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薄暗い部屋の中、ルミオはベッドから身体を起こし、テーブルの上に用意していた布に手を伸ばした。その布の横にある小さな灯りが弱々しい光を放っている。フゥッと軽く息を吹きかけ、全てを闇に落とした。
ルミオは身体の汚れを拭いて机へと向かい、鍵がかけられていた引き出しの中から数枚の紙を取り出した。闇に慣れた目で素早く内容を確認すると、片方だけ口角を上げて鼻で笑った。
----これだ。これでコイツも終わりだな。任務完了、と。
チラと視線を向けたベッドの上では、男が無防備に肢体を伸ばして深い寝息を立てている。少々の物音では起きてこないよう、事をする前に強い薬を含ませてあった。父バロット・ラントン伯爵の傘下にいる商人が遠い東の国から持ち帰ってくる催淫薬や催眠薬の類は、この国では殆ど知られていない。故に、任務を遂行する上で非常に役に立っていた。
ルミオは紙を懐にしまい、引き出しに鍵をかけた。紙が無くなっている事に気付かれるのを少しでも遅らせるには、きっちりと元の状態に戻しておく必要がある。後は長居をせずに足早に立ち去るだけだ。
手早く荷物をまとめ、扉に向かおうとしたところで足を止める。ベッドに横たわる男を見下ろし、浅い溜息を吐いた。
----今回もつまんねぇ仕事だったな…。
*
ふと目を覚まし、ルミオはカーテンの隙間から差し込む光の眩しさに顔を顰めた。任務を終え、深夜に屋敷に戻って自室に入ったところまでは覚えている。が、途端に眠り込んでしまったのだろう。靴も外套も脱がないままベッドに入り込んでいた。
カーテンを開けて空を見上げれば、すでに陽が高くなっている。ルミオはハッとして胸元を手で押さえ、ガサッという音を確認した。
----しまった、早く伯父上に渡しに行かないと!
ルミオは近くにいた使用人にすぐに湯を用意するように言うと、服を脱ぎ捨て鏡に映る自分を見た。昨夜の情事の跡が身体の至る所に残っている。薬を盛った分仕方が無いとはいえ、男から執拗に求められたのにはさすがに辟易した。
----今回はまだ自分が上だっただけマシか…。
お陰で起き上がった途端に腰に強烈な痛みが走ったが、終わった事をいつまでも引きずっている暇は無い。ルミオは用意された湯桶に布を浸して身体を清めながら、すでに次の任務に意識を向けていた。
----キュリオの元婚約者、ナリア・アマティスタか。女ならまだやりやすいな。
ルミオは手早く身支度を整え、馬車に乗ってグラナード伯爵邸へと向かった。窓の外をぼんやりと眺めながら、街中の露店に並ぶ商品に目を走らせる。伯父であり、リヴィニス王国随一の実業家であるルミゴン・グラナードの手足となって暗躍するのには理由があった。
ルミオはフンッと鼻を鳴らして座席にもたれると、御者に「着いたら起こしてくれ」と声をかけてから瞳を閉じた。
*
「リベリオ・デガート、ですか?ナリア・アマティスタではなく?」
グラナード伯爵邸の執務室で、ルミオは予想外の名前に身を固めた。テーブルを挟んだ対面には、独特の覇気を纏った伯父が厳めしい顔でお茶を啜っている。昨夜終えた任務の報告が終わるや否や、間髪入れずに次の任務を言い渡してきた。
使える物は甥でも使うか、とルミオは内心で溜息を吐く。
「そうだ。武芸で名を馳せるデガート家の次男で、王宮騎士団に所属している男だ。二年前から戦地に向かっていたのだが、もうすぐ帰還するという情報が入った。」
「では、今度はその男を調べればよろしいのですか?」
ルミオは内心ガックリと肩を落とした。男を相手にする任務が終わり、今度は女が相手だと喜んだ矢先に男に変わったのである。しかもむさ苦しい騎士ときた。本来そっちの気のないルミオからしてみれば、ごつい騎士が相手ではするのもされるのもできれば避けたいというのが本音だった。
ルミオは背中に嫌な汗を感じながら、せめて自分が男役であることを切望した。
