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グラナード侯爵邸の食堂で、リベリオは目の前に並べられた料理を眺めていた。出来立ての料理はホカホカと湯気を立て、食欲を誘う魅力的な香りを放っている。
団長室に何の前触れもなく現れたルミゴンは、リベリオに「ついて来い」とだけ短く伝えると、踵を返してさっさと出て行ってしまった。その傍若無人な態度と後ろ姿を見て呆然と立ち尽くすリベリオの代わりに、ルミオは慌ててリベリオの荷物をまとめた。
荷物を手渡され、「早く追いかけて下さい!」と背中を押されたところまでは記憶に残っている。が、なぜ今自分がこうしてグラナード家の食堂に座っているのか、未だに理解が追いつかない。本当なら今頃はボロ平屋の朽ちかけたテーブルで、冷たい食事を摂っていたところだろう。
----俺…確か侯爵に会うのって、今日でまだ二回目のはずだよな?しかも前回はほんの挨拶程度だった気がするんだが…。
沈黙の中チラと視線を上げれば、ナリアが視線の置き場を探しながら何とも言えない表情で頬を染めていた。
「さぁ、料理も揃ったし食べるとするか。リベリオも遠慮せずに沢山食べろ。」
「…はい、ありがとうございます。」
「いただきましょうか。」
自分への急な呼び捨てが引っかかる。ルミゴンが葡萄酒に口を付けるのを見届けてから、リベリオもグラスに手を伸ばした。とりあえず酒を入れなければ、食事が喉を通りそうにない。縋るように葡萄酒を口に含んだ瞬間、リベリオは「ほぅ」と感嘆の息を吐いた。
----これ凄く美味いな。どこの酒だ?
リベリオが何気なくグラスの中を覗き込むと、横からルミゴンが静かに口を開いた。
「それは私の領地アンバルシアで造ったものだ。美味いだろう。」
「そうなのですか。えぇ、とても美味しいですね。口当たりは滑らかなのに、香りはしっかりしている。それでいて葡萄酒特有の雑味が全くありません。素晴らしいですね。」
「気に入ったのなら良かった。ナリアはどうだ?気に入ったか?」
ルミゴンがナリアに会話を向ける。割と話す人なんだな、と意外に感じながら、ナリアの方に視線を向けた。
「はい、とても美味しいです。これもあの酒蔵で造られたものなのですか?」
「そうだ。向こうで飲んだものとは違うものだが、これも美味いだろう。」
二人の会話に、リベリオは片眉を上げた。グラスを回す手を止めてテーブルに置くと、胸に棘が刺さるのを感じながらも話を掘り下げることにした。不愉快にさせないよう、慎重に言葉を選ぶ。
「ナリーはアンバルシアに行ったことがあるのか?」
「はい、一度だけ。」
「そうか。こんな素晴らしい葡萄酒が造れるなら、さぞ土地も素晴らしいのだろうな。」
「えぇ、とても素晴らしかったです。滞在したのは五日間程でしたが、珍しいものを沢山見ることができました。アンバルシアは川を交通手段に使っていまして、実際に船にも乗せていただきました。」
ナリアはキラキラと瞳を輝かせて、アンバルシアでの出来事を話した。穏やかな気候と豊富な資源、無駄の無い農地運営。領内の村をいくつか回れば、農民たちは皆穏やかな表情で頭を下げていた。
「民たちが穏やかな表情でいるのは、彼らの生活が安定している証拠です。もし次に行く機会がありましたら、少し離れた地域の村も回れたらと思います。城から遠ければ遠い程、困難が生じた時改善の手が遅れてしまいますから。」
「真剣なんだな。まるで領主のような台詞じゃないか。」
ナリアの真剣な眼差しを受け、リベリオは感心したように声を上げた。仕事が好きでこのまま続けたいと言っただけの事はあるな、と感慨深げに頷いていると、二人の表情が固くなっている事に気が付いた。
「ん?あれ?どうした?俺、何か失礼な事を言ってしまったか?」
「いえ、その…。」
ナリアが声を窄ませて俯く。この仕草をしたナリアは『咄嗟に何かを隠している』と、リベリオには手に取るようにわかった。ルミゴンに視線を向けても、ナリアの様子を窺うように手を止めているだけで何も話そうとはしない。途端に謎の居心地の悪さを感じ、リベリオはなるべく明るい声を出した。
「ナリー、話しにくいのなら無理して話さなくても良い。だからそんなに固くなるな。」
----なんてな!本当は気になって仕方ないけどな!!
リベリオは本心を悟られないようニコリと微笑むと、気を紛らわせる為に煮込み料理に手を付けた。スプーンで具をすくい、口へと運ぶ。柔らかく煮込まれた肉が口の中で溶けるのを楽しむと、波立つ心が幾分か落ち着いたような気がした。
----とにかく、さっさと食ってさっさと帰ろう。そしてさっさと寝るんだ!
