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高台の麓にある大通りの一角では、昨日到着したばかりの商人たちが店を出し、早速賑わいを見せていた。並べられている商品はここオロヒリアでは貴重なものばかりだ。少々値が張っても手に入れたいのか、店先には我先にと客が押し寄せていた。
しかし客足が途絶えないのは、ただ商品を手に入れる為だという理由だけではない。客の視線の半分は店の脇で雑用をしている男へと注がれていた。
「トゥルマさん、魚の干物の残りが少なくなってきました。あと、肉も。」
男の低い声が店先に響く。外套を頭から被って付け髭まで付けているせいか、外の空気は冷たいはずなのに滴る汗が目に入るほどに暑い。顔が出せないならせめて風にあたろうと外套をめくって腕をまくれば、露わになった逞しい腕に黄色い吐息が投げられた。
「おいおいトゥルマ。コイツを店先に立たせたら、あっという間に商品が無くなっちまうんじゃないか?」
レアンが後ろからこっそりと耳打ちをする。トゥルマがチラリとリベリオを見ると、馬車の中から補充する為の商品を運び出そうとしていた。
やれやれ、とトゥルマは立ち上がり、馬車から荷を降ろそうとしているリベリオの元へ行き、手で止めた。
「リベリオ、今日はもういい。」
「はい?でも、客が待ってるのですよね?」
「あのな、わしらは商品を売りに来たんじゃない。連絡が来る前に商品が無くなってしまったら、わしらはここを退かなくちゃならんだろう。」
「ですが、商品があるなら出さないと。…ほら、ずっと見ている人もおりますし。」
リベリオが声を落としてトゥルマの後ろに視線だけを動かす。トゥルマはハッとすると、振り返らないまま小さく頷いた。
「よし、それじゃあそれを出してくれ。干物はそれで最後だろう。皆さん、これでお終いですからね!買ってってよ!」
*
陽が落ちる直前に店じまいをして、レアンとリベリオは酒場へと向かった。トゥルマと護衛の傭兵こと騎士団の部下たちは馬車の周りで火を熾し、見張りがてら暖を取り食事をする。本当はレアンに見張りをさせる予定だったが、またフラフラと離れられてはたまらんと、トゥルマが自ら進んで残る事に決めた。
勝手にフラフラされるより、送り出してフラフラされた方が数倍マシだという判断だった。
レアンとリベリオは、先に得ていた情報にあった酒場へと向かった。広場からは大分離れているが、普通に歩いていれば見落としてしまうような細い路地にある店だった。地元の者が通う隠れ家のような店だと言えば聞こえが良いが、店の奥には別の部屋があり日の下では商売ができないような輩も通っている。
こういう店は客に出している酒も使い分けているもので、うっかり飲んで倒れたが最後、運が悪ければそのまま意識が戻る事はない。
店の扉の前に着く直前に、レアンはボソリと呟いた。
「リベリオ、絶対に飲むなよ。舐める振りでいい。別の店で飲んだ後のように振る舞うんだ。それから、店の中ではタメ口を使え。」
「わかりました。」
レアンは扉に手をかけ、ゆっくりと開いた。カウンターには店主と思しき初老の男が立ち、酒を注ぎながらよそ者の来店に露骨な警戒心を見せている。カウンター席に男が二人と、テーブル席に男が一人座っていた。互いに目も合わさないといった風に一人酒を飲んでいた。
----ん?アイツは…!
