68
グラナード侯爵邸から再び馬を走らせ、ルミオは王宮へと戻ってきた。団長室でニックスに報告を済ませ、足早に本殿へと向かう。受付でリスター・デガートの居場所を確認すると、急いでその場所へと向かった。
*
本殿にある待合室で、リスターは額に汗を流してテーブルを睨んでいた。事前の謁見願も出さず、いつ戻るか分からない上にこうして部屋で待つことを許可されたのは、代々王家に忠誠を誓うデガート家の者であり、リスター自身が近衛騎士団の元親衛隊長であるからに他ならない。
本殿に入って声をかけてくる者たちの中には、リスターが現役だった頃に新人騎士として入隊してきた者もいた。貫録を身に付け胸を張る姿を見た時は、信念の継承と世代の移ろいを肌で感じ、感慨深さに目を細めた。
ルミゴンとバロットが帰ってからすぐに準備をして王宮へ来たは良いものの、この日に限って国王一家は不在だと言われて今に至っている。そろそろ昼を回る頃だろう、とリスターはチラと扉の方を見て溜息を吐いた。
----まずいな…このままでは今日中に許可を頂くどころか、拝謁する事すら叶わんかもしれん…。
ふと、自分を見下ろす憎たらしい男の顔が脳裏をよぎる。どうしようも無い事とはいえ、このまま何も得られずすごすごと戻った時のルミゴンの反応を想像するだけで腸が煮えくり返った。きっと冷めた目で『引退した奴はこれだから』という視線を真正面から投げつけるに違いない。
----大体、なぜ私がこんな思いをせねばならんのだ!奴が勝手に私の息子を巻き込んだというのに!
ギリギリと歯を鳴らし、忌々しさに息を荒げる。待っている間にと用意されたお茶がすでに空になっているのを見て、更に不安を募らせた。
フゥ、と吐息を吐き、静まり返った室内を眺めながら、ルミゴンの言葉を思い返した。
----『リベリオには才能がある。』
自分には決して伝える事ができなかった言葉。現実的で合理的な兄とは違い、幼い頃から心根の優しい弟に自分と同じ轍を踏ませないようにと、必要以上に厳しく接してきた。もっと甘えさせてやりたい、抱き締めて頭を撫でてやりたいと何度思ったかわからない。不意に差し出しそうになった手を拳に変えて収めた事も何度もあった。
どんなに冷たい態度をとっても、どんなに怯えた目をしても、リベリオは少しでも父親に甘えられないかと健気に様子を窺っていたのを覚えている。今思えば、愛らしい真っ直ぐなその心に甘えていたのかもしれない。この子は決して自分から離れては行かないから大丈夫だ、と。
----あれが壊れたのは、いつだったか…。
気が付けば、リベリオは感情の無い目を向けるようになっていた。家にも帰らず、逃げるように家族を避け始めていた。たまに家の中ですれ違えば、死んだ目をして酒と女の匂いを身体中に纏わせていた。
何とか家に戻そうと思った。剣に向き合い、自分で立つ力を身に付けさせようとした。それでも染みついた冷たい口調は更にリベリオを遠ざけるだけだった。
----どこから間違えてしまったのか…。
初めからだったのかもしれない、という結論に自嘲する。己の信じた道が、結果的に愛する息子を傷付け家から追い出してしまった。そして今、その息子を救えないでいる自分に心の底から口惜しさが込み上げた。
どれ程の時間が経ったか分からない。リスターが祈る思いで両手を組み目を閉じていると、扉をノックする音がした。
「はい、どうぞ!」
リスターはパッと顔を上げ、姿勢を正した。やっと誰かが戻ってきたのかもしれないという期待が沈鬱とした気分を晴らすようで、心なしか返事の声も高くなった。
「失礼致します。こちらに、リスター・デガート伯爵様はおられますでしょうか。」
「うん?リスターは私だが…何だね君は。」
一気に声が低くなる。一見してすぐに王宮騎士団の者だとわかり、リスターは期待を裏切られたような気がして必要以上に険しい顔になった。
ジロリと男を見据えれば、男は爽やかな笑顔で胸に手を当て静かに口を開いた。
