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「で、どんな噂があるんだ?」
「実は、ニスカ・ルッソには黒い噂がありまして。」
第五騎士団の団長室では、団長ニックスと副団長リベリオに視線を向けられたルミオが、外に漏れないよう注意深く声を落とした。
----コイツ、もう呼び捨てしてやがる。嫌いな部類の人間ってことだな。
この顔つきになったルミオの情報には無意識に期待してしまう。無条件に信じるわけでは無いが、その対象が嫌いな人間となるとルミオの『力の入れ方』がやや変わってくる事にリベリオは気が付いていた。
「黒い噂?」
「はい。ルッソ伯爵家が代々治める領地には雄大な鉱山が連なっておりまして、そこから採れる鉄鉱石は純度の高いものが多く、作る武具は一般人向けから王侯貴族向けなど種類も多様で使い勝手が良いと昔から評判なのです。」
「あぁ、確かにそんな話は聞いたことがあるな。」
「実は今から十五年程前、彼がルッソ家の当主となった辺りから妙な事が起こり始めました。」
「妙な事?」
「マルフィーロ王国との小競り合いが増えたのです。」
「何を言ってる。マルフィーロ王国とは、俺たちが産まれるずっと昔から争ってきただろうが。今更小競り合いが増えたところで何だってんだよ。」
リベリオはまるで期待外れだといったような顔をした。勝手に期待したのは自分だが、それだけこの部下のことを信頼しているということだ。せめてもう少しマシな事を言って欲しかったと思うのは自己中心的だろうか。
「確かにその通りです。私が申し上げていますのは、数年おきの小競り合いが増えた、という事なのです。現に前回のヴァンケットでの戦いから二年も経たないうちに次の戦の話が出てますしね。」
「団長が仰られたように、まだまともに回復してない内からってやつだな。」
「はい。そして、その度に国や各地に武具全般を調達しているのがニスカ・ルッソだという事です。」
「そうなのか!?」
リベリオは驚愕で目を見張った。この男の情報網は一体どこまで張られているのか。そもそもこの国に張られていない場所などあるのだろうか。あるとすれば、国王陛下の寝所ぐらいのものだろう。王太子殿下の寝所すら怪しい。
「もちろん、国も各地もそれぞれに持ち分はあります。ですが戦になるとなれば、相応の数を確保しなければなりませんよね。それも他に取られないよう、早急に。」
「そうだな。」
「ところが、ニスカはまるでそうなる事を予想していたかのようにそれらを用意し、かなりの高値で売りつけているというのです。そのせいか、いつしか一部の者の間では『戦を起こしているのはニスカ・ルッソではないか』と囁かれるようになりました。」
「何だそれは!これまでの戦は奴に仕組まれたものだって言いたいのか!?」
「黙れ二人とも!!」
リベリオとルミオが姿勢を正して向き直る。ニックスは鋭い眼差しで二人を睨み上げ、大きく息を吐いた。
「ルミオ、お前は何か自分の発言を裏付ける証拠はあるのか?」
「…いえ、ありません。」
「リベリオ、お前は副団長だろう。信を置く部下の発言だとはいえ、確証の無いただの噂話なんかにいちいち動揺してどうする。」
「…はい。申し訳ございません。」
ニックスの最もな指摘がグサリと刺さる。ここ数か月の間、何もかも上手くいかない今のリベリオには、唯一真面目に務める仕事でのダメ出しが一番こたえる。チラとルミオに視線を移すと、ルミオもまた己の口の軽さを恥じているようだった。
ニックスは椅子にもたれるように身体を反らせると、素直に項垂れる二人の男に向かって言い放った。
「だが…火の無いところに煙は立たないもんだ。」
リベリオとルミオが顔を上げ、チラと視線を交わす。空を睨むニックスの瞳には憤怒の色が滲んでいた。
