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広い食堂のテーブルには美しい花が飾られ、豪華な料理が所狭しと並べられていた。使用人たちは匂いに誘われて集まってきた人々の合間を縫うように忙しなく動き回り、兵士たちは主と令嬢が来るのを今か今かと待ち構えていた。
食堂のあちらこちらで話し声や笑い声が飛び交い、主が入室する扉の方にチラチラと視線を向ける。ようやく殆どの席が埋まった頃、主と令嬢が入室し姿を現した。
上座の方からざわめきが起こり、皆の視線が一斉に集中する。ルミゴンが片手を上げれば、それを合図に場が静まり返った。ルミゴンはナリアに振り向き腰に手を当てて少し前に立たせると、胸を張って透き通った声を響かせた。
「今宵、皆に紹介したい者がいる。彼女は私の娘、ナリアだ。先ほどここに到着したばかり故、明日改めて皆に紹介しようと思う。ひとまずこの場にいる者たちは彼女の顔を覚えておくように。」
ルミゴンがナリアに視線を移して挨拶をするように促すと、ナリアはコクリと頷いてスカートの裾を摘まんだ。目を伏せ、できるだけ視界に人が入らないようにしながら軽く膝を折る。緊張で震える膝から力が抜けないよう、脚全体の筋力を総動員させて踏ん張った。
「初めまして、娘のナリア・グラナードと申します。皆様、どうぞよろしくお願い致します。」
ナリアが顔を上げてニコリと微笑むと、上座側に座る兵士の中から中年特有の低く豪快な声が響いた。
「これは美しい!!ルミゴン様、このようなムサ苦しい男所帯に花のようなご令嬢を連れてきて下さるとは、真にありがたき幸せでございます!なぁ、皆もそう思うだろう!?」
男が豪快に笑いながら皆に振り向き腕を広げると、それに呼応するように食堂中で歓声が起きた。カップを掲げ、手を叩き、指笛が鳴り響く。
「いや、全くだ!このような美しいご令嬢を娘に迎えられるとは、本当に羨ましい!」
「そうだそうだ!ナリア様、ようこそアンバルシア城へ!」
「俺、今日城にいてラッキーだったよ!真っ先にお顔を拝見できた!」
「俺もだ!噂では聞いていたが、本当に謙虚な方じゃないか。見たか、あの笑顔!」
「いやぁ、いるもんだね。綺麗で控えめな女ってのは。相手の男が羨ましいぜ。」
男の一言で先ほどまでの静寂が宴のような雰囲気に変わり、ナリアは唖然とした。笑い声が聞こえ、自分に向かって手を振る人まで出始める。
ナリアが固まったまま立ち尽くしていると、声を上げた中年の男が振り返りルミゴンに向かって得意げにニヤリと笑った。場の空気を盛り上げた事に感謝しろと言わんばかりの態度に、ルミゴンは呆れて溜息を吐く。
「おい、レアン。お前は本当に相変わらずだな。ナリアが驚いているだろう。」
「お、何だよ。息子の時とは違ってえらく過保護じゃないか。やっぱり娘は違うもんなのか?」
「フン、当たり前だ。一緒にされてはたまらん。ナリア、彼はアンバルシアの騎士団長でレアンという。覚える必要はないぞ。」
「おい、そりゃ無ぇだろう!俺だってナリア嬢に会えるのを楽しみにしてたんだぞ!」
ぎゃあぎゃあと喚くレアンを涼しい顔で受け流すルミゴンの態度に、ナリアは今年一番の驚きを得た。初めて会った16歳の頃から、ルミゴンには『他を圧倒するような威厳と鋭い眼光の持ち主』というイメージを持っている。その後の関わりの中でそのイメージも幾分かは和らいだものの、それでも砕けた言葉遣いで素の態度を晒すルミゴンの姿には新鮮さすら感じた。
ルミゴンが城主の席に着きナリアを隣に座らせると、レアンは立ち上がりナリアの側に立った。椅子に座っている時から大柄な体躯の持ち主だとは思っていたが、実際に横に立たれると首を真っ直ぐに持ち上げなければならない程に大きい。歳もルミゴンとはそう離れてはいないように思えた。
レアンは胸に手を当てて膝をつくと、ナリアを見上げるようにして手を差し出した。
「初めまして、騎士団長のレアンと申します。」
「初めまして、ナリアと申します。よろしくお願い致します。」
