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帰りの馬車に揺られながら、エドラは踊り子の少年との会話を思い返していた。本来ならば跪き、許しが出るまで決して声をかけてはならない相手だっただけに、未だに手足の震えが止まらない。万が一護衛の者が側にいて少年に手を上げていたりしたら、全員極刑に処せられても文句は言えないところだった。
結果的に公園の外で待機させておいて正解だったのかもしれない、とエドラは複雑な思いに息を吐いた。
----まさかあんな所でラタイエ・ビナ・ペルラード殿下とお会いするなんて…。
*
「で、アンタは?」
ナリアとメラティスが侍女と共に離れていったのを確認し、ラタは声を落として口を開いた。
「私はアマティスタ子爵家当主クレトン・アマティスタの妻エドラと申します。貴方様はリヴィニス王国第三王子殿下であらせられますね。知らぬこととはいえ、娘たちのご無礼をお許し下さい。」
エドラは青い顔をしたまま目を伏せた。本当なら両手両膝を地に付けて頭を下げねばならないところだが、他の者には内緒にしろという第三王子の勅命を受けている手前、結局は見下ろす形で謝罪するしかなかった。
心臓が爆発しそうな程の恐怖と緊張に耐えながら、エドラは必死の思いを表情に込めた。
「あぁ、気にしなくて良い。俺は今はただの踊り子だ。不敬罪だの何だの言わねぇから、アンタもそんな泣きそうな顔するなよ。」
ラタがニッと笑うと、エドラは顔を上げて遠慮がちに微笑んだ。
「にしても、ナリアがあのグラナード侯爵の息子の嫁とはな。」
「いいえ、嫁ではありません。ナリアは昨年、グラナード侯爵様からのお申し出で養子縁組を結び、グラナード家の娘になったのです。娘はまだ独身ですが、デガート伯爵家のご子息と婚約を結ぶところでして…。」
エドラの歯切れの悪さにピクリと反応し、ラタはすかさず口を開いた。
「娘になった?奴が望んで?」
「はい。」
「ふぅん…で、婚約を結ぶところってことは、まだ結んでいないのか?」
「はい。本人同士は深く愛し合っているのですが、娘の話ではグラナード家とデガート家には少々溝があるようでして…。デガート家の方が二人の婚約を拒否しているそうなのです。」
エドラは目を伏せ、声を沈ませた。やっと二人の想いが通じたと思った矢先に、今度は家同士の問題が起こっていたのである。デガート家との間に溝があると分かった上でナリアを娘にしたのかという考えが頭をよぎった時は、思わず持っていた扇子を割りそうになった。
「ふ~ん…なるほど。よし、分かった!だったら俺が一肌脱いでやるよ。」
「はい?」
エドラはキョトンとした顔でラタを見た。なぜか目の前にいる少年が、楽しそうな事を見つけた子供のように目を輝かせている。その表情を目の当たりにして冷たい汗が流れるのを感じたが、すでに遅かった。
「いいね、いいね!愛し合う二人。立ちはだかる家門の壁。なぜ二人は引き離されなければならないのか!?運命に弄ばれ、阻害され、さらに燃え上がる二人の愛の情熱!!」
胸に手を当て、ポーズを決める。切なそうな目元とニヤついた口元を見せる少年に、エドラは今度こそ本当に全身から嫌な汗が流れた。この辺りでお暇したいところだが、どうやら放してくれそうにはない。
「あの…殿下?一体何をなさるおつもりですか?」
「うん?要するに、そのデガート家の当主に結婚を認めさせたら良いんだろう?相手は長男か?」
「いいえ、ご次男のリベリオ・デガート様と仰る方です。王宮第五騎士団の副団長を務めておられます。」
「なんだ、王宮にいるのか!だったらすぐに調べがつくじゃないか!」
「えぇ!?」