リベリオはフードの隙間からカウンターの奥の席に座っている男に視線を刺した。昼間、店から離れた物陰からこちらをじっと見つめていた男が、今目の前でグラスを片手に酒を飲んでいる。更に言えば、昨日訪れた宿屋『ヘマドーラ』からずっと目を付けられていた。
酒を飲む男の横顔をじっと見る。髪がやや長いせいで顎のラインしか見えないが、若い男のように思えた。外套で隠れていても良い体格をしているとわかるが、やはり若い男特有の線の細さがある。
リベリオがレアンの耳元に近付こうとしたところで、初老の店主がぶっきらぼうに声をかけてきた。
「…いらっしゃい。好きなとこに座んな。」
「おう、邪魔するよ。おやっさん、酒は何が置いてあるんだ?」
レアンが慣れた口調で言葉を返すと、店主は面倒臭そうにカウンターの下から数種類の酒を取り出した。
「エールと果実酒か。じゃ、俺はエールだな。お前も同じものでいいよな?」
「あぁ、それでいい。」
リベリオが頷く。酒を見ながら視界の端にはカウンターの男を入れていた。
「おい、ぼさっと突っ立ってないで適当に席を取っておいてくれよ。」
「分かった。」
リベリオはカウンターから離れて、テーブル席の方へと向かった。店の隅に置いてあるテーブルへ行き、テーブルと丸椅子を少し動かす。背もたれ代わりになるように椅子を壁際に寄せてドサリと座った。
レアンはカップを持ってやって来るなり、壁にもたれて足を組むリベリオを見てニヤリと笑った。
----上出来だ。これなら二人とも自然に店内が見渡せる。
酒をテーブルに置いたまま、レアンとリベリオはひたすら会話を続けた。レアンの旅話からナリアとの馴れ初めまで、互いに話をしているうちに特定の人物への愚痴に行き着いた。こんな場所でなくても名前を出すような真似はしないが、共通の知り合いであることは間違いない。自然と声が大きくなりだすと、すぐ側に座っていたテーブル席の男が立ち上がり勘定を済ませて店から出て行った。
会話の合間に時折カップを口に近付けては、大笑いしたり声を荒げたりして酒を躱し続けた。チラチラとこちらを盗み見る店主に警戒しながら、酔っているふりをしてカップを傾け酒を零す。出入口近くのカウンター席に座っていた男が顔を顰めて出て行くのを視界の端で確認してすぐに、リベリオはレアンに視線を送った。
店内にはレアンとリベリオ、そしてカウンターの奥に座る男のみになっていた。出ていった二人の合間に店にやってきた一人の男が店主に耳打ちした後、金を渡して奥の部屋へと入っていた事も確認している。
----そろそろか。
レアンが立ち上がり、ゆっくりとした足取りでカウンターへと向かった。その後ろからリベリオが続く。
「さっさと帰れ」という表情で二人を睨みつける店主などお構いなしに、レアンは腰を屈めてカウンターに肘をついた。レアンの口元には、ちょうど店主の耳がある。
「なぁ、おやっさん。俺たちもう腹いっぱいでさ。別のものが食いてぇんだよ。」
「!?」
「俺も、そろそろ別のものが欲しいんだよな。いいだろ?」
店主が目を剥いて固まるのを横目にリベリオは懐から金が入った袋を取り出し、カウンターに置いた。その重みが音で分かるよう、わざとガチャンと音を立てた。
「で、二人分でいくらだ?」
「…。」
「おいおい、そんな警戒するなよ。せっかく変わったもんが食えると思ってわざわざこんなとこまで来たんだぜ。」
リベリオが軽く追い立てる。店主が目を泳がせながら狼狽えていると、横から男の声が割り込んできた。
「…オヤジ、入れてやれよ。」
「…なんだ、アンタの知り合いかい?」
「ま、そんなところだ。」
----知り合いだと?コイツ、一体何考えて…。
フードの陰でリベリオが睨みつけていると、男はスッと立ち上がり金を払った。それ程飲んではいなかったのか、カウンターに置いた額が少ない。俯いたままリベリオの隣を通り過ぎようとしたところで、チラと視線を上げてきた。ちょうど、リベリオのフードの中が見える位置だ。
「…。」
「!!」
----コ、コイツ…!