「申し遅れました。私は第五騎士団補佐官のルミオ・ラントンと申します。ご子息のリベリオ様にはいつもお世話になっております。」
「ルミオ・ラントン?おぉ、君がラントン伯爵殿のご子息か。今朝、君のお父上とお会いしたところだ。いつも息子が世話になっているそうだな。」
「いえ、私は部下として当然の事をしているまでです。」
その通りです、という色は微塵も出さず、ルミオはニコリと微笑んだ。伯父であるルミゴンからは事前にどのような人物かを聞いている。礼節を弁え、過度な謙遜や見え透いたよいしょは絶対にしてはいけない。そして褒めるのはここだと睨んだ。
「副団長にはとても良くして頂いているのです。私は先の戦の後に王宮騎士団に入団したのですが、初年からの補佐官就任に戸惑っているところをいつも助けて頂きました。」
「ほう。初年から補佐官とは、君はとても優秀なのだな。」
それ程でもあります、と自認している事も決して匂わせず、ルミオは軽く手を振った。
「ありがとうございます。ですが、私など副団長の足元にも及びません。騎士としての経験が無いばかりに何度も困難につまづいた私を、いつも助けて下さいました。まるで、本当の兄のようなお方です。」
「そうか…あのリベリオがな…。」
「そうだ!兄と言えば、副団長の兄上様であるアレニス様とも懇意にさせていただいているのですよ。」
「アレニスとも?」
「はい。以前まで副団長からお預かりした籐籠を、兄上様に渡しておりました。その時に親しくなったのです。」
リスターの表情が一変して固まった。籐籠の事を知っているという事は、リベリオが家出をしている事も知っているという事になる。直属の部下、それも補佐官であれば知っていてもおかしくは無いが、それでも家の恥を知られている事に良い気はしなかった。
リスターが視線を逸らせて押し黙る。その様子を見て、ルミオはニヤリとほくそ笑んだ。
「今ではご自分で返しに行かれていますので、最近はお会いする事も無くなりましたが。」
「何!?リベリオはアレニスと会っているのか!?」
リスターは咄嗟に身を乗り出し、直後にハッとして視線を逸らせた。バツの悪い空気を持て余すようにカップを持った途端、空である事を思い出して、そっとテーブルに戻した。
「はい。ある日突然ご自分で返しに行くと仰られまして。その日の夜に、お二人で飲みに行かれてましたよ。」
「何だと!?アイツ、自分だけ…!」
「それ以来ご自分で返しに行かれています。その時にいろいろお話しされているのか、戻られた時は嬉しそうに机に向かっておられますよ。仲の良いご兄弟なのですね。」
「ぬうぅ…。私は何も聞いていないぞ…アイツ、今度帰ってきたら問い詰めてやる…。」
リスターの背中に嫉妬の炎が燃え盛る。自分を差し置いて知らない間にリベリオと仲良くなっているだけでなく、それを黙っていた事に、親と子の間にある見えない壁を突きつけられたような気がした。
リスターはしばらくブツブツと文句を零し、ハッと我に返ってルミオに視線を向けた。仲の良い息子たちに嫉妬している姿を見られ、恥の上塗りだと顔を赤くする。が、爽やかな笑顔のまま静かに控えるルミオの姿に、リスターは思わず破顔した。
「フフフ、君には我が家の恥を見せてばかりのようだな。」
「いいえ、私は恥だなどと思った事は一度たりともありませんよ。むしろ、いつも自然体でいて下さるからこそ、私も心からお仕えできるのです。」
「…君は不思議な青年だな。あの男の甥であるとは到底信じられん。」
「私もそう思います。伯父の血は強烈ですからね。同じものが流れているとは到底信じられません。」
ルミオの言葉に、リスターは目を丸くした。爽やかな笑顔のままサラリとルミゴンを刺すルミオに、リスターは思わず吹き出した。
「ハハハ、強烈か!それは良い。肉親にもそう思われているのなら間違いないのだろうな。これは良い事を知った。礼を言うよ。」
リスターはひとしきり笑った後、「それから」と静かに続けた。
「リベリオは…その…不自由はしていないだろうか。もし良かったら、君から息子に…」