ルミゴンは受け取った書類に目を通して机に置くと、ルミオの隠しきれていない悲愴な表情を横目に口を開いた。
「いや、その男についてはすでに調べはついている。お前には別の事をしてもらいたい。」
「と、申しますと?」
「彼らが帰還した後、王宮内では騎士団の再編成が行われることになっている。それに伴い、入団志望者を多く募るそうだ。お前なら難なく入団できるだろう。」
「え…それはつまり、私に入団試験を受けろと仰るのですか?見習い期間も何も無いのにどうやって…。」
「お前、隠しているつもりだろうが相当腕は立つだろう。それに普段からの立ち居振る舞いも上等なんだ。見習い期間など必要無い。」
「ですが、入団できたとしても同じ場所に所属できる保証など無いのでは?」
ルミゴンはルミオの言葉を無視するように机に向かい、引き出しから二枚の紙を取り出してルミオに手渡した。ルミゴンの「読め」という仕草を認めてから、書類に目を落とす。
「これは…第五騎士団副団長ニックス・ドラルナーを団長に就かせる為の推薦状…ですか?それからこちらは、私を彼の補佐官にする推薦状ですね。あれ、リベリオ・デガートは?」
「そのニックスという男はリベリオの直属の上司で、リベリオには特別目をかけている男でな。その男が団長に就けば、奴は必ずリベリオを副団長に推すだろう。だからお前には彼らの下に身を置いて、リベリオを監視してもらいたい。」
「監視?それだけですか?」
「いや、目的は別にある。」
ルミゴンは顎を少し上げると、口元を擦りながらニヤリと笑った。
「キュリオの元婚約者であるナリア・アマティスタとリベリオ・デガートの仲を取り持て。それが無事に終わったら、望み通りアレをお前にくれてやる。」
*
第五騎士団の団長室の前で、ルミオは緊張した面持ちで佇んでいた。自分を先頭に、隣にはズラリと新人騎士が立ち並んでいる。
ルミゴンの命に従い無事に入団したは良いものの、しばらくは他の新人騎士たちと共に騎士として在るべき基礎を学ぶところから始まっていた。ルミオの場合は新人のうちからの補佐官就任ということもあり、他の者とは別に特別講義を受ける羽目になった。その分騎士として働き始めるのは遅れるものなのだが、持ち前の負けず嫌いな性格がそうはさせなかった。
ルミオは深呼吸をして気を落ち着かせてから、静かに扉をノックした。
「入れ。」
「失礼いたします。我々新人騎士十六名は、本日より第五騎士団に配属されました。団長、副団長ご両名にご挨拶を申し上げたく、参りました。」
ルミオは声を響かせると、素早く視線を走らせた。目の前には団長であるニックス・ドラルナーが椅子に座ってこちらを見ている。そしてそのすぐ隣には、一人の美丈夫が佇んでいた。
----コイツがリベリオ・デガートか。なるほど、噂通りの色男だな。
艶のあるライトブラウンの髪と、流す目元から覗く碧い瞳。太く凛々しい眉とスッと通った鼻梁は美しく、その整った顔立ちで見つめられれば男でも心を奪われてしまう。
ルミオは胸に手を立てて軽く頭を下げ、二人に向けてニコリと微笑んだ。
「本日より補佐官として就任しました、ルミオ・ラントンと申します。」
「君がルミオ・ラントンか。上から話は聞いている。文武共にとても優秀だそうだな。」
「いえ、私などまだまだ未熟者です。」
チラとリベリオに視線を送る。自分を見つめる瞳と目が合った瞬間、ルミオの心臓が跳ねた。
----驚いたな…本当に男前だ。
ルミオに続いて、騎士たちが順番に挨拶をし始めた。一人一人に声をかけるニックスの傍らでは、リベリオが黙ったまま騎士たちを睨みつけている。全く微動だにしないリベリオに軽い苛立ちを覚え始めた頃、ルミオはリベリオの口元だけがブツブツと動いている事に気が付いた。
「ん?どうしたリベリオ。さっきから黙ったままじゃないか。」
「申し訳ありません。しかし、折角こうして挨拶に来てくれたのですから、彼らの顔と名前を覚えるのが先かと思いまして。」