さらに目を輝かせる少年を見て「ウッカリ」の文字が浮かんだが、やはり遅かった。エドラは心の中でナリアとリベリオに手を合わせ、ついでにルミゴンには悪戯な笑みを浮かべた。
「あの、殿下…お伺いしてもよろしいでしょうか?」
「うん?何だ?」
「殿下はなぜこのような場所に?先ほどの踊りは…。」
「あぁ、あれか?あれは…実益を兼ねたただの趣味だ。俺は今日みたいな祭りがあれば参加するようにしているんだ。」
「そうでございましたか。ですが、このような場所にお一人でおられては御身にとって危険なのでは?」
「フンッ、俺には優秀な兄が二人もいるんだ。俺一人いなくてもどうって事はないさ。」
「殿下…。」
ふと気配がして振り向けば、ナリアが様子を窺いながらこちらに向かって来るところだった。ラタは身体を少し傾けてエドラに寄ると、小さな声で囁いた。
「いいか。俺が王子だってことは内緒だからな。絶対に言うなよ。」
「…はい、畏まりました。」
不安げに辺りを見回しながら近づくナリアの様子に目を細め、ニヤリと笑った。
「ま、俺に任せとけ。すぐに婚約させてやるよ。」
*
翌日、ナリアは侍女のサフィを連れて孤児院へと出かけた。いつものように籠いっぱいにお菓子を詰め込んだせいか、馬車の中は甘い香りに包まれていた。
ナリアが風にあたりながら窓の外を眺めていると、一瞬視界に入った光景に視線を向けた。大通りに面した大きな建物から砂煙が立ち込めている。元は何を営んでいたのか分からないが、広い敷地に建てられたその建物は、一階の天井が高く設計された二階建てのものだった。運び出された大量の石塊や朽ちた家財が次々と荷台に乗せらている。改装でもしているのだろうか、遠目で見ても相当な人数が動員されていた。
----あそこまで大掛かりな工事をするなんて、一体何ができるのかしら…。
移動が簡易な露店ならば、出入りも多い為に見知らぬ店ができたり無くなったりすることは珍しくない。しかしその土地に根付くような大きな店となると事情は変わってくる。それが大きければ大きい程、人々の関心を寄せ集めた。
馬車は走り続け、見慣れた道に入ると孤児院の中から人が飛び出してくるのが見えた。孤児院の側に着く頃には子供たちも集まってきていた。
「ミネラ!久しぶりね!皆も元気だった?」
「ナリー!嬉しいわ、来てくれたのね!」
「サフィ、子供たちにお菓子をあげてくれる?」
「フフ、畏まりました。さぁ、皆でいただきましょうか。」
たくさんあるわよ、とサフィがお菓子の詰まった籠を子供たちに見せる。そのまま孤児院の中へ入ると、子供たちは目を輝かせてぴょんぴょんと跳ねながらサフィの後ろについて行った。
その様子を見てクスクスと笑いながら、ナリアはミネラに連れられ院長室へと向かった。
「リドット先生、お久しぶりです。」
「やぁ、ナリー。よく来たね。さ、座りなさい。」
「私、お茶の用意をしてくるわね。」
ナリアは促されるままにリドットと向かい合った。リドットがじっとナリアを見つめている。その視線に気が付き、ナリアはニコッと微笑んだ。
「リドット先生、どうなさいましたか?」
「いや、ナリーはすっかり大人になったなと思ってね。ここへ初めて来た時はまだ11歳の少女だっただろう?あれから十年以上経ったのだと思うと感慨深いよ。」
リドットがふわりと笑う。その笑顔には、確かな時間の流れを感じさせる優しい線が増えていた。
「そんな…。私なんて、見た目ばかりが大人になって中身はちっとも成長していないのです。昨日も妹に世間知らずだと怒られてしまいました。」
「そんな事はないよ。ナリーと妹さんとではそれぞれ世間の知っている部分が違うだけで、これから知らない事を知っていくところなのだから。」
