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「入れ。」
相変わらずの冷たい声でリスターさんは返事をした。やはり、すぐには入ろうとしなかった。でも以前よりも入ってくるのが早い所を見ると、前もってリスターさんから許可をもらってたんだなという事がわかった。あの子なりに気を使ったのだろうと思うと、心が和んだ。
「しつれいします…。あの…お兄ちゃんとおはなししてもよろしいでしょうか?」
「構わん、入りなさい。」
「はい…。」
リベリオはおずおずと扉を閉め、チラチラとリスターさんを見ながらゆっくりと近付いてきた。俺の前に立ち、礼儀正しくお辞儀をして落ち着いた声で言った。
「お兄ちゃん、ぼくのことをたすけてくださって、ありがとうございました。」
「あ…いや、いいんだ。お前が無事だったのならそれで。」
「私からも礼を言おう。息子を助けてくれてありがとう。せめて傷が癒えるまではここにいてくれ。」
「へ?いや、ちょっとやめて下さい!リスターさんまでそんな…!」
「それでは私はこれで失礼する。必要な物があれば遠慮なく言ってくれ。すぐに手配させる。」
そう言い置いて、リスターさんはさっさと出て行ってしまった。部屋には俺とリベリオだけになった。チラとリベリオを見れば、俺に何かを訴えるような目でもじもじとしていた。
「ハハ、リベリオ、来るか?」
「うん!」
俺の言葉にパッと顔を上げて、ベッドに飛び乗ってきた。正直身体はまだ痛かったが、そんな事はどうでも良いぐらい満ち足りた気分だった。
「あのね、ぼく6さいになったんだよ!」
「そうか、一つ大きくなったんだな!」
「うん!お兄ちゃんは?いくつなの?」
「俺は18だ。九の月生まれだ。お前は?」
「ぼくも!ぼくも九のつき!いっしょだね!」
「本当か?そうか、じゃあお揃いだな。」
「うん!えへへ。あ、そうだ!」
リベリオは身体を離し、思い出したように服の中に手を入れた。取り出したのは俺が渡したペンダントだった。
「これ、お兄ちゃんにかえすね。」
「これは…。そうか、ずっと大事に持ってくれてたんだよな。」
「うん。ぼく、まいにちおいのりしてたの。お兄ちゃんにあえますようにって。そしたらほんとうにあえたんだもの!」
「…!そうか、毎日祈ってくれてたのか…。俺なんかに会う為に…。」
「だから、これはお兄ちゃんにかえすね。…お兄ちゃん?どうしたの?またないてるの?」
「悪ぃ…。ちょっと…このまま泣かせてくれ…。」
「うん、いいよ。じゃあこのまえみたいに、だっこしてあげる!」
小さな身体が俺の頭を抱き締めた。温かい胸の鼓動が頬に伝わってきた途端、もう涙を止める事ができなくなった。こんな小さな男の子が俺なんかに会う為に、毎日あんな場所に立っていたなんて。
あの土砂降りの雨の中、どんな思いで待っていたのだろう。奴等に捕まった時、どれ程恐ろしい思いをしたのだろう。それでもこの子は一言も俺を責めたりしなかった。むしろ俺を助けてくれたんだ。
俺はハッとしてリベリオを見上げた。俺はずっとこの子に助けられていたんだ。弟を失ったあの日、暗闇から救ってくれたのもリベリオの声だった。じゃあ、俺はこの子に何をしてやれるだろう。
「リベリオ、聞いてもいいか?」
「はい、なんですか?」
「お前さ、俺にして欲しいことはないか?何でもいいんだ。俺に出来ることなら何だってしてやる。」
「なんでも?ほんとうに?」
「あぁ。男同士の約束だ。何かないか?」
リベリオは少し考えてから、目を輝かせて言った。
「じゃあ、きしになってください!ちちうえのような、つよいきしになってほしいです!」
俺はこの一言で、騎士になる道に進んだ。
*
リベリオとの約束の日から十二年が経ち、俺は30歳で近衛騎士団騎馬隊の副隊長に就いた。没落貴族の息子で悪事に手を染める事しか知らなかった俺にとって、騎士になるまでの道のりは苦難の連続でしかなかった。
リスターさんにリベリオとの約束を告げ、頭を下げて騎士になる道に進ませて欲しいと願った。爵位も後ろ盾も何も要らない。平民として実力だけでのし上がっていく事と、自分が納得できる騎士になるまではリベリオとは会わない事を約束し、騎士になるにはどうすればいいのかを教えてもらった。
