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内気令嬢に花束を  作者: みのり
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 ----あの男?グラナード侯爵の事か?


 嫌な予感がする。途端に喉の奥が乾き出し、つい先ほど『茶はいらない』と言ってしまった事を心底後悔した。リスターの刺すような視線を真正面から受け止め、リベリオは言葉を慎重に選んだ。


 「数か月前、一度二人で飲みに行っただけです。その前は偶然顔を合わせた程度でしたが、私とナリア嬢が婚約した後いろいろありまして。自分たちが婚約を白紙に戻した本当の経緯などを話しておきたい、と。」

 「…フン、まぁいい。お前が知っているなら話は早い。そういう事になったから、この話はこれで終わりだ。」


 ソファにもたれ、面倒事を終わらせたような物言いで手を振る。これ以上の会話のやり取りすらする気は無いという態度に、リベリオはグッと歯を食いしばった。


 「お待ち下さい。お話はまだ終わってはおりません。彼女がグラナード家の令嬢になったのなら、また婚約を結び直せば良いだけなのではないでしょうか。」

 「バカな事を言うんじゃない!!」


 リスターの荒げた声が響き渡る。まるで目の前に憎い相手がいるかのように、奥歯を噛み締めリベリオを睨み上げた。

 隣にいるカレイラが「あなた…」と小さく囁くと、ハッと我に返りカップに口を付けた。


 「ナリア嬢がアマティスタ家の令嬢ならば何も文句は言わん。だが、彼女がグラナード家の令嬢だというのなら話は別だ。…奴の娘と婚姻だと!?バカにするのも大概にしろ!!」


 わなわなと拳を握り締め、カップを睨む。何に対しての怒りなのかわからない分、リベリオの背中に嫌な汗が流れた。


 「…父上、どういう事でしょうか。ナリーが…ナリア嬢がグラナード家の令嬢なら、私たちの婚約は結ばないと仰るのですか?」

 「そうだ。…あの男がまさかこの屋敷を訪れる日が来るとはな。奴は婚約が白紙に戻った事をわざわざ自ら告げに来てこう言った。」


 『娘のナリアは貴殿のご子息と婚約を続けるつもりは無いと言っている。だが、もしご子息に我が娘との婚姻の意思がまだあるのなら、私自らが二人の間を取り持つことは可能だ。ただし、その際に一つ条件がある。』


 「…条件?何です?」

 「もし二人が婚姻するならば、お前をグラナード家の婿養子として迎える、というものだ。」

 「わ、私が婿養子に!?」


 何かの冗談だろうか。ナリアの意思よりも自分の意思を尊重しようという申し出に疑問を持つと同時に、どうあってもナリアを娘に置いておきたいというルミゴンの執着心に、思わず言葉を失った。

 カレイラが心配そうにリスターの横顔を見つめている。その表情をどこかで見た事がある気がして何気なく記憶を探った。

 リベリオの視線に気が付いたカレイラがふわりと笑うと、咄嗟に視線を逸らせてリスターに向き直った。


 「父上。父上は、私が婿養子になる事が反対なのですか?」

 「そうではない。お前は次男だから、相手によってはそれも許容している。つまり相手がグラナード家の人間である事に反対なのだ。」

 「なぜそこまで頑ななのですか。…何か理由があるのですか?」

 「そんなもの、お前が知る必要は無い。」


 リスターの吐き捨てるような言葉と態度が、リベリオの奥底にある傷口を抉る。幼い頃から閉じ込めてきた感情が音を立てて弾け飛び、一気に噴き出すのがわかった。

 目の奥がジンと張り詰め、こめかみが脈打つ。奥歯を食いしばりギロリと睨み返せば、忌々しそうにお茶を啜るリスターの姿があった。

 カレイラが異変に気付き咄嗟に口を開こうとするが、すでに遅かった。


 「…知る必要は無いだと…?」

 「なんだ?」

 「リベリオ!いけません!」

 「俺に、知る必要は無いだと!?それこそバカな事を言うんじゃねぇ!!」


 大声で叫びながらテーブルを叩きつける強烈な一撃が、音となって部屋中に響き渡る。臓の奥で燻る憤怒がリベリオの理性を蝕んでいき、すでに頭の中では目の前の男の首筋に牙を立てていた。

 ゆらりと立ち上がり、煮えたぎる憎悪の眼差しでリスターを見下ろせば、冷えた感情が全身を駆け巡った。


 「いい加減にしろ…以前アンタらの間に何があったかは知らねぇ。だがそれと俺の婚姻と何の関係があるんだ?」

 「リベリオ!やめて!!」

 「お前…誰にものを言っているのかわかっているのか?」

 「あぁ、わかってるよ。もともと次男である俺は他家(よそ)にやっても良いって思ってたんだろ?だったらそうすりゃいいじゃねぇか。ナリアがアマティスタなら良くてグラナードならダメだと?中身は同じ女だろうが!!」