「お父上様。不躾な事を申し上げますが、それはご自分からお伝え下さい。」
リスターが言い終わる前に、ピシャリと遮るルミオの声が響いた。先ほどまでの笑顔は消え、真剣な眼差しで真っ直ぐに目を見つめて言葉を続けた。
「副団長はご自分から兄上様に歩み寄られました。それは、兄上様に対するご自身の誤ったお考えを見つめ直し、正す為です。そうして今お二人はご兄弟として失った日々を取り戻しておられるのです。ですから、お父上様が心からご子息の事を想われるのであれば、その大切なお気持ちを私などが伝えて良いものではありません。お父上様ご自身のお言葉で、副団長に伝えて差し上げて下さい。お願い致します。」
ルミオは胸に手を当て、一礼した。スッと身体を起こし、ニコリと微笑む。リスターは言葉を飲み込み、代わりに目頭が熱くなるのを感じた。
「そうか…そうだな。君の言う通りだ。私はまたしても息子から逃げようとしてしまった。」
「お父上様…。」
「ハハハ、情けない事だ。この歳になって息子ほど離れた者に諭されるとは。私もまだまだ未熟者のようだ。」
鼻を啜り、ソファにもたれて頭を乗せた。滲んだ涙が流れることなく心の中に戻っていく。胸のつかえが取れたような解放感に浸っていると、勢いよく身体を起こしてルミオを見た。
「そうだ、君は私に何か用があったのではないか?」
「はい。実は…。」
ルミオは今朝ニスカ・ルッソが団長室に来てからの事を話し始めた。ニスカがリベリオの行方を捜している事とナリアに危機が迫っている事を話している途中で、思わず言葉を飲み込む。リスターの表情を見てヒュッと喉を鳴らし、息を詰まらせた。
----こ、怖い…何て恐ろしい顔してんだよ!さっきまでの気弱なオジサンはどこにいったんだ!
ルミオは身体をカチンと固まらせ、顔を真っ青にしてゴクリと唾を飲み込んだ。よく考えてみれば、あのニックス・ドラルナー団長に直接血の特訓を施した人物である。髪を逆立て、憤怒と殺気を孕んだ鋭い光を眼に宿し、リスターはルミオの言葉を待った。
----うわ…俺、さっきこの人相手に偉そうな事言っちゃったんだよな…。
恐る恐る首元に手を当て、繋がっている事を確かめる。ホッと胸を撫でおろし、一気に続きを話した。
「そして、伯父からデガート伯爵様のサポートをするようにと指示されて参りました次第です。」
「そうか…。しかし、今日は国王陛下ご夫妻も王太子殿下もご不在でな。私もこうして待たせて頂いているのだが、時間ばかりが過ぎてどうにもならんのだ。」
「そんな…では、最悪許可が下りる前に踏み込むことになるかもしれないという事ですね。」
「そうだな。後でどのようなお咎めを受けるかは分からんが、致し方あるまい。息子たちの命には代えられん。」
二人の間に沈黙が落ちる。リスターは仕草でルミオも座るように勧め、ルミオは小さく頷いてそれに従った。互いに無言のままテーブルを睨みつける。窓の外の陽が傾き始めたところで、リスターは立ち上がった。
「ここまでか。仕方が無い、私は一度屋敷に戻って兵を起こす準備をする。今からやればいつでも出発できるようにはなるだろう。君はどうするんだ?仕事に戻るのか?」
「いえ、私もお供致します。伯父からの指示もありますし、団長から許可も得ておりますので。」
「フフ、団長か。アイツも偉くなったものだ。よし、では行こうか。」
「はい。」
ルミオが立ち上がり、扉に向かおうとした時だった。
「おいおい。わざわざ俺が来てやったってのに、どこへ行く気だ?」
突然扉が大きく開かれ、護衛を連れた男がゆっくりと足を踏み入れる。数歩入ったところで足を止め、腕を組んでニヤリと笑った。
「その瞳…まさか貴方様は…!」
「?」
リスターは驚愕に目を見開き、素早く片膝をついて頭を伏せた。アレニスから殆ど王宮にはいないと聞いていた人物が、まさに今目の前に立ち自分を見下ろしている。最後にある記憶はまだ腕に抱かれるような幼子だったが、特徴ある両目から見間違えることは無かった。
----なぜこのお方がここに!?