デガート家に通い、剣の稽古をつけてもらった。この時の俺は剣の握り方すら知らなかった。剣を持って構えるなんてとんでもない。流石にリスターさんも呆れていたが、俺は思いの外飲み込みが早く、武器を扱うのに身体のデカさと喧嘩と盗みで鍛えた足腰が役に立った。皮肉な話だ。
一通りの武術と馬術、そして礼儀作法を徹底的に叩き込まれた。本来なら十年近くかけて身に付けるものを、たった二年で覚えられたのはリスターさんのお陰だ。いや…正直、あんな地獄のような日々は二度と御免だ。
20歳の時に王宮騎士団に入団した。入団試験に一発で合格したのは奇跡だった。俺の背中には常に「シッパイシテイルヒマハナイ」という恩人の圧力がのしかかっていたから、合格したと知った時は心底安堵したのを覚えている。
入団後、平騎士として訓練を積んでいるうちに、自分は馬術と槍術が得意なのだと気付いた。もちろん剣やその他の武器も扱えるが、身体に見合った槍を振り回す方が動きやすかった。俺には財産なんてものは無かったから騎士としての一張羅を揃える事ができなかったが、それらは全てリスターさんが負担してくれた。本当に、リスターさんには一生頭が上がらない。
俺は早くリベリオとの約束を果たしたくて、すぐに近衛騎士団の入団試験を受けた。俺が23歳の時だった。平騎士のくせにという周りからの冷たい視線もあったが、悪ガキ時代の周りからの蔑んだ視線に比べれば可愛いものだった。
王宮騎士団の時とのレベルの違いに口から泡を吹くほど打ちのめされたが、それでも受かったのはやはりリスターさんのお陰だ。うん…ハッキリ言って、人ってあそこまで平然と人を痛めつけられるもんなんだなってこの時初めて知ったよ。それこそクソ親父の暴力なんて可愛いものだったんだ。
絶対に捕虜にはなりたくないと思った。
俺は死に物狂いでなんとか近衛騎士団の騎馬隊に入隊できた。エリート揃いの中で俺みたいな野良男が渡り歩いていくには実力を見せつけるしかないと思った。馬上試合やトーナメント戦には積極的に参加して何度も優勝し、度重なる戦でも自慢の槍を奮って自国の勝利に貢献した。
そうやって積み重ねた努力によって、俺は騎馬隊の副隊長にまでなった。騎馬隊に入隊した時から、隊長にまで上り詰めればリベリオに会いに行こうと決めていた。そう、後少しだった。
副隊長に就いて二年程が経った頃、リスターさんからリベリオが王宮騎士団の入団試験を受ける事を聞いた。兄のアレニスはすでに近衛騎士団の親衛隊に入隊していた事は知っていたが、とうとうリベリオが受ける歳になったのかと思うと胸に熱いものが込み上げてきた。
----あの子が…あんなに小さかった男の子が、俺と同じ場所に立つ日が来るなんて…。
リスターさんからは、合格は間違いないと聞いていた。それだけの実力は十分にある、と。だが、そう話すリスターさんの表情はどこか沈んでいるように見えた。
試験当日、俺はリベリオの姿を一目見ようと会場を訪れた。リスターさんとの約束もあって面と向かって会う事はできないが、少し離れたところから見る分には構わないだろう、と思うことにした。実際には、顔が見れなきゃ意味が無いから結構近くまで行ったんだが、リスターさんには内緒だ。
二列に並ぶ受験者の中からリベリオの姿を探した。あのゴツイ男たちの中に、本当にリベリオがいるのかと目を疑った。二人一組の試合が始まり、リベリオの順番を今か今かと待っていたら、とうとうリベリオの名が呼ばれた。リベリオが前に進み出た途端、会場が騒めき立った。
----嘘だろう…。あれがリベリオだと?アイツ…
俺は頭の中が真っ白になった。確かに、そこにいるのはあのリベリオのはずだった。長身の美男子が髪を靡かせて颯爽と歩き、絵画から抜け出てきたと思わせる程の美しい立ち姿を見せていたんだ。俺はリベリオから目が離せなかった。
----何だあの目は…。あれはまるで、昔の俺みたいじゃないか…。
確かにリスターさんの言っていた通り、恵まれた体躯と整った美しい顔をしている。だがその瞳からはかつての輝きが消え失せていた。代わりに、憎悪、嫌悪、孤独、自虐、憤懣、そういった世を疎うような濁った目をしていた。打ち付ける心臓に息苦しさを感じながらも、リベリオの試合を見た。そして俺は確信したんだ。リベリオの剣には心が無い、と。
俺は足が震えた。このままじゃ、たとえ入団しても最初の戦で死んでしまう。戦場でなくても、街の警護に出ただけでやられてしまうんじゃないかとすら思った。それぐらい、この時のリベリオは危うかった。