「!!」
「ハハハ、お前らしいな。で、覚えられたのか?」
「はい。左から順に…」
「いや、いい。俺は後々覚えていくから。」
ニックスは慌てて手で制すると、椅子から立ち上がった。
「私は団長のニックス・ドラルナーだ。それから、こっちが…」
「副団長のリベリオ・デガートだ。皆、よろしく頼む。」
「諸君はこれから誉ある王宮騎士団の騎士として働く事となる。皆その名に恥じぬよう、日々鍛錬に励むように。以上だ。」
ルミオ以外の騎士たちがぞろぞろと団長室を後にするのを横目に、リベリオとニックスは後ろを向いてボソボソと囁き合っていた。
「団長の挨拶、相変わらずあっさりしてますね。」
「言うな。俺はこういうの苦手なんだよ!」
「そう言えば副団長をされていた頃から、訓練の時は激しく檄を飛ばされる割に、挨拶はすごく短かったですよね。」
「散々怒鳴り散らした後って、特に何て言っていいのかわからねぇんだよなぁ。ま、これからはそれもお前の役目だ。しっかり頑張れよ!」
「私は団長と違って口は上手いですからね。なんとでもなります。」
「あのー…。」
「「うん?」」
騎士たちがいなくなり、一人取り残されたルミオは後ろを向いて笑い合う二人の背に向かって控えめに声をかけた。これからしばらくの間はリベリオを監視しつつ、この二人の世話をしていかなければならない。戦場を共にし、信頼関係で結ばれた二人の間に入るには相応の覚悟をしていたが、目の当たりにするとやはり声をかけ辛いのも事実だった。
声をかけたは良いものの、仲良く声を揃えて振り向くニックスとリベリオに、バツの悪いような羨ましいような、何とも言えない感情が押し寄せた。それでも任務の先にある自分の望みを叶える為と、ルミオは努めてにこやかに振る舞った。
「本日よりこちらで勤務致します。荷物を運び込みたいのですが、どの辺りに置かせて頂ければよろしいでしょうか。」
「お前の名前、ルミオ・ラントンだったな。ルミオって呼んでいいか?」
「はい。私は団長、副団長とお呼びしてよろしいでしょうか。」
「あぁ、それでいい。そうそう、お前の机だったな。そこにある机を使ってくれ。あと、書棚はそこだ。この辺も空いてるから好きに使ってくれて構わない。」
ニックスとの会話の時とは違う、リベリオの淡々とした口調に見えない壁を感じる。ルミオはリベリオが指し示した方向を確認し、礼を述べてから机に向かった。よく見ると綺麗に拭かれた後のようで、埃一つ落ちていない。それとなく書棚にも目をやると、やはり綺麗なままだった。
----男所帯だから今まである程度は目を瞑ってきたが、ここは案外綺麗にしてるんだな。団長室だからか?
騎士棟は常に汗と埃にまみれた男たちが往来する建物だけに、どこもかしこも土と泥で汚れている。使用人がこまめに掃除をしても、汚す人数の方が圧倒的に多い。ルミオのような綺麗好きな者にとっては、たとえ薄っすらとでも机の上にまで土がある状態には顔を顰めるしかなかった。
ルミオが感心して眺めていると、後ろからニックスが声をかけてきた。いつの間にか背後を取られていた事に、心の中で舌打ちをする。ニックスは声を落としてルミオの耳元で囁いた。
「どうだ、これなら大丈夫か?」
「え?大丈夫とは?」
「お前、かなり綺麗好きなんだろ?リベリオが偶然それを知って、お前が来る前に掃除してたんだよ。」
「え!?副団長が?」
ルミオはコッソリとリベリオに視線を向けた。机に向かって慣れない書類整理に苦戦している姿を見ながら、ニックスに倣って声を潜ませた。
「副団長自ら掃除して下さったのですか?」
「そうだ。アイツ自身人の上に立つのは初めてだし、特にお前はアイツの直属の部下になるからな。あれでも一応気にしてたみたいなんだ。お前が働きやすいように、ってな。」
「そうでしたか。お心遣いありがとうございます。あれ?何でしょうかこれ、可愛い…。」
「うん?何だこれ、鳥…か?」
