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朝、王都にあるルッソ伯爵邸の執務室で、ニスカは早馬で送られてきた伝書に目を剥き、息を止めた。差し出し人の名前は書かれていないが、紙の端に描かれた三日月の絵で誰からのものかはすぐに分かった。あまり表に出られない酒場の店主の手足になるよう側に置き、店主の動向を見張らせていた者からだった。
紙を持つ手が震え、喉がカラカラに乾く。紙が手からすり抜けると同時に膝から崩れ落ち、両手で頭を抱えた。
「クソッ…クソゥッ!!あの店主が攫われただと!?用心棒まで…一体何をしていたのだ!!」
床を何度も叩きつけては用心棒への罵声を上げる。送られてきた紙には、店主が大男と共に店を飛び出してきた事から、馬車で逃亡中に店主と用心棒が攫われた事までが書いてあった。そして、連れ去ったのは『レアン』と『リベリオ』という名の男たちだという事も。
「レアンに、リベリオだとぉ!?」
ニスカは震える手で紙を拾い上げ、書かれている名を睨みつけた。噛み締めた歯の隙間から恨み言を漏らし、紙を握り潰す。己の領域を踏み荒らした者への沸き起こる怒りに顔を歪ませ、目の前に迫る絶望に息を荒げた。
「おのれぇぇ!!一体何者だ…、…うん?レアンに…リベリオ…」
身を捩り、床に額を擦りつけようとしたところでニスカはハッとして顔を上げた。あまり他人と被りそうにない名前だからか、妙に胸に引っかかる。
----リベリオ?どこかで聞いたような…。
ニスカは爪を噛み、空を睨みつけたまま記憶を探った。店主が攫われたという事は、数日後には自分を捕らえに追手が来る。その前に、せめて手を下した者だけでも消しておかねば気が済まない。
その時、ふと半年程前に開いた軍務会議を思い出した。忘れもしない、小生意気な団長が身の程も弁えずに皆の前で自分に口答えをした会議だ。
----『ニックス・ドラルナー団長、貴殿のところの副団長はどうした?』
----『申し訳ございません。リベリオ・デガートは急用で出ておりまして…』
「リベリオ・デガート…そうだ、確かそんな名だった。という事は、まさか第五騎士団の副団長か!?」
ニスカは目を見開き、拳を震わせた。
*
第五騎士団の団長室で、ルミオは朝早くから机に向かい書類仕事に追われていた。副団長であるリベリオが不在の間は、補佐官のルミオが業務を代行するようにと団長から命を受けている。代行している間は自分の代わりに雑用をしてくれる者を置こうかと思ったが、負けず嫌いな性格とこの団長室に他の者を入れたくないという妙な縄張り意識で、結局二人分の仕事をこなすことになった。
----副団長がアンバルシアを出発してから今日で…七日目か。
ふと、読んでいた書類から目を離した。今朝早く、父バロットがリベリオの実家であるデガート家に向かった事を思い返す。バロットは家を出る直前、玄関で見送るルミオに耳打ちをした。
----『万が一、ニスカ・ルッソにリベリオ君の事を聞かれたら、これまで通り休暇中である事だけは正直に言うんだ。行き先は知らない事にして、すぐに私か義兄さんに知らせてくれ。』
溜息を吐き、手元の書類に視線を戻す。書類を次々と片付けているうちに、いつの間にか廊下から人の往来する足音が聞こえだし、扉をノックする音がした。
「失礼致します。そろそろ訓練のお時間ですのでよろしくお願い致します。それから、こちらは団長宛ての書類です。」
「分かった、すぐに行く。それは団長の机に置いておいてくれ。」
「はい。」
羽ペンを置き、両腕を回して机仕事で固まった身体をほぐす。深呼吸をして訓練の準備をしに立ち上がったところで扉が開いた。
「おはよう、ルミオ。今日も朝からご苦労だな。お、シンクもいたのか。」
ニックスは入ってくるなり、ルミオの机の上に視線を向けた。いつもきちんと整理されている場所が、書類で埋め尽くされている。それでも整然としているところに本人の性格が出ているな、とニックスは目を細めた。
「おはようございます。私は書類を届けに来ただけですので、これで失礼致します。」
「おはようございます、団長。これから訓練場に向かうところでしたので、先にお会いできて良かったです。」
「うん?どうかしたのか?」
ルミオは部屋から出ようとするシンクの背中に視線を向け、扉が閉じたのを確認してから声を落とした。
「それが、今朝…」
「うわっ!!」
突然の大声に、二人は咄嗟に扉の方に振り向いた。閉まったはずの扉が大きく開かれ、出て行ったはずのシンクが尻もちをついて戻ってきている。思いきり突き飛ばされたのか、唖然とした顔で目の前で仁王立ちをしている男を見上げていた。
「ドラルナー団長はいるか!?」
「私ならここにおります、閣下。」
----ニスカ・ルッソ!早速来たのか!!