リベリオに…あの素直で優しかった男の子に何があったのかはわからない。あの約束の日からすでに十四年程が経っているんだ。人が変わるには十分すぎる時間だった。
リベリオが合格した事を聞き、俺は居ても立ってもいられなくなり、気が付けば隊長に異動願を出していた。この時初めて隊長の取り乱す顔を見た気がする。相当度肝を抜かれたのか、何度も異動願を突き返されては考え直せと言われた。なぜ今の地位を捨てて、わざわざあんな所に落ちるんだとまで言われた。この一言に俺は一気に冷めた。
隊長には異動願を出すときに、一つだけ我儘を聞いて欲しいと言った。
「今度入団してくる新人騎士のリベリオ・デガートという者と同じ団に所属させて下さい。そこの副団長にしていただきたいのです。」
「副団長?なぜ団長ではないのだ?」
「副団長の方が部下と直接やり取りできるからです。団長だとそうはいきませんからね。」
「ま、確かにそうだな。私はお前が副隊長でいてくれるのが他隊への自慢だったのだが、これ以上引き止めても無駄だとわかった。お前の望む事はできるだけ通すようにしておく。」
「ありがとうございます。」
「あぁ、それから…」
隊長は机の引き出しから、一枚の紙を取り出した。俺はそれを受け取り内容を見た途端、目を見張った。
「隊長、これは…。」
「私の推薦状だ。もしまた騎馬隊に戻る気になったらいつでも帰って来い。私が己の名誉を失うような事をしない限り、それがあれば面倒な入団試験を受けなくて済むだろう。」
「隊長…ありがとうございます。残りの期間、精一杯務めさせて頂きます。」
*
夜、酒に酔った男たちの笑い声と女たちの嬌声が飛び交う酒場の奥のテーブル席で、ルミゴン・グラナード侯爵の手の平で転がされた男三人組が酒とつまみを囲んで語り合っていた。
最も深手を負った美丈夫は、すっかり酒に酔ってテーブルに突っ伏したまま眠り込んでいる。それをいいことに、ルミオは上司の頬をツンツンと突いては小さな憂さ晴らしをしていた。
「そうでしたか。それで団長は第五騎士団に来られたのですね。」
「そうだ。それからは本当にどうしたものかと悩む日々だった。当時のリベリオは今からは想像もできない程尖っていてな。警戒心の強い野生の獣みたいだった。優しい顔をして近付き、一瞬で喰らう。近付く者には容赦なく爪を立てるような奴だった。」
溜息を吐き、エールを呷る。「軽蔑したか?」というニックスの言葉に、ルミオは静かに首を振った。
「団長のような過酷な人生を歩んではおりませんが、私も己の目的の為には手段を選んではきませんでした。もちろん、男を相手に身体を使う事も厭わなかった。結果が全て。その為なら、男だろうが女だろうが、老人だろうが子供だろうが、相手がどうなろうと知った事ではなかったのです。」
「なかった、という事は今は違うのか?」
ニックスがニヤリと笑う。その意味することに、ルミオは見透かされたようで苦笑するしかなかった。
「そうですね。この方に…副団長に会ってからはそう思う事が無くなりました。何ででしょうねぇ。ハッキリ申し上げて、見た目以外、特に優れている事ってありますか?確かに剣の腕は、流石は名門デガート家のお方だなと思いますし、部下を動かす才能もお持ちです。でもそれってエリート揃いの王宮騎士団においては結構普通じゃないですか?」
「お前…寝てるからって本人の前で結構言うなぁ。」
ルミオの自由さに、ニックスはクツクツと笑って応えた。こういった無礼がなぜか許されるのが、ルミオ特有の才能なのかもしれない。
「でも、なぜか副団長と関わっているうちに、そういったものが無くなっていったんですよね。最初は伯父上から申し付けられた任務だったのです。これまで通りそつなくこなして、さっさと抜け出るつもりでした。なのに、どうしてこうなったのでしょうねぇ。ここまで来るのに紆余曲折ありましたが、それはそれで楽しかったからでしょうね。」
「ククッ、まぁな。コイツは本当に見てて飽きないからな。関わっている内に、いつの間にか毒気を抜かれちまうんだよ。」
ルミオはふと、気になっていた事を思い出した。
----『お二人を見ていると単なる上司と部下のようには見えなかったものですから。』
これはあくまでニックスに向けたものであり、リベリオからはニックスに対して上司以外のものを感じた事がなかった。