男は無表情のままフイッと視線を逸らすと、そのまま店から出て行った。これで店内は店主とレアン、リベリオだけになる。そして、奥の部屋に一人。
店主は大きく息を吐き、指で『600』を作った。レアンがニヤリと笑って頷くと、リベリオは金を取り出してカウンターに置いた。ついでに、念の為に中の状況を確認しておく。
「で、中に入ったらどうすりゃいいんだ?俺たちが勝手にやっていいのか?」
「…今、客が一人入っているから、残り三人いるはずだ。扉の向こうに男が一人立っているが気にしなくていい。案内するようなヤツはいないから、入ったら好きなのを選べ。終わったらさっさと出てきてくれたらいい。」
「へぇ、じゃあ折角だからその三人は俺たち二人で相手してやるよ。ほら、300追加だ。文句ないだろ?」
リベリオは金を取り出してカウンターに置くと、店主はギラリと目を光らせた。
「ちょっと待った。アンタら二人で三人の相手するんなら一人900、二人で1800だろう。」
「おいおい、随分強気じゃねぇか。中にもう一人客がいるんだろ?貸し切りでもねぇくせにぼったくるんじゃねぇよ。」
それでもルマリナを一晩指名するよりは安いな、とリベリオは複雑な気持ちになった。それ程に高級娼館の敷居は高い。
「まぁまぁ、落ち着けって。とりあえず今日は俺たちも初めてなんだ、相手は二人でいい。おやっさん、もし俺たちが気に入ったら次は貸し切りにさせてくれよ。なんせ、すぐまた違う場所に移動しなきゃならねぇからさ。その時はしっかり払わせてもらうぜ。」
レアンが片目を瞑って指で金の形を作って見せると、店主はフンッと鼻を鳴らして頷いた。親指で「入れ」の合図を送る。
二人は視線を交わし、奥の扉へと向かった。
*
重い扉を開けると、店主の言葉通り男が立っていた。剣を携え、長身のリベリオよりも拳一つ分以上はある巨躯で、相手を睨みつけるように見下ろしている。
扉が重いのは中の声が漏れるのと、中にいる者が逃げるのを防ぐ為だろう。重い扉を開けた途端、奥にあるもう一つの扉の向こう側から、微かに男の下卑た笑い声と女の声にならない呻き声が聞こえてきた。
----チッ…胸糞悪ぃ…。
リベリオが心の中で悪態を吐きながら奥へと足を進めると、先に着いていたレアンが扉に手をかけて待っていた。リベリオが着いたと同時に扉を開ける。
----うわっ!!
暗い部屋の中はむせ返るような体液の臭いと汚物の臭いで充満していた。声が外に漏れるのを防ぐ為、換気用の窓は無い。それでも何処かからは空気を送り込んでいるはずだが、暗闇の中では見つけられそうには無かった。
部屋の中は四つの小部屋に分かれていた。それぞれに扉はついていない。各部屋には粗末なベッドが置かれているだけで、壁に打ち付けている小さな灯りだけが唯一の光だった。
一室から、女の泣き声とベッドの軋む音が鳴り響いている。レアンとリベリオは目配せをして、二手に分かれて別々の部屋へと入っていった。
リベリオは男のいる部屋の隣の部屋に入った。ベッドの上では鎖で繋がれた女が一糸纏わぬ姿で震えながら小さく蹲っている。女はリベリオに気が付いた途端、弾け飛ぶように部屋の隅へと後ずさり、カチカチと奥歯を鳴らして首を振った。
----これは…クソッ!なんて酷い事を!!
女が座っていたベッドには、飛び散った血痕の跡が浮かんでいた。よく見れば、床には鞭や縄、鉄の棒、石のようなものが散乱している。
リベリオはギリッと奥歯を噛み締め、沸き立つ怒りと殴り付けたい衝動を必死で堪えた。
----とにかく、今は確認する方が先だ。早くしないとさっきの奴に怪しまれちまう。
レアンの入った部屋から、ベッドの軋む音と女の呻き声が聞こえてきた。それに反応して、目の前の女がヒュッと喉を鳴らして震えだした。
リベリオは懐から紙を取り出し、女の方に振り向いた。女がビクッと身体を跳ねさせる。リベリオは出来るだけ怖がらせないように手を差し出してゆっくりと近付くと、女と少し距離を開けて目線を合わせた。
女の見開かれた目が恐怖の色で染まっているのを認めると、リベリオは目を瞑ってそっと肩を抱き締めた。身を固くして息を震わせる女の身体は殆ど肉が付いておらず、全身が唾液と体液にまみれていた。