リベリオは会話を切り上げ、食事を進めようと次の具をすくって口に運んだ。すでに妙な空気が流れているせいか、料理の味がわからない。咀嚼したものをスープで流し込もうとした瞬間、ルミゴンが声を上げた。
「ナリアは近い将来、アンバルシアの領主になる。」
「ブフォッ!?ゲホッ!ゲホッ!」
「お義父様!リブ、大丈夫ですか!?」
吸い込んだスープが気道に入り込み、リベリオは盛大に咽た。聞き間違いだろうかと顔を上げ、ナフキンで口を押えながら喉の痛みに顔を顰める。ヒリヒリと痺れるのも構わず、リベリオはなんとか声を絞り出した。
「領主?ナリーが!?」
「そうだ。すでにアンバルシアではナリアを領主として迎えるべく動き始めているところだ。」
リベリオは唖然とした表情のまま、ナリアとルミゴンを交互に見た。何の冗談かとナリアに視線を止めると、その表情が真実であることを告げていた。
リベリオは慌ててナフキンを置き、ルミゴンに向き直った。
「お待ち下さい!確かナリーは仕事の手伝いをするだけだ、と。結婚してからも仕事を続けたいと言っていました。それが、『領主』だなどとは聞いておりません!」
「知らないのは当然だ。ナリア本人に伝えたのもついこの間の事だからな。ナリアも、アンバルシアの城で家令たちの前で宣言した時に知ったんだ。」
「そうなのか?ナリー。」
「はい…。」
ナリアの頼りない返事に、リベリオは愕然とした。目の前で小さくなっている困り顔をした女が領主になるという。政をはじめ、領地の管理や城の運営に指示を出し、領民の声に耳を傾け、時には裁判を行う。戦時には軍事にも指示を出さねばならない。更に国勢によっては領主として出陣せねばならない時もある。
リベリオは簡単に列挙した領主の責務だけでも、気が遠くなりそうになった。
「いくら何でも滅茶苦茶です!ナリーは女なのですよ!?」
「だからどうした。女の領主など珍しくはない。才のある者が然るべき地位に立つのは当然だろう。ましてやナリアは私の娘だ。何か問題があるか?」
「問題も何も、領主など常に命を狙われる立場ではないですか!ナリーの身を危険に晒すおつもりですか!?」
「だったら、お前が側で守ってやれば良いだろう。アンバルシアでな。」
「それはもちろん、そう致しますが…今、アンバルシアでと仰いましたか?」
リベリオはすでに己の脳内処理能力に限界を感じ始めていた。無遠慮な『お前呼び』すらもうどうでも良くなっている。ただでさえ昨夜は甘い拷問を受けたせいでまともに眠れていないのだ。
「リベリオ。食事の後、話がある。」
くらくらする視界の先では、ルミゴンが不敵な笑みを浮かべていた。
*
リベリオが脳内処理に苦悶している頃、第五騎士団の団長室ではニックスが黙ったままルミオの横顔を眺めていた。羽ペンを指先で軽く振り、時折書類に視線を戻す。目で文字を追ってはみるが、胸の引っかかりが邪魔をして内容が頭に入らない。結局、書類と羽ペンを放り投げた。
リベリオの机の上を片付けた後、自分の仕事も終わらせて帰る準備をしているルミオに、ニックスは声をかけた。
「おい、ルミオ。」
「はい、何でしょうか。」
「お前、ルミゴン・グラナード侯爵とどういう関係だ?」
「どういう関係とは?」
ニックスはルミオの言葉を聞き流し、表情一つ変えずに聞き返す部下の目をじっと見つめた。ニックスはルミオが過剰なまでに慎重で懐疑的な性格の持ち主であることをよく理解している。そんな男が、相手が大物とはいえ、突然押しかけてきた訪問者にお気に入りの上司を半ば強引について行かせるような真似などするはずは無い。
ニックスは、今は回りくどい言い方など逆効果だと判断した。
「彼の身内か何かじゃないのか?つまりはキュリオ殿ともそうだという事になるな。」
「なぜ、そう思われます?」
「さっきのお前の行動があまりにも不自然だったからな。あと、どことなく横顔が似ているぐらいか。」
ルミオはキョトンとした顔でニックスを見返した。似ているのは性格だけではないのか、という新たな発見が妙にツボにはまり、思わず吹き出した。ルミオにしても、今は下手に隠すのは得策ではない。
「フ、フフフ…。流石は団長です。副団長は未だに気が付かないのに、すぐに見抜かれてしまいましたね。そうです。私はグラナード侯爵様の妹ルシーの息子です。伯父と甥の関係なのですよ。キュリオとは従兄弟同士です。」
ルミオはすでに失敗したことを自覚していた。ルミゴンの突然の訪問には動揺したが、それでも「リベリオを連れて帰る」と言われたまでは良かった。ところが、リベリオを無理矢理送り出した直後にニックスの存在に気付いたのである。
この時点で、ニックスに怪しまれるだろうと覚悟していた。
「何だ、アイツ気付いてないのかよ。キュリオ殿とは何度も会ってんだろうが。」