ルミオが心の中で舌打ちをしている傍らで、ニックスはシンクの元へ行き、腕を掴んで立たせていた。シンクが立ち上がりざまに部屋から出ようとしたところで、ニスカは視線をニックスに刺したままシンクに向かって鋭い声で呼び止めた。
「待て。そこのお前、ここにいろ。」
「は、わ、私ですか?」
「そうだ。ドラルナー団長、貴殿のところの副団長に用がある。彼は今どこにいる?」
----勘付いている。
ルミオはニスカの一言に、一気に緊張を走らせた。腹が黒い者同士、何を考えているのかが手に取るようにわかる。
もしリベリオが関わっているとしたら、所属する団長と補佐官も関わっているかもしれない。ならば、中途半端に情報を隠そうとする者たちよりも、何も知らないであろう下っ端の者の方が情報を引き出しやすい。そして、部下の前では下手に嘘も吐けない。その為に呼び止めた。
----どうする…。
ルミオは視線だけを動かし、扉付近を確認した。ニスカのすぐ後ろには護衛の騎士が二人立っている。そこでまた、ルミオは心の中で舌打ちをした。
黙り込み、頭の中を巡らせるルミオとは対照的に、ニックスはいつもと変わらない落ち着いた口調で応えた。
「リベリオ・デガートですか?彼でしたら、今は長期休暇に入っております。」
「ほぅ…長期休暇。このような時期に副団長が長期休暇とは!第五騎士団は随分と余裕があるようだな。」
ニスカは鼻で笑いながら扉へと振り返った。団長室前の廊下は多くの野次馬で埋め尽くされている。それらを一瞥してから、ニックスに向き直った。ニックスはなおも落ち着いて応える。
「彼は昨年末からずっと休みなく働き続けておりました。ですから、本格的に戦の準備が始まる前に、私が無理矢理彼に休暇を取らせたのです。」
「そうか、それは部下思いなことで何よりだ。で、彼は今どこにいる?いつ帰ってくるんだ?」
「申し訳ありませんが、行き先までは把握しておりません。休暇は十日取らせてありますので、明後日には戻ってくるかと。」
「行き先がわからない、か…。」
ニスカが口元に手を当てて考え込む。その様子を、ルミオは固唾を飲んで見つめていた。
----副団長を名指しで探しに来た。そして今ここに不在かどうかよりも、行き先を気にしている。やはり、これ以上情報を渡すのは危険だ。
ルミオが顔を上げて口を開こうとするよりも一呼吸早く、ニスカが口を開いた。狙いを変えた視線の先には、緊張で固まるシンクがいる。ルミオはハッとして、咄嗟に鋭い視線をシンクに向けた。
「おい、お前。副団長のリベリオ・デガートが出かけそうなところを知っているか?」
「は、はい!?出かけそうなところですか!?」
「そうだ。店でも、地方でも、施設でも何でもいい。誰とよく出かけるかでも構わん。」
「あぁ、それでしたら…」
----まずい!!