リベリオは女を抱きしめたまま、女の耳元で紙に書かれた文字を節ごとに一文字ずつ読んだ。読み進めるにつれ、女の震えが止まり出す。読み終える頃には、女はリベリオの顔をじっと見つめていた。
リベリオはニコリと微笑むと、女をベッドの上に寝かせて上から覆いかぶさった。
*
今夜は満月が輝いているせいか、歩くには十分な明るさがある。そんな月明かりの下を、浮かない顔をした二人の男が黙り込んだまま馬車に向かって歩いていた。
レアンとリベリオは店主に軽く挨拶をしてから店を出た。ルミオがまとめた報告書に書かれていた事が事実だった事に、強い眩暈を覚える。
リベリオが俯いたまま馬車に戻ると、トゥルマが声をかけてきた。
「どうだった?女は見つかったか?」
「…はい。中にいたのは、マルフィーロ王国から連れて来られた女たちで間違いありません。」
「なんと!では、流言ではなかったのだな!?何てことだ…。おい、レアン!」
「はいはい、分かってるよ。ついさっき早馬を向かわせたから明日か明後日にはヤツの屋敷に着くだろう。リベリオ、ご苦労だったな。今夜はもう休め。」
「はい。荷台の上におりますので、何かありましたらすぐに声をかけて下さい。」
リベリオは一礼してから馬車の荷台へと上がり、荷物の隙間に身体を沈めた。女を抱き締めた時の折れそうな感覚が、まだ腕の中に生々しく残っている。
ルミオがルミゴンに渡した報告書にのみ書かれていたのは、この事だった。
『連れてこられた奴隷たちの中には、性的奉仕をさせる際にある程度の声を出させる為、中途半端に喉を潰された女たちがいる。その内の一人が喉の傷が浅く、マルフィーロ王国の言葉を喋っていたのを偶然聞いた商人がいたそうだが、事実確認は取れていない。流言の可能性あり。』
リベリオは懐に入れていた紙を取り出した。書かれている文字を節ごとに読むと、マルフィーロ王国の者が聞けばある言葉になるという。
『かならず たすけ ます。わたしに あわせて えんぎ してほしい です。』
----これを読んだ途端、女が落ち着き始めたんだ。そして俺に合わせて演技もしていた。それが何よりの証拠だ。
リベリオは文字を読んだ後、女をベッドに寝かせて足の間に入った。着ている外套の裾を広げて二人の身体が見えないようにし、動きだけを真似る。女も大分落ち着いたのか、それでも怖々だったがリベリオの動きに合わせて苦痛の悲鳴を響かせた。
フードを払いのけ、汗で蒸れた髪に風を通す。汗でべたつく髪を軽くほぐして目を瞑った。
----これまで一度も悲鳴を上げて嫌がる女を抱いた事は無かった。それが良いんだと言ってる奴等もいたが、これほど罪悪感と嫌悪感にまみれることだとは…
その時ふと、違和感を覚えた。そもそも、なぜあんな場所に敵国の女を置いているのか。女を売るならリスクのない自国の女を置いた方が、後々入れ替えるにも安全に違いない。奥に閉じ込め、監禁し、周りを警戒する必要も無い。
何よりも、そんな商売を街中の酒場でする事に何の利点があるのか。
----あえて敵国の女を売るのはなぜだ。マルフィーロ王国に余程の恨みがあるのか、それとも別の理由からか。
リベリオは胸に妙なざわつきを覚え、目を開けた。目を瞑っていた時の暗闇に比べれば、月明かりすら眩しく感じる。
----喉を潰しているとはいえ、耳は聞こえるはずだ。何も知らない客に、万が一こちらの言葉が通じない事が知られたら…
「!!」
----耳は聞こえる?
リベリオは勢いよく起き上がると、ボサボサの髪をかき上げて視界を明るくした。当たり前の事を見落としていた事にただただ呆然となる。
リベリオは急いでフードを被って荷台から飛び降りると、トゥルマとレアンの元へと走った。傭兵役の騎士に二人の居場所を聞いて回り、教えられた細い道へと向かった。その入った先に、二つの影が佇んでいる。
リベリオは速度を上げて二人の元へ駆け寄ると、フードを外した。
「レアンさん!トゥルマさん!さっきの店ですが…え!?」
リベリオを待ち構えていたかのように、レアンとトゥルマが腕を組んでニヤニヤと笑っていた。訳が分からないといったように二人の顔を見つめるリベリオの肩に、レアンはポンと手を置いた。
「よし、行くぞ。」