ナリアが手をそっと乗せる。長い間剣を振り続けた男特有のゴツゴツとした手の感触に愛しい男の手を重ね、ナリアは思わず息を呑んだ。レアンは手の甲にキスをしてそのままじっとナリアの顔を見つめると、ニカッと笑って立ち上がった。
「いやぁ、本当に昔のエドラ嬢にそっくりだな。俺たちがエスタリカ侯爵家に通っていた頃の彼女そのまんまだ。お前、やるなぁ。」
顎に手を当て、ニヤニヤと笑って言うレアンにルミゴンはジロリと睨み返した。
「おい、変な目で見るんじゃない。ナリアに失礼だろう。」
「まぁいいじゃねぇか、昔の話だろ。ところで、ナリア嬢って呼んでもいいかい?様ってのは堅くて苦手なんだよ。」
「はい、もちろん構いませんわ。ところで、私と母はそんなに似ているのですか?先ほど執事のロモンさんにも同じ事を言われました。」
「ハハハ、アイツにも言われたのか。だったら後二人には確実に言われるな。」
「お二人…ですか?」
ナリアがキョトンとした顔で見上げると、レアンはクツクツと笑って腰に手を当てた。
「あぁ。ここの家令で、領土管理官長をしてるトゥルマっていう髭面小太りの男と、城内管理官長をしているメントスっていう禿げた男前だ。奴等も俺やロモンと一緒にエスタリカ侯爵邸に通っていた時の仲間だからな。」
「そうなのですか!実は、その当時の事は母から少しだけ聞いていたのです。昔、義父が視察中に大怪我をされて運び込まれた先が、偶然母のいる救護院だったそうですね。」
ルミゴンの眉がピクリと動く。口に運ぼうとしたカップをピタリと止め、静かにテーブルに戻した。久しぶりに懐かしい話ができる相手を見つけて、レアンは上機嫌で話し始める。
「そうそう!その時俺たちもいたんだよ。ロモンが救護院を見つけてきて、そこに怪我をしたルミゴンを抱えて運んだのが俺なんだ。トゥルマとメントスも護衛についててな。いやぁ、あの時は本当に肝が冷えたぜ。」
「まぁ、そうだったのですか!ふふ、なんだか嬉しいです。母の思い出話とはいえ、まるでおとぎ話の登場人物が現れたみたいで。」
「そうかそうか。じゃあ、おとぎ話の裏話やその後の話もしてやろうか?」
「裏話や、その後?」
レアンがニヤリと笑って口元に手を添え腰を屈める。ルミゴンはナリアの頭上を越えて素早くレアンの顔を鷲掴み、指に渾身の力を込めた。
「イダダダダッ!痛ぇって!冗談!冗談です、ルミゴン様!!」
「やかましい!余計な事を喋ってないで、さっさと座れ!食事の邪魔だ!」
ルミゴンが押しのけるようにパッと手を離す。シッシッと手を振るルミゴンを横目に睨みながら、指圧から解放された顔を擦って背を向けた。
「おーイテ。全く、冗談の通じねぇ奴だな。それじゃあナリア嬢、今夜はアンタの歓迎会だ。いっぱい食えよ!」
「はい、ありがとうございます。」
席に戻っていくレアンの大きな背中を眺めながら、ナリアはポツリと呟いた。
「大丈夫でしょうか、お顔…。」
「あれぐらいどうってことは無い。普段から奴等は過酷な訓練をしているからな。大怪我なんて日常茶飯事だ。気にするな。」
「ところで…」とルミゴンはカップの葡萄酒を飲み干してテーブルに置き、少し声を潜めて続けた。
「先ほどの話だが…。」
「はい?」
「その…エドラ夫人から昔の話を聞いていた、というあれだ。」
「そのお話しですか?確か、お義父様が馬から落ちて腕に大怪我をされたのですよね。その後、エスタリカ侯爵邸で母と再会されたと聞きましたが。」
「うむ、まぁ…そうなのだが。それだけか…?」
バツの悪さを誤魔化すように食堂を眺める。ナリアがキョトンとしたままルミゴンの横顔を眺めていると、ルミゴンはチラとナリアに視線を向けた。
「それだけ…?あ!!」
ナリアが咄嗟に口を塞ぐ。そのあからさまな動揺に、ルミゴンは嫌な予感が的中したかのように目を見開いて固まった。
二人の間に妙な空気が流れる。互いに固まったまま視線を泳がせると、ルミゴンが肘をついて額を支えた。
「はぁ…エドラに聞いたのだな?」
「え、あ、はい…すみません…。」
『エドラ』と突然親し気な呼び方になった事に心臓が跳ねる。なぜか悪いことをしてしまったような面持ちで縮こまっていると、ルミゴンが椅子の背にもたれて手を組んだ。
