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「大体なぁ、母上がお前に遠慮がちだってのも気に入らぁん。」
酒が回り始めたのか、アレニスの目が座り呂律が怪しくなっている。娘に突き返したカップになみなみとエールが注がれて運ばれてくると、アレニスはそれを横目につまみを口に放り込んだ。
娘はなおもリベリオの方をチラチラと見ている。リベリオは飛ばされてくるハートマークを躱しながら、目の前の赤ら顔に集中した。
「何が気に入らないのです?」
「母上はな、確かに父上から暴力を受ける事もある。そのせいで父上の顔色を窺い、目立たないよう後ろに控えるようになられた。でも、だ。」
「陰では俺に言いたい放題なんだよ。俺を捕まえては目を吊り上げて父上の愚痴を零したりするんだぞ!それからお前への心配事や屋敷内での噂話、何から何まで全っ部俺に言うんだ!」
「は?あの母上がですか?」
リベリオは唖然として開いた口が塞がらなかった。自分に対しては遠慮がちを通り越してまともに会話も続けられない母親が、兄にはペラペラと喋るという。それも、夫の愚痴まで。
親が子に愚痴を零す事自体は大して珍しい事では無いが、これまで自分が見てきた母親と兄の姿からは想像もつかない光景だった。まさかあの母に、目を吊り上げるなんてことができようとは。
「そうだよ!父上とリブの前では猫被ってるんだぞ!しかも母上はお前の見た目が大好きなんだ。だから、お前がフラフラしてた時期に何度か注意しようとしても、顔を見た途端見惚れてしまって何も言えなくなっていた。本っ当に残念な性格の持ち主なんだよ!!」
『残念な性格』という言葉に積もり積もった怒りを感じ、リベリオは思わず吹き出した。アレニスがジロリと睨みつける。軽く咳払いをして素早く顔を元に戻し、ついでに話も元に戻した。
「ですが、母上は私が父上に罵られているのを目の当たりしながら、見て見ぬふりをしておられました。私はずっと母上にも愛されていないのだと…」
「違う!そうじゃない!」
アレニスは首を大きく振り、エールをグイッと飲み下して乱暴にテーブルに置いた。すでに力加減までできなくなってきている。「違う、違う」と、もげそうなほど首を振り続けるアレニスに、リベリオは心のどこかで少し楽しくなってきていた。
もう少し飲ませたらどうなるだろうか。
「いいか、お前が父上に罵られている間目を背けておられたのは、幼いお前が傷付いている姿を見てしまったら、父上の真意に逆らってでも全力で助けてしまうからだ。」
リベリオに指をさし、座った目で睨み上げる。何気なく目の前でフラフラと揺れる指先を視線で追っていると、アレニスは手を引っ込めてしまった。
「そんな事をしたら父上の努力が水の泡になるだけでなく、ただの嫌われ者で終わってしまうだろう。だから見ないようにされていたのだ。でもたとえ助けられなくても、母上は必ずその場にいらっしゃっただろう?せめてお前が一人で傷付かないように。何を言われたのかを知っておく為に!」
アレニスが片腕をついてテーブルに突っ伏すと、先ほどとは別の娘がやってきた。チラとリベリオを見て何か注文するかどうかを聞いてくる。リベリオは首を横に振り、小声で「もう聞きに来なくていい」と告げた。
娘が小さく頷き立ち去ると、アレニスは突っ伏したままボソリと呟いた。
「朝…お前の元に届けている食事な。あれ、父上もご存知なんだ。」
「え!?」
アレニスの言葉に、リベリオは今度こそ言葉が出なくなった。今までずっと父親に隠れて届けていると思っていたのに、まさか知られていようとは。もしそれが本当なら、母親の事が気にかかる。
リベリオの心配をよそに、アレニスは身体を起こしてチラとリベリオを見た。
「いや、知らない振りをしておられるんだ。いつだったか、俺がいつものように母上に籠を渡しているところを偶然見られたんだ。」
「それで、父上は何と?母上はご無事だったのですか?」
かつてのように、出しゃばった真似をするな、と殴られたのではないだろうか。兄が側にいるのなら酷い事にはならないだろうが、それでも頬を張られるぐらいはされたかもしれない。
「何も仰られなかった。そのまま背を向けて行かれたんだ。母上も怒られる覚悟をしてらしたようだったが、その後も何も言わずに見過ごされていた。そうしたら…」
