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大広間を出ると、廊下で待機していた侍女のサフィがナリアの元へと足早に歩み寄った。その不安げな表情が、ナリアの身に降りかかった事の重大さを表しているかのようだ。
「ナリアお嬢様、大丈夫ですか?その…」
「サフィ、ここじゃ話せないわ。とりあえず部屋へ戻りましょう。お茶の用意をしてくれるかしら。二人分…いえ、三人分ね。」
「はい!」
先ほどまで大広間に招集されていたのは、この領地で主要な役職に就いている者ばかりだ。その錚々たる顔ぶれが一つ所から出てくるとなると、謁見が終わったことは瞬く間に使用人たちに広がる。そして足早に、それぞれの主の世話をしに主の元へと向かいだすのだ。
ナリアはサフィと途中で別れて先に自室へ戻ると、倒れ込むようにソファに座り込んだ。ソファに敷かれた毛皮の弾力がナリアの華奢な身体を受け止めるが、その肌触りを楽しむ余裕など今のナリアにはない。今頭の中を駆け巡るのは、先ほど大広間でルミゴンの口から出た言葉だけだった。
----領主だなんて冗談でしょう!?私にそんなもの、無理に決まってるじゃない!!
片手で額を支え、眉間に皺を寄せる。かつてアマティスタ家にやってきたルミゴンから領主権一部代行委任状を見せられた時でさえ、ただただ呆然とするしかなかった。それなのに、まさか今度は領主そのものになれと言われるとは。
----しかも、改めて宣言する、と。という事は、あの場にいた方たちはすでに知っていたという事よね。じゃあ、この事はずっと前からすでに決まっていたの!?
ナリアは愕然とした顔で壁を見つめた。あの日、突然養子縁組を申し出たのはこれが目的だったのだろうか。最初から代行委任状なんてものは存在しなかったのではないだろうか。
『領主権一部代行委任状』と書かれたものを見たのは確かだった。が、その後それをどうしたのかは当然ナリアに知る由も無い。
無意識に口が開き、目の前がグラリと揺れた。
----まさか…どうしよう。今年に入ってから、次から次へとどうして…
リベリオと再会したのが今年の三の月。アマティスタ家に訪れたリベリオを、覚悟を決めて出迎えたあの日。あれからまだ一年も経っていないというのに、もう遠い昔の出来事の様に感じる。
----悩んで、信じて、愛して、絶望して…結局彼を信じきれなくて、お義父様の娘になる事を選んで、今私はここにいる。でもその結果が領主になる事だなんて、一体誰が想像できるって言うのよ!
ルミゴンが居た場所に、将来自分が居る事を想像しただけで胃が痛くなる。ソファにもたれてぐったりと頭を倒しているうちに、もう何もかもがどうでも良くなってきた。とにかく今は考える事をやめないと、胃が痛いだけでは済まなくなりそうだ。
ナリアが白い喉を晒すように頭を反らせていると、トレイを持ってやってきたサフィが血相を変えて駆け寄った。
「お嬢様!ナリアお嬢様!どうなさったのですか!?お身体に何か…!!」
「ん?あらサフィ、早かったのね。違うの、体調が悪いのではなくて…。もう頭の中がぐちゃぐちゃになりそうだったから、少し落ち着こうと思ったのよ。」
はぁ、と溜息を吐きながら身体を起こす。心配そうに顔を覗き込むサフィの視線に気付き、ナリアは胸を張って背を伸ばした。いつまでも主人の萎れた姿を見せておく訳にはいかない。
サフィが立ち上がり、トレイのカップにお茶を注ぎ入れる。主の様子を一目見ただけで花の香りがする茶葉を選ぶなんて流石だな、とナリアは感心しながら所作を眺めていた。
テーブルに三人分のお茶が並べられたところで、扉をノックする音がした。
「失礼いたします、ナリア様…あら?これからお客様がいらっしゃるのですか?申し訳ございません、それでは後程伺います…」
部屋にやってきたマシスタがテーブルに置かれたカップの数に気が付くと、頭を下げて出て行こうとした。その流れるような動きには一切の無駄がなく、相手を魅了する優雅さすらある。
若い娘には身に付けられない大人の余裕が空気から伝わってくるようで、ナリアは思わず見入っていた。
「マシスタさん、待って下さい。これは私たち三人のお茶なのです。」
「はい?」
「その…少し、女同士でお話したいなと思いまして…。あ、でも、お忙しいようでしたら良いのです!引き止めてしまってすみません。」
ナリアが顔を真っ赤にして目を伏せる。ポカンとしたまま主の赤面をまじまじと眺め、マシスタは口元に手を添えた。
「まぁ、私もご一緒してよろしいのですか?扉を開けた途端、とても良い香りがしましたので驚きましたの。お声をかけて頂けるなんて嬉しいですわ。」
