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内気令嬢に花束を  作者: みのり
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 ポツポツと扉を打つ音を聞きながら、リベリオはテーブルに並べた葡萄酒を眺めていた。ようやく全てから解放され、家に帰ったのは日付が変わる少し前。豪奢な侯爵邸よりもボロくて湿気臭い平屋の方が落ち着くのは、ここが唯一自分にとって自由でいられる場所だからかもしれない。少し前までは、自分に現実を突きつけてくる忌々しい場所でしかなかったのに。


 土産用にと渡された三種類の葡萄酒はどれもアンバルシアで造られたもので、王室にも献上される程の上等なものだった。その内の一つを夕食時に飲んだのだから、その美味さに感動したのも頷ける。

 ナリアからは明日の朝食用にと、パンと蒸した肉とスープをまとめた籠を手渡された。中には『お身体に気を付けて下さい』と書かれた紙が挟んである。リベリオは綺麗な筆跡の文字を指で撫でながら、大きく息を吐いた。


 ----どうしてこうなった…。


 次第に音が大きくなり、水が地を弾く音が聞こえ始めた。リベリオは灯りを消して立ち上がり、ベッドへ向かうと靴を脱ぎ捨てて寝転がった。ただでさえ暗くて寒い部屋だというのに、窓から入り込む飛沫と湿気が苛立ちに追い打ちをかけてくる。その不快さから逃れるようにゴロリと窓に背を向けると、微かに残るナリアの匂いが鼻をつき、燻っていた感情を爆発させた。


 ----ナリーが領主だと!?あのオッサン、何考えてんだ!!


 波立つ苛立ちを持て余しつつも、とりあえずシーツに顔を埋めて残り香を嗅いでおく。微かな甘い匂いを何度も胸いっぱいに吸い込んでいるうちに、心なしか落ち着きを取り戻している自分の単純さに苦笑した。

 少し冷静になったところで、ルミゴンとの会話を思い出す。ナリアを領主に、そしてリベリオをナリアの傍に置き、共にアンバルシアを統治していけという内容だった。


 ----俺が騎士団長?領主の補佐?冗談じゃない!俺にそんな器あるわけねぇだろ!


 身体を起こしてベッドに拳を叩きつけた。やはり冷静でなどいられるわけが無い。幼い頃から出来損ないと罵られ、つい最近までただの平騎士だった。己を卑下し、過小評価を下すことに嫌悪を感じるも、長い年月をかけて染みついた劣等感(コンプレックス)はそうそう簡単に消せるものでは無い。副団長という立ち位置だけでも精一杯な自分が領主の夫となり領地を治めるなど、それこそ分を弁えない行いにしか思えない。いや、身の程知らずとでも言おうか。


 ----いや、それでも…ナリーが領主になる事を望んでいるのなら、俺に選択肢は無い。俺以外の男がナリーの傍にいるなんて考えられないし耐えられない。…クソッ、アセロがナリーに近付いたのは、この事を知っていたからか!?


 リベリオはベッドに座ったまま、叩きつけた拳を見つめた。ナリアと婚姻を結ぶ為に、出された条件が一つある。


 ----だがそうするには、俺がグラナード家の者にならなくちゃいけない、か。


 『デガート』の者である事を嫌悪していたリベリオにとって、グラナード家に入る事はそれ程躊躇うものでは無かった。むしろ、デガートとの縁が切れるのなら願ったり叶ったりである。

 今後一切、父親からの侮辱を受けることも、母親の遠慮ばかりする態度に苛立つことも、兄に劣等感を抱くことも無い。愛する女の隣に立ち、愛する女を守り、愛する女と家庭を持つ。おまけに豊かな領地まで付いてくる。自分のこれまでの人生ではおよそ考えもしなかったバラ色の未来が、すぐ手の届くところにある。それでも。


 ----それで本当にいいのか。


 過去の忌まわしい記憶に縛られ、妻に管理という名の暴力を振るう父親。

 その暴力に怯えながらも、息子の身を案じて食事を届け続ける母親。

 両親の間に立ち、跡取りとしての期待を一身に背負わされてなお、弟には常に優しかった兄。


 それらを全て切り捨てる事に何も感じないと言えば嘘になる。だからと言って、噛み合わない歯車を元に戻そうなんてお節介を焼くつもりもない。では、この胸につかえるものは何なのか。


 平騎士の頃から目をかけてくれて、戦を共にし、副団長にまで押し上げてくれた団長への忠心か。

 飄々とした態度とは裏腹に、いつも側に控えて自分を支えてくれた補佐官への謝意か。

 自分を信じ、ついて来てくれる部下たちへの責任か。

 それとも、他の何かか。


 ----俺がアンバルシアに行くって事は、騎士団を辞めるって事だ…


 突如強烈な眠気に襲われ、グラリと身体が傾く。支える力も無くベッドに倒れ込むと、瞬く間に意識を手放した。


*


 数日降り続いた雨は地を緩ませ、訓練兵の足を容赦なく絡めとった。実戦を見越した訓練に切り替わった矢先の足場の悪さに、皆すでに全身が泥だらけになっている。それでも雨が降る中での訓練よりはマシだと、口の中に入った土を吐き捨てながら剣をぶつけ合った。そこへ容赦の無い檄が飛ぶ。