「ふふ、リドット先生にそう言っていただけると元気が出ます。」
扉をノックして、ミネラがトレイを抱えて入ってきた。手土産に渡したお菓子もちゃんと持ってきている。
「お待たせ!子供たちがとても喜んでいたわ。ありがとう、ナリー。」
「喜んでもらえて良かったわ。また持ってくるわね。」
ミネラはお茶の用意を手早く済ませて席につくと、さっそく本題に切り込んだ。
「で、リブ様とはいつお式を挙げるの?どこまでお話は進んだ?」
「あ、その事なんだけどね…。」
ナリアはカップをテーブルに置いた。最後に孤児院に来て以来、目まぐるしく状況が変わったことを二人には伝えていなかった。そもそも、アマティスタではなくなったことすら話していない。
どこから話せば良いのか考え込んでいると、リドットはいつもの穏やかな声を出した。
「ナリー、無理に順序だてなくて良いんだよ。思ったままに話してごらん。」
「そうよ、こっちで勝手に頭の中で処理するから大丈夫よ。」
二人から笑顔を向けられ、ナリアは心の底から安らかな気持ちになった。幼い頃から、辛い事があればいつもこの二人が手を引いて助けてくれた。嬉しい事があれば一緒に飛び跳ねてくれた。悲しい事があれば何も言わずに抱き締めてくれた。
ナリアはフゥ、と息を吐いてこれまでにあった事を話し始めた。話し進めるにつれ、最初はニコニコしていた二人の顔がみるみる真顔になり、終には唖然として開いた口が塞がらなくなっていた。
「…で、今はリブとはまだ正式に婚約を結んでいない状態なのです。」
一通りの事を話し終え、スッキリした気分でお茶を啜る。用意されたお菓子に手を伸ばそうとしたところで、二人の表情が固まっている事に気が付いた。
「あれ、どうしたの?ミネラ、リドット先生。」
「どうしたのじゃないでしょう!?とりあえず養子縁組とか婚約の事は置いておくとして、ナリーが領主って何よ!何でそんな大事になってるのよ!」
「ナリー、そんな話を受けて本当に大丈夫なのかい?」
二人の顔が本気の心配顔になっている。こんな顔をさせたのはいつ振りだろうと、ナリアはまじまじと見返した。
「ナリー、聞いてるの?」
「うん。私も最初は本当に驚いたのだけれど、ちょっと気になる事があるというか…。本当に私を領主になさるおつもりなのかなって。」
「どうしてそう思うんだい?皆の前で宣言なさったのだろう?」
ナリアは二日前の夜、入浴中に感じた違和感について話した。なぜルミゴンは一度目を通した報告書ばかり見せるのか。なぜ諍いや治安に関する事は最低限のものしか見せないのか。なぜ刑罰に関するものは一切見当たらないのか。
ナリアが話し終えると、三人の間に沈黙が落ちた。リドットはしばらく考え込んだ後、静かに口を開いた。
「ナリーはそもそも、養子縁組を結ぶ結ばないに関わらず、どうして侯爵様のお仕事の手伝いをしたいと思ったんだい?」
「それは…私は、父の仕事のお手伝いをしていた時からその魅力にのめり込んでいたからです。人付き合いが苦手な私でも、お仕事を通じて人々のお役に立てる事が嬉しくて。いろんな方と交流を深めるうちに私自身の存在を認めてもらえている気がしました。」
「それじゃあナリーには、人の役に立ちたいという気持ちと、自分の事をもっと知って欲しいという気持ちがあるんだね?お仕事を通じてなら、直接相手と会話をするよりも自分の意思を表現しやすい。そういうことかい?」
リドットが確かめるように聞く。ナリアは頷き、真っ直ぐにリドットを見つめた。
「はい。今は侯爵様の元で事務仕事を主にしていますが、ついこの間も私が提案した収穫作業の改善方法で皆の負担が減らせたと、感謝のお手紙を頂きました。些細な事かもしれませんが、私にとってはかけがえのない大切な事なのです。」