マシスタがニコリと微笑み、ゆっくりと歩み寄る。マシスタが座り、サフィがそれぞれのカップに小さな焼き菓子を添えてからソファの端に座ると、ナリアはカップに口を付けた。
花の香りを胸いっぱいに楽しむ。マシスタがこの茶葉をどこから仕入れているのかをサフィに尋ねた事を皮切りに、近頃王都で流行りだした焼き菓子やお肌のお手入れの仕方など、女同士の会話に華を咲かせた。
ふと、ナリアはマシスタにアンバルシアについて聞いてみることにした。
「アンバルシアについてでございますか?そうですわね、まずこの土地は王都から南東に位置しております。周りは山々に囲まれ、領地の端は海に面しており、昔から他領との交易が盛んでした。また、海から続く川が物流や移動の手段として用いられて参りました。」
「まぁ、川を。では、ここでは人や物の流通には船も用いてきたのね。つまり、この地域の川の流れは緩やかで災害が起こりにくいという事?」
「はい。そしてこの地は一年を通して温暖で、寒い時期になっても雪は殆ど降りません。また暑い時期も、海から流れ込む風によって涼しいのです。ですから、作物を育てるのに大変適しておりますし、海岸沿いで採れた魚も川を伝って内陸側へ運ぶこともできます。」
ナリアは納得するように頷いた。確かにもう十二の月に入っているというのに、厚めの外套が一枚あれば十分なほどだ。
「旦那様がこの地に適した作物を取り入れる際にも、ナリア様のお父上様であるアマティスタ子爵様にご尽力いただいたと聞きました。今ではこの地で採れる野菜や麦、豆、魚の干し物が市場では高値で取引されているのですよ。」
「そうだったのですか。」
マシスタの話に、ナリアはますます首を傾げた。その様な恵まれた環境にある土地を、ルミゴンはなぜ実の息子たちではなくナリアに渡そうとするのか。そもそも息子たちは、養子縁組をしたとはいえ血の繋がりの無い女に豊かな土地を持っていかれる事を妬ましく思わないのだろうか。
ナリアが俯いたまま黙り込んでいると、マシスタとサフィが困惑の視線を交わした。
「あの…ナリアお嬢様?どうかなさいましたか?」
サフィの声にピクリと反応する。ハッと顔を上げると、二人の覗き込むような視線が自分に向けられていた。サフィに至っては、先ほどから眉が八の字に下がりっぱなしだ。
ナリアは大広間での出来事を話そうかどうか、一瞬迷った。すでに公に宣言した事ならば、遅かれ早かれ城中に広がる。
二人の耳に入るのも時間の問題か、と思い至り、ナリアは二人には自分の口から伝えることにした。
「さっき大広間で、皆さんの前でお義父様に言われたのだけれど…。私を、将来このアンバルシアの領主に置く、と…。」
「はい!?」
サフィが目を見開いて固まった。持っていた焼き菓子を膝の上に落としたまま、口をパクパクさせている。狼狽えるサフィとは対照的に、マシスタの落ち着き払った様子がナリアの目に映った。
「…マシスタさんは、ご存知だったのですか?」
「はい。もちろん公にはされておりませんでしたので、この事を知っている者はごく限られて者たちだけですが。」
「では、いつ頃から?」
「そうですね…。あれは確か、三年程前だったでしょうか。」
「三年前…。」
「はい。キュリオ様とナリア様のご婚約が白紙に戻ってしばらく経ってからのことでした。ごく一部の者たちだけをを執務室に集めて仰られたのです。」
「私に…この地を譲り渡すと?」
「はい。詳しい事情までは存じませんが、その時の為にこのアンバルシアをより豊かな土地に変えておきたいと。ただ…」
マシスタが言葉を濁す。年頃をやや過ぎた女性に対して言って良いものかどうか、マシスタは目を伏せて言葉を探した。
「ただ?」
「その…、今回のご帰還にはナリア様の婚約者様がご同行されると皆が思っておりました。そして、お二人が揃った上で皆にご通達なさるのかと思っていたのです。」
「え!?」
「あの、マシスタ様。それは一体…。」
「申し上げた通りです。ですが、ナリア様を領主様に、そして婚約者様には騎士団長兼ナリア様の補佐に就いて頂くというお話を伺ったのは、つい最近の事です。それまでは譲渡するとだけ伺っていましたので。」
ナリアは目の前が真っ白になった。そんなに前から計画を立てていた事にも驚いたが、まさか婚約者までそこに組み込まれていようとは。
ナリアが固まったまま唖然としていると、その様子を横目にサフィが口を開いた。
「なぜナリアお嬢様が領主で、婚約者様が補佐なのですか?普通に考えれば、男である婚約者様なのでは…。」
「その辺りのご事情は、私にはわかりません。ですが、この地はあくまでナリア様にお渡しする為に旦那様が立て直された土地です。たとえ婚約者様といえど、この地の所有権をお渡しする事は無いのではないでしょうか。」
