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ナリアが広場の方へと向かってから数刻が経ち、すでに陽が傾き始めていた。ベンチに残されたエドラとメラティスは連れていた侍女にナリアの行方を捜すように指示したが、その侍女までがなかなか戻っては来なかった。
「どうしたのかしら。なかなか戻ってこないわね…。」
エドラが込み上げる不安と苛立ちに耐えるように、じっと広場の方に視線を刺す。人の出入りを遠目に見ていると、広場にいた客たちは徐々に減り始め、帰り支度を始める店がポツポツと出始めていた。
----ダメだわ、もう待っていられない。
エドラは立ち上がり、急いで広場へと向かった。その後を追いかけるように、メラティスが続く。まばらになった人影がエドラの不安を助長し、早鐘を打つ心臓と乱れる呼吸に胸が締め付けられた。
「お姉様ったら、どこまで行ってしまったのかしら…。」
「この辺りまで見えていたのに、何てことなの…!あの子に何かあったら…!」
脳裏に浮かぶ最悪の状況に、次第に呼吸が浅くなる。目立つのを避ける為とはいえ、護衛の者たちを公園の外で待機させた事を今更ながら後悔した。
----まさかこんな事になるなんて!
己の甘さが招いた状況にただただ恐怖が込み上げる。震える膝を叱咤して足を踏み出したところで、自分を呼び止める声に振り向いた。
「奥様、お嬢様!ナリアお嬢様を見つけました!」
スカートの裾を上げ、息を切らせて走り寄る侍女の姿に安堵したと同時に、一人でここまで戻ってきた侍女に違和感を覚えた。
「本当に!?あぁ、良かった!ナリーは何処にいるの!?」
「それが…。」
侍女が俯き、口を噤んで目を伏せる。エドラの心臓がドクリと動き、震える手で侍女の肩を掴むと、目を見開いて侍女に詰め寄った。
「ナリーに何かあったの…?言いなさい!何があったの!!」
「お母様!落ち着いて!!」
メラティスがエドラを引き離し、侍女の前に出た。侍女の悲壮な表情に思わず息を呑むも、グッと目元を引き締めて声を上げた。
「とにかく見つけたのね!?」
「は、はい!」
「早く案内してちょうだい!!」
「こちらです!」と言って前を行く侍女の後ろを追いかけると、公園の奥の樹々が並ぶ人気の無い場所が見えてきた。陽の光を遮り、中は暗い森のようになっている。もし人がいても、余程近くに行かない限り気付くことは無いように思えた。
侍女は一度振り返り主人がついて来ているのを確認すると、樹々の中へと入っていった。ゴクリと唾を飲み込み、祈るような思いで中へと足を踏み入れる。そこには広場の賑やかさが幻だったかのような静寂な空間があった。
樹々の間を更に奥へと進み、開けた場所の手前で侍女が立ち止まった。奥を指さし、俯いている。耳を澄ませば、女の苦しむ息づかいと若い男の声が聞こえてきた。
「クッ…!はぁ、はぁ…」
「おい、何勝手に休んでんだよ。ほら、もっと腰動かせ。」
「ご、ごめ…な…、も、もうこれ以上は…。」
「はぁ?何…こっからが激しくなるんだろうが…。」
荒い呼吸と共に聞こえる衣擦れの音。時折、地面を強く擦る砂の音が辺りに響いては、ドサリと倒れる音がした。
----これ…ナリーの声…まさか…!まさか!!
