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リベリオがアンバルシアに向けてグラナード侯爵邸を出発した日から三日後、ナリアはサフィを連れて実父母のいるアマティスタ子爵邸に向かっていた。
アマティスタの屋敷には、昨年の十の月にルミゴンと養子縁組を結び、グラナード侯爵家の屋敷に移ってから一度も帰っていない。義父であるルミゴンに遠慮していたわけでは無かったが、ルミゴンの娘になると決意するきっかけになった辛い出来事を思い出しそうで、自然と足が遠のいていた。
----あの時以来よね。お父様にもお母様にも、相当ご心配をおかけしたもの。あれは誤解だったときちんと話さないと。
それにしても、と窓の外に視線を向ける。扉のすぐ側を闊歩する馬を見て、ナリアは首を傾げた。
----どうしてこんなに護衛の方がいるのかしら。アマティスタの家に行くだけなのに。
グラナードの屋敷の玄関を出た瞬間、ナリアとサフィは驚愕に目を見開いて固まった。これから自分が乗り込む馬車の前後左右には、完全武装した騎馬隊がずらりと並んでいる。異様な威圧感を纏わせ馬に跨った厳つい顔の男たちが、口を真一文字に結び一斉にこちらを見ていた。
護衛なのか連行なのか分からない仰々しい光景の中、扉を開けて待つ御者が気まずそうな表情で「ハヤクノッテクレ」とナリアに訴えかけていた。
アマティスタ子爵邸の門をくぐり、玄関へと向かう。ほんの半年程しか離れていなかったのに、久しぶりに見る生まれ育った家に懐かしさが込み上げた。
----情けない。アンバルシアに行ったら半年どころじゃなくなるのに。
ハァ、と大きく溜息を吐く。アンバルシアの領主についての話もしなければならない事を思い出し、ナリアは憂鬱な表情で窓の外を眺めた。
玄関に着き、出迎えた執事の案内で居間へと向かった。調度品一つ何も変わっていない事に、言いようのない安堵感が押し寄せる。扉を開けた途端、両親と兄のロンド、妹のメラティスが満面の笑みをナリアに向けた。
ロンドはエスコートをする為にナリアの元へと歩み寄り、その後ろからメラティスが続いた。
「ナリー!久しぶりだな。元気にしていたか?」
「お兄様、お久しぶりです。この通り元気にしておりますよ。ラティも久しぶりね。」
「久しぶりね、お姉様。もう、本当に心配したのよ!今日はちゃ~んとお話を聞かせていただきますからね!」
ラティは頬を膨らませ、腰に手を当てた。他家に嫁いでも家族の前では相変わらず幼さを出す妹に、ナリアはクスクスと笑って頷いた。
「お父様、お母様、お久しぶりです。只今戻りました。」
膝を折り、微笑むナリアの穏やかな表情にエドラは目を細めた。ナリアを抱き締めようとソファから立ち上がった途端、隣にいたクレトンが跳ね飛ぶように身体を起こしナリアに抱きついた。
「ナリー!!元気だったかい?寂しくなかったかい?侯爵様は良くして下さっているかい?」
「お父様ったら、落ち着いて下さい。私はこの通り元気ですよ。皆に会えないのは寂しいですけれど、皆さんとても良くして下さっていますよ。」
「私はもっと寂しい!!可愛い娘が二人ともいなくなってしまって、残った息子はまだ嫁がおらんのだぞ!?」
「あれ、こちらに矢が飛んできてないかい?」
「お兄様もさっさとお相手を見つけたらどうですか?」
「さっさと選ぶなんて、女性に対して失礼だろう。」
「お兄様のような真面目過ぎる男性も考えものですね。」
エドラはわんわんと泣き続けるクレトンを呆れた顔で引き剥がし、ナリアをそっと抱き締めた。母の温かい手で肩を撫でられ、ナリアは目を閉じた。
「お帰りなさい、ナリー。」
「お母様…。」
「さぁ、せっかく皆が揃っているのだもの。こちらに座ってお茶を飲みましょうか。」
「はい。…あの、お母様。先に皆にお話ししておきたいことがあるのです。」
胸を張り、顔を上げて瞳を向けるナリアに、エドラはニコリと微笑んだ。