 「お前どこ見てる!!後ろが空いてるだろうが!!」

 「よく見ろ!!そこじゃない!!相手の隙を狙え!!」

 「のんびり剣を拾ってる場合かぁっ!!落としたら奪え!すでに何回死んでると思ってるんだ!!」

 「いつまで吐いてんだ!!さっさと立て!!走れぇっ!!」


 一人の男が訓練兵を次々と叩きのめしながら怒声を上げている。燃えるような双眸から鋭い光を放ち、訓練場の真ん中で剣を構えて相手を睨み据えていた。その姿に震えながらも後ろに並ぶ者から突かれ走り出すと、次の瞬間には己の目が天を向いていた。


 「次ぃっっ!!」

 「うわ…うわあぁぁあっっ!!!…ガハッ!!」

 「次っっ!!誰でもいい!!早くしろぉっ!!!」


 男がギロリと睨みつけたと同時に、終わりの合図が鳴り響く。皆が一斉に倒れ込んだ地面を見渡せば、泥と血と吐しゃ物で大惨事になっていた。それでも、そんな事を気にする程まともな意識を保っている者はおらず、皆息をするのがやっとの状態だった。

 訓練を終え、井戸の水で身体を流してから制服に着替えていると、連絡係の兵士が声をかけてきた。


 「デガート様、お客様が控えの間でお待ちです。」

 「客?あぁそうか…わかった。すぐに行くと伝えておいてくれ。」

 「はっ、畏まりました!」


 ----そうか、今日は彼が来る日だったな。


 手早く着替えを済ませて訓練場を後にし、控えの間へと足早に向かった。互いに仕事の合間に会うので世間話程度しか言葉を交わさないが、近況を知るには今はこれしか手段が無い。それだけでも、急ぐ理由には十分だった。


 「こちらです!」

 「ご苦労。」


 先ほどの連絡係がすでに扉の前で待機していて、男の姿を認めると姿勢を正して扉に手をかけた。足の速度を緩めることなく部屋に飛び込んだ瞬間、ピタリと足を止めて目の前に佇む予想外の来客の姿に目を見開いた。


 「リベリオ…!」

 「お久しぶりです、兄上。」


*


 控えの間から少し離れた来客用の一室で、アレニスはテーブルを挟んでお茶を飲む弟の姿に目を細めていた。頭の先から顎の線、手指の先までじっくりと観察する。どこか少しでも異常があればすぐさま抱きかかえて医務室まで連れて行けるよう、それまでの動きを頭の中で組み立てていた。


 ----少し…いや、大分痩せたんじゃないか?元々無駄な肉は無い方だったが…。


 テーブルには、見慣れた籐籠が置いてあった。今朝届いた母親からの朝食を綺麗に平らげただけでなく、きちんと洗った食器が布に包んである。要らないとは言いながらも最低限の礼節を弁える弟の所作に、アレニスは目尻を下げた。


 つい先ほどまで相手を射殺すような眼光を放っていた目には、もはや弟の姿しか映ってはいなかった。リベリオを真正面からじっくりと見つめるのは子供の頃以来な上に、兄の目から見ても見惚れる程の男前である。次はいつこんな風に見られるか分からない分、見られる時に見ておきたいという本音が瞳から漏れていた。


 「…兄上、見過ぎではないでしょうか。」


 リベリオの呆れた声にハッとして、アレニスは慌てて身体を起こした。無意識に前のめりになっていたらしい。


 「お!?あぁ、すまん。てっきり今日もルミオ君が来るものだと思っていたから、つい…。」

 「本来なら私が来なければならなかったのに、申し訳ありませんでした。」

 「いいんだ。お前が俺に会い辛いのはわかっていたから。でも、こうして顔を見せてくれただろう。それだけで十分だ。」


 ふぅ、と息を吐き、アレニスはカップに口を付けた。そのままチラとリベリオの方に視線を動かす。たった今見過ぎだと釘を刺されたばかりだったが、やはり気になるものは仕方が無い。

 ふと、身に着けているものに注意を向けると、所々が汚れてくたびれている事に気が付いた。よく見れば、艶のあった豊かな髪はパサつき、頬も唇もかさついて皮が少しむけている。アレニスは愕然としてカップを乱暴に置き、今にも泣きだしそうな顔で詰め寄った。


 「リブ、お前…一体どんな生活をしているんだ!?食事は?風呂は?服は?身の回りの世話をしてくれる人はいないのか!?」

 「何ですか急に。食事はきちんと食べてますよ。風呂は共同の竈で沸かした湯で身体を拭いてますし、服もそれで洗っています。その程度の事は自分でできますから、ご心配には及びません。」

