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リベリオは手綱を握り締め、王都の街中を疾走していた。焦点の合わない視界とグラつく頭に何度もバランスを崩しかけては、鞍に手をかけ馬の首にしがみつく。痺れて力が入らなくなった両脚はすでに役に立ちそうにもなく、痛みで感覚が無くなった腰を立てるようにして無理矢理身体を起こすのがやっとの状態だった。
頑張れよ、と肩を叩くレアンたちと別れて王都への道をひたすら走り続け、最後に寄った街で新しい馬に乗り換えた。休む間もなく街を出て、王都に着くまでの間はほぼ走り通しだった。その街に着く頃には悲鳴を上げ始めていた身体は、今や身体だけでなく意識を朦朧とさせるまでになっている。
それでもルミゴンからの指令を完遂すべく、己の肉体と精神に鉛の鞭を打って真っ直ぐにグラナード侯爵邸へと向かった。それなのに。
「クソォォォッ!!わざわざ屋敷に行ったってのに不在って何だよ!行き先ぐらい誰かに伝えておけっていうんだ、あのオッサァァァン!!」
凝り固まった疲労と溜まったストレスですでに飽和状態だった許容量は弾け壊れ、リベリオは暴発した苛立ちから盛大に喚き散らした。吠え盛る罵声に振り返る顔が視界に入るが、この際誰が聞いていようがどうでもいい。名前を出さないだけまだ理性があるな、と顔を顰めつつ、最後の力を振り絞るように手綱を捌いて王宮へと向かった。
重い身体を引きずり団長室の扉をノックして入ると、難しい表情で机に向かっていたニックスがリベリオの姿を見て立ち上がった。
「…ただいま戻りました、団長。」
「リベリオ!無事だったか!よく戻った!」
さぁ座れ、とソファに促し、ニックスは急いで部下のいる隣の部屋へと向かった。部下にお茶とエールを一杯ずつ持ってくるように言いつけている声が聞こえてくる。リベリオは軋む身体を支えられずにドサリとソファに座り込み、目を瞑って全身の力を抜いた。
----馬の背中以外の何かに座るのは随分久しぶりな気がする…。
帰路の間は、休む時もすぐに動けるよう地面に座ってごく短い仮眠を取る程度だった。もし身体を横に倒してしまったら、そのまま深い眠りに入り込んで起き上がれなくなってしまう。遅くなればなるほどナリアに危険が迫ると言われてしまえば、仮眠を取る時間すらも削るしかなかった。
リベリオは団長室に戻ってきたニックスの気配に身体を起こすと、飄々とした男について尋ねた。
「団長にお茶の用意などさせて申し訳ございません。ところで、ルミオはどうしたのですか?珍しくここへ来るまで奴の気配がしなかったものですから。」
リベリオは外套を脱ぎ、軽く畳んで側に置いた。どんなに身体が軋んでいても、勤務中に団長の前で寛ぐわけにはいかない。それでも幼い頃からの旧知の仲だという部分に甘え、ソファに深く腰を沈めて身体を預けた。が、結局すぐに身体を起こすことになる。
「今朝、ニスカ・ルッソがここへ来たんだ。お前を探しているようだった。」
「何ですって!?クソッ…やっぱり情報が早かったか!ということは、私の名前はすでに掴んでいるという事ですよね。」
「そのようだな。だから奴が去った後、ルミオは急いでグラナード侯爵邸に向かったんだ。…ナリア嬢に危険が及ぶかもしれないと知らせる為に。」
「!!」
ニックスの言葉にリベリオは思わず息を呑んだ。その様子を見つめながら、ニックスは今朝あった事について説明を続けた。
ニスカ・ルッソが突然団長室に現れリベリオの居場所を執拗に聞いていた事、そして婚約者の存在を知り部下を向かわせた事に話が至ったところで、リベリオの頭の中が真っ白になった。身体の悲鳴など一瞬で消え去り、途端に心臓が早鐘を打ち始める。反射的に立ち上がり扉へと向かって走るリベリオを、ニックスは咄嗟に腕を掴んで留まらせた。
「待て!リベリオ、落ち着け!」
「離して下さい!ナリーを助けに行かなければ!早くナリーの元へ…!」
「いいから落ち着け!昼前にルミオが一旦戻ってきたんだ。彼女の身辺の警備は強化され、多くの護衛に守られていると言っていた。彼女はお前が任務に向かっている間、アマティスタの実家に帰っているらしい。今お前が飛び出して行ったら余計にややこしくなるから、今は大人しくここで待て!」
「しかし…!」
その時、扉をノックする音がしてリベリオが応対に出ると、お茶とエールを乗せたトレイを持つ部下が立っていた。リベリオはお礼を言って受け取り、テーブルの上に置いた。