 「貴様…!何も知らん奴が、知った風な口を利くな!!」


 リスターも立ち上がり、互いに睨み合う。リベリオはわなわなと震える父親の歪んだ顔を睨みながら、こんな顔をしていたのかと、ふと思った。

 顔中に深い皺が刻まれ、頭や髭は大半が白くなっている。しかし相対する者をねじ伏せようとする傲慢な欲望を湛えた瞳だけは、昔のままだった。

 今までの数える程しかない会話の最中でも、父親の目を見ているようで少し視線をずらしていた。そのせいか、最後にまともに顔を見たのはいつだったかすらわからない。


 「だから、知らねぇって言っただろうが。そもそも話すつもりは無いんだろ?だったら俺だって今後一切聞こうとも思わねぇよ。だがな、たとえアンタでも俺からナリアを奪う事は許さねぇ。」

 「…ほう、ではどうすると言うのだ。私はお前たちの婚姻を認めることは決して無いのだぞ?」


 リスターが嘲るように片方の口角を上げると、カレイラが立ち上がり縋るように眉尻を下げた。


 「あなた、それではあまりにもリベリオが…!」

 「黙れ!!女が男の会話に口を挟むな馬鹿者!!」

 「きゃあぁ!!」


 頬を張る音とともに、カレイラが倒れ込む。リベリオが咄嗟に駆け寄り身体を抱き起すと、口の端が切れ血が滲んでいた。


 「大丈夫ですか!?」

 「う…。うぅ…。」


 ハンカチを取り出し、カレイラの口元を押さえる。少し力を入れれば呆気なく折れてしまいそうな細い身体に息を呑んだ。

 華奢な肩を小さく震わせるカレイラの顔を少し上げれば、叩かれた頬が赤く腫れ始めている。リベリオは奥歯をギリッと噛み鳴らすと、リスターを睨み上げた。


 「アンタ…女に手を上げるなんて何考えてんだ。」

 「フンッ、出しゃばった真似をするからだ。」

 「いつもこうやって母上を虐げてきたのか!?」

 「人聞きの悪いことを言うな。それが父親に向かって言う言葉か?女など、男がきちんと管理せねば一時の感情の起伏で突然何をしでかすかわかったものでは無いんだ!」


 リベリオはカレイラをゆっくりソファに座らせると、再び立ち上がり胸を突き出すように見下ろした。背も体躯もすでに父親を優に超えている。戦地を経験している男の鋭い眼差しが、容赦なくリスターの瞳を真っ直ぐに射抜いた。


 「管理だと?アンタにとって妻は犬か何かか?だったら、一時の感情の起伏で平気で女を殴るアンタは犬以下じゃねぇか!!」

 「何だと!?貴様、黙って聞いておれば図に乗りおって…!そんなにあの娘と結婚したいと言うのならば、お前など私の息子ではない!!即刻出て行け!!」

 「出て行け?元からこの家に俺の居場所なんか無かっただろうが!!息子とも思ったことなど無いくせに、今更父親面するな!!」


 小さく顔を振り嗚咽を漏らして肩を震わせる母を横目に、リベリオは踵を返して扉に向かった。これ以上ここにいては激情に駆られ、何をしてしまうかわからない。まだかろうじて繋ぎ止めている理性があるうちに、大股に歩いて立ち去ろうとした。


 「…そもそも相手の娘はお前との婚姻を望んでないのだろう?」

 「あなた!!」

 「…何だ?何が言いたい。」


 リベリオが足を止め、背を向けたまま返事をする。その背中に向かって、更に追い打ちをかけた。


 「そのままだ。ただでさえお前との婚姻を望んでないのに、後ろ盾(家)を失った男などに誰が嫁ぐというのだ。」

 「…。」

 「ましてやあの男があれ程執着する娘にそんな男を婿に取ると思うか?一体何の得があるというのだ。それとも、お前がグラナード家に何かしてやれる程の力があるのか?」


 リベリオは言葉を詰まらせた。数年前まで騎士とは名ばかりの生活を繰り返し、親の庇護を受けて生きていた頃を思い返す。身の回りを整える武具一式から夜会に着ていく服の一着まで全てが親の財産から支払われ、使用する馬車一台も親のものだ。それは副団長に就いた今もなお続いている。


 自分自身の財産と言えるものといえば、支払われる日給の蓄えと平騎士時代から住んでいるボロい平屋ぐらいだ。そんな自分がデガート(家)を出るという事がどういう事か、分からないわけでは無かった。それでも。

 リベリオは振り返り、リスターを見る。傍らで目を見開き縋るように見つめる母親の姿を視界の端に置きながら、迷いのない声を発した。


 「誰に何を言われようが、そんなもの俺の知ったことではない。俺が彼女を愛しているんだ。誰にも邪魔はさせない。」


*


 十一の月も半ばを過ぎ、肌に冷たさを感じるようになった頃。ナリアは夕食を終えて自室に戻り、テーブルの上の小さな灯りをぼんやりと眺めていた。

 グラナード家の娘になり、リベリオとの婚約が白紙に戻された。それをグラナード家当主自らがデガート家に赴き通告したと聞いた時は卒倒する程驚いたが、それよりも自分が言い出した婚約継続拒否も同時に伝えたと聞いた時は、なぜか本当に息ができなくなった。


 ----もうリブは聞いたのかしら。どう思っ…ううん、もう考えないって決めたでしょう!