「フフ、それでも気が付かないのが副団長の副団長たる所以なのですよ。」
「お前、本当にアイツの事気に入ってんだな。で、確かキュリオ殿はナリア嬢の元婚約者だったよな。その従兄弟であるお前がリベリオの側にいて、あれこれと世話を焼いている。」
「偶然ですよ。それに私は補佐官ですから、お世話をするのは当然です。」
「お前なぁ、もう言い訳が苦しい事ぐらいわかってるんだろう?リベリオにはグラナード家の親戚である事を隠しているし、キュリオ殿とも互いに他人の振りをしていた。」
「…。」
「つまり、最初からリベリオに近付いていたってことだ。違うか?」
ニックスの核心を突く尋問に、ルミオは言葉を詰まらせた。すでに勝負はついたも同然である。ニックスに射抜くような眼光で睨み上げられ、ルミオは逃げられないと観念した。
「…その通りです。最初から、副団長に近付く為に騎士団に入団しました。」
「理由は?…いいか、リベリオは俺にとって大事な部下だ。お前のこれまでの働きを考慮してこのまま聞いてやる。だから嘘は吐くなよ。」
ニックスは低い声でそう言うと、僅かな挙動も見逃さないかのようにじっと見つめた。戦場を経験している者が行う本当の尋問とはどのようにするのか言わずとも知れている。そこまでする必要は無いとはいえ、匂わせる必要はあった。
「分かりました。ですが、先に申し上げておきますが、私は副団長を陥れる為に近付いたのではありません。むしろその逆です。」
「逆?どういう事だ。」
「私はグラナード侯爵様の命を受けて入団しました。その目的は、副団長とナリア嬢が婚姻を結ぶことにあります。その為には副団長にナリア嬢を意識してもらう必要がありました。」
「何だそれは。そんな事の為だけに入団したのか?」
ニックスの呆れたといった一言が、ルミオの胸にグサリと刺さる。自分でもこんな馬鹿馬鹿しい事などないとわかっていても、これも任務だと割り切って飲み込んできた。そんな繊細な部分への素朴な疑問ほど、打ちのめされるものはない。
ルミオは泣きたくなるのをグッと堪えて、溜息交じりに話し出した。
「はい、その為だけにです。先の戦の後、王宮騎士団は大幅に再編成されましたよね。その頃は戦後の混乱もあり、入団志望者を多く募っていましたのでそれに乗じました。」
「ふむ、ではその後第五騎士団に配属されたのは偶然じゃないってことだな。で、なぜグラナード侯爵がナリア嬢とリベリオをくっつけたがるんだ。もう関係は無いだろうし、リベリオは元々ナリア嬢に惚れてただろう。いや…そうか、アイツ自覚してなかったよな。しかもナリア嬢は結婚していると思い込んでいた。」
「そうです。本当に…本っ当に、大変だったのです!」
ルミオは心の澱を解き放つように声を荒げた。今まで溜まりに溜まったストレスを、誰でもいいからぶちまけたい。尋問を受けているはずが、いつの間にかニックスを相手に愚痴を零し始めていた。
「私はキュリオとナリア嬢の婚約が白紙に戻ったことを当然知っておりました。ですが、副団長は会って間もない私に彼女の事を話すはずはありません。」
「まぁ、そうだろうな。俺にだって、酒が入った時に話すぐらいだったからなぁ。」
「そうでしょう!?それなのに、私から話すわけにはいかないじゃないですか。ですから、ただひたすら副団長の口からナリア嬢の話題が出るのを待っていたのです。こんな地味で焦れったくて馬鹿馬鹿しいことを半年近く続けて、やっと口に出してくれたのがナリア嬢ではなくキュリオについてだった時は腸が煮えくり返りました!」
「あー…そうだったっけか。お前よく覚えてるな。余程腹が立ったんだな…。」
「ここまで出たのに肝心のナリア嬢については触れられないなんて、どんな拷問なんだよ思いましたからね。」
ルミオがかつての怒りを思い出して口元を歪めると、ニックスは目を丸くした。いつも冷静だと思っていた部下が、感情を露わにするところを初めて目の当たりにする。その原因を作っているのが他でもないリベリオだという事が、妙に可笑しく感じた。
「このままではもう無理だと判断しましたので、キュリオに偶然を装って副団長と会うよう頼んだのです。もし食いついてきたらナリア嬢を匂わす会話をすることと、敢えてナリア嬢の名前は出さず「妻」と言ってくれと頼みました。案の定、すぐに私にナリア嬢について聞いて来ましたからね。最初からこうすれば良かったと心底思いましたよ。」
「それで上手く婚約までさせたのだから、大したもんだな。結局一年かからなかったのだろう?」
「何を仰いますか!!それからがもっと大変だったのですよ!」
ルミオが突然目を剥いて声を上げたせいで、ニックスは反射的に仰け反った。変に身体を捻ったせいか、腰のあたりに軽い痛みが走る。
その後も続くルミオの愚痴と入団に至る経緯を聞きながら、若い頃はこんな事なかったな、と心の中で溜息を吐いた。