*
月明かりが期待できないほどの暗闇の街の中を、一台の馬車が走っていた。風が強く吹いているせいか、車体が不規則に揺れている。今夜は客足が見込めないのか、いつもより開いている酒場の数が少ないように感じた。
車内用の小さな灯りを持つルミオが、向かい合って座っているやつれた美丈夫に声をかけた。
「あれから、朝のお食事以外に何かありましたか?」
ルミオの言葉に、リベリオはピクリと反応した。が、顔は窓の外に向けたままにしてある。
初めて扉の外に置かれた朝の食事を受け取った時、空になった籐籠をどうしたものかと考えあぐねた結果、ルミオから兄アレニスに渡してもらう事にした。
「ご自分で返しに行かれたらどうです?」と半目で呆れたように言われたが、今はデガート家の者に会いたくはない。かと言って、持っているのも捨てるのも良心が痛む。『あ、素直に食べたんだ』と思われるのも癪に障るが、その表情を直に見ないで済むだけマシだろうと、ルミオに頼むことにした。
もし兄のニヤついた顔を目の当たりにしてしまったら、知らずに食べたんだと喚きちらすだろう。そして更に泥にはまっていくのは目に見えている。
そして、これがきっかけで数日おきに扉の前に食事が置かれるようになった。最初は足音を立てないよう静かに置いていたのに、最近では扉をコンコンと小さく叩いて、置いたことを堂々と知らせるようになった。まるで野良猫のような距離の詰め方だな、とリベリオは思う。
それでも、自分を支配しようとする夫の目を盗んで勘当された息子に食事を届けるなど、臆病な母には相当な勇気がいた事だろう。もし父に知られれば、また暴力を振るわれるかもしれない。
リベリオは抑揚のない声で、関心がないといった風に口を開いた。
「別に何も。食事も、もう持ってこなくていいと毎回手紙を入れてるんだがな。」
「今日も兄上様にお渡ししましたが、副団長がいつ来てくれるのかと肩を落としておられましたよ。」
「うるせーな。いいんだよ、俺の事は。」
「とりあえず、今夜は私の家に泊まる事をお伝えしておきました。」
ルミオが「ヤレヤレ」といった顔で反対の窓へと視線を移す。特に何かを見ようとしているわけでもなく視線を泳がせていると、馬車が速度を落としてゆっくりと停まった。
「坊ちゃん、着きました。」
「坊ちゃんはやめて下さい。…副団長、何笑ってるんですか。」
「ククク…いや、何でもない。」
二人が馬車から降りると、出迎えに出ていた侍女が扉を開けて待っていた。その侍女の隣に、妙齢の女性が立っている。暗くてよく見えないが、ルミオの母親だとすぐにわかった。
「おかえりなさい、ルミオちゃん!」
「ルミオちゃんはお止め下さい。ただいま帰りました、母上。」
「ルミオちゃん、こちらの方ね!?」
「えぇ、そうです。こちらが…副団長、またですか?」
「クッ…クハハ…!ちょ、悪い、ちょっとだけ待ってくれ。すぐに息を整えるから!」
後ろから釣り糸で引き上げられたような口角を必死で下げながら、スゥハァと深呼吸を繰り返す。急いで頭の中を紳士モードに切り替えると、姿勢を伸ばして手を差し出した。
「初めまして、王宮第五騎士団副団長のリベリオ・デガートと申します。今夜はお招きいただきありがとうございます。」
「初めまして。ルミオの母のルシー・ラントンです。」
差し出された小さな白い手の甲にそっとキスをする。その頭上で、またしても。
「まぁ、お話に伺っていた通り素敵な方ね、ルミオちゃん!」
「ブハッ!!」
「まぁ、どうなさったの!?」
「…もういいですから。挨拶は終わったのでしょう?副団長もいつまでも笑ってないで、さっさと入りますよ。」
「フ…フックク…あぁ、わかった。」
母親の背を押すルミオの後ろから、リベリオは震える膝で付いて行った。
*