「だったら、答えは出ているじゃないか。」
「え?」
リドットがニコリと微笑む。ナリアはキョトンとした顔のまま首を傾げた。
「もしかしてナリーは、領主にすると言われてからずっとその言葉に囚われているんじゃないかい?」
「はい、それは…。だって、皆の前で宣言されてしまった以上、私だけの問題ではないと…。」
「本当にそうかなぁ。僕はそうは思わないのだけれど。」
「どうしてですか?」
ミネラが横から尋ねると、リドットはお茶を一口飲んで、続けた。
「侯爵様はナリーの能力をかってお仕事を続けさせてくれたんだよね。それも養子縁組までして。そしてその時、ナリーの気持ちを汲んでリベリオさんと婚約を続けても良いとまで仰った。」
「はい、そうです。」
「ナリー、以前僕が言った事を覚えているかい?『男は意外と単純でわかりやすい』、『同情はしても、求婚まではしない』、『愛する女性の事を何よりも大事に考えている』って。」
「はい、覚えています。リブとの事を相談した時の事ですよね。」
ナリアが頷く。かつてリベリオの気持ちが信用できないと嘆いた時に、リドットがかけてくれた言葉。その言葉に救われた事を忘れるわけがなかった。
「そこまでした大事な娘の意思も確かめずに、領主なんて大役を無理強いされるとは僕には思えないんだ。」
「それは…確かにそうですよね。ナリーの事をそこまで気にかけて下さってる方ですもの。しかもその方って、ナリーの元婚約者のお父様なのでしょう?普通だったら考えられない関係よ?」
ミネラがナリアに向き直る。リドットは小さく頷くと、「つまりね」と続けた。
「確かに皆の前で宣言なさったかもしれないけれど、それだってどこまで本気かわからない。ナリーが違和感を感じたのがその証拠だ。それに、宣言の撤回や跡継ぎの変更なんていくらでもできるのかもしれないしね。」
「それじゃあ、私は領主にならなくてもいい、と…。」
ナリアは自分の言葉にハッとした。アンバルシアの大広間での出来事と、ルミゴンが自分に領地を渡そうとした複雑な理由に囚われ、いつもの自分ならすぐに断るのにそれができなかった。それが心の枷となり、知らないうちに心の重荷に変わっていた。
「私は…領主というものになりたいわけではないのです。いいえ、なりたくありません。ですが、どう伝えたら良いのか…。」
「ふむ。じゃあ、考え方を変えてみようか。まず、領主になりたい、なりたくないじゃなくて、ナリーは元々何をしたいんだった?」
「それは、お仕事を通じて人々のお役に立ち、いろんな関りの中で私の事を知ってもらう事です。」
「そこに、領主である必要はあるかい?例えば、ナリーがこれから成そうとしている事に、領主の権限が必要だとか、肩書だけでも領主である必要があるとか。」
「いいえ。今までのように皆さんと…同じ目線で、対等でいる事で十分だと…思っています…。」
ナリアの心臓がドクンと高鳴る。頭の中の霧が晴れていくような感覚に、堪らない高揚感を感じた。
「ではナリーは、自分がしたいと思っている事に必要な事は何だと思っているんだい?」
「あ…。」
「そこに、『領主』である必要は?」
ナリアは一呼吸して、ハッキリと声に出した。
「ありません。」
*
夜、ナリアは自室のベッドに寝転がり、天井を眺めながらリドットの言葉を思い返した。
----『ナリーはきっと『断る』とか『なりたくない』という事にも引っかかっていたんじゃないかい?』
----『自分は何をしたいのか、その為には何が必要で何が必要じゃないのか、ナリーの今の気持ちをきちんと話せば、侯爵様もわかって下さると思うよ。』
静まらない胸の高鳴りに心地良さを感じながら、ナリアはそっと目を閉じた。