ニックスに勧められ、エールを一気に呷る。溜まった疲れが押し流されるような爽快さに、思わず安堵の溜息が漏れた。
「とりあえず今は状況が逼迫している。彼女が心配なのは分かるが、まずは結果を報告してくれ。」
「…分かりました。まず結果から申し上げますと、ニスカ・ルッソは積極的に奴隷売買を行っておりました。」
「奴隷売買!?」
「はい。連れてきた者たちに喉を潰す等の非情な処置を行ったうえで、自領の鉱山地帯で過酷な労役を課しております。今回、奴隷商人と連れて来られたばかりの奴隷たちを捕縛・保護しました。保護した者たちは一旦、ルミオのお父上であるラントン伯爵の領地に送られることになっております。」
「何てことだ…。あの野郎…。」
「それからもう一つ。奴はマルフィーロ王国の者と繋がっておりました。」
「何だとぉ!?奴は国を裏切っていたというのか!!」
ニックスは目を剥き、拳を戦慄かせる。ニスカ・ルッソが陰で囁かれている黒い噂がただの噂ではなかった事に怒りを覚える傍らで、捕縛できる可能性が見えた事に興奮をたぎらせた。ニスカを捕縛できさえすれば、部下を守る事ができる。
リベリオは静かに頷き、目を伏せた。酒場の奥の光景が蘇り、胸が詰まる。敵国で喉を潰され、慰み者としても悲惨な扱いを受けていた女たちの末路がリベリオの記憶に重くのしかかった。
「間違いありません。その辺りの詳細はこれから捕らえた者たちを尋問してからになりますが、奴隷売買に関してはすでに証拠がありますので、それだけでも奴を捕らえるには十分です。」
「そうか…ならばまずはその奴隷商人を早急に尋問せねばならんな。ニスカの領地で行っていたとはいえ、ニスカ本人がその場にいなかったのであれば無理矢理にでも言い逃れするだろう。部下に責任を押し付けてな。」
ニックスは奥歯をギリッと噛み締めた。早急に尋問するとは言ったものの、ニスカはすでに自領が目を付けられたことに気が付いている。たとえ今この時点で尋問を始めたとしても、白状した内容を公的な文書に起こして捕らえに向かうまでの間に逃げ道を用意されてしまうのは明らかだった。
ニックスがチラとリベリオを見る。視線の先には、険しい表情で組んだ両手に力を込める男の姿があった。たった数日の間にどこか男の深みを増したような面に、ニックスは思わず苦笑した。
----結局、グラナード侯爵の言った通りだったという事か。
ニックスはフ、と笑い、ルミゴンの言葉を思い返した。リベリオを数日間借りたいと言ったときのルミゴンの言葉。『リベリオには男になる為の経験数が絶望的だ』と真正面から叩きつけられ、『リスターだけでなく、実の兄であるアレニスやお前の過保護も原因だ』と睨みつけられた。
頭では理解している。それでも、誰に何と言われようともリベリオを目の届くところに置いておきたいという兄心が、ニックスの首をなかなか縦には振らせなかった。
----ま、最後には言いくるめられたけどな。流石、あのリスターさんと肩を張り合うだけのことはある。
「リベリオ、今から向かうところはあるのか?」
「いえ、特には。」
「そうか。なら、何があったか詳しく話してくれ。俺からも団の事で話しておく事があるから、その後で話す。」
「分かりました。」
リベリオはアンバルシアを出発してからオロヒリアに着いてからの事の顛末を説明した。そしてその後、ニックスから自分が不在だった間の出来事について話を聞き終わる頃には、外はすっかり暗くなっていた。リベリオはチラと窓から空を見上げ、溜息を吐いた。
----もう暗くなってきたか…。結局、オッサンには会えないままになりそうだな。
フゥ、と息を吐き、すっかり冷たくなったお茶を啜ってカップを置いたところで、けたたましく扉を叩きつける音がした。リベリオは飛び跳ねるように立ち上がり、扉を開けると、訪問者の顔に目を見開いた。
「ターニオじゃないか!どうした!?なんだその怪我は!」
「リベリオ様!リベリオ様ぁぁ!!」
「何だ?何があった!おい、どうしたんだ一体!」
リベリオは崩れるターニオを支え、腕の傷を見てから隣に立つ門番に視線を向けた。顔を青くし、震える手で持っていたハンカチをリベリオに渡す。リベリオは訝し気に血で汚れたハンカチを広げ、縁にあるものを見てハッとした。
----この不細工な刺繍は…これ、ナリーのじゃないか!
