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「さて、そろそろ戻るか。」
食事を終えてしばらく会話を楽しむと、リベリオはそう言って立ち上がった。籠いっぱいに用意した食事は綺麗に平らげられている。コックに渡された時は流石に残ってしまうのではと思ったが、余計な心配だったらしい。身体を武器に動き回る男の食欲を目の当たりにして、ナリアは唖然とした。
リベリオから差し出された手に、ナリアはそっと手を乗せた。
「そうですね。あ…!」
「どうした?」
「私、どちらに行けば良いのでしょう。お義父様からお帰りの事まで聞いていませんでした。」
「そうなのか。それじゃあとりあえず団長室で待っていると良い。用事が終わったら迎えに来るだろう。」
リベリオはナリアの手を腕に乗せて歩きだした。一瞬、第五騎士団の控えの間で待たせようかと思ったが、すぐにその案は取りやめた。男だらけの騎士棟で女を待たせるなど危険極まりない。その点、団長室なら団員は滅多に来ないし、万が一誰かが来てもルミオがいる。いや、ある意味一番厄介かもしれない。
団長室の前に着き、リベリオはノックをして名を名乗り中へと入った。扉を開けて中を見渡すと、出て行った時と同じ顔がこちらを見ている。ルミオに至っては、目がこれ以上大きくならないのではと言うぐらい見開いていた。
「あら?お義父様、こちらにいらしたのですか?」
「二人とも、ちょうど良かった。今、話が終わったところだ。」
「グラナード侯爵様、王宮にご用があるというのは団長にでしたか。」
----ん?
リベリオはニックスの表情に違和感を感じたが、それよりも扉の側で固まっている部下の方が気になった。
「おい、ルミオ。お前何やってんだこんなところで。」
「いえ、その…少し驚いてしまいまして…。」
「驚く?午後の仕事までには戻ると言っておいただろう。」
「いえ、そうではなくてですね!その、ナリア嬢が…それから副団長が…。」
「私ですか?私が何か…ルミオ様、大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です。ご心配には及びませんよ。」
----ん?何か親しくないか?
ナリアとルミオの距離感にピクリと反応する。外面の良いルミオはともかく、ナリアが自分以外の男と親しそうに話すのは、思い返してもキュリオとアセロしかいなかった。キュリオはナリアの元婚約者であり、かつては仕事仲間であり、今では義兄妹の関係だ。不思議な関係だが、まだ納得がいく。アセロに関しては、仕事仲間以上でも以下でも無いことは分かっている。
リベリオはしばらく二人の様子を観察していると、ハタと思い出した。
----そうか、面識があって当然だ。俺がナリーに避けられている時、俺の誕生日デートの口実を作ってくれたのはルミオだったじゃないか。なんだ、そういうことか。
リベリオはモヤモヤした気持ちから一転して、穏やかな表情でナリーを見た。
「そうか、ナリーはルミオと面識があったよな。」
「はい。ルミオ様とは何度もお会いしていますよ。よく我が家にいらしてますから。」
「は?」
一瞬で部屋が沈黙に覆われる。固まったまま動かないリベリオの様子に、ナリアはキョロキョロと二人を交互に見た。
「え?私、何かおかしな事を言いましたか?」
ナリアがキョトンとした顔で首を傾げる。リベリオの後ろでは、ルミゴンとニックスが呆れたように半目でこちらを見ていた。
「リブ?」と、ナリアがリベリオの顔の前で手を振ると、リベリオはハッとしてナリアの両肩に手を置いた。
「我が家にって…。グラナード侯爵様の屋敷にか!?」
「はい、そうですよ。何かおかしいですか?」
「おかしいですか、って…。おい、ルミオ!今度は何をしようっていうんだ!?」
「私は何もしておりませんよ。用事がある時に行っているだけです。」
「だから!何でお前があの屋敷に行くんだよ!」
「リブ、何を怒っているのですか?ルミオ様が伯父様の家に行くのがそんなに悪い事なのですか!?」
「…は?」
再び沈黙が訪れる。今度こそ、リベリオの息が止まった。
「お…伯父…?誰が、誰の…?」
「お義父様はルミオ様の伯父にあたる方ではないですか。私とは従兄妹同士ですよ。ご存知でしょう?」
「い、従兄妹同士…?ってことは、キュリオとも…。」
「はい。キュリオ様とルミオ様は従兄弟同士のご関係ですよ。」
リベリオがルミゴンの方を見る。言われてみれば、ソファにもたれながらこちらを見下ろすような目つきが、机の前に立っていつも自分を見るルミオの目つきと似ていなくもない。いや、よく見れば結構似ている。凄く似ている。