「…そうしたら?」
「今度は堂々と食事を渡されるようになった。」
「はい?」
「父上に知られる前はあんなにコソコソしていたのに、バレても怒られないと分かった途端、堂々とだ。流石に父上の前ではされないが、父上が食堂におられるのに隣の厨房でコックとメニューの相談をしたりするんだぞ。すごい性格をしてるだろう!?」
「丸聞こえなんだよ!」と突っ込むアレニスを横目に、リベリオも流石に頭を抱えた。その場に偶然居合わせた兄の不運を察すると同時に、ますます母親の事がわからなくなってくる。
----父上を怒らせないように大人しくしているのは、殴られるのが嫌なのもあるが、怒らせた方が後々面倒だからだという理由の方が大きいのではないだろうか。
負けるが勝ち。損して得取れだろうか。なかなかに強かな性格をしている。
いずれにせよ、兄から話を聞く前よりも謎が深まってしまった事に変わりはなかった。
----いや、それよりも…。
父親は、一体どんな顔で母親とコックの会話を聞いていたのかと想像してみた。少なくとも額がぴくぴくと痙攣する程度には感情を抑えていただろう。それとも、そんな妻の残念な性格に慣れているのだろうか。
リベリオが改めて兄の不運に手を合わせていると、アレニスは残ったエールを飲み干しカップを叩き置いた。完全に出来上がり、瞼はほとんど閉じたままになっている。
「全く、父上も、母上も、お前も!本当に素直じゃないんだ!」
「あ、兄上!?」
「どいつもこいつも、どうして素直になれないんだよ。財産なんて無いなら無いでいいじゃないか!心配なら心配だと直接言えばいいじゃないか!」
「兄上…。」
「どうして互いに隠すんだ!」
アレニスの大声に、テーブルの側を通り過ぎる客が肩を震わせた。リベリオはせめてもの謝罪に薄っすらと笑顔を浮かるが、潰れかけの兄はお構いなしに続ける。
「俺だってなぁ、どうしたらいいかわからなくなる時もあるんだぞ!それこそ何度お前に相談したいと思ったか…。家族の事を相談できるのはお前しかいないのだから。」
「…。」
「それなのにお前はほとんど帰ってきやしないし、話しかけても俺に見向きもしない。そのまますぐにどこかへ行ってしまったじゃないか!」
アレニスの言葉に胸が詰まる。兄に対する劣等感を誤魔化すために、兄自身を避け続けていた。顔を見れば声をかけてきた兄から目を背け、上辺だけの挨拶をして足早に立ち去った記憶しかない。兄が抱える苦悩も知らず。
「でもなぁ…やっぱり俺はお前が心配なんだよ。お前は俺のたった一人の兄弟なんだ。大切な弟なんだよ。家族の事を分かち合えるのはお前しかいないだろう?」
アレニスが再びテーブルに倒れ込む。もう身体を支える力も無い程に酔っていた。リベリオは店の娘を呼んで勘定を済ませると、アレニスの身体を起こして肩に腕を回した。
鍛えられた男の重みがずっしりとのしかかる。リベリオは倒れないよう脚腰に力を入れて支えると、そのまま店を出て馬車を停めてある場所へと向かった。店からそれ程離れていない事がせめてもの救いだった。
店から出てしばらく歩いていると、アレニスが項垂れたままうわ言のように呟いた。
「なぁ、リブ…帰ってこいよ。」
「…。」
「一度きちんと話し合え。父上も母上も、ずっとお前の事を心配されている。お前が戦地に向かっている間なんて、年中屋敷の中が真っ暗だったんだぞ。」
「私は騎士ですから、戦地に向かうのは当然です。」
「わかっているさ。それでも息子には行って欲しくないと思うのが親心だろう。いいか、俺たちはいつ帰って来られなくなるかわからないんだ。親もいつまでもいるわけじゃない。」
リベリオは黙ったままゆっくりと歩いた。幸いすでに地面は乾いていて、足元が安定している。リベリオの姿を認めた御者が慌てて駆け寄り、アレニスを反対側から支えると、二人がかりでズルズルと馬車の奥へと押し込んだ。
リベリオも乗り込み、馬車がゆっくりと動き出す。
「…せめて心残りだけは無くしていけよ。」
アレニスはぐったりと後ろに倒れ込み、窓の外を向いたまま寝息を立てた。
*