侍女を押しのけ、前に出る。メラティスは落ちていた木の枝を拾い、悲痛な声を上げる母の後ろに続いて飛び出した。
「ナリー!ナリア!!ナリアァァ!!そこに……え?」
「お姉様!!……あ?」
決死の思いで飛び出したと同時に、ナリアの苦しむ顔が目に映った。良く目を凝らせば身体をあらぬ方向に捩り、腰を突き出している。息ができないのか、顔を真っ赤にしながら酒に酔った蛇のような奇妙な動きで腰を回し、時折バランスを崩しては尻もちをついていた。
「…だから!もっとこう、こうだよ!分かるか?こう突き出すんだ!」
「はぁ、はぁ、待ってよラタ!それが難しいのよ。どうやったらそんなにくねくね動かせるのよ!」
「ったく、ただくねらせてるだけじゃないって言っただろ!?この動きにもちゃんと意味があるんだ!それをちゃんとイメージして…こう!こうだ!こう!」
地べたに座って少年を相手に喚き散らす良い歳をした娘と、娘の周りを回りながら腰をくねらせる少年。エドラが侍女の方に振り向けば、「オイタワシイ」と溜息交じりに頭を抱えていた。
絶句する母に代わり、メラティスが声を荒げた。
「お姉様!!こんな所で何してるのよ!!」
「は?え?あら、メラティス。お母様も。」
「は?じゃないでしょう!どれ程心配したと思っているのよ!」
メラティスが大股に歩み寄り、ナリアの傍に座り込んでラタを睨み上げた。ラタは艶のある目元を細め、涼しい顔のまま両腕を組んで見下ろした。
「あなた、どういうつもりなの?女性をこんな人気の無い場所に連れ込むなんて!お姉様に何もしていないでしょうね!」
「お姉様?何だ、お前ナリアの妹か。」
「お前?私の方が年上でしょう!口の利き方ってものを知らないの!?」
メラティスはナリアを後ろにして立ち上がり、持っていた枝を握り締めた。ラタはチラと視線を向けて鼻で笑うと、指をさして冷たく言い放った。
「何だよ。それで俺とやろうってのか?」
「ラティ、ちょっと待って。ラタは私に踊りを教えてくれていただけで…。」
「お姉様は黙っていて!大体どうしてこんな所にまで付いて来たりしたのよ!襲われたらどうするの!?」
「あぁ、それは俺も同感だ。お前、危機感無さすぎだぞ。妹に心配かけるなよ。」
「え、えぇ…?強引に引っ張ってきたのはラタじゃない。どうして二人してこっちに…」
エドラが呆然と立ち尽くしたままワイワイと言い合う若者たちを眺めていると、侍女が地面に置いてあったナリアの外套を持って側に寄ってきた。
「奥様、大丈夫ですか?」
「え?えぇ、とにかく早くナリアを…あら…?」
エドラは気を取り直して娘たちの元へ行こうと足を踏み出した途端、少年の顔を見てピタリと足を止めた。
----あの顔どこかで…。
輝くような金髪に、両目で異なる金とスカイブルーの瞳。流れるように筋の通った鼻梁と形の良い唇。身に付けている衣装から公園に着いたばかりの時に見た楽団の踊り子である事は間違いないが、それとは別にどこかで見た記憶がある。困惑する侍女を余所にエドラはその場に立ち止まり、少年の顔をじっと見つめたまま記憶を探った。
----どこだったかしら。ラタと言ってたわね。『ラタ』…『ラタ』…。
口元に手を当て、目を瞑る。完全に頭の中に意識を向け、ふと、十数年前に展示された一枚の絵画を思い出した。
----そう、そうだわ!あの瞳!思い出した!
