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内気令嬢に花束を  作者: みのり
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 ----『私はまだ諦めるつもりはありません。必ず貴女を振り向かせみせます。』


 顔を上げ、再びテーブルの上の灯りを見つめながらアセロに求婚された時の事を思い返す。切なげに潤ませた漆黒の瞳と、少し薄めの整った唇から紡ぎだされた秘めた想いには、どこか打算の影が見え隠れしていた。


 ----言葉はとても情熱的なのに、瞳はとても冷めていた。まるで私ではなく私の中にある何かを欲しているような、逃すまいとしているような、そんな瞳。


 「リブだったら…」


 ナリアはハッとして口を覆った。無意識に口をついた言葉が、心を閉じ込めた殻にひびを入れる。

 なぜアセロの告白が胸に響かないのか。なぜアセロの笑顔を不審に感じるのか。男女の恋愛事など何もわからない自分が、なぜ簡単に見透かしたような気になるのか。


 ----『俺はお前の事を愛している。』


 自分を見つめるリベリオの情熱的な瞳と愛する女を欲する眼差し。誰にも触れさせまいと腕の中に閉じ込め、包み込むように抱き締める逞しい身体。腕に抱えた花の香りを吸うような甘い吐息。

 口を覆った手が震え、唇を掠る。肩掛けを手繰り寄せ、ギュッと握り締めると鼻の奥がジンと痺れた。


 ----ねぇリブ、だからわかるの?私は貴方から本当に愛されていたから…だからアセロ様の愛は偽物だと、すぐに私にわからせてくれたの?


 温い涙が頬を伝う。翌朝目が腫れないように、グッと目の奥に力を込めた。

 深呼吸をして込み上げる感情に堪えていると、扉をノックする音がした。ナリアが返事をした後、少し躊躇いがちに開いた扉の隙間から、ルミゴンが姿を半分覗かせる。そこから一歩も動こうとしないルミゴンに首を傾げていると、ルミゴンがポツリと呟いた。


 「…夜遅くにすまない。少しいいか?」

 「はい、大丈夫です。…お義父様?そのようなところにお立ちにならず、どうぞお入りになって下さい。」

 「いや…娘とはいえ、夜遅くに女性の部屋に入るのは…。」


 ルミゴンが口籠ると、ナリアはポカンとした顔で口を開けた。ルミゴンには息子が二人いるが、娘はいない。息子の嫁はいるが、元来人を寄せ付けるタイプの人間ではないだけに、たとえ義理でも娘と呼ぶには程遠い関係だった。つまり、娘(・)にどう接して良いのかわからない。

 ナリアは『あっ』と気が付くと、途端に可笑しくなりクスクスと笑いだした。先ほどまでの塞いでいた気分が、いつの間にか吹き飛んでいる。扉をゆっくりと開けて、ニコリと微笑んだ。


 「そんなこと、お気になさらないで下さい。アマティスタの父は夜遅くだろうと早朝だろうと、建前のノックだけして何も気にせずにずかずかと入ってきていましたよ。」

 「む…そういうものなのか?」

 「娘なんてそういうものなのです。ですからお義父様もお気になさらず、いつでもいらして下さいね。」

 「そうか…ならば、これからはそうしよう。」


 ナリアに促されて部屋に入り、ソファに座る。ナリアがテーブルの灯りを一つ増やして少し部屋を明るくしていると、伏せた目元が濡れている事に気が付いた。

 

 「十一の月もそろそろ終わり、もうすぐ本格的な寒さがやってくる。そうなればアンバルシアとの行き来も難しくなるだろうから、そうなる前に一度彼の地に赴こうと思っているんだが…ナリア、一緒に来るか?」

 「まぁ!私もご一緒してよろしいのですか!?」


 ルミゴンの唐突の提案に思わず前のめりで返事をすると、ルミゴンが目を細めて頷いた。


 「あぁ。本当は年が明けて暖かくなってから行くつもりでいたのだが、アセロから少しずつ仕事を教わっているだろう?ならば先に見ておいても良いと思ったのだ。ただ、若い娘を連れて行くとなるとそれなりの準備もいるから、先に聞いておこうかと思ってな。」

 「あ…、はい。もしよろしいのでしたら、私も同行させて頂けると嬉しいです。」


 ルミゴンの口からアセロの名前が出た事に動揺して、一瞬反応が遅くなる。気取られないよう素早く表情を作るが、やはり遅かった。


 「…アセロとの噂が気になっているのか?」

 「噂?」

 「む?」

 「え?」


 二人の間に沈黙が落ちる。互いの顔をまるで絵画を観るように見つめ合い、ナリアはキョトンとした顔のまま続けた。


 「何のお話しですか?私とアセロ様の噂って…。」

 「いや、何でも…」

 「お義父様、教えて下さい。どんな噂ですか?」


 ルミゴンがぎこちない動きで目を逸らせる。それを追いかけるように、ナリアは眉を潜めて詰め寄った。

 過去に一度、身に覚えの無い噂話に打ちのめされた事がある。自分の知らないところで沸いた噂が耳に入る程度なら平気な振りもできたが、実際に目の前に突きつけられた時のショックは想像を超える程心身を追い詰めた。