グラナード侯爵邸の書斎の片隅に、ナリアの仕事用の机が置いてある。壁に沿って設置された書棚には、これまでの事業に関わる資料や記録、参考にした文献などがズラリと並んでいる。貴重な書物を守る為に陽が直接当たらないよう少し陰になっているせいか、他の部屋に比べて薄暗く、夕方には灯りが無ければ机の角にぶつかってしまう程暗くなる。
「ナリア専用の執務室を用意しようかと思っている。」
養子縁組を結び、グラナード侯爵邸に来て間もない頃。そうルミゴンに言われた時、ナリアはいつもの如く即座に断った。流石に慣れたのか、ルミゴンは眉一つ動かさず理由を聞いた。
「私はお手伝いをさせていただくのですから、そのような立派なお部屋は必要ありません。ですがもし可能でしたら、書斎の片隅に机を置かせていただいてもよろしいでしょうか。」
ルミゴンは娘が薄暗い部屋に籠ることに明るい顔はしなかったが、結局ナリアの意見を尊重した。
いつものように、朝食を食べて一息ついてから書斎へと向かう。二の月に入っても陽の暖かさを感じる日が来るのはまだまだ遠く、今朝も吐く息が白く舞った。
ナリアは厚めの上掛けを羽織り、机の上に置かれた大量の報告書に閉口した。確か、昨日の夕方には無かったはずだ。
----ふぅ、また増えてる。これ、どこまで増えるのかしら。
少し前までは目の前にある量の半分も無かったものが、一の月の終わりごろから日を追うごとに増えていった。もちろん現領主はルミゴンであるため、現地からの報告書はルミゴンの元に届けられる。それらを決裁し終わったものがこうしてここへとやってくるのだ。
ナリアにもアンバルシアの現状を把握する必要があるという理由で、ルミゴンからナリアの元に届けられるようになった。そうして今日も、いつものように書類を手に取る。
報告書に目を通し、そこに書かれたルミゴンの指摘文も確認する。次々と読み進めているうちに、領内各地からの貢納に関する報告書が目に留まった。
----段階を踏んで食糧の徴収量を増やすと仰っていたけれど、今のところ問題は無いみたいね。
近々起こるだろうと噂されているマルフィーロ王国との戦に備えて、各地ではその戦準備の一環としての食糧確保に乗り出していた。それはルミゴン・グラナードの所有する領地も例外ではなかったが、先の戦の時と同様に国から食糧支援を求められている分、確保しなければならない量は他所の比では無かった。
それでも、それを優にやってのけるところに、『ルミゴン・グラナードは国を支える陰の実力者』だと囁かれる理由があった。
----でも、これって…。
手に持つ書類を前に、ナリアの顔が曇る。マルフィーロ王国との戦が起こるということは、リベリオが所属する第五騎士団が前線付近に立たされるということだ。つまりは、高い確率で生きては帰れない。
----そんな戦に、食糧支援だなんて!
こんなに悔しい事があるだろうか。
愛する人を奪う戦への支援など身を刻まれるよりも酷い仕打ちだ、とナリアは顔を顰めた。『政に私情を挟むべからず』などという理想論などどうでも良い。なぜなら、まだ自分は領主でもなければ、そう成るべし・そう在るべしと育てられたわけでもない。
私情を最優先しても、誰かに何かを言われる筋合いはない。
----少し離れようか…。
ナリアが立ち上がろうとした時、扉をノックする音がした。返事をすると、入ってきたのはルミゴンだった。
「ナリア、私はこれから王宮に出向く用があるのだが、よければ一緒に行かないか?」
「王宮へ?私もご一緒してよろしいのですか?」
王宮と聞いて、ナリアの心が跳ねる。思い返せば今まで一度も行ったことが無い。そもそも赴く用事が無かった上に、ずっと引きこもっていたせいで王宮で催される夜会にも参加したことが無かった。
そうなれば当然、ナリアの瞳が輝き出す。
「もちろんだ。そうだ、折角だからリベリオと昼食でも食べると良い。どこか店に入っても良いし、今日は天気が良いから庭で食べても気持ち良いだろう。」
「まぁ!でしたら、さっそく昼食の用意をお願いして参ります。お出かけになるまで、まだお時間はありますか?」
「昼前に出る予定だから、まだ慌てる必要は無いぞ。私もまだやる事があるから、後で声をかけに来させる。」
ナリアがニコリと微笑んで頷くと、ルミゴンは部屋を後にした。扉が閉まると同時に、キュッと拳を握り締める。
----嬉しい!リブに会いに行ける!
「よし!」と机の上を手早く片付けると、足早に厨房へと向かった。