「フフ、いいわ。今のナリーの様子だと、きっと良いお話なのでしょうし。そうね、今からお茶を飲みながら聞かせてくれる?」
「はい!」
*
執事が用意したお茶を囲んで、ナリアは静かに話し始めた。
デビュタントでのリベリオとの出会い。婚約を結んでから他の女の影に悩み続けた事。裏切られた事がきっかけで、グラナード侯爵家の娘になることを選んだ事。それら全てが互いの下らないプライドとすれ違いから生まれた誤解だった事。リベリオは最初から最後まで、自分を愛していてくれた事。
互いに心を通わせ、もう一度結婚の約束をしたと話したところで、エドラが歓喜の声を上げた。
「まぁ!それじゃあ、リブ様とはまた婚約したのね?」
「それが、まだ正式には婚約を結んでいないのです。グラナード侯爵様とデガート伯爵様との間にはいろいろと埋める事のできない溝がありまして…。」
「ふむ。しかし、リベリオ殿はもう良い歳だろう。親の許可が無くとも、婚姻を結ぶには十分過ぎるぐらい大人だ。それに次男なら家督を継ぐ必要もないのだから、躊躇う事も無いだろう。」
「それが…私と婚姻を結ぶには、リブが婿養子としてグラナード家の者になることが条件だと仰いました。」
「「「えぇ!?」」」
ナリアの言葉に、全員が一斉に声を上げた。口を開けたまま唖然とする中、エドラが額に手をついてよろけた。
「まさかここまでナリーに執着するとは思わなかったわ。何を考えているのよ、全く…。」
「なるほど…婿養子になるとなれば、話はややこしいことになるな。しかし、侯爵様がどうしてそこまで『グラナード』にこだわられるのか、理由は知っているのかい?」
「はい。理由はお話し下さいました。ただ一番の理由は、私をアンバルシアの領主に置いてリブと共に統治させる為だそうです。」
「「「はぁ!?」」」
ナリアの言葉に、全員が驚愕したまま固まった。予想通りの反応にナリアが気まずそうに俯く。静まり返った状況の中、クレトンが最初に息を吹き返して声を上擦らせた。
「ナ、ナリーが、領主!?確かあの時は、領主権一部代行委任状だと仰っていなかったか!?」
「はい。私も、アンバルシアの皆さんの前で宣言なさるまではそう思っておりました。」
「もう宣言してしまわれたの!?」
唖然としたまま黙り込む両親を余所に、ロンドが突然噴き出した。真面目で温厚な兄が腹を押さえて笑う姿に、二人の妹だけでなく両親までが顔を見合わせる。なかなか収まりそうにないロンドを、メラティスは窘めるように睨みつけた。
「お兄様!そこまで笑うなんて、いくら何でも失礼ですよ!」
「ハハハ…いやいや、ナリーが領主になる事を笑っているんじゃないんだよ。」
ロンドは息を整えてお茶を一口含んでから、まだ目を吊り上げているメラティスに視線を向けた。
「いや、流石はグラナード侯爵様だなと思ってね。」
「どういう意味ですか?」
「ナリーの才能をよくご存知じゃないか。そもそも養子縁組の話だって、ナリーの仕事の腕をかって下さったからだろう?僕自身、ナリーから仕事を引き継いだ時、その丁寧さに驚いたぐらいだ。」
皆の視線がロンドに注がれる中、クレトンだけが腕を組み目を閉じている。ロンドはチラとクレトンを見てから口を開いた。
「ナリーは幼い頃から内気で引っ込み思案な子だったが、その分周りをとても良く見ている子だった。特に人の目の動きや表情、仕草からは敏感なぐらい気持ちを読み取ろうとしていた。」
エドラが頷く。その性格のせいで、ナリアが周りの事ばかりを優先して自分を抑え続けていた事を良く知っていた。そしてそれは大人になった今もなお変わることは無く、ナリアから自信を奪っている原因のように思えてならなかった。
「そんなナリーの最大の特徴は、『ハッキリと拒否をする』事だ。相手が誰であれ、どんな状況であれ、己の意に沿わない事には決して流されない。それは、悪く働けばただの『頑固者』だが、逆に良く働けば『信念を貫く者』という事だ。」