身を低くし、胸に手を当て息を潜める。ルミオは訳が分からないといった顔でリスターを見た。チラと男を見れば、まだ幼い少年のような顔立ちをしている。護衛を何人も連れているところから考えて、ある程度身分は高いようだとルミオが二人を交互に眺めていると、リスターは声を荒げて窘めた。
「こら!何をしている!さっさと頭を下げろ!」
「え?は、はいっ!」
「あぁ、いいよいいよ。二人ともさっさと立て。今はそういうの要らないから。」
「「は?」」
二人は顔を見合わせ、ゆっくりと立ち上がった。立って見れば、思った以上に幼い顔立ちをしている。輝くような金髪と左右で異なる瞳の色が印象的な、不思議な魅力を持った少年だった。少年は妖艶な瞳を流すようにリスターに視線を刺した。
「それよりリスター・デガートがここに来ていると耳に挟んだんだが、お前の事か?」
「は?はい、私の事をご存知頂けたとは恐悦至極に…」
「お前さ、リベリオっていう名の息子がいるだろ?そいつとナリア・グラナードの婚約を認めてやれ。」
「「は?」」
ルミオが咄嗟に口を押さえる。チラとリスターを見れば、あんぐりと口を開けたまま固まっていた。
「何だ?何か文句でもあるのか?」
「い、いえ、その様な事は…。発言をお許しいただけますでしょうか。」
「おう、いいぞ。」
「殿下は、私の息子をご存知なのでしょうか?」
----で、殿下ぁ!?という事は、このお方は…!
リスターの言葉に、ルミオは目を見開いて固まった。目の前にいる少年が王族の者である事に、今更ながら全身の血の気を失いそうになる。ましてや、その尊い御口から上司の名前が踊り出ているのには、倒れてもおかしくはない程の衝撃を受けた。
「いや、知らん。知っているのは女の方だ。」
「はい?ナリア嬢の方ですか?」
「そうだ。ナリアは俺の…何だろう。何だ?…そう、『友人』だ!ナリアの母親から、お前が二人の婚姻を反対しているようだと聞いてな。俺の友人に何かケチでも付けているのかと思ったので直接聞きに来たんだ。で?何の文句があるんだ?言ってみろ。」
リスターとルミオは絶句したまま目の前の少年を凝視した。腕を組んだままひたと睨み据える双眸には、少年と言えども王族の威厳を湛えている。その鋭い視線を真正面から受け、耐えられる者などいるはずが無かった。
リスターは喉がカラカラになるのを何とか堪え、声を振り絞った。
「文句など、滅相もございません。ましてや殿下のご友人に対してそのような不敬な…。」
「だったら良いよな。二人の婚姻を認めてやるか?」
「はい。殿下のご友人を息子の妻に娶れるなど、これ程の栄誉はございません。」
「フン、そうだろう。大事にしろよ。もし泣かせるような事があったら…わかってるよな?」
「は…ありがたき幸せ。我が息子にも重々申し付けておきます。」
「それから、お前とグラナード侯爵との間に何があったか知らないけど、二人には関係無い事なんだからな。親同士の下らねぇプライドを子供に押し付けんなよ。」
「は…。申し訳ございません。肝に銘じておきます。」
リスターは胸に手を当て、一礼した。ルミオは二人のやり取りを見ているうちに、堪らない高揚感が込み上げた。およそ予想もできないような光景に、ただただ呆然と立ち尽くす。
----まさか王族が自分の上司の婚姻を取り持つところを目の当たりにできるなんて…。
高鳴る胸を抑えきれず、気が付けば涙が頬を伝っていた。
瞬きをするのも忘れ、零れる涙を両手で受けとめては堰を切ったように溢れる涙を止める事はできなかった。