広げたハンカチを目の前に寄せて、糸を縫い付けられた部分に目を凝らす。全てを読まずとも最初の一文字で誰のものかすぐにわかった。見慣れていない者からすれば、刺されているのがただの名前でもきっと解読するのに時間がかかるだろう。それ程に、グニャグニャに曲がった線は文字なのか絵なのかわからなかった。
リベリオはターニオと門番を団長室に入れて扉を閉めた。ニックスは立ち上がり、リベリオの手元に視線を向けつつ声をかけた。
「どうしたリベリオ。ん?女物のハンカチ…まさかナリア嬢に何かあったのか!?」
「ターニオ、何があった?ナリーはどうしたんだ!?」
「も、申し訳ありません!私たちのせいなのです!!」
「いいから、落ち着いて話せ。何があった?」
リベリオはターニオをソファに座らせ、できる限り穏やかな声で話しかけた。ターニオは深呼吸を繰り返し、顔を顰めて話し始めた。
「今日、ナリア様がルマリナの元を訪ねて来られたのです。そして夕方、暗くなる前に店を出られて護衛の方たちと共に馬車に向かわれました。」
「ナリーがルマリナのところへ?」
「はい。そして、少し経ってから小さな子供が店に入ってきました。その子は私たち二人に会いたいと言っている人がいると言うので、それが店の裏口だった事もあり、ルマリナと二人で向かいました。そうしたら急に覆面をした男たちに襲い掛かられ、捕まったままナリア様の元へと連れて行かれたのです…。」
リベリオは愕然としてターニオの顔を見下ろした。ルマリナのお腹には子が宿っている事を知っている。時期的にももう相当大きくなっているはずだった。
「それで、どうなった?」
「ナリア様は賊の襲撃に遭われておりました。ナリア様とサフィさんは馬車の中に隠され、賊と護衛の方たちが切り合っているところに連れて行かれたのです。」
「ナリーが襲われたのか!?自警団は!?自警団は来なかったのか!」
「それが…その少し前にスラム区域で火事が起こり、総出で向かっているようだと聞きました。」
「クソッ…まさかわざと…。それで?」
「何人か倒れている者がおりましたが、殆ど…いえ、全て賊だったと思います。護衛の方々はせいぜい怪我をされている程度で…。」
「じゃあ、ナリーは無事なのか?」
「そ、それが…。わ、私たちが…私たちのせいで…。」
ターニオの目に、みるみる涙が溢れ出る。拭う事もせず、頬に滴り落ちるままターニオは震える声で続けた。
「私たちを連れ出した賊が…ルマリナを地面に引きずり倒し、私の腕を切った上で、大声でこう言いました。」
----『ナリア・グラナード!出てこないのならば先にこの女の腹を引き裂く!』
リベリオは目を見開き、肩を震わせ俯くターニオの顔を凝視した。息が止まり、身体中の感覚が冷えたように痺れ出す。言葉が出てこないまま口を震わせていると、ターニオは更に続けた。
「そしたら、ナリア様が馬車から飛び出して来られたのです。そして、用があるのは私だけだろうと仰って、双方の剣を収めさせたのです。そして…ルマリナを…私たちを助けて下さいました…。このハンカチは、腕を切られた私に巻いて下さったものです。」
「そんな…じゃあ、ナリーは自分から連れて行かれたっていうのか?」
「はい…。私たちを護衛の方の元へ行かせてから、賊に向かってこう仰いました。」
----『私を連れて行きなさい。その代わり、ここにいる者にはこれ以上手出しをしないで。』