メラティスが頷く。社交の場に出れば、女同士、否が応でも相手に話を合わせなければならない。上流階級の女同士の派閥意識は男のそれとは性質が全く異なる。少しでも周りからはみ出た意見を言おうものなら、『生意気な女』、『出しゃばりな女』というレッテルを貼られ、数刻後には話し相手がいなくなるのだ。
「もし、ナリーが性格に難のある悪女だとしたら、領主となった時周りの意見に耳を傾けない独裁者になるかもしれないが、皆はどう思う?ナリーはそんな娘に見えるかい?」
エドラとメラティスが首を横に振る。ナリアはキュリオとの婚約を白紙に戻した時のように、常に相手の気持ちに寄り添い、自分なりの正義を貫いてきた。それによって結果的に己が傷付くことになろうとも、決して誰かのせいにはしなかった。
「上に立つ者に、男も女も無いというのが侯爵様のお考えなのならば、ナリーを選ばれたのも頷けるよ。もちろん、ナリーにも欠点はあるだろうし、判断に悩むときもあるだろう。でもそれは、僕だって同じだ。僕は父上からいずれ領地を任される事になるが、僕が適任だなんて誰が言い切れる?皆、僕が適任かどうかではなく長男だからそうなるものだと思っているだけだろう?」
ナリアはハッとした。幼い頃から周りから優秀だともてはやされたロンドは、陰ではいつも努力を惜しんではいなかった。足しげく図書館に通い、朝早くから夜遅くまで書斎に籠ることも珍しくない。傍からすれば父親の後を継ぐ者として当然のように受け止めていた事も、ロンドにとっては後継者としての重圧と責任を感じてのものだったのかもしれない。
----そうだわ。お兄様は真面目な方だもの。だからこそ、尚更『適した人間』になろうと努力なさっていたのだわ…。
膝の上で手を握り締め、情けない自分に肩を落とした。生まれながらに次期当主としての荷を背負ってきた兄と、つい最近背に乗せられた自分とでは覚悟も度量も違いすぎる。
俯いたまま黙り込むナリアに、ロンドは優しく微笑んだ。
「やってみたらいいんじゃないか?もちろん領民の命を預かる者としてその責任は大きいけれど、ナリーには支えてくれる人がいるのだろう?」
「お兄様…。」
瞳を潤ませるナリアに、ロンドはパッと顔を明るくして「それに」と続けた。
「いざという時は、さっさとリベリオさんに押し付ければいいよ。僕は一度もお会いしたことはないのだけど、凄く男前らしいね。ナリーの心を射止めるぐらいなのだから、よっぽどの人タラシなんだろうな。あ、僕より年上なんだよね?じゃあ義弟というより義兄って感じになるのかなぁ。ハハハ!」
先ほどまでの良い雰囲気などどこ吹く風で、あっけらかんと言う兄の態度にナリアの潤んだ瞳が一瞬で干上がった。隣にいるメラティスとエドラに視線を向ければ、揃って「うんうん」と頷いている。ふと視線を感じて振り返ると、それまで静かに目を閉じていたクレトンが真剣な面持ちでナリアを見つめていた。
「お父様?」
「ナリー。私は、お前が領主になるのは反対だ。」
クレトンの言葉に、エドラとメラティスが振り返る。ロンドは柔和な表情を消し、神妙な顔つきでナリアの様子を窺った。
シンと静まり返った空気の中、クレトンは静かに口を開いた。
「侯爵様がナリーの才能を認め、女であっても領主にと望んで下さった事は私としても大変光栄なことだ。私もお前ならどんな場所でもやっていけるだろうと思っている。ただ、私はお前にはなってほしくない。」
ナリアが返す言葉に戸惑い、チラと兄を見る。クレトンの意見を聞いて目を伏せるロンドの横顔に、ロンドがあえて言わなかった話の内容なのだと思い至った。
「領主になれば、時に人を裁かねばならん。双方もしくは複数の者の話を聞き、そのどれもが正しく主張していたとしてもどちらかを罰しなければならない時もある。また、罪を犯した者に死に至るような重い刑を科さねばならん時もある。たとえ、その者がどんなに許してくれ、もうしません、と懇願していてもだ。」
ナリアの心臓がドクリと動く。
----私が…人の命を奪う事を…?
