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十二の月も末に近付き、寒さが身に沁みだした頃。
王宮では新年を迎える為の準備が進む一方、他国との不穏な空気を警戒してか、王宮内外を出入りする者への取り締まりが一層強化されていた。
出入りする者、と一言で言ってもその数は膨大で、門をくぐる人も物も動物も全てその対象となる。朝から晩まで緊張感に晒されているせいか、王宮で働く者は皆、年明け前後の祭り騒ぎを無事に乗り越えられる体力が残っているのかが目下の悩みであった。
各王宮騎士団に所属する者たちもまた、冬を過ぎた後に起こるであろう出来事にすでに意識を向け始めていた。
*
王都にある居住区の一角にある平屋で、リベリオは朝早くから共同竈で沸かした湯で身体を拭いていた。父リスターと仲違いして以来、実家には帰っていない。もともと疎遠気味だったが、プツリと途切れてしまうとなると生活も一変する。
今まで夜会に行くにもどこへ行くにも、身支度は実家でしていたし、馬車で出向いていた。何か必要な物があれば特別なもの以外はデガート家の金で用立てていた。
だが、それらももう今後は使うことは無い。
----腹減ったな。何か残ってたか。
リベリオは残った湯で汚れた服を洗いながら、唸り声を上げる胃袋に溜息を吐いた。家と関係を断った以上、今までの様な金の使い方をするわけにはいかない。武具の金具一つ修理するにも金がかかるのだ。
今は切り詰められるところは切り詰め、少しでも貯えを作っておかなければならない。
----ナリーは今頃どうしているだろうか。
服を絞り、椅子の背に掛ける。寒さで乾くには時間がかかるだろうが、数日放っておけば固まらない程度に乾いてくれる。リベリオは新しい服を身に着けると、食料を入れている籠に手をかけた。
----お、オートミールが残ってるな。ちょっと湿気てるが大丈夫だろ。あとは…あぁ、これこの前もらった人参だな。
器にオートミールを入れて薄いエールを注ぐ。オートミールがふやけるのを待っている間に、ニンジンに齧りついた。野菜を切ったり茹でたりするという工程は、リベリオの辞書には存在しない。
ボリボリと噛み砕きながらスプーンでオートミールを掻き混ぜていると、扉の外に気配を感じて手を止めた。同時に、何かが置かれたような小さな物音がした。
----またか…。
リベリオはスプーンから手を離し、別の溜息を吐いた。
*
リベリオが平屋に籠るようになって十日が経った頃から、見知らぬ女たちから差し入れを受けるようになった。元々この平屋には寝る為だけに帰っていたようなもので、朝から晩まで起きている間は殆ど外に出ている。それに外に泊まる事も多々あった。
そんな男が、ここ最近仕事が終わると真っ直ぐに平屋に帰り質素な生活を続けている。女の気配も無い。社交界を賑わすような華のある独身男が、不器用ながらも慎ましい生活をしているという噂は瞬く間に広がり、女たちの母性を直撃した。
貰い始めた頃はリベリオも驚いてはいたが、剣は握っても包丁は持たないリベリオにとって調理済みの食料を貰えることは何よりも有難い事だった。今まで気にも留めたことは無かったが、所謂近所同士の助け合いとはこういうものなのかと、素直に喜んでは騎士らしく笑顔でお礼を伝えていた。それが、悪かった。
日を追うごとに差し入れの量が増え始め、終にはリベリオに会う為に遠い所からわざわざ持ってくる女まで現れたのだ。
ある日の夕方、リベリオは顔見知りになった女が出来立てのスープを持ってやって来た時に、何気なくその時の事を話した。明らかに『親切な差し入れ』の範疇を超えた行動が見え始めた事には、男女の事に長けたリベリオも警戒せざるを得ない。
リベリオが軽い世間話をしながらスープを受け取りテーブルに置いていると、扉が閉まる音のすぐ後に聞き慣れた衣擦れの音が耳朶に触れた。咄嗟に後ろを振り向き、女に視線を移す。
「おい、何をしている?」
「…いつまで待てばいいの?」
「何の話だ。いいか、それ以上脱ぐな。俺はお前を抱く気は無い。」
「抱く気は無いですって!?じゃあ、今まで何のつもりだったのよ!貰うもの貰って、抱く気は無いなんて冗談でしょう!!」
「はぁ!?」
リベリオは女の言葉に耳を疑った。相手に贈り物をして、その見返りに性交渉を求めるのは男の本能だとばかり思っていた。それがまさか、男の自分が女に言われるとは。
唖然としたまま女の顔を見つめる。リベリオの視線を受け、なおも脱ぎ続けようとした女の手首を咄嗟に掴み、そのまま服を乱暴に引っ張り上げた途端、強烈な一撃が頬に入った。
「女に恥をかかせるなんて信じられない!アンタ本当に付いてんの!?これ、返してもらうから!!」
女は手早く衣服を着直すと、リベリオを一睨みしてからスープを抱えて出て行った。殴られた頬を擦りながら扉を閉め、ドサリと椅子に座り込む。シンと静まり返った部屋の真ん中でハァッと大きく息を吐き、込み上げる苛立ちで頭をガシガシと掻いた。
----クソッ!俺が何したってんだよ!何もナニもしてねぇじゃねーか!