「そういえば、これまでに副団長にはご自身との過去を話されていないのですか?」
「あぁ。当時リベリオはまだ6歳、俺は18歳だったからな。俺が副団長として目の前に現れても、全く気付いていなかった。名前を言ってもだぞ。だったら、このまま気付かない方が良いと思ったんだ。」
「確かにその方がやりやすいですよね。死んだような目をした部下に擦り寄られても嬉しくないでしょうし。」
「お前も相当酔ってるな。口の悪さが千鳥足で躍り出てるぞ。まぁ、折角同じ場所に立ったのならそれを大事にしたいと思ったんだよ。お兄ちゃんと弟じゃなく、男同士な。でも、一度だけこれを見られた時があった。」
ニックスはそう言うと、首にかけたペンダントを取り出した。
「それが、先ほど仰っていたお母上様の形見ですか?」
「そうだ。先の戦で剣を振り回している真っ最中だった。リベリオの後ろから切りつけようとした奴の剣を防いだ時に胸元から飛び出たんだ。」
「それを、副団長に見られたのですね?」
「あぁ。咄嗟に掴んで胸にしまった。リベリオは気付かなかったのか、戦時中も帰還してからも何も変わらなかった。だから俺も今まで通り上司でいる事にしたんだ。」
「そうでしたか…。ですが、いつか話せる時がくると良いですね。」
「そうだな。よし、俺はそろそろ帰るよ。悪いがコイツを頼むな。」
「はい、承知致しました。店のすぐ側に馬車を二台待機させてありますから、それに乗ってお帰り下さい。」
ニックスが立ち上がると同時にルミオも立ち上がり、ボソリと囁いた。ニッコリと笑うルミオに、ニックスは目を丸くして豪快に笑いだした。
「ハハハ、流石ルミオだな。うちの補佐官殿は本当に有能だ。有難く使わせてもらうよ。」
「また明日な」と言ってニックスは店の出入口へと向かった。残されたルミオはカップに残ったエールを一気に流し込み、隣で眠る上司の頬を再びツンツンと突き始めた。
「副団長、もう起きてもよろしいですよ。」
ルミオの言葉にピクリと肩を震わせる。ニックスが話している間同じ体勢のままでいたせいか、身体中が固まり至る所が痺れていた。ゆっくりと身体を起こして座り直す。最初に目に飛び込んできたのがルミオのニヤついた顔だった事に、心底腹が立った。
「副団長、お聞きになっていかがでしたか?」
「いや、何と言うか…。実はあの時…ペンダントを見た時に気が付いたんだよ。団長が『お兄ちゃん』だって。」
「そうだったのですか?なぜ何も仰らなかったのです?」
「だってお前…。俺が6歳の時だぞ?何の穢れも知らない、無垢な子供だったんだ。それなのに、再会したのが俺が最も荒んでた時期だったんだと思ったら、とてもじゃ無いが言い出せなかったんだよ。」
リベリオがガックリと項垂れる。その様子をまじまじと眺めながら、ルミオは感心したように口を開いた。
「私は副団長からはそういった感じは受け取っていませんでしたので、正直驚きました。まさか気付いておられたとは。」
「いや、多分もしお前が先の戦の前から俺の事を知っていたら、違いが分かったかもしれない。あの時のバツの悪さは俺の過去で一番のものだったからな。戦時中は気にしていられないが、戦地からの帰り道なんてずっと頭ん中グルグルしてたんだぞ。」
「それで心を入れ替えられたと。団長が以前、副団長は戦を経験して男としての落ち着きを身に付けた、と仰っておられましたが、実はそっちが原因なのですね?」
「やかましい。俺だってそろそろ落ち着こうと思ってたところだったんだ。偶然だ、偶然。」
フンッ、と鼻を鳴らしてカップに口を付ける。最後まで飲み干す寸前で、背後から豪快な笑い声が聞こえた。
「ハハハ!!何だお前、気付いてたのかよ!ハハハハハ!」
「ゴッフォ!!ゲホッゲホッ…だ、団長!?お帰りになったんじゃあ…。まさか…!」
ギギギと隣にいるルミオに視線を向ける。本日二度目のてへっとした顔でペロッと舌を出している男に、反射的に拳を振り上げた。
「ルミオォォ!!お前って奴はー!!」
「待て待て、落ち着け。いいじゃねぇか、乗ったのは俺だ。」
「団長!コイツはつけ上がらせると、どんどんえげつない事をする男なんですよ!」
「きゃー。怖いですー。怖い男前ですー。お兄ちゃん助けてー。」
「お前ぇぇぇ!!」
「ほらほら、いい加減帰るぞ。明日も仕事なんだからな。」
リベリオが両手を振り上げる。
顔を真っ赤にしてルミオを睨むリベリオの横顔に、ニックスは目を細めた。