領主に置くと宣言されて以来、領土内の管理にばかり気を取られ、自分が人を裁き刑を科すなど考えてもみなかった。
----そうだわ、お義父様も仰っていたじゃない。レアンさんから治安維持に関することを学べって。あの時、後回しで良いと仰ったのはこの事だったの…?
「それをお前のような『人の心』に敏感な娘が、彼らの必死の訴えを目で、耳で、肌で受け止め、一方をはねつけねばならない時、その場にいる誰よりも傷付くことは目に見えている。中には己の過ちを棚に上げ、逆恨みをする者も出てくるだろう。その時は見せしめとしてより重い刑に処さなければならない時もあるんだ。」
マルフィーロ王国との先の戦の直後、傷を負ったリヴィニス王国の各地では、野盗と化した傭兵団やならず者による略奪や蹂躙の被害が後を絶たなかった。そういった者たちから民を守り治安を維持する為には、彼らを捕まえて処刑しなければならない。そしてそれは、未だに各地で起こっている事だった。
「お前に、『怪しい』というだけで人を捕らえ、白状するまで拷問を与えるよう部下に指示が出せるか?時には幼い子供が犯罪に加担している場合もあるのだぞ?」
ナリアは震える指先を握り締め、肩を縮こまらせた。たとえどのような状況であっても、とても自分にはそんな指示は出せない。ましてや、子供を刑に処すなど考えただけで気を失いそうになる。
焦点の合わない瞳で青ざめるナリアの肩を、エドラが寄り添いそっと抱いた。
「私は、女が領主になる事を反対しているのではない。だが、ナリーにはそんな重い責を負ってほしくない。他人の罪を裁くことで己の心身を蝕むような事にはなってほしくないのだ。」
「あなた…。」
「父上、よろしいでしょうか。」
ロンドの声に、クレトンは頷いた。
「ナリー、いいかい?僕はさっきナリーに『やってみればいい』と言い、父上は『反対だ』と仰った。つまりね、ナリーは領主として『相応しい部分』と『相応しくない部分』の両方を持っているんだ。もちろんこれはナリーに限った事では無いけれど、それをよく考えた上でナリーはどうするのかを決めれば良いと思うよ。」
「そうよ、ナリー。さっきロンドが言ったように、いざとなればリブ様に任せれば良いの。あなたはこれまでお父様やグラナード侯爵様を支えてきたでしょう?同じように彼を支えていけば、それで良いと思うわ。」
ロンドとエドラが微笑む。ナリアは小さく頷くと、視界の端に未だ深刻な顔をするクレトンが目に入った。全員が見つめる中、クレトンは意を決したように顔を上げ、ずいっと身体を前に出した。
「ところで…ナリーは侯爵様のことを何とお呼びしているんだ?」
急な話の切り替わりに全員が呆気に取られていると、クレトンは真剣な眼差しで「何と?」とナリアに詰め寄った。
「え?お義父様とお呼びしております。そう呼んでほしいと仰いましたので。」
「ぐっうぅぅ…!そ、そうか…。」
「あの人、本当に…。あなたも何を気にしてらっしゃるの!」
「だって私の娘なのに!!」
「あら?ラティもそうじゃないの?何てお呼びしているの?」
「私はお義父上様と呼んでいるわよ。お姉様、ここは嘘でも『お義父上様と呼んでいる』と言うところでしょう…。」
「娘は大変だね。」
両手で顔を覆い、打ちひしがれるクレトンに全員が溜息を吐いた。




