッとしている!さっさと立て!!」
「は、はい!」
リスターにギロリと睨み据えられ、リベリオは咄嗟に立ち上がった。すでにいつもの厳めしい表情に戻っているが、先ほどの表情が瞼から離れず、まだ心臓がバクバクと音を立てている。顔が赤くなるのを何とか堪えようと、拳をきつく握り締めた。
その様子を馬上から静かに見下ろしていたラタが、顔を上げて声を出した。
「なるほど、そいつにやられたんだな?」
「そうよ!」
「あ…違…これは、その…」
ニスカが震える声で喘ぐように言うのを見て、ルミゴンは低く重い声を張り上げた。
「全員剣を捨て頭を下げろ!このお方はリヴィニス王国第三王子ラタイエ・ビナ・ペルラード殿下であらせられる!」
ルミゴンの怒りを含んだ声が響き渡る。リベリオを取り囲んでいた男たちが崩れるように膝をつき、恐怖に項垂れ頭を下げた。ふと二階を見上げれば、ナリアを連れてきた男がすでに行方をくらませている。しばらくして、エントランスホールの奥から縛り上げられた状態で連れてこられるのが目に入った。
「おい、お前。ニスカ・ルッソといったか。俺の友人に手を出すなんて舐めた真似してくれるじゃないか。覚悟はできてんだろうな。」
「ゆ、友人!?」
リベリオが咄嗟に振り返る。耳を疑うような単語が王族の口から出た事に度肝を抜かれ、眩暈がしそうになった。チラとナリアの方に視線を移す。案の定、呆然とした顔で目を丸くしていた。
「え?え?ラタ、あなた踊り子じゃなかったの?王子殿下って…。友人って…。」
「ナリア、それは今はいい。おいお前、さっさと降りてこい。この屋敷は完全に包囲してある。お前が潜ませていた者たちも全員捕らえた。後はお前だけだ。」
ラタの声が響き渡る。ニスカは男たちが縛られているのを見下ろしながら、わなわなと震える手でリベリオを睨み据えた。剣を抜き、ナリアの背後から手を回して首元に剣先を当てた。
「クソッ…クソォ…!クソォォォ!!よくも!よくもよくもよくもよくもよくもぉぉ!!」
「ナリー!!」
「リブ!」
「動くなぁ!!動いたら、この娘を切り裂いてくれる!どうせ死ぬんだ…この女も道連れだ…ヒへ…ヒへへ…ヒヘッヒャヒャヒャヒャ!」
ニスカが肩を揺らして笑い上げる。その度に剣先が首に食い込み、ナリアは痛みに顔を顰めた。ニスカが視線を逸らせている隙に階段の方へゆっくりと足を滑らせ、リベリオは腰を低くして舌打ちをした。
----クソッ、完全に壊れやがった…!
「ヒャーヒャヒャヒャヒャァ!!どうした!?この娘の血を見たくなければ、さっさと道を開けて馬を用意するんだ!!」
ナリアの髪を引っ張り上げて喉を晒す。ニスカの生温かい湿った息が首に触れ、ナリアは背中に寒気が走った。
ナリアを掴んだままジリジリと階段の方へとにじり寄り、最上段まで辿り着いたニスカの足を、透き通った無情な声が押し止めた。
「無駄ですよ。この王都から外に繋がる道は全て私の兵が塞いでいますから、馬に乗ったところで逃げられません。ちなみに貴殿の領地オロヒリアですが、怪しい場所を包囲したうえで貴殿が捕まった事を先に報告しておきました。ですので、心置きなく捕まって下さって結構ですよ。」
バロットがニッコリと微笑みながら、胸に手を当てシレッと言い捨てる。その温かくも氷のような表情に、やはりルミオの父親だな、とリベリオは半目で眺めた。