「そんな!そもそも、お嬢様がデガート様とご婚約なさったのは今年に入ってからなのです。つまり、最初はナリアお嬢様お一人にこの地を託されるおつもりだったということですよね。」
「それは私には…」
マシスタの言葉を遮るように、扉をノックする音がした。皆がピクリと肩を震わせて扉の方に目を向ける。サフィは慌てて立ち上がり、そっと扉を開けた。
「ナリア、話がある。」
*
陽が更に高くなり、部屋に一つだけある窓から明るい光が差し込んでいる。ルミゴンはソファにゆったりと腰を落とし、サフィが用意したお茶を啜った。先ほどまでの華やいだ香りとは違い、柑橘系の爽やかな香りが部屋中に漂っている。
マシスタとサフィが静かに部屋から出て行った後、二人はしばらく無言のまま向き合った。そして視線を上げ、先に口を開いたのはルミゴンだった。
「先ほどは突然の事で驚いただろう。」
「はい。まさかアンバルシアの領主になれだなどと言われるとは、思いもよりませんでした。」
「まぁ、そうだろうな。お前には『ここでの仕事を手伝ってもらう』としか伝えていなかったからな。」
「お義父様、率直にお伺いいたします。どうして私にこの土地を譲ろうとなさるのですか?…つい先ほどマシスタさんから聞きました。この事は、数年前からすでに決まっていた事だったと。」
ナリアが真っ直ぐに見つめて言うと、ルミゴンは小さく頷いて「そうだ」と呟いた。
「その辺りの事をきちんと話そうと思って、ここへ来たんだ。」
ルミゴンはソファにもたれて空を見つめ、どこから話そうかと口元を擦った。
「昔、私が各地の領地を訪れていた事は知っているな?そして、エドラの実家であるエスタリカ侯爵家に支援してもらったからこそ、今のグラナード家があるという事も。」
「はい。存じております。」
「このアンバルシアの地は、もともとエスタリカ侯爵家の領地だったのだ。」
「そうなのですか!?なぜそれが、グラナード家のものに…。」
「七年程前、エドラのお父上様である前エスタリカ侯爵様がお身体を壊されただろう。その少し前から一族内のいざこざもあり、この地の運営もままならなくなっていたらしくてな。だから、それをきっかけにこの地を手放そうかと仰られたんだ。」
ルミゴンは窓の外に視線を向けると、差し込む光に目を細めた。
「だが見ての通り、このアンバルシアは環境に恵まれた素晴らしい土地だ。手放すにはあまりに惜しい。そこで、エスタリカ侯爵様の元を何度も訪れて話し合い、私が引き受けることになった。すでに各地で事業を進めていたからな。その手腕を買って下さったのだ。」
「そして、この地について調べ始めてから約二年が経った頃だった。ある夜会で、アマティスタ子爵殿の事業が年々上手くいっていないという噂を耳にしてな。アマティスタ子爵といえば、エドラの夫のことだとすぐにわかった。」
「それで、父に事業提携のお話を持ち込まれたのですか?」
「そうだ。しかし、それまではエスタリカ侯爵家とは繋がりがあったが、アマティスタ子爵家とは皆無だったからな。突然訪れても警戒されるだろうから、再びエドラに間に立ってもらう事にしたのだ。当時、彼女は身体を壊して臥せていた時期だっただろう。知らぬこととはいえ、そのような時に申し訳ないことをしたと今でも反省している。」
ルミゴンがフゥ、と息を吐くのを眺めながら、ナリアは当時の事を思い返した。あの頃、母エドラは流行病が尾を引いて半年程臥せていたのだ。ナリアの恋心に気付いた途端みるみる回復し始めたが。
「それからは、他の事業と共にこの地の事業改革にも尽力してもらってな。彼のお陰で以前よりも生産性の高い領地に生まれ変わった。」
「そうでしたか…。ですが、それと私が領主になる事と一体何の関係があるのですか?」
ナリアはますますわからないといった顔で首を傾げる。
アマティスタ家が尽力したのは事業提携をしているからである。エスタリカ家が手放そうとした土地をグラナード家が引き取り、結果的に以前より豊かになっただけの話だ。そこに、『ナリア』の要素は一つも無い。
「当然のことだが、元々はナリアを領主に置こうなどとは考えて無かった。そもそも娘に迎えたいとすら考えてなかったのだからな。」
「では、なぜです?それも私だけではなく、リブのことまでお考えだったのですよね。約三年前といえば私が彼と再会し、キュリオ様との縁談の一件があった年です。まだお会いされたことも無かったはずですのに…それとも彼の事をご存知だったのですか?」
ナリアは今この時しか聞くことはできないと判断し、思い切って核心を突いた。途端、強烈な緊張感に襲われ手足が一気に冷たくなる。
沈黙の中ゴクリと唾を飲み込んで言葉を待っていると、ルミゴンはニヤリと笑った。
「それはな、ある人から彼の事を聞いたからだ。」