リベリオはギギギとルミオに目をやると、飄々とした男がてへっとした顔でペロッと舌を出していた。その瞬間、リベリオの怒りの測定器が弾け飛ぶ。既に右手の拳は固く握られていた。
「お、お前ぇ…!まさか最初から…!!」
「わあぁ!!お待ち下さい!これには訳があってですね!!」
「やかましい!!お前、一体どういうつもりで黙ってたんだ!?キュリオとも他人みたいに会話してたよなぁ!何を企んでた!?」
ルミオの襟元を掴み上げる。そのままギリギリと首元を締めつけ、扉に押し当てた。
「言え!何で隠してた!」
「ちょ…ちょっと、待って下さ…苦し…」
「リブ!やめて!どうしたのですか!?」
「ナリー、コイツはなぁ!コイツはずっと…!」
ずっと俺たちの仲を取り持とうとしてたんだ。
ふと、その言葉が脳裏に浮かぶ。考えてみればナリアとの仲が険悪になると、必ずルミオが間に立って上手くいくように取り計らっていた。初デートの湖を教えてくれたのもルミオだ。グラナード侯爵主催の観劇のチケットが難なく取れたのも、親戚ならば頷ける。ルマリナの事を助けたのも善意ではなく、自分とナリアとの間から余計なものを排除する為だとしたら。
何より、そもそも始まりからおかしかった。なぜルミオはキュリオとナリアの婚約が白紙に戻った経緯を知っていたのか。そして、キュリオと二人で飲みに行った夜の、キュリオの言葉。
リベリオはハッとしてルミオの襟元から手を離し、ナリアを見た。不安げな表情でじっとリベリオを見上げている。その吸い込まれそうな深緑色の瞳を見つめるうちに、リベリオは自然と言葉が口をついていた。
「ルミオ、お前もしかして…最初から俺とナリーを結ばせようとしていたのか?」
「それは…。」
「だってそうだろ?キュリオはナリーの方から婚約を白紙に戻した理由は誰も知らないと言っていたんだ。つまり、その経緯もだ。でも、身内であるお前は知っていた。婚約が白紙に戻った事も含めてそれをわざわざ俺に教えたのは、ナリーがまだ独身だという事を俺に気付かせる為なんじゃないのか?」
「…はい、その通りです。」
ルミオはここまで来たら、全て話そうと決意した。最初は任務の為に近付いたとはいえ、今はリベリオに対して敬愛の情を持っている。心からナリアと結ばれて欲しいと望んでいるし、すでにニックスにも話してある。何よりルミオ自身、リベリオにずっと黙ったままでいるのが辛くなっていた。
俺ってこんな奴じゃなかったのにな、と苦笑する。
ルミオは意を決し、姿勢を正して口を開いたところで横から水をかけられた。
「え!?ではお義父様が仰っていた監視役って、ルミオ様の事だったのですか?」
「か、監視役だと!?お前ふざけやがって!!やっぱり締め上げてやる!!」
「わあぁっ!ど、どうして私なんですか!!私ではなく、あちらですよ!!あちら!!」
ルミオが悲愴な顔で訴える方向を見れば、ルミゴンが退屈そうにソファにもたれかかっていた。「話は終わったか?」と言って立ち上がり、ニックスも続いて立ち上がると、互いに挨拶を交わしてナリアの元へ歩み寄った。
「ナリア、そろそろ帰るぞ。リベリオ、できるだけ近いうちに我が家に来い。話がある。」
「お待ち下さい、グラナード侯爵様。私を監視していたというのは本当ですか?」
ルミゴンがナリアを連れて扉に手をかけようとしたところで、リベリオが後ろから呼び止めた。背中を刺すような低い声音に、瞬く間に空気が引き攣り出す。ナリアと再会し婚約して以来ずっと鳩尾の奥で燻り続けた感情が一気に噴き出した。
「どういうおつもりですか?養子縁組といい、領主の件といい、婿養子といい!その上俺を監視していた!?いい加減にして下さい!!一体何がしたいんだ!!」
「私はナリアの気持ちを優先したまでだ。ナリアはずっとお前だけを愛していた。だからお前にこれ以上悪い虫が付かんようにルミオに見張らせていただけだ。お陰でお前たちは結ばれただろう。何か文句があるのか?」
「うっ…。」
「養子縁組については私とアマティスタ家との取り決めだ。そして領主の件は我が家の事情だ。お前には関係無いとは言わないが、婿養子に来ることぐらい何だというのだ。お前のナリアへの愛はそんなものか?」
「ぐ…。」
「それともう一つ。」
「うわっ!!」
ルミゴンはリベリオの襟元を掴んで顔を寄せると、耳元に口を近付けて囁いた。