ルミオは目を見開き、シンクの口を押さえたい衝動に駆られた。
「婚約者であるナリア嬢とお出かけになっているかもしれませんね。」
「婚約者?彼には婚約者がいるのか!」
ニスカの目がギラリと光る。シンクは質問の内容に安心したのか、緊張を解いてにこやかに話し始めた。
「はい。とても仲睦まじいご様子でしたので、もしかしたらご一緒にお出かけされたりしているかもしれませんね。」
「そうか、それは良い事だ。で、その婚約者というのはどこのご令嬢だ?」
「ルミゴン・グラナード侯爵家のナリア・グラナード嬢です。元はアマティスタ子爵家のご令嬢だったのですが、グラナード侯爵様と養子縁組をされたと聞いております。」
----この野郎!!余計な事をペラペラと!!
今度は殴り飛ばしたい衝動に駆られる。代わりにギロリとシンクを睨み飛ばすと、シンクはヒュッと喉を鳴らして縮こまった。
「ふむ、ナリア・グラナード…。アマティスタ子爵家か。」
ニスカは護衛の一人を傍に呼んで耳打ちをした。護衛は小さく頷くと、部屋を出て足早に去っていった。
----クソッ!早く追いかけなきゃいけないのに、コイツらがいるせいで動けない!!
ニスカともう一人の護衛は未だに団長室の扉の前で立ちはだかっている。ここで無理にでも動けば、ニスカの領地を襲ったことに加担していると自白しているも同然だった。
ルミオが刻一刻と過ぎる時間に苛立ちながら立ち尽くしていると、ニックスの穏やかな声が耳に届いた。
「閣下。申し訳ございませんが、今から午前の訓練があります。他にご用件が無いようでしたら訓練場に向かいたいのですが、よろしいでしょうか。」
「…わかった。副団長本人が不在なら仕方がない。ならば私はこれで失礼する。」
ニスカがフンッと鼻を鳴らして部屋を後にし、廊下から姿が見えなくなったところで、ニックスはルミオに振り向き小声で指示を出した。
「ルミオ、すぐにグラナード侯爵様へ知らせに行け!ここは俺が引き受ける!」
「分かりました。後はお願い致します!!」
ルミオは言うと同時に外套を掴み、廊下へと飛び出した。
*
全速力で馬を飛ばし、グラナード侯爵邸の門をくぐって屋敷の玄関まで駆け抜けた。馬を乗り捨て、近くにいた使用人にルミゴンの居場所を聞きつけて執務室へと急いだ。
ノックもせず、乱暴に扉を開いて飛び込んできたルミオの様子に、ルミゴンは持っていた羽ペンを置いて立ち上がった。
「どうした!?」
ルミオは大きく肩で息をしながら、息を整える間もなく声を振り絞った。
「伯父上、ニスカ・ルッソが動きました!先ほど団長室に来て副団長の行方を聞きに来たのです!」
「そうか。やはり情報を得るのは早かったか…。」
「それよりも、ナリア嬢はこちらにいますか!?」
ナリアの名前にルミゴンの顔色が一変する。ルミオの顔を凝視しながら低い声を出した。
「ナリアに狙いを付けたのか!?」
「申し訳ありません!私がその場にいながら彼女の存在を知られてしまいました。私の失態です!」
悲愴な表情で膝から崩れるルミオに目もくれず、ルミゴンは手早く身支度を整え外套を羽織った。声は依然として低いままだが、普段の厳めしい顔が一層色を濃くしている。忌々しそうに眉間の皺を深く刻み、口を歪ませた。
「ナリアは今、アマティスタの実家に帰っている。」
「えっ!?それではすぐに向かって保護しなければ!!」
「私はこれから出かける。お前はすぐに王宮に戻り、国王陛下のおられる本殿に行け。リベリオの父親であるリスター・デガート伯爵が謁見しているはずだから、彼のサポートに回るんだ。いいな。」