 しかし今回は相手が身近な人間である。もし何も知らないまま突然噂の内容を突きつけられたら、それこそ立ち直れなくなるかもしれない。

 ナリアの逃すまいとする視線を受け、ルミゴンは観念したように息を吐いた。


 「屋敷内でアセロとナリアが婚約しているという噂が広まっていてな。もちろん私はルシージア家とそのような約束はしていないが…」

 「なっ、何ですかそれは!どうしてそのようなお話が!?」

 「うむ…、私も最近耳にしてな。すぐにアセロを呼び付け話を聞いたのだが、本人にもわからないのだそうだ。ナリア、何か心当たりはあるか?」

 「…。」

 「どうした?何かあったのか?」


 ナリアはピクリと反応して俯いた。すぐに俯いてしまう癖が『何かあった』と言っているも同然だとは分かっている。それでも幼い頃からそうやって言いたい言葉を飲み込んできた癖は、すぐに直せるものではなかった。


 「いえ、何でも…」

 「ないわけ無いだろう。先ほどもアセロの名前に反応していたな。奴に何を言われた?私はお前の父親だ。父と娘の間で遠慮はするなと言ったのは、お前だろう?」


 少し身体を屈めて視線を合わしながら、ルミゴンは穏やかな口調で諭すように言った。アセロとの事は侍女のサフィにしか話していない。ナリアは少し躊躇いがちにポツリと呟いた。


 「その…、先日アセロ様から求婚されまして…。」

 「何だと!?それは真か!」

 「はい。ですが、すぐにお断りしました。」

 「流石だ。」

 「はい?」

 「いや、ゴホン。ふむ…だが、そうか。噂を知らなかったのならば、ナリアはアセロとの事で心を悩ませていたわけでは無いのだな?」

 「はい。求婚についても、なぜ急にそのような事を仰ったのかがわかりませんでした。それに、私に対してそういった好意をお持ちのようにはどうしても思えなくて…。」


 膝の上で指を絡ませる。アセロの求婚に応えるつもりは全く無いが、彼の真意がわからない。黙り込んだまま左手の親指を撫でていると、ルミゴンが静かに口を開いた。


 「では、その涙の理由は別にあるのか?」

 「え?あ…その…、これは…。」


 咄嗟に目元に指を滑らせると、睫毛に雫が残っていたことに気が付いた。そういえば視界が少し光を受けていたような気がする。


 「リベリオ・デガートの事か。」

 「…!」

 「彼とはもう婚約を結ばないと申した事を後悔しているのではないか?」

 「いえ…そのような事は…。」

 「よいか、ナリア。自分の気持ちに嘘を吐くことは、人生で最も愚かな行為の一つだ。ましてや彼は騎士だ。いつ戦場へ赴き命を落とすかわからん相手なのだぞ。」


 ルミゴンの言葉が胸に突き刺さる。先の戦から無事に帰還したと聞いた時、涙を流して喜んだことを今でも鮮明に覚えている。でもその喜びも、いつまで得られるだろうかと何度も考えては不安になった。


 「分かっております。ですが、彼には他に大事になさっている女性が…」

 「いるわけ無いだろう。…先日、リベリオ・デガートがグラナード家(ここ)へ来た事は知っているか?」

 「リブが!?まさか、それは本当なのですか?いつ来られたのですか!?」

 「今月の初め頃だ。門番から知らせがあってな。門番に向かって自分はナリアの婚約者だと言い、ナリアに会わせろと叫んでいたと。…多分、ナリアとの婚約が白紙に戻ったと聞いて飛んできたのだろう。」


 ナリアは驚愕に目を見開き、唇を震わせた。そんな話は誰からも聞いていない。屋(・)敷(・)内(・)で(・)広(・)ま(・)っ(・)て(・)い(・)る(・)というアセロとの婚約話も、当人であるはずの自分は知らなかった。自分への配慮なのか、それとも他の理由からなのか。

 心臓が早鐘を打ち、視界が霞む。ルミゴンは黙ったままナリアを見つめた。


 「リブは…、彼はその後どうされたのですか?」

 「すぐに帰ったそうだ。」

 「すぐに…そう、ですか…。」


 胸の奥がツキンと痛む。自分はもう二度と会わないと覚悟したからこそ、一方的に婚約を白紙に戻した。それなのに、リベリオが自分に会わないまま帰ってしまった事が酷く胸に刺さる。