ルミオが先に立ち大広間に案内されると、初老の男がゆったりとソファに腰を落ち着かせていた。ラントン伯爵は少し身体を起こすと、片手を軽く上げた。
「父上、ただいま帰りました。」
「あぁ、よく戻ったなルミオ。こちらの方かい?」
「はい。副団長のリベリオ・デガート様です。」
「リベリオ・デガートと申します。どうぞよろしくお願いいたします。」
「ルミオの父、バロット・ラントンだ。息子が世話になっている。」
ラントン伯爵が立ち上がり、手を差し出す。互いに握手を交わすと、ラントン夫人が夫の隣に立った。
----あれ?何か…誰かに似ていないか?いや、まさかな。
灯りのある部屋で改めてラントン夫人の顔を見る。先ほどは暗かったせいか夫人の相貌まで見て取れなかったが、こうして見ると誰かに似ている。記憶を辿るが、何か引っかかるものの、やはり出てこない。もし一度でも関係を持った女だったなら、息子の手によって自分は既にこの世にいないだろう。
その事に安堵しつつもリベリオが首を傾げていると、ルミオが横から口を挟んだ。
「父上、母上。申し訳ありませんが、先に湯を使わせていただいてもよろしいでしょうか。今日はいつもより汗を多くかきましたので埃まみれなのです。」
「あぁ、構わないよ。すでに用意させてあるから、ゆっくり浸かると良い。」
「ありがとうございます。では副団長、ご案内いたします。」
「分かった。では、ご厚意に甘えて失礼いたします。」
リベリオは礼儀正しく礼を述べると、ルミオの後ろについて大広間を後にした。ラントン伯爵がゆっくりと座り直すと、その隣にラントン夫人が寄り添った。その瞳は少女の様にキラキラと輝いている。
「あなた、素敵な方ね!」
「ふむ、そうだな。あのルミオが初めて人を連れてきたのにも驚いたが、アレのあんな表情は初めて見る。」
「ね、妬けちゃうわよね!私たちにはあんな表情、随分見せてくれてないのに!」
「そうだな。まぁ、義兄さんが気に入るぐらいだからね。なぜかアレは昔から義兄さんと似ているところがあったから、人の好みも似るんだろう。」
「フフ、そんな相手が縁者になるなら、ルミオちゃんも張り切るわけよね。あら?そういえば…」
ラントン夫人は、ふと二人が出て行った扉の方を見た。ルミゴンの指示の下で動いているルミオに気を取られ過ぎて放ったらかしにしていた事を思い出す。
「どうした?」
「ねぇ、あなた。そういえば、あの子どうしてるかしら。」
「あぁ、あの子なら頑張っているみたいだよ。旅に出る時期はまだ先だから暇なのだろう。全く、本当に下の息子たちは義兄さん寄りだな。」
「あら、そうだった?フフ、ならこれまで通り好きにさせておいても大丈夫ね。」
*
----気持ち良い。こんな風に湯に浸かるなんていつ振りだろう…。
浴槽のヘリに頭を乗せ、目を瞑る。
家を出てからは数日おきに身体を拭く程度で、湯に浸かることなどできなかった。もちろん金さえ払えば風呂に入れる場所は知っているが、当然湯に入るだけの場所ではないし、ナリアへの愛を自覚してからは通うのを止めている場所だった。
リベリオは胸いっぱいに湯気を吸い込み、やや時間をかけて吐いた。モウモウと立ち込める湯気には湯に浮かばせた花の香りが含まれていて、吸い込む度に心を癒してくれるようだ。これも可愛いもの好きなルミオの趣味なのだろうかと考えながら、リベリオは花を一つ摘まみ上げた。
----こういうロマンチックな風呂に男一人で入っても味気ねぇな。
ふと、濡れた花にナリアの顔が浮かぶ。初めてキスをした時のナリアの潤んだ瞳。紅潮し、細い首筋を照らす汗。抱き締めた時のふわりと香る身体の匂いと胸に当たる柔らかな肢体。
気が付けば、リベリオは口を開けたまま呆けるように花を見つめていた。
----ナリーがここにいたら…ってマズイ!このままじゃ出られなくなる!!