ルミオがふと机の上を見ると、鳥を模った置物が置いてあった。よく見ると上部に穴が開いている。指先でそっと摘まみ上げて目線の高さまで持ってくると、その愛らしい表情に思わず目を細めた。
「可愛いですね。これ、何ですか?」
ルミオがリベリオに声をかける。書類に苦戦中だったリベリオは顔を上げると、ルミオの手元を見て「あっ」と声を出した。
「あぁ、それ羽ペン置きだと思うんだよ。」
「だと思う、ですか?」
「その机の中にあったんだ。俺も最初は『何だこれ?』って思ったんだが、何となく目に入った羽ペンを入れたらピッタリだったんだよ。だからたぶん、そうだと思う。」
得意げに解説するリベリオに、ニックスが呆れた声を出した。が、なぜか口の端は上がっている。
「お前、よくわかったな。俺だったら羽ペン入れるなんて考えつかねぇよ。しかも何でこのまま置いてんだよ!」
ニックスが笑いだすと、その意味に気付いたルミオもつられて噴き出した。よく考えてみれば、普通男が来ると分かっていて可愛いものを置いておこうとは思わない。手の平にちょこんと鳥を乗せて遠慮なく笑い続ける二人を半目で睨みながら、リベリオは不貞腐れたように口を尖らせた。
「別に他意はありませんよ。団長も私も自分のものを持ってますし、だからといって未使用なのに捨てるのもどうかと思っただけです。ルミオが使わないのなら他の者にやってもいいですし…。」
「だから、なんで男にやるんだよ!」
「フフフ…、いえ、せっかくなので使わせて頂きます。ちょうど新しいものが欲しいと思っていたところでしたので。」
ルミオは鳥を机の上に置き、ニックスとリベリオに声をかけてから荷物を取りに部屋を出た。廊下では大柄で厳めしい顔つきの騎士たちが忙しなく動き回っている。ルミオは歩きながら一人一人の顔をそれとなく観察すると、今度こそ盛大に噴き出した。
----俺が要らないって言ったら、あの可愛い鳥を誰にどんな顔で渡すつもりだったんだよ!
ルミオはせめて声に出さないようにと、片手で顔を覆いながら足早に通り抜けた。
*
外套を羽織り荷物を手に持ったところで、ニックスはふとルミオの方を見た。ルミオが帰り支度の手を止め何かをじっと見つめている。その視線の先を辿れば、インクの染みが薄っすらとついた鳥の置物に行き当たった。
「それ、リベリオが置いてたやつだよな。」
「そうです。私が初めて第五騎士団に来た日に、副団長が用意して下さっていたものです。私が可愛いものを好きになったのは、実はこの鳥がきっかけなんですよね。」
ルミオは指先で摘まみ上げ、手の平に乗せた。もうずっと使い続けているせいか、所々に傷がついている。インク汚れはこまめに拭き取ってはいたが、それでも染みまでは取れなかった。
「あれからまだ二年も経っていませんのに、もう随分長くいる気がします。」
「そりゃあ、お前にとっちゃここにいる事自体が任務でもあるから、余計に長く感じるんじゃないか?」
「そうかもしれません。私は今までどんなに長くても三月と関わりませんでしたから。」
「アイツといたら、飽きないだろう?」
ルミオは何も答えずクスリと笑うに留めて、鳥をそっと元の場所に戻した。
「団長、一つお聞きしてもよろしいでしょうか。」
「うん?何だ?」
「団長は副団長の事を大事な部下だと仰いましたが、本当にそれだけですか?」
「…何が言いたい?」
「いえ、他意はありません。ただ、お二人を見ていると単なる上司と部下のようには見えなかったものですから。あ、もちろん変な意味ではありませんよ。お気を悪くされたのなら申し訳ありません。」
ルミオは慌てて手を振ると、眉尻を下げて謝った。外套を羽織って荷物を持ち、扉を開けてニックスを先に通す。扉に鍵をかけてニックスに手渡すと、肩を並べて歩き出した。
「まぁ…どんな関係も何も、アイツが俺の大事な部下だって事に変わりはないな。」
「フフ、そうですね。私にとっても敬愛する上司です。」
ニックスを見送り、自分の馬車へと向う。
頬を刺す冷たい風が、なぜか心地良く感じた。