 自分には傷付く資格など無いのだと言い聞かせるように、ナリアは唇を噛んだ。


 「門番に、ナリアの婚約者はお前じゃ無いと言われたそうだ。」

 「え!?…まさか!」


 ルミゴンの鋭い視線がナリアを射抜く。その眼差しから感じる嫌な予感に、見開いた目を逸らすことができなくなった。


 「ナリアの婚約者はアセロ・ルシージアだと聞いて、その場に崩れたそうだ。そしてそれ以上何も言わずに帰っていったと。」

 「そんな…!それじゃあ、リブはそれを信じたというのですか!?」

 「かもしれんな。なんせ『貴方とは婚約を結びません』と言われた後にそんな話を聞けば、誰だって信じてしまうだろう。だが何をそんなに慌てる必要がある?アセロの事は噂だとしても、リベリオ・デガートが婚約者でないのは事実だ。お前がそう望んだのだろう?」

 「それはそうですが…。でも、誤解したままだなんて…。私が彼以外の男性と婚約だなんて…。」


 顔を顰め、首を横に振る。今後誰とも婚約も結婚もしないと誓ったのは自分だ。それにこの場で全力で否定する意味も必要も無い。それなのに、そうせずにはいられない自分がただ情けなくて涙が溢れた。


 ----本当に、誰とも結ばれるつもりなんてない。リブ以外の、誰とも…。


 両手で顔を覆い、静かに嗚咽を漏らす。ルミゴンは立ち上がってナリアの隣に座ると、震える肩にそっと手を置いた。


 「他に想っている女がいる男が、そこまでの事をすると思うか?彼は仕事を放ってまで来たのだぞ。」

 「…。」

 「厳格な規律のある王宮騎士団の副団長である彼がそんな事をしたと知られたらどうなるか、お前でも想像はつくだろう。王命に背いたと捉えられても文句は言えないんだ。それでもまだ、彼の気持ちを疑うのか?」

 「…わからないのです。それならなぜ、あの人に会いに行くのか。どうしてあの人を隠そうとするのか。どうして嘘を吐くのか。何を信じれば良いのか、わからないのです。」


 溢れ続ける涙が頬を伝い、膝を濡らした。


 「ナリア。お前はそれを、真正面から彼に問うたのか?」

 「いいえ…。」

 「なぜだ?まぁ…彼に限らず、多かれ少なかれ、男にとってあまり聞かれたくない事があるのは事実だ。それが女に関する事だとしたら尚更な。」


 ルミゴンがふと口を噤む。少しの間を置いて、ナリアはハッとした。

 実の母であるエドラとルミゴンの過去。エドラはルミゴンの恩人であり、求婚をした相手だった。


 ----そうだった。昔、お義父様はお母様のことを…。


 ナリアが気まずそうに視線を彷徨わせると、ルミゴンはフ、と笑ってテーブルの二つの小さな灯りを眺めた。


 「だが何も言われず、何も聞かれないのも辛いものでな。」

 「では、どうしてご自分からお話しにならないのですか?」

 「ハハハ、そんな事できるわけないだろう。もちろん、何かを言われればきちんと受け止めるし、何かを聞かれたら答えたいとは思う。だが自分から他の女の話を、わざわざ愛する女に話す男などいない。もしいたとしたら、そいつはとんでもなく勇敢な男か愚か者だ。」


 ルミゴンが二ッと笑ってナリアを見ると、ナリアもつられてクスクスと笑った。ルミゴンはテーブルの灯りに手を伸ばすと、もう一つの灯りの方へゆっくりと寄せていった。

 二つの灯りが寄り添い、互いに照らし合っている部分が一際明るくなっている。


 「だからこそ、聞(・)い(・)て(・)欲(・)し(・)い(・)。男は女が思う程強くないんだ。自分からはとてもじゃないが話せないような事でも、妻が笑顔の裏で自分への疑念を飲み込む様を見るぐらいなら、真正面からぶつけて欲しいものなのだ。」

 「ですが、どうしても答えたくない事や知られたくない事を聞かれたら、互いに辛い思いをするだけなのではないでしょうか。でしたら、互いに触れないままでいた方が…」

 「だからこそ今、こうして辛い思いをしているのだろう?彼だって、もしかしたら話すつもりだったのかもしれない。ただ先ほども言ったように、自分から女の話を言い出せる男などいないんだ。だから、愚かだとわかっていてもつい隠そうとしてしまう。」

 「…勝手ですね。」

 「ハハハ、そうだな。だがそれが男だ。どんなに勝手で愚かだとしても、惚れた女には受け入れてもらいたいと望む。だからこそ何も言われないまま、話し合う事すらできないまま、わけがわからないまま背を向けられる事が一番辛いんだ。」


 ナリアはふと、ルミゴンの横顔を見た。瞳に映る灯りの光をじっと見つめる。ナリアの視線に気が付き、ルミゴンはふわりと微笑んだ。人々から恐れられる人物だとは到底信じ難い。


 「もちろん、全ての男がそうだとは限らないが…。少なくとも彼は、そんな男だと思うぞ。」


 ルミゴンはそう言って、今度は二つの灯りを離すように動かした。小さな炎が震えるように揺れている。

 去っていく灯りも、残された灯りも、弱々しい光を放ち闇に佇んだ。

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