「ルミオに監視させる前から、お前のことは調べてある。もちろんナリアの夫としてふさわしいのかどうか、その辺りのこともな。私はそれらを知った上でなお、ナリアの気持ちを優先したのだ。わかるか?そしてその調査報告書は私の手元にあるのだが、お前次第ではうっかり手を滑らせてナリアの部屋に落とすかもしれんな。お前に返す前に。」
「な…『その辺り』って…。まさか…。」
ルミゴンの瞳が捕食者の如く光るのを見て、リベリオはみるみる青ざめた。たとえ互いの事を全て見せ合う仲になったとしても、その辺りの事だけはナリアに知られるわけにはいかない。すでに過去のこととは言え、物事には限度というものがある。
噴き出した感情は一瞬で灰と化し、一息吹けば消え去るまでに粉々になった。完敗である。
「ではな、リベリオ。さっき言ったことを忘れるなよ。ナリア、行こうか。」
「え?は、はい。それでは皆様、お仕事頑張って下さいね。失礼致します。」
*
二人が出て行った団長室には、妙な空気と沈黙だけが残されていた。滞在時間が最も短いリベリオの背中が、なぜか一番深手を負っているように見える。全身の色が抜け落ち、崩れ落ちるように床に膝をついている姿が、それを物語っていた。
ルミオがどう声をかけて良いのか、声をかけても良いものかを考えあぐねていると、沈黙を吹き飛ばすようにニックスが豪快に笑いだした。
「それにしても揃いも揃って、あのお方にやられっぱなしとはな!」
「本当ですよ。もういくつ心の臓があっても足りませんよ!」
「お前、ずっとあれに付き合ってたんだろ?それだけでも大したもんだよ。」
「まぁ、私は元々自分の為でしたから。私よりも、伯父上に気に入られた副団長が一番お気の毒です。」
「全くだ!目を付けられるのは絶対に嫌だが、気に入られるのも考えもんだな。」
「やれやれ」とルミオがテーブルのカップを片付け始めると、廊下の方から騒がしい音が聞こえてきた。先ほどまで訓練場を使っていた他の団の団員たちが遅めの休憩に入るのか、廊下は今、アドレナリンを放出中の若い男たちで埋もれている。そのせいか自然と声が大きくなり、乱暴な口調が飛び交っていた。
「おい、さっきの娘見たかよ!良い女だったな!」
「つーか、あれってグラナード侯爵様じゃねぇのか?俺、あんなに近くで見たの初めてだよ!」
「俺も俺も!てことは、一緒にいたのはご令嬢か?もう相手いんのかな?」
「お前なんて相手にされるかよ。ま、俺ならすぐに口説き落とせるけどな。女なんてちょっと優しく微笑んでやりゃあ、すぐその気になるんだぜ。」
「遅ぇよ、お前。俺さっきすれ違った時に目を合わせておいたぜ。顔を真っ赤にして可愛いのなんの!」
ルミオは恐る恐るリベリオを見た。ルミゴンが隣にいるのなら下手に手出しをされる事はまず無いだろうが、陰で女の話をする若い男の口に戸は立てられない。そして今その娘の婚約者(仮)は、色は失せても耳は稼働しているはずだ。
----あ、生き返ってる。
ルミオが視線を移す頃にはすでにリベリオは立ち上がり、廊下に飛び出していた。リベリオの咆哮が廊下中に響きわたる。その直後に一目散に足音が遠ざかっていく気配がして、ルミオは肩を震わせた。
「ったく、胸糞の悪い!」
部屋に戻ってきたリベリオが口を歪めて吐き捨てる。しゃがんだまま、まだ肩を震わせているルミオの後頭部を見下しながら、冷えた声を出した。
「ルミオ、今夜飲みに行くぞ。お前にはまだ聞きたいことがある。」
「えぇ!?良いですが、殴らないで下さいね!」
「殴られるような事もしてたのか!?」
「お、いいなそれ。だったら三人で飲むか。互いに腹を割って話すには良い機会だろう。」
ニックスの提案にリベリオとルミオが頷く。
ルミオがカップを乗せたトレイを持って団長室を後にするのを見届けてから、ニックスはリベリオを呼んだ。
「何でしょうか。」
「リベリオ、お前確か、昨年からずっと働き通しだったよな。殆ど休みを取ってなかっただろう。」
「…はい。それが、何か。」
リベリオは返事を濁した。家を出て以来、少しでも日給を稼ぐ為に休みを取っていなかった。ルミオからも他の部下が休みを取りづらくなるから休んでくれと言われていたが、一人であのボロ平屋にいても何もすることが無い。一度ルミオに懇願されて一日休みを取ったが、結局時間の無駄だと思い至り、それ以来仕事に割り当てるようになっていた。
「お前に長期休暇をやる。もし戦の準備が本格的に始まったら、今度は休みたいなんて言ってられなくなるからな。」
「長期休暇!?そんな、結構です!身体を壊したわけでもありませんのに!」
「いいか、これは団長命令だ。期間は…そうだな…」
「期間は、後から報告してくれればいい。」