エドラはハッとしてもう一度少年を見た。同時に、少年と対峙してギャアギャアと言い合う娘たちを見た瞬間、真っ青になり慌てて駆け寄った。
「待ちなさい!ナリア!メラティス!下がりなさい!」
「お母様!聞いて下さい!この子ったら全然反省してないのですよ!」
「俺が何したってんだよ。大体、最初に俺の後を付けてきたのはナリアの方だぞ。」
「ラタもラティももうやめて!」
なおも収まろうとしない娘の身体に腕を回し、無理矢理身体を引き離した。
「お止めなさい!!このお方は…」
「アンタ、コイツらの母親か?」
エドラの言葉を遮るようにラタが口を開く。口元に指を一本当て、エドラを見上げた。
「悪かったな。てっきり俺の身体目当てに近付いてきた女かと思って連れ込んじまった。」
エドラはハッとして口を噤むと、代わりにメラティスが牙を剥いた。
「ちょっと、お姉様がそんなことするわけ無いでしょう!お姉様はリベリオ様一筋なのよ!?他の男になんて毛ほども興味ないわよ!!」
「何だ、お前男がいるのか。それは残念だ。」
「フン、とっても素敵な男性よ。私の夫の次にね!」
「メラティス!およしなさい!ラタ…と申しましたね。私の娘が面倒をかけました。」
踊り子の少年を相手に微かに震えながら頭を下げるエドラの姿に、ナリアとメラティスは目を丸くして顔を見合わせた。侍女が持っていた外套をナリアの肩に掛けるのを眺めながら、ラタは気にしていないといった風でエドラに返した。
「別に~。俺も楽しめそうだと思ったから連れ込んだだけだし。つーか、旦那がいるなら男の後をつけるような真似すんなよな。」
「ご、ごめんなさい。あ、でも…」
「余計な事は言わなくても良いのよ、お姉様。」
「うん?旦那…てことは、ナリアはグラナード侯爵の息子の妻ってことか。」
「ちょっと!呼び捨てって…」
「メラティス、これで最後よ。あなたもいい加減淑女らしくお黙りなさい。ナリー、メラティスを連れてあちらで待っていてくれる?」
「はい。」
エドラが冷ややかな目線を投げる。メラティスはニヤニヤと笑うラタを苛立ちの視線で見返し、プイッと横を向いて足早に離れていった。
エドラとラタが話しているのを遠目にナリアは小さく息を吐いた。少しの好奇心がこんな大事になるとは思ってもみなかっただけに、己の浅はかな行動が悔やまれる。
「お母様、ラタと何を話しているのかしら…。」
陽が落ち、辺りは暗くなりつつあった。ナリアは闇を纏った樹々の間を不安げに眺めた。この中を通らなければ、外には出られない。
----もう戻らないと。明かりも持ってないのに真っ暗になったら何も見えなくなるわ。
ナリアが様子を窺いながら二人に近付くと、ラタがエドラにボソリと囁いた。
「お母様、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。ラタも、そろそろ戻らないと皆さん心配してるんじゃない?まだ辺りが見えるうちに戻りましょう。」
「そうだな。そろそろ戻るか。」
*
樹々を抜け、広場に着く頃にはすっかり人がいなくなり、露店の殆どが店を畳んで立ち去っていた。かろうじて明るさを残していた空も今は星だけが輝いている。
「すっかり暗くなったな。」
「そうだ。ラタ、これ…。」
ナリアは外套のポケットから袋を取り出すと、ラタに数枚の硬貨を手渡した。
「何だこれ?」
「ダンスを教えてくれたでしょう?『相手をするのは特別割引でいい』って言ってたけど、やっぱりちゃんと払うわ。これで足りるかしら?」
メラティスがジトっとした目で睨みつける。その視線から逃れるように手元の硬貨を見て、盛大に噴き出した。
「ハハハ、そういやそんな事言ったよな。まぁ、こういう意味じゃ無かったんだが…。」
「え?」
「いや、いいんだ。これはありがたく頂いとくよ。」
ラタは硬貨を帯の中にしまい込み、遠くからこちらに向かってやって来る足音に振り向いた。ラタの肩越しに皆で視線を向けると、楽団の衣装を着た男たちが何かを叫びながら慌てて走ってくる姿が目に飛び込んだ。
「何あれ?アンタを探しに来たのかしら。」