両手で顔を覆い泣き崩れるターニオを見下ろしながら、リベリオは胸に熱いものが込み上げた。依然として危険な状況である事は間違いない。それでも、ナリアがどんな思いで敵の元へ向かったのかがわかっただけで、少しは冷静な判断ができるというものだった。
「ターニオ、賊はナリーを連れ去る時に何か言っていなかったか?」
「いえ、何も…。ナリア様を馬に乗せて、そのままどこかへ行ってしまいました。」
「そうか…。」
「あ!ですが、ナリア様を馬に乗せた際、一旦屋敷に戻るとかなんとか言っていたのが聞こえました。」
「屋敷に『一旦』?てことは、その後どこかへ連れ出そうとしてるってことか?」
「屋敷…ターニオ、そいつは屋敷と言ったのだな?」
ターニオの言葉に、ニックスは視線を鋭くして反応した。ターニオが小さく頷くのを見て、「そうか…」とチラと窓の外に視線を移す。黙ったまま外を眺めるニックスの背中に、リベリオは声をかけた。
「団長、どうなさいましたか?」
「おい、君。隣の部屋に俺の部下がいるんだが、ターニオを連れて行ってくれないか。怪我の手当てをしてやってくれと伝えてくれ。それからターニオ、よく知らせてくれた。この礼はいつかさせてもらう。」
「とんでもございません!こうなったのは私たちのせいなのです!お言葉を頂けただけで十分でございます!」
リベリオの言葉を無視し、部屋の隅で存在を消していた門番に声をかける。ターニオは慌てて立ち上がり、一礼してから門番に連れられ部屋から出て行った。ニックスは再び険しい顔で窓の外を眺め、小さく溜息を吐いた。
「あの…団長?」
「いや…賊は屋敷に戻ると言った。そしてそれを聞いたターニオが今ここにいる。もし賊が言う屋敷がニスカ・ルッソの屋敷なら、多分もうすぐ…」
「え?何です?」
ブツブツと呟くニックスの言葉を聞き取ろうと身を乗り出した時、扉を叩く音がした。ニックスが足早に向かい、扉を開ける。一人の男が小さな紙を手渡すと、すぐに踵を返して去っていった。
扉を閉めて内容を確かめると、ニックスはニヤリと笑ってリベリオに手渡した。
「これは…!」
「あぁ、侯爵様の部下からだ。屋敷の周りには大勢の諜報員が配置されているらしくてな。何か動きがあれば事情を知っている者のところ全てに同じ情報が回るように手配されているんだ。」
リベリオは唖然として手元の紙を見つめた。対象を監視し、情報を多方面に渡らせるだけでも相当な人員と伝達路を確保しなければならない。確実に捕まえにかかるルミゴンの執念に、リベリオは背中に冷たいものを感じた。
「では、この連れて来られた女というのは…。」
「間違いなくナリア嬢だろう。今彼女は奴の屋敷にいる。」
「クッ…」
ギュッと拳を握り締め、奥歯を噛み締める。ソファに置いてあった外套を掴み、ニックスへと向き直った。
「団長、申し訳ありませんがここで失礼します。」
「今から行くんだろ?だったら俺も一緒に行く。お前一人で行かせるわけにはいかん。奴の屋敷の場所はすでに調べてある。」
「何を仰いますか!団長にもしもの事があったら…」
「それはお前もだろう。いいか、お前は俺の大事な部下であり弟だ。俺は弟を失うのは二度と御免なんだよ!わかったか!」
「団長…。わかりました。では、よろしくお願い致します。」
リベリオがふわりと笑う。ニックスはリベリオの頭をクシャリと撫でると、外套を手に取りリベリオと共に団長室を後にした。