「まぁ、昔の話だ。今はエドラに対してそういった感情は全く無いから安心しろ。」
「あの…一つ伺ってもよろしいでしょうか。」
「うん?何だ?」
ルミゴンがカップに口を付ける。侍女が運んできた料理の説明を軽く聞き流しながら、ナリアに視線を向けた。
キュリオとの婚約話が出た時から胸につかえていた事を聞くのは今しか無いと、ナリアは心の中で自分を奮い立たせた。
「その…お義父様は、私が母に似ているから娘にと望んだのですか?」
「ゴフッ!!」
「お義父様!大丈夫ですか!?」
「ゲホッ!ゲホッ!何を…どこからそのような話になるのだ!?」
「違うのですか?」
カップを置き、布で口元を拭う。鼻の奥に入った葡萄酒がもたらす地味な痛みを和らげようと、眉間辺りをグイグイと揉み込んだ。
「そんなわけが無いだろう。まぁ…確かにキュリオとの縁談を進めた時は、それに近いものが心の片隅にあった事は否定しない。だが以前話した通り、ナリアを娘に迎えたのはあくまでアンバルシアでのお前の立場をハッキリさせておく為だ。それ以上でもそれ以下でも無い。」
「そうですよね!そんなわけがありませんよね!私ったら…」
「ちょっと待て。もしかして…誰かに何かを言われたのか!?」
「はい!?いえ…そのような事は…。」
ルミゴンが振り返ると同時に、ナリアが身体ごと顔を背ける。再び流れた生温い空気を背中に感じながら、ナリアは背後からの低い声にビクリと肩を震わせた。
「…ナリア、誰に何を言われた?」
「いえ…その…昔の話ですし…。」
「言・い・な・さ・い。」
ルミゴンが顔を近付けニコリと微笑む。その背中にゆらりと黒いものが漂っているのが見え、ナリアは心の中で母エドラに手を合わせた。
「その…キュリオ様との縁談話があった時に、母から『ナリーは私の若い頃にそっくりだから、『妻』には無理でも『娘』には欲しかったのかもしれないわね。』と言われまして…。」
「何だとっ!?アイツそんな事を言ったのか!?」
咄嗟に出た『アイツ』呼びのあまりの自然さに、ナリアはふと懐かしい気持ちになった。かつて、会って間もない自分を『お前』呼ばわりしていた男の顔が脳裏に浮かぶ。
「あ!でも先ほどお義父様が仰ったように、あの時と今とでは状況も違いますし、私などには到底考えも及ばないようなご配慮からだという事は、もう理解しておりますので…。」
「全くアイツは、婚姻前の娘に何てことを吹き込むんだ…。本っ当に相変わらずだな。」
ハァッ、と大きく溜息を吐いてカップに口を付ける。眉間に皺を寄せて酒を飲むルミゴンの横顔に、ナリアは思わず吹き出した。ほんの少しの会話の中に、二人がどんな関係だったのかが垣間見える。
ナリアがクスクスと笑っていると、ルミゴンもククッと喉を鳴らした。
*
翌日、陽が高くなる頃。アンバルシア城の大広間には主要な役職に就いている者たちが集められ、城主ルミゴン・グラナードの前に並んだ。
「皆、ご苦労である。今日この場に集まってもらったのは他でもない。私の娘、ナリアを皆に紹介する為だ。この中には昨夜の宴に出席した者もいるだろうが…ナリア。」
「はい。」
ルミゴンの呼びかけに立ち上がり、胸を張って背筋を伸ばした。ドレスの裾を摘まんで目を伏せ、ゆっくりと膝を折る。昨夜の宴ですでに一度経験しているせいか、それ程緊張することは無かった。
「皆様、初めまして。娘のナリアと申します。どうぞ、よろしくお願い致します。」
控えめに微笑むナリアに、集まった者たちは胸に手を当て軽く頭を下げた。ナリアが椅子に座ったのを合図に全員が姿勢を正す。皆の視線を極力意識しないで済むよう、ナリアはなるべく兵士たちのおでこを見るように努めた。
ルミゴンはゆっくりと立ち上がり全員の顔を見下ろしながら、広間中に響き渡る声を発した。
「ここに集まっている者たちは全員既に承知している事だが、改めてここに宣言する。このアンバルシアは、私の娘ナリア・グラナードに譲渡する。」
ルミゴンの言葉に、ナリアは目を見開き固まった。
----え…?