「おっと、そうみたいだ。じゃあな、ナリア。今日は楽しかったよ。」
「えぇ、私もよ。今日はどうもありがとう。元気でね、ラタ。もし…」
「うん?」
「あの…もしまたどこかで会えたら、私にダンスを教えてくれる?ラタの踊り、本当に素敵だったから…。」
ラタがキョトンとした顔で見返す。頬を染めて遠慮がちに言うナリアに、クスリと笑って手を差し出した。
「あぁ、いいぜ。今度は南方の踊りを教えてやるよ。」
「本当!?約束ね!」
ナリアが安堵の笑みを零すと、ラタはナリアの手を取り軽くキスを落とした。
「すぐに会えるよ。」
ボソッと呟いて悪戯っぽくニッと笑い、ラタは踵を返して男たちの方へと走り出した。遠くで男たちがラタに向かって怒鳴りつけている。それでも飄々とした態度を崩さないラタに、ナリアは思わず吹き出した。
エドラはナリアの様子にフゥ、と息を吐くと、二人の娘の背中に手を回した。
「さ、帰りましょうか。」
「そうですね。なんだか疲れてしまいました。」
「ご、ごめんなさい…。」
*
楽団が演奏していた広場の一角では、体躯の良い強面の男たちが一人の少年を取り囲み、全員が思い思いにプルプルと身体を震わせていた。青筋を立てている者から青ざめている者まで、声に出せない分思っている事を態度で表している。その中から一人の男が前に出て、わななく唇をギュッと噛みしめ声を落とした。
「殿下!どこに行っておられたのですか!!勝手に出歩いたりしないとお約束していただいたはずです!!」
「わーかってるよ。悪かったって。ちょーっと面白い女がいたから遊んでただけだよ。」
「殿下!!ご自分のお立場をお考え下さい!外の女と遊ぶなどもっての他です!万が一の事があったら…」
「殿下殿下ってうるせぇな。あのなぁ、流石の俺も素人相手に見境なく手を出したりしねぇよ。その辺はちゃんとお前らが用意した女としかしてねぇだろうが。それに俺は『散歩に出てくる』と前もって伝えたはずだ。勝手に出歩いたわけじゃない。お前らこそ職務怠慢で下手すりゃコレだぞ?」
フンッ、と鼻を鳴らして首に手を当て睨み据えた。主の尊大な態度とポイントは押さえた発言に、部下はぐぅの音も出ない。グッと言葉を詰まらせる男を見下ろし、ラタは更に言い捨てた。
「大体、こういった祭りに参加するのなんて今に始まったことじゃねぇだろうが。一応これも仕事みたいなもんなんだから、その辺の危機意識ぐらい持ってるっつーの。」
つんとそっぽを向いて腕を組む。その耳にはすでに蓋がされてるのを見て取り、男はハァ、と大きく溜息を吐いて胸に手を当てた。
「わかりました。とにかく、もう暗くなりましたので王宮へ戻りましょう。」
「そうだな。あ、そうだ。お前にちょっと頼みがあるんだ。」
「何でしょう。」
「誰でもいいから、今さっき別れた女たちが無事に馬車まで辿り着けるまで後ろから見張らせておけ。気付かれないようにな。それから…」
まだ何かあるのか、と訝し気に見返す部下に、ラタはニヤリと笑って耳打ちをした。
「王宮騎士団にリベリオ・デガートという者がいる。深く調べる必要はないから、そいつとそいつの家族構成について報告しろ。」
*
「全く!お姉様の世間知らずにはほとほと呆れるわ!」
帰りの馬車の中で、メラティスは頭から湯気を放ちながら眉間に皺を寄せていた。ナリアへの妹心とラタへの苛立ちに空腹感が加わって、今にも爆発しそうになっている。宥めようとして、「ラティ、そんなに怒らないで」などと下手に言おうものなら導線に火が付いてしまうのは目に見えていた。
ナリアはふと、エドラの方を見た。馬車に乗り込んでから、押し黙ったまま窓の外を眺めている。エドラの横顔を見つめながら、ナリアは先ほどの光景を思い出していた。
「お母様、ラタとは知り合いなのですか?」
「あら、どうして?」
「いえ…。先ほどラタに頭を下げてらっしゃった時に震えておられたような気がして…。」
「そうだったかしら?陽も当たらなくて肌寒かったから、身体が勝手に震えていたのだと思うわ。彼とは初対面よ。」
「そう…ですか。それでしたら良いのです。」
エドラはニコリと微笑むと、再び窓の外を眺めた。