ナリアと別れてからも女関係を一切断っているリベリオにとって、男の生理現象は常に頭をもたげる問題だった。突然夜中に眠れない程の欲情に駆られる事も少なくはない。それでも何とか自分で自分を慰める事で、辛い夜を乗り切ってきた。
----ナリーに会いたい…。他の女なんか要らない。ナリーの柔らかい唇が恋しい…。
ぐったりと項垂れ、テーブルに零れたスープのシミを見つめる。一体どこで間違えたのだろう。
今までも割り切った関係以外で、女の持つ下心には慣れていたはずだった。それらは大抵、高価な物や他の女たちの前で自分に傅いて欲しい、という見返りだ。自慢の身体を差し出す代わりに。
それなのに、とリベリオは唸った。
つい先ほどまでニコニコと笑っていた女は、目を吊り上げながら食事を届けた見返りに自分を抱けと言った。飛び抜けて美人というわけでは無いが、醜女でもない。相手にしない男などいない程には愛嬌のある顔立ちをしていた。
----やはり、ナリー以外の女と関わると碌なことねぇな。
この日の出来事以来、リベリオの元に差し入れを届ける女は激減した。
*
リベリオはうんざりとしながら立ち上がり、扉へと向かった。
あの日の出来事以来、差し入れの回数は減ったが、逆にライバルが減ったとばかりに通い続ける女たちも少なからず残っている。リベリオは相手を見て慎重に言葉を選び、やんわりと断り続けた。
----今朝は早い時間から来たんだな。さて、どうやって断るか…。
取っ手に手をかけ、人が入って来れないないよう少しだけ開けた。が、誰もいない。
----なんだ、気のせいか…ん?
リベリオが扉を閉めようとしながら、ふと、足元に目をやると、布を被せた大きめの籐籠が置いてあった。すぐに辺りを見渡すが誰もいない。籠を手に取り中に入ってテーブルに置くと、布の下から香ばしい香りが漂ってきた。
「うわ、すげぇ!」
布を取り払い、中のものを確認する。まだほんのりと温かいパンとローストした肉、それに野菜と豆のスープが入っていた。見ただけで、上等なものだとわかる。
----これ、食ってもいいんだよな?でも誰がこんな良いものを…。
顔を近付け、クンクンと匂いを嗅いでみる。が、匂いを嗅いでみただけでは毒が入っているかはわからない。腕を組んでしばらく眺めた後、警戒心と空腹感の天秤は後者に傾いた。
----ま、大丈夫だろ。俺を殺っても誰も得しねぇしな。
早速パンを手に取り、スープに浸して頬張った。キメの細かい粉を使っているのがわかる程に柔らかい生地は、口当たりも格別だ。肉も、外はカリッとしていて中から肉汁が溢れてくる。
あっという間に平らげると、先に用意していたオートミールも掻き込んだ。後味としては先にオートミールから食べるべきだったと後悔するが、そんな事を考える余裕など今の胃袋にはない。
----はぁ、久しぶりに朝から腹いっぱいになれた。…で、これどうしたらいいんだ?