「で、ですがナリア嬢はどうなさるのですか?もう追手が…」
「アマティスタの屋敷の周りの警備は強化してある。護衛も増やしておいた。それに奴の狙いはリベリオだ。ナリアを捕まえたとて、ニスカにとっては奴をおびき出す為の道具に過ぎん。」
「ではこのまま放っておけと仰るのですか!?」
「ナリアはグラナード侯爵家の娘だ。いくらもう後が無いとはいえ、下手に手は出せん。」
「伯父上!そんな事、奴が気にすると本気で思ってらっしゃるのですか!?」
歯を出し、目を見開いて睨みつけるルミオを、ルミゴンは冷たい視線で見返した。常に冷静沈着で他人に一切の興味を示さない甥の初めて見る表情に眉根を寄せた。
「…どうした。お前がそこまで興奮するとは、らしくないじゃないか。」
「伯父上、お願いがあります。この件が終わった時の約束ですが、あれはもう結構です。」
「ほぅ、もう要らぬと申すか。あれ程執着していたものを、どういう心境の変化だ?」
「その代わり、別の願いを聞いて下さいませんか。」
「…言ってみろ。」
ルミオは姿勢を正し、真っ直ぐにルミゴンの目を見て口を開いた。
*
「ククッ、なるほどな。いいだろう、好きにするがいい。」
「ありがとうございます。それでは…」
「まさかお前がここまでするとはな。」
「本人は自覚ありませんけどね。では、行って参ります!」
ルミオは落ち着きを取り戻して扉の取っ手に手をかけた。自分でも、なぜこんな馬鹿げた事を言ってしまったのか理解に苦しむ。それでも物心ついたときから胸の奥につかえていた澱が流れ出たような気がして、不思議と心が軽くなった。
「しかし…」
「はい?」
扉を開けて出ようとしたところで、背後でポツリと呟くルミゴンの言葉に振り返った。独り言なのか、ルミオが立ち止まったことに気が付いていない。口元に手を当てて考え込むルミゴンの後ろ姿を最後に、ルミオは執務室を後にした。
----ニスカがこんなに早く、ナリアに気が付くとはな…。
*
一頭の馬が、男を背に乗せ王都に向けて疾走していた。任務を終え、帰路で仲間と別れて以来碌に休むことも無く走り続けたせいか、すでに身体中が悲鳴を上げ始めている。
王都まであと半分程という所で、小さな街の宿屋に立ち寄った。革袋にエールを補充し、一口飲んで喉に溜まった埃を流す。すぐに宿屋を飛び出し、新しい馬に交換しに行った。極上の笑顔と少しの金で交渉すれば、乗ってきた馬よりも良い馬に交換してもらえた。
新しい馬に蔵を乗せ換え、手綱を手に取ったところで後ろから声をかけられた。
「ねぇ。そんなに急いでどこまで行くの?」
振り向けば、長い金髪を紐で束ね、質素な服に身を包んだ女が自信に溢れた笑顔で近付いてきた。
「王都までだ。」
「ふぅん…。ねぇ、少しぐらい時間あるでしょう?私の家で休んでいかない?」
男はチラと女の顔を見た。上目遣いでニコリと口角を上げ、ぺろりと軽く唇を舐めている。両腕を前で組んで服には収まりきらない程の豊満な膨らみを、これでもかと強調していた。男は大きく息を吐き、さっさと馬に乗り上げた。
「え?ちょっと!」
「悪いな。お前の相手をしてる暇は無いんだ。」
「あら、女が待ってるの?」
女と聞いて思わず吹き出す。そうだったらどれだけ良いか。
「強面の大男だよ。」
街を出て再び王都に向かって走りだす。
----『任務が終わったらお前はアンバルシアには行かず、真っ直ぐ王都へ戻って来い。遅くなればなるほど、ナリアが危険に晒されると思えよ。』
----全く、本っ当に滅茶苦茶なオッサンだよ!!
頬を張る冷たい風に顔を顰め、手綱をきつく握り締めた。