頭の中が真っ白になり何を言われたのか理解できないまま、ルミゴンの背中を呆然と見上げる。そのまま前に並ぶ兵士たちに視線を移せば、彼らの微塵も動揺していない真剣な表情が、ナリアに追い打ちをかけた。
ルミゴンの背中と兵士たちの顔を交互に見ている自分の顔が、青くなっているのがわかる。それでも何とか頭を働かせようとするが、まさかの状況に思考がついていかない。
「あ、あの!お義父様!?何を…」
「しかし、今すぐの話ではない。娘には上に立つ者として学ばねばならん事がまだまだある。しかし近い先にはアンバルシアの領主となり、この城の城主となる。ここにいる者たちは皆、長きに渡って私を支えてくれた者たちであり、私もまた信を置いている者たちだ。トゥルマ!」
「はっ!」
ルミゴンの呼びかけに、一人の男が声を上げ一歩前に出た。ナリアが視線を向けると、昨夜のレアンの言葉がそのまま現実に出てきたような髭面小太りの男がルミゴンを見上げている。ナリアは咄嗟に口角が上がらないよう、口元を引き締めた。
「ナリア、彼は領土管理官長のトゥルマだ。彼からはアンバルシア内の農地民の監督から葡萄酒の醸造、納税に関することまで、あらゆることを学べ。」
「いえ、ですからお義父様…。」
「メントス!」
「はっ!」
ナリアのか細い声をかき消すように、ルミゴンは次の者の名を呼んだ。返事をした男に視線を向ければ、やはり禿げた男前が見上げている。「もうやめて」と言わんばかりに視線を彷徨わせていると、ふと男の足取りに目が行った。一歩前に出た時の足元が少しふらついている。
「ナリア、彼は城内管理官長のメントス。使用人への指示から城での規律、設備の修繕まで、城内の事に関しては彼から学ぶように。」
「あの…お義父様?」
「レアン!」
「はっ!」
----全然聞く気が無い!!あら、あの方は確か昨夜の…。
「ナリア、彼は昨夜紹介した騎士団長のレアンだ。ここアンバルシアの軍事活動全般を指揮している。彼からは…まぁ、それは後回しでいい。」
「おい!何で俺だけそんな扱いなんだ…ですか!俺にも教える事ぐらいあるんですよ!」
「わかっている。ナリア、この領地の治安維持に関する事は彼から学ぶように。」
「くっ…何だか俺だけ雑じゃないか?ただでさえ俺だけ野郎を相手にしなきゃいけねぇってのに。」
レアンがブツブツと文句を言う横で、トゥルマとメントスは涼しい顔でナリアを見つめた。
「よいか、ナリア。ここにいる者は皆、お前を次期領主として迎えるべくこのアンバルシアを守ってきた者たちだ。彼らから学べることは全て学び、共にこの地を守っていきなさい。」
ルミゴンが有無を言わせない威厳を込めた声音でナリアに向き直る。
「いえ、お断りします。」とは、到底口には出せなかった。