 テーブルに置いた手をクッション代わりに額を乗せる。もう二月は会っていない。まだ二月。やっと二月。瞼に焼き付いたリベリオの笑顔と他の女と何度も抱き合っていた光景が交互に流れ、未だに心がざわつく自分の未練がましさに苦笑した。


*


 十の月に養子縁組の手続きを行うと、その月中にグラナード侯爵邸へと移った。『全て整えてあるから身一つで来るように』というルミゴンの言葉に首を傾げつつも言われた通りに来てみれば、女性らしい可憐な調度品が置かれた、恐ろしい広さのある部屋に通された。

 クローゼットには一目で上等品だとわかるドレスや装飾品がずらりと並んでいる。鏡台に置かれた櫛一つ、ナリアの持っていたものよりも上等なもので、想像を絶する豪華さに意識が遠のきそうになった。

 部屋の片隅には控えめながらも存在感のある花が置かれ、部屋全体を常に良い香りで満たしている。環境の変化からくるストレスが少しでも和らげればというルミゴンの心遣いに、ナリアは嬉しい反面申し訳ない気持ちになった。


 グラナード家の娘になると決心し、この屋敷に移ってからすぐに仕事を教わることとなった。ルミゴンには屋敷での生活に慣れてからで良いと言われていたが、何かをしていないと、気が付けばリベリオのことばかり考えてしまう。いつまでも踏ん切りのつかない自分に、早く区切りをつけたかった。


 ナリアに仕事を教えたのは、グラナード家が所有する領地の管理事務をしているアセロ・ルシージアだった。ナリアにとっても顔見知りの方が何かとやりやすいだろうというルミゴンの図らいだったが、それが結果的にナリアが困惑する事態を招いた。

 最初はとても親切で丁寧に教えてくれていると思っていたのに、日を追うごとにその距離が近くなっていく。気のせいかと思いそれとなく身体を離すが、気が付けば肩が触れそうな程に距離を詰められている事が多くなった。

 ある日の午後、仕事が一段落した後ナリアとアセロが庭を散歩していると、アセロは突然真剣な表情になりそっとナリアの手を取った。そのまま互いに向き合うようにして立ち、アセロがナリアの瞳を真っ直ぐに見つめる。ナリアもアセロの瞳を見つめ返して、漆黒に輝く瞳の奥を覗き込んだ。


 「ナリア嬢、もう私の気持ちはご存知かと思いますが…。」

 「…何でしょうか。」

 「貴女と出会ったのはもう随分前ですが、たとえ仕事であっても共に同じ時間を過ごすうちに、私は貴女の魅力に囚われていました。そしてそれは、もう私の魂をも捕らえて離してはくれない!」

 「…。」

 「ナリア嬢、私にはもう貴女しかおりません。貴女以外には考えられないのです!どうか、私と結婚してはいただけませんか?」

 「お待ち下さい。」

 「はい?」


 アセロの情熱のこもった告白に、ナリアは抑揚のない声を無情に浴びせかけた。眉一つ動かさず、ひたとアセロを見上げる。一気に場が冷め、空気が凍りついた。

 普段大人しく控えめなナリアの口から出たとは思えないような声音に、アセロは唖然とした。


 「アセロ様、お気持ちはとても嬉しく思います。ですが、私はグラナード家の娘になる際にお義父様と約束をしているのです。」

 「…存じております。今後誰とも婚姻しないというものでしょう?」

 「そうです。ですから、このお話を受けることはできません。」


 ナリアが曇りの無い瞳で真っ直ぐに見つめると、アセロは言葉を飲み込み目を逸らせた。

 二人の間を冷たい風が吹き抜ける。ナリアが風に煽られた髪を押さえて目を伏せると、その仕草にアセロの心臓が跳ねた。髪型も服装も女の若さを主張するようなものではなく至って地味だが、ふと見せる表情に艶を出すナリアの魅力が男の本能を刺激した。

 遠くを眺める潤んだ瞳、形の良い濡れた唇、引き締まった身体に豊かな胸元。露出の少ないドレスの中はどうなっているのか、否応なしに想像させられた。


 「ナリア嬢、どうか私にチャンスをいただけませんか?」

 「いいえ、いけません。」

 「良い…え?『いいえ』?」

 「はい。私はお受けできません。」

 「そのようにハッキリと断られるとは…。フフ、面白い!ますます貴女が欲しくなった!」


 アセロは愉快だとばかりにクツクツと笑うと、息を吐きボソリと呟いた。


 「彼が貴女に執着するのも頷ける。」

 「え?」

 「いいえ、何でもありません。ナリア嬢、私はまだ諦めるつもりはありません。必ず貴女を振り向かせてみせます。」


 ナリアの手を取り、キスを落とす。手に唇を当てたままナリアを見上げ、ニコリと微笑んだ。

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