 「心配するに決まっているだろう!お前、もしナリア嬢が同じような生活をしていたらどうするんだ!放っておけるのか!?」

 「…。」


 身を乗り出し、大声を出したところでハッとした。リベリオの押し黙った様子に小さく溜息を吐くと、アレニスは静かに口を開いた。


 「…すまない。せっかく来てくれたのに、これじゃあ会うのも嫌になるよな。」

 「いえ、ご心配をおかけして申し訳ありません。」

 「謝るな!どうして謝るんだ。お前は何も間違ってはいないだろう。」

 「兄上は、私とナリーの事をご存知ですよね?」


 リベリオの唐突な話題に、アレニスは一瞬思考が追いつかなかった。が、すぐに婚約が白紙に戻った事についてだと思い至り、小さく頷いた。


 「あぁ、知っている。お前たちの婚約が白紙に戻った事と、グラナード家との縁談を父上が反対なさっている事だろう?」

 「そうです。では、その理由はご存知でしょうか。」

 「…お前は、知っているのか?」


 リベリオは頷いた。アレニスは「そうか…」と呟くと、両手を組んでテーブルに置かれたカップを見つめた。


 「知っていると言っても、父上から直接聞いたわけじゃないんだ。グラナード侯爵様が我が家に来られた日…あの日の夜、父上は酷く興奮なさっていた。俺はちょうどその時屋敷にいたから、侍女に呼ばれて広間に向かった。その時に、父上が母上に向かって叫んでおられるのを聞いてしまったんだよ。」

 「叔母上のことですね?」

 「そうだ。途中から父上が辺りかまわず物を投げつけられるようになって、止めに入ったのだが…。」

 「母上は、手を上げられていませんでしたか?」

 「お前、どうしてそれを…。」


 アレニスは言葉を詰まらせ、リベリオを見た。ここへ来た時に人払いを済ませていた為、自分たちの他には誰もいない。それでもあまり良い話題ではないだけに、アレニスはどう話せば良いのか考えあぐねていた。

 そんな兄を置いて行くように、リベリオは話を先に進めることにした。


 「兄上は、父上が母上に手を上げている事をいつからご存知だったのですか?」

 「もうずっと昔からだ。俺が物心ついた頃には知っていた。」

 「そんな頃から!?では、婚姻を結んでからほぼずっと今のような状態だったのですか!?」


 アレニスが眉間に皺を寄せて頷いた。リベリオは愕然として目を見開くと同時に、母親の倒れた姿が脳裏をよぎった。頬を殴られ、口から血を滲ませる母の姿はそうそう忘れられるものでは無い。

 つい最近まで何も知らなかった自分の不甲斐なさを誤魔化すように、沈痛な面持ちで俯く兄を睨みつけた。今更どうしようもないという事はわかっているが、それでも持っていき場の無い怒りをぶつけずにはいられなかった。


 「どうして教えて下さらなかったのですか!!」

 「俺が知った時、お前はまだ幼かった。やっと話せるようになったかどうかの頃だ。」

 「それでも、大人になってからも話す機会はいくらでもあったでしょう!!」

 「ほとんど家に帰って来なかった奴に、どうやって話せって言うんだ!!いつ帰ってくるかもわからない。たまに帰って来ても会えやしない。屋敷や王宮で、俺にお前のいる部屋まで赴きこんな話をしろというのか!?」


 アレニスの言葉に、今度はリベリオが言葉を詰まらせた。アレニスの言う通り、家に寄りつかず家族の元から遠ざかっていたのは他でもない自分だ。それを今になって家族の事情を話してくれなかったと駄々を捏ねるのは、のけ者にされて拗ねる子供と同じではないか。

 自分を睨みつけるアレニスの眼差しが胸に刺さる。これまでどんなに冷めたい態度で接しても、アレニスからは一度もこんな目を向けられたことは無かった。

 リベリオは目を伏せ、拳を握り締めた。


 「確かに私は家から…『デガート』から逃げるような日々を送っていました。昨年家を飛び出したのも、たかが名前のせいでナリーとの婚約を反対された事がきっかけです。もちろんそれだけが理由ではありませんが…私から彼女を奪うのなら、もう二度と『デガート』と関わりたくないと思いました。」

 「…。」

 「そんな私が今こうして家族のことを聞こうとするのは、自分の過去にけじめをつける為です。」


 「なぜ父上は私に辛くあたるのか。なぜ母上は遠慮がちに私に接するのか。なぜ兄上は…私に何も言わないのか。私はずっと悩んできました。でも皆にそうさせたのは、私が家族から目を背けていたせいでもあるのではと思ったのです。目を逸らし背を向ける者に、誰が胸の内を語るでしょうか。」

 「リブ、お前…。」


 リベリオは立ち上がり、姿勢を正して頭を下げた。


 「今更と思われるかもしれません。罵られても構いません。兄上、これまでの無礼な言動の数々、申し訳ありませんでした。」 


 リベリオの低く澄んだ声が響く。アレニスは下げられた弟の頭を見つめながら、膝上の拳を握り締めた。

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