腹を擦りながら、ハタと籐籠を見る。今更ながら、何か差出人の手がかりは無いかと覗き込み、籠に敷かれた布を取り出した。
----ん?何だこれ。
底に敷かれた布の下に小さな紙が挟んである。リベリオは指先で摘まみ上げ、裏に書かれた文字に息を呑んだ。
『リベリオ、きちんと食べていますか?』
*
年が明けて間もなく、第五騎士団の団長室では団長席に座るニックスに向かい合うようにリベリオとルミオが立っていた。扉の向こう側は祭りムードで賑わっているというのに、三人は顔を顰めたまま黙り込んでいる。
ニックスは奥歯をギリッと噛み締め、言葉を失う二人に向かって重い口を開いた。
「…とにかく、この事はまだ団員には言うんじゃねぇぞ。こいつは『仮』のもんだからな。まだ正式に指令が下りたわけじゃない。」
『仮』の部分を、ニックスが皮肉を込めて吐き捨てるように言った。言いながら、頭の中ではフンと鼻を鳴らす忌々しい顔が浮かび上がる。
リベリオは机を睨み付け、拳を握り締めた。仮のものとは言え、事前にわざわざ名指しで通達されたのならばほぼ確定しているようなものだ。それよりも、正式な軍事会議の場ではなく、通りすがりの耳打ちで知らせるなどという嫌がらせのような真似をする奴が、軍務長官のすぐ側にいようとは。
そんな、あえて子供染みた事をするのは嫌がらせの証拠を残さない為だろう。兎にも角にも、下されるかもしれない命令に背くような発言をするわけにはいかない。
「ですが、どうして第五騎士団だけがそのような役割を?他の騎士団は…」
「それはまだわからん。他の団がどのような指令を受けているのか、いないのか。戦が始まると決まったら、今後の軍事会議で明らかになるだろう。団員たちに伝えるのはそれからだ。」
「はい…。」
再び沈黙が落ちる。
生来ニックス・ドラルナーという豪傑な男は、決まってもいないものにアレコレと悩むような繊細な一面など持ち合わせてはいない。そもそも自分より目下の者に対して、腫れものに針を刺して痛め付ける輩など、吐いて捨てるほどいるのだ。いちいち気にしていてはキリがない。
ハァ、とニックスが溜息を吐くと同時に、ここまで微動だにしなかったルミオが訝し気に口元に手を添えた。
「団長、この件に関して一つ気になる事があります。」
「どうした?急に。」
「マルフィーロ王国が我が国の同盟国であるプロモント王国に近付いたのは両国を分断させる為だ、と聞いております。」
ニックスが頷く。プロモント王国は同盟国とは言え、大陸一の強国である。領土の広大さもさることながら、屈強な軍事力と豊かな財力を誇り、各国との交易も盛んに行っている。
今更確認するまでもない事をあえて口にするルミオの横顔を、リベリオは黙って横目に見た。
「プロモント王国の王太子殿下の元には、国王陛下の姉君様が王太子妃として嫁いでおられます。そして両国の歴史上、他に類を見ない程の良好な関係を築いてきております。」
「そうだな。」
「マルフィーロ王国にしても、両国の絆の強さは知っているはずです。確か、マルフィーロ王国は先の戦の後すぐに国王が逝去し、当時の王太子が即位しています。そしてこの約二年の間、新国王として戦後の混乱を治めていた。ですが昨年の十一の月には、彼の国がプロモント王国に接近しているという情報が我が国に入っていたのです。つまり逆算すれば、戦の後一年前後でプロモント王国に接近し始めているという事になりませんか?」
水が流れるような滑らかな語り口に、リベリオは思わず聞き入った。リベリオの頭の中ではすでに、先ほどのニックスの言葉よりもルミオの『気になる事の結論は何か』の方が重要な位置を占めている。
ルミオの言葉に、ニックスは鋭い視線を送った。
「まぁ、そうなるな。だが、だから何だと言うんだ?」
「なぜ、まだ傷も回復しない状態で敵国の同盟国に近付くのでしょう。両国の友好状態を考えれば、一歩間違えれば自国を滅ぼしかねません。」
「…。」
「最初は単純に我が国を裏切るよう仕向けているのかと思ったのですが、もしそうならプロモント王国も黙ってはいないでしょうし、もっと早くに戦が始まっていてもおかしくないと思うのです。」
「…何が言いたい?」
「マルフィーロ王国は、本当に両国の分断を図っているのでしょうか。」
「おいっ!滅多な事を言うな!!」
リヴィニス王国とマルフィーロ王国は、数代に渡って繰り返される争いによって完全に国交が分断されている。『悪いことをすれば、マルフィーロの死神兵に連れて行かれて喰われてしまうぞ』と子供の躾の代名詞にまで使われる程に、互いに忌み嫌っていた。
そんな国を、例え小声でも擁護するような発言をしたと知られたら、内通者だと疑われても文句は言えない。ニックスが声を荒げるのも当然だった。そのやり取りを静かに見ていたリベリオが、横から口を挟む。
「ルミオ、何か根拠はあるのか?」
「いえ、全て私の憶測です。最初に『気になる事』と申し上げたのもそれ故にです。ただ…」
「うん?」
「その、ニスカ・ルッソという補佐官ですが、あまり良い噂を聞きませんので。」
「おいぃぃぃ!だからお前いい加減にしろって!!俺、あえて名前は伏せてただろう!?何堂々と言っちまってんだ!!」
横からニックスが思わず声を荒げる。「いっけない!」とわざとらしく口を隠すルミオに、ニックスは今度こそ頭を抱えた。この、有能だが空気を読まない補佐官の自由な口を今すぐ縫い付けてやりたい。
隣で肩を震わせているリベリオに向かって「どうにかしろ」という視線を投げると、リベリオは小さく溜息を吐いた。