慌てて花を放り投げて顔を洗い、雑念を払う。何とか下半身の熱を下げようと別の事を考えた。
グルグルと頭を巡らせている中、ふと、団長室でのルミオの言葉が頭をよぎり、ピタリと手を止めた。顎から滴る雫がピチョンと音を立てる。
----『マルフィーロ王国は、本当に両国の分断を図っているのかと思いまして』
----『『戦を起こしているのはニスカ・ルッソではないか』と囁かれるようになりました』
ルミオの突拍子も無い発言に、声を荒げたニックスだけではなくリベリオも内心驚いていた。生まれて以来、マルフィーロ王国を悪く言う言葉は聞けども擁護するような言葉は初めて聞いた気がする。
----ルミオは軽口は叩くが、軽はずみな事を言う男ではない。
大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き切る。ルミオの飄々とした顔の裏にある鋭い洞察力と行動力にはいつも舌を巻いていたが、今回ばかりは腕を組んで感心している場合ではない。
リベリオは何気なく近くに浮かぶ花を見た。ロマンチックな浴槽で優雅なバスタイムを日々楽しむルミオの姿を想像した途端、一気に熱が消えた。
ノロノロと浴槽から出て身体を拭く。いつの間にか用意されていた服を見つけ、それらを手に取り身を包んだ。肌触りが良く、それでいて締め付けない程度に身体に馴染む。風呂上りには丁度良い着心地だった。
*
「副団長、葡萄酒はいかがですか。とっておきのがあるんですよ。」
風呂から上がり、ラントン夫妻と共に夕食を食べた後、リベリオはルミオに連れられ小さな部屋に通された。小さいと言っても机や本棚、テーブルにソファ、簡易ベッドを置いてなお歩き回れる程の十分な広さがある。他の部屋に比べて小さい、と言った方が正しい。
部屋には小さな窓があるだけで、全体的に派手さは無く、至ってシンプルなデザインの調度品が置かれていた。ただ、ところどころ目のつくところに可愛らしい置物が置いてある。
リベリオはグルリと部屋を見渡し、棚に置かれたドレス姿の蛙の置物を見ながら返事をした。
「あぁ、ありがとう。ここはお前の書斎か何かか?」
「そうなんです。私は仕事をするときや何かを考える時はこの部屋に籠っているんですよ。扉も厚めに造られていて、外からの雑音も入らないようにしているのです。」
そう言ってルミオは棚からグラスを二つ取り出し、リベリオに座るよう促してから葡萄酒を注ぎ始めた。テーブルに置かれた灯りがゆらゆらと揺れている。
「へぇ。じゃあ逆にこの部屋の音も外には聞こえないってことか。確かに仕事をするにはいいが、誰かを呼ぶ時なんかは不便じゃないか?」
ルミオが座るのを見届けてから、二人でグラスを持つ。互いにグラスを軽く持ち上げ、スッと口に含んだ。
----確かに美味い。ルミオが言うだけのことはあるな。
なんだかんだと目の前の部下を信頼してしまうのは、こういった些細な事の積み重ねなのかもしれない。リベリオが無意識にフフと笑うと、ルミオは訝し気に覗き込んだ。
「また笑っているのですか。どうせさっきの事思い出しているのでしょう。」
「いや、違うよ。確かに坊ちゃんやルミオちゃんには噴いたが、今のは違う。」
「本当ですかねぇ。」
ルミオが半目のままグラスをクルクル回す。拗ねた子供のような態度に苦笑しながらリベリオはもう一度口を付けた。口に含んだ瞬間、鼻から抜ける渋みのある香りが広がり、喉を通ると同時に渋みが消えて香りだけが残る。チラとルミオを見ると、すでに二杯目に手を付けていた。
「そうそう、この部屋のことでしたね。副団長の仰る通り、この部屋の音も外には聞こえませんよ。もちろん音だけではなく、話し声も。」
ルミオは微かに笑みを浮かべ、グラス越しにリベリオを見